得難きもの[肆]
【雪白】雪のように真っ白なこと。
【得物】自分が使い慣れている、得意な武器や道具。
【月白】月の光を思わせる、ごくわずかに青みを含んだ白色。
次の授業は剣術だった。剣術の師であるゼノ先生は、前の講義で起きた一幕を耳にすると、可笑しそうに口元を綻ばせた。
「それはそれはノア様、大変でしたね。私はノア様に甘いですから、厳しく叱ることはありませんが……。」
ふふ、と喉を鳴らして笑う彼の髪は、月の光を紡いだようなプラチナホワイト。無造作に遊ぶ毛先は影の部分に淡い銀灰色のニュアンスをはらみ、神秘的な透明感を放っている。目元を覆う髪の隙間から覗く雪白の瞳はどこか浮世離れした静かな光を宿しており、向けられた優しげな眼差しには不思議な色気が滲んでいた。
「ぜひ私の授業もサボることのないよう、教訓として心に留め置いておくといいですね。」
そう言って先生は、自身の細い指先を顎に添えた。そのしなやかな指先には、艶やかな漆黒のネイルが施されている。身に纏う衣服と肌の圧倒的な白さの中で、その十本の爪だけが、闇を切り取ったかのような鮮烈なコントラストを描いていた。
重厚なシルバーリングが嵌められた指先が動くたび、片手に握られた剣の柄と触れ合って、微かな金属音を響かせる。
「肝に銘じておきます。」
俺は苦笑を滲ませながら、自身の口元を手で覆った。
「それにしてもノアが講義を抜け出すなんて珍しいですね。何かあったのですか?」
剣術の講義が始まる直前、公爵邸へと足を運んでいたクローディアが、彫刻のように均整の取れた顔を傾け、不思議そうにこちらを視線で捉えた。
「いや、特にこれといったことはないんだ。ただ、なんとなく疲れた気がして。」
何気なく溢した本音に、それまで一歩引いた場所にいたクローディアが、すっと距離を詰めてきた。
「熱は無さそうだけれど……。」
ひんやりとした訓練場の空気の中で、心地よくて温かい彼女の手のひらが俺の額に触れる。クローディアは心配そうに顔を覗き込ませたまま言葉を紡ぐ。
「この時間は剣術ですから、あまり無理をなさらずに。体に違和感があれば、すぐにでもゼノ先生に言うんですよ。」
「左様でございますよ、ノア様。」
クローディアの言葉を引き継ぐように、先生が歩み寄る。
「ノア様に何かあれば、専属守護騎士であるこのゼノ、息をすることもままなりません。我が命のすべては貴方様のものなのですから、どこか不調があれば遠慮なくお伝えください。」
そう告げる先生の、どこか浮世離れした美貌が、今は蜂蜜のような甘い温かみを帯びて俺を包み込む。シルバーリングの嵌められた冷たい手元とは裏腹に、向けられる眼差しはあまりにも熱く、忠実だった。
「問題ありません。いつも通り手合わせをお願いします。」
「かしこまりました。——では……いきますよ。」
先生の言葉が、訓練場の空気をピリリと震わせた。
刹那、目の前にいたはずの先生の姿がかき消える。
(速い——!)
ガキィンッ! と、鼓膜を劈くような鋭い金属音が響き渡る。
慌てて応戦した俺の真剣が、先生の放った一撃を辛うじて受け止めていた。激しい火花が散り、互いの得物が噛み合う。吐息が届くほどの至近距離。
先生の流れるような銀髪の隙間から、耳元で激しく揺れた長鎖の十字架のピアスがチカリと光を反射した。俺の手に嵌められたシルバーリングもまた、ジャラリと激しい戦律を奏でる。
「どうしました、守りが甘いですよ。」
先生の声は息一つ乱れていない。彼は滑らかな動作で剣を引き戻すと、息つく暇もなく次の一撃を繰り出してきた。
鋭い突きが俺の頬をかすめ、巻き起こった風圧で俺の白髪が大きく後ろへと跳ね上がる。容赦のない剣閃が次々に襲いかかる。だが、ただ圧されているだけでは終わらせない。
(ここだ——!)
先生の放った鋭い上段からの振り下ろし。それを真っ向から受けると見せかけ、俺は身をルビー翻しながら刃を斜めに滑らせた。キィィンと耳障りな音を立てて先生の剣を受け流し、そのまま彼の懐へと踏み込む。
体勢を崩した先生の、白い首元が目の前に迫る。そこを目がけ、俺は渾身の力で逆一文字に剣を振り抜いた。
「——ほう。」
先生の唇から、小さく感嘆の息が漏れる。彼は驚異的な反射速度で身体を後ろへ反らし、俺の刃を紙一重でかわした。鋭い風切り音が空気を切り裂く。
完全に捉えたと思った一撃は、あと数ミリというところで空を切った。だが、確実に一瞬、先生の体勢を崩し、その美しい顔に驚きを浮かべさせることができた。しかし、歓喜に浸る余裕などなかった。
「素晴らしい。……ですが、ここまでです。」
先生の瞳の奥に、本気の熱が灯る。体勢を立て直した彼の反撃は、先ほどまでとは桁違いの速さと重さだった。
激しく打ち合うたびに、重い衝撃が両腕を駆け抜け、じりじりと俺の足元が後ろへと後退させられていく。今度こそ完全に退路を断たれ、体勢が崩れかけた。真剣の冷たい刃が、まっすぐに俺の首筋へと肉薄する。
(——このままじゃ、押し切られる……!)
完全に防戦一方となり、追い詰められた俺は、覚悟を決めて地を蹴った。思わず、剣での応戦をあきらめ、わずかにできた先生との隙間に向かって、左手を強く突き出す。手元から放たれた目に見えぬ衝撃波が、猛烈な勢いで空気を爆ぜさせた。
先生は鋭い眼光のまま、超人的な身のこなしで咄嗟に後ろへと跳躍する。先生のピアスが激しく宙を舞い、数メートル後方へ鮮やかに着地した。
「これは……。」
手にした真剣の切っ先をわずかに震わせ、突然の出来事に言葉を失っている先生。その沈黙の代わりに、稽古場の隅で見学していたクローディアが、ストレートに言葉を紡いだ。
「ズルですね。」
「そう……ですよね?」
クローディアの容赦ないツッコミに、先生はこみ上げてくるおかしさを堪えきれなくなったのか、片手で口元を覆った。彼の首元が、笑いの振動で微かに揺れる。
咄嗟の行動だったとはいえ、やってしまった。先生が卓越した剣技の持ち主であったからこそ、瞬時に判断し、完全な回避へと転じられたのだ。もしこれが並の剣士であったならば、今の一撃は間違いなく直撃していただろう。
「クククッ、あはははは!いやはや、無詠唱で術式を展開できるとは聞いておりましたが、これほどのスピードで魔術が飛んでくるとは。恐れ入りました。」
先生はついに堪えきれなくなったのか、いつもの浮世離れした静けさをどこかへ置き去りにして、高らかに気持ちの良いほどの笑い声を響かせた。
「とはいえ、ノア様。これは剣術の授業です。魔術を放つ場合には、そういう仕合をすると事前に言っていただかなくては。ふふふっ、本当にクローディア様の言う通り、ただのズルですよ。」
言い訳のしようもない正論を突きつけられ、俺は頭をカリカリと掻いた。
「先生、申し訳ありませんでした。……お怪我はございませんか?」
俺は先生の全身に視線を走らせ、どこか服が裂けたり、怪我をしている箇所がないか探す。
「いえ、大丈夫ですよ。ノア様がどんな反撃をしてくるか、多方向への警戒をしておりましたので、なんとか避けられました。」
笑い声がようやく収まってきた先生は、また蜂蜜のような甘さと優しさを帯びた温かい表情へと戻り、俺の月白の瞳を覗き込んできた。
「もし魔術も交えた仕合をお望みでしたら、今後は模擬戦メニューに加えますか?」
「……そうですね。今までは別々に習っていた剣と魔術でしたが、咄嗟のこととはいえ、戦闘の幅が広がった感じがいたしました。よければ模擬戦メニューに、魔術と剣術の両方を使用したものを追加していただきたいです。」
「かしこまりました。では今後、そのようにいたしましょう。さて、そろそろ授業も終わりの時間ですね。次回の仕合も楽しみにしております。」
先生はそう言って微笑むと、流れるような動作で真剣を鞘へと収めた。俺もそれに倣って剣を収める。先生と俺は互いに真っ直ぐな礼を交わし、今日の仕合を締めくくった。
緊張の糸が解けた途端、全身からどっと汗が噴き出してくる。そこへ、訓練場の隅にいたクローディアがしなやかな足取りで歩み寄ってきて、ひんやりとしたタオルを手渡してくれた。わざわざ魔法か何かで冷やして持ってきてくれたのだろう。そのひと手間を惜しまない彼女の細やかな心遣いが、タオルの心地よさを通してじんわりと伝わってくる。
「ありがとう。動いたせいもあるけど、ここは少し暑いだろう。湯浴みを済ませたらすぐに行くから、先に俺の部屋で涼んでいるといい。」
俺が首筋の汗を拭いながらそう声をかけると、クローディアは少し意外そうに大きな瞳を丸くしたあと、穏やかに微笑んだ。
「あら、優しいのね。お言葉に甘えてそうさせていただくわ。」
クローディアはクルリと背を向けると、気品ある波打つ髪を優雅にたなびかせ、本邸の方へと歩き出した。遠ざかっていくその背中を見送りながら、俺は小さく息を漏らす。
(——綺麗だ。)
幼い頃からの友人だが、何年経っても彼女の美しさには見惚れてしまう。いや、むしろ年々、大人の女性としての気品と美しさに磨きがかかっているようだった。
これほどの皇女である彼女を将来娶る男性は、さぞかし幸せ者なのだろう。かすかに胸の奥がざわつくような、そんな思いを心の中で呟きながら、汗を流すための湯浴みをするべく、俺もまた本邸の扉へと足を向けた。
少しでも面白いと思っていただけたら、下の☆やリアクションで応援お願いします!執筆の支えになります!




