得難きもの[弍]
【晧白】白く光り輝くさま。
【琥珀色】天然の宝石「琥珀」のような、透明感のあるくすんだ黄褐色(赤みがかった黄色)。
辿り着いたのは、天族がその誇りのすべてを懸けて築き上げたという、見上げる視界のすべてを埋め尽くすかのような、気が遠くなるほどの歳月と至高の職人技が造り出した、皓白の巨石神殿だった。
天空を丸く切り取るようにそびえ立つ大尖塔には、緻密な装飾が施され、吸い込まれそうなほどに深い青空を背景に、眩いばかりの光を放っている。まるで神々が光そのものを結晶化させて建てた聖域のようだった。
地上からはるか高くにある天窓から、神聖な陽光が降り注ぎ、白き神殿のすべてを祝福するように照らし出している。遮るもののない広大な空間には、俺たちの微かな足音さえも厳かに反響していた。
これから向かう禁書庫へと至る道は険しい。神殿の正面から足を踏み入れ、迷宮のごとき回廊を抜け、最奥にそびえる塔の一番深くの地下を目指さねばならなかった。クローディアが持つ鍵が真価を発揮するのは、その強固な扉の前だ。
幸いにも、最高位の血を引く皇女が同行している。神殿への立ち入り自体を拒まれることはないだろう。
問題はそこからだ。迷うことなく、そして誰の目にも触れずにその塔へ辿り着けるか——。奥へ進むほど人影は疎らになるが、それは同時に、見つかった瞬間に「迷い込んだ」という言い訳が通用しなくなることを意味していた。気配を消すように息を潜める。
「それで……目的地までの道筋、具体的な作戦はあるのですか?」
張り詰めた空気の中、ジキルが不安を隠せない様子でクローディアを見つめる。
「そうね。礼拝や儀式で何度も足を運んでいるから、大まかな構造は頭に入っているわ。……もっとも、最奥の塔までとなると未知の領域だけれど。あとは、私たちの運と勘に頼るしかないわね。」
堂々と言い放つクローディアを前に、ジキルは絶句した。驚くほどに無策だった。
「……まあ、そうですよね。何週間も前から計画を練っていたわけでもありませんし。ここは腹をくくって、進むしかなさそうです。」
ジキルは息を吐き出して覚悟を決め、神殿の門へと足を踏み入れた。
天上の天窓から差し込む、神聖な青き光。神殿の中はまるで、遥か古の時代に失われた神の祝福が、今この場所にだけ降り注いでいるかのようだった。光の奔流が照らし出すのは、巨大な白亜の乙女像。周囲を囲むステンドグラスは、深海のような碧い光を神殿の中へと誘っていた。
「さっ、怪しまれないように堂々と進みましょう。」
クローディアはそう言って、ドレスの裾を揺らしながら颯爽とした足取りで歩き出す。ある程度の構造を把握している彼女を先頭に、ジキルと俺は周囲のわずかな気配に神経を尖らせながらその背を追った。
複雑に入り組んだ回廊のなかで、何度か道を迷いかける不測の事態はあったものの、最も恐れていた「神殿の聖職者に見つかる」という最悪の状況だけは、運良く回避することができた。
張り詰めた緊張のなか、ついに目的の場所にたどり着く。頑強な禁書庫の扉を前に、俺たちはその威圧感に圧倒されていた。
「じゃあ、開けるわね。」
クローディアは鍵を取り出し、そっと鍵穴へと差し込んだ。鍵を回す音が響き、幾重もの魔導の封印が解ける重々しい地鳴りが足元を揺らす。
扉の奥に広がっていたのは、世界の記憶が幽閉された「本の迷宮」だった。壁面を埋め尽くす書架は遙かな高みへと連なり、空を覗くことすら許されない深き闇へと誘われているようだった。
暗がりの中に灯る無数の魔導ランプは、まるで蛍の光、あるいは星々のようにまたたき、古びた革表紙の群れを琥珀色に照らし出している。肌を刺すような魔力の残滓に、俺は知らず知らずのうちに息を呑んでいた。
何百年もの沈黙が堆積した空気はひんやりと重く、微かに漂う羊皮紙の匂いが、ここが人の立ち入るべきではない禁域であることを無言で告げていた。
その禁域に足を踏み入れた俺達の視界を埋め尽くしたのは、一日や二日では到底読み切ることなど不可能な、文字通りの本の山だった。その桁外れの本の数を前に、俺たちは立ち尽くす。
だが、いつまでも呆然としているわけにはいかない。とりあえず三人は、それぞれ直感で目を惹かれたものから手に取ることにした。
「私はこれにするわ。『失われた種族』について記された古文書。現在でこそ、この世界には十の種族が存在しているけれど……まさか、かつて十一種族目が存在していたなんて初耳だわ。」
どんな姿をし、どんな歴史を辿った種族だったのかしら。クローディアは知的好奇心に瞳を輝かせ、指先で器用に厚い頁をめくり始めていた。
「ジキルはどうする? 俺は魔法か魔術関連の書物で、何か良いものがないか探そうと思っているが……。」
「そうですね。私は魔法使いなので魔法の起源や研究にとても興味がありますから——。あ、これなんてどうでしょうか?」
ジキルが棚の隅から引き抜いたのは、分厚く、長らく誰も触れていなかったであろう漆黒の装丁本だった。埃を払って表紙の銀文字に目を通すと、そこには『禁断の魔法』と記されていた。
「いかにも危険そうではあるけど、興味を唆られるタイトルだな。それ、俺も一緒に読んでもいいか?」
「もちろんです!」とジキルは口元を綻ばせ、俺の隣に並んだ。埃っぽい石床に適当に腰掛け、その禁忌の頁をそっと開き始める。
『禁断の魔法』——その古めかしい表題が示す通り、色褪せた紙面に記された内容のほとんどは、文字通り破滅の香りが漂うものばかりだった。
行使する者の命を削るであろう危険な詠唱呪文や、そもそも解読すら不可能な未知の古代文字で埋め尽くされ、発動の端緒さえ掴めそうにないものも多い。
特に、行使する者の肉体や魂を代償とする呪詛の類が目立ち、まさに『禁断』の名に違わぬ悍《おぞ》ましさだった。
「これは……すごいですね。消費される魔力量もさることながら、詠唱呪文も異常なほど長い。並の魔法使いでは、発動させることも難しいでしょう。」
驚愕と畏怖が混ざり合った複雑な表情のまま、ジキルは大きく見開いた目を頁に吸い寄せられ、取り憑かれたように次々と捲っていく。
「もしかしたら特位、いや特位魔法さえ超える天位魔法の類いかもしれないな。」
「天位魔法……。今では扱える者がいないと言われている失われた魔法ですね。」
「これを研究できれば新しい魔術に……。いや、禁断と記されているものに、興味本意で足を踏み入れるべきではないか。」
俺とジキルは秘められた古書に魅せられていた。しかしそれと同時に、俺はどこか頭の奥底で警鐘が鳴り響いてもいた。これは、凡愚な人間が触れてはならぬ禁忌の叡智。気軽に踏み入ってはならない領域だと、本能が告げていた。
その傍らで、いまだ興奮に瞳を爛々と輝かせ、熱心に頁を捲るジキルの集中を削ぐのはさすがに忍びない。
俺は彼をその場に残し、音を出さないように立ち上がって別の書架へと視線を移した。そこでふと目に留まったのが、背表紙の革が酷くひび割れた『種族固有魔法』という題の書物だった。
指先で埃を払い、分厚い頁を開くと、その種族の血を引く者でなければ決して発動し得ない、血統の奇跡について記されていた。たとえば海族が扱える歌域魔法、龍族が扱える顕現魔法などについて、多種多様な神秘が網羅されている。
中でも興味深かったのは、二つの血を引く混血種、——亜族に関する記述だ。彼らは双方の固有魔法を扱えるものの、その威力や行使時間、影響範囲のすべてが、純血の『二分の一』へと一様に減衰してしまうのだという。
さらに複数の血が混ざっている場合、全ての魔法を扱えるわけではなく、発現するのはランダムに選ばれた二つのみ。
しかし稀に、一つの固有魔法しか発現しない代わりに、純血種と遜色ない絶大な力を振るえる『先祖還り』と呼ばれる特異個体が現れるという。
これも中々に興味深い。これまで純粋な魔術のみを修めてきたが、こうした種族固有の神秘を学ぶのも悪くないのではないか。未知を既知へと変えておくことは、不測の事態を防ぐ盾となる。これは俺にとって、小さくない収穫だ。
思考に没頭するあまり、俺達は時の経過を忘れていたらしい。ふと壁掛け時計に目をやったクローディアが、弾かれたように声をあげた。
「まずいわ。もう日暮れの時間よ。お父様が公務から戻られる前に鍵を元に戻さなければ……!」
「おや、もうそんな時間でしたか。では、再び人目に付かぬよう馬車へ戻るとしましょう。」
名残惜しそうに本を閉じ、寸分の狂いもなく元の位置へと戻したジキルが、声音を整えて応じる。
「それなら、まずはディアを皇宮に送るよう御者に伝えよう。さぁ、行こうか。」
俺はクローディアの手を取り、夕闇が侵食し始めた薄暗い足元を気遣いながら、靴音を忍ばせて迷宮を後にし、馬車へと引き返した。
その後、皇宮でクローディアを降ろし、ジキルを伯爵邸へと送り届けてから、俺もまた自身の帰路へとついたのだった。
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