得難きもの[参]
【宵闇】夕方が過ぎて夜になったばかりのころの薄暗さ。
【双眸】両方のひとみ。
【諳んじられる】何も見ないで、記憶だけでその文章や詩などをすべて口に出して言える(暗唱できる)。
数日後、俺は講義をサボった代償として、魔法・魔術の師であるルクシオ先生からの厳しいお説教を受けていた。窓外から柔らかく差し込む陽光とは対照的に、講義室には緊張感が満ちている。
「まったく。日頃、真摯な態度で授業に臨まれているノア様が、ダンスの講義を放棄されるなど、思いもよりませんでしたよ。ナターシャ先生から伺った時は、耳を疑いました。私の講義ではないとはいえ、見過ごすわけにはいきません。……本日は罰として、魔法と魔術の基礎を座学で徹底的に復習していただきます。もちろん、全問正解が前提。優秀なノア様なら、私の期待を裏切らないと信じておりますよ。」
先生は、宵闇を溶かし込んだような深みのあるダークアッシュの長髪をわずかに揺らし、額に手を当てて深くため息をついた。顔にかかる細い毛束が無造作に散る。
知性を覗かせる金縁の丸メガネの奥で、その切れ長な双眸が失望を滲ませるように伏せられた。耳元でかすかに揺れた繊細な銀のチェーンピアスが、先生の痛切な落胆を物語っているようだった。
「申し訳ありませんでした、先生。その身に余るお言葉をしかと胸に刻み、必ずや全問正解してみせます。」
俺は椅子を座り直して居住まいを正し、深く頭を下げた。
「よろしい。ではさっそくですが、第一問です。——魔法使いが操る『魔法』と魔術師が操る『魔術』の違いとは?」
先生はふっと氷が融けるような優しい微笑みを浮かべ、深く頷いた。しかし、その直後に紡がれた問いの声音には、一切の妥協がなかった。
「まず、魔法を扱う者を魔法使い、魔術を扱う者を魔術師と呼びます。両者の相違点は『自然の祝福』を生まれ持っているか否かです。」
「——では、その『自然の祝福』とは具体的に何を指しますか?」
退路を断つように、先生の丸メガネのレンズが光を反射し、その奥の眼光が鋭く射す。試されている。俺はこれまでに叩き込まれた知識を脳裏で手繰り寄せた。
「魔法使いは五大元素と呼ばれる火・水・風・土・雷の内、いずれか、あるいは複数を生まれた頃より扱うことができ、これを『自然の祝福』と呼びます。対して魔術師は術式を展開し、詠唱さえできれば理論上は誰もがなれます。ただし、膨大な魔力を消費するため、元より魔力に恵まれぬ者が至ることは叶いません。」
「ふむ、上出来です。ですが、これはあくまで基本中の基本。街の幼子でさえ諳んじられる領域でしょう。」
先生は細い人差し指を自身の口元に当てる。何かを企むように唇が妖艶な弧を描いた。
「それにしてもノア様。ダンスの講義をサボってまで、一体どちらで何をされておいでだったのです? 綺麗な女性を見かけて後を追ってしまわれたとか?」
「いえいえ、どちらかというと芝生に誘惑をされてしまい、共に眠ってしまったのです……。」
「おや、女性ではなく、緑の美姫に心を奪われて添い寝をしていらしたと。なかなかに風流なことで……と言いたいところですが、ナターシャ先生を差し置かれては、怒られるのも必然というものです。あの方を怒らせると後が大変なのですから、宥める私の身にもなっていただきたい……。——さて、お喋りはここまで。本題に戻りましょう。次は先ほどの問題から、少し発展させましょうか。」
先生は机の上の分厚い魔導書へと視線を落とし、その長い指先で乾燥した羊皮紙の頁を軽やかに捲った。
「第二問、ノア様が仰られた魔法使いの多くは、五大元素を操る『元素魔法士』に分類されます。しかし、さらに特殊な、選ばれた者のみが名乗ることを許された二つの『別称』が存在します。その名称と、それぞれの特徴をお答えください。」
これは発展問題だ。だが、記憶の糸を辿れば確実に答えられる領域にある。俺は背筋を伸ばし、先生の白菫色の瞳を見据えて口を開いた。
「——それは精霊魔法士と治癒士です。特徴として、精霊魔法士は高位の精霊と契約を交わした者のみがその名を許され、治癒士は聖属性の加護をその身に授かった者のみが名乗ることができます。そして最大の特徴は、どちらも元素魔法士として何らかの五大元素を扱える者の中からしか出現が確認されていないため、魔法使いの特異派生とされています。」
「正解でございます。」
先生の唇が、また底の知れない怪しい微笑みを湛えた。卓上のランプが、その横顔を照らし出す。
「それでは第三問、先ほど話に上がった、魔術師には膨大な魔力が必要となる理由とはなにか、お答えください。」
難易度の上がった問い。だが、俺は怯むどころか、先生の挑戦的な視線に合わせるように不敵な笑みを浮かべた。
「それは、先ほどの魔法使いと魔術師の差異の話に繋がります。魔法使いは『自然の祝福』、『精霊』、『加護』といった外なる力を借り、それを行使する呪文に自身の魔力を乗せて発動させます。ですから、相当な高位魔法でない限り、術者本人の魔力はそれほど必要にはなりません。」
——一呼吸置き、俺は言葉を続ける。
「対して、魔術師は『術式』と呼ばれる紋様に自らの魔力を込め、発動の鍵となる呪文を唱えて行使します。紋様以外には何もない、まさに無から有を生み出すような行程。この世界の理に強引に干渉するからこそ、魔術師には膨大な魔力が必要となるのです。」
「素晴らしい。完璧、と言わざるを得ませんね。」
一分の滞りもなくスラスラと解答を紡いだ俺に、ルクシオ先生は誇らしげに満足そうな笑みを浮かべて頷いた。
その後も、授業の終了を告げられるまで、容赦のない復習の嵐は続いた。かつて幼き頃に叩き込まれた知識を思い出すには良い時間だったが、芝生で微睡んでしまった代償としては、少々高くついたかもしれない。
(……次からは、ちゃんと真面目に授業を受けよう。)
どっと押し寄せてきた心地よい疲労感に息を吐きながら、俺は心の中でそっと誓い、本を閉じて部屋を出ようとした。
その背に先生の声がかけられる。
「おや、そんなに急いでどちらへ? もしかして、また例の『緑の美姫』がノア様を呼んでいるのですか?」
「いえいえ、今回は違いますよ。ただ……先生から学んだ知識が、夢の中でさらに発展しないか、少しばかり確かめに行くだけです……。」
「……次の授業には間に合うようにお願いしますよ。でなければ、また私との熱い時間を過ごすことになりますから。私への熱烈なアプローチも程々に……。」
片目をパチっと瞑り、悪戯っぽく微笑む先生。
「ははは、善処しますね。それでは、また。」
俺は先生との小気味よい掛け合いを楽しみながら、一礼し、インクの香りが残る部屋を退出した。
少しでも面白いと思っていただけたら、下の☆やリアクションで応援お願いします!執筆の支えになります!




