↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/40

目覚めし者[肆]

伸ばした腕、落ちゆく身体。君を、この冷たい地に触れさせはしない。


わずかな衝撃すら与えぬよう、ただただ優しく、その身体を抱きとめた。腕の中に収まった彼女からは血が止めどなく溢れ、俺の服を容赦なく濡らす。



「ディア!ディア!目を開けてくれ!ディア!!」



いくら名前を叫ぼうとも、長い睫毛に縁取られた瞼は閉じられたままだった。



「クローディア様!ノア様!」


後衛で傷を庇いながら戦っていたジキルが、息を荒くしてこちらへ駆けつけるのが視界の端に映った。



「うあ゙あ゙あ゙ぁぁぁぁ!!」



全身の血管が爆ぜるような衝撃と共に、体内の血が烈火の如く沸き立った。制御のタガが外れた魔力が、俺の身体から全方位へと爆発的に放出される。


荒れ狂う魔力は神殿の強固な白壁を削り、足元の巨石を粉砕して大気を激しく震わせた。周囲にいた衛兵たちの肉体が、抵抗の術もなく木の葉のように吹き飛んでいく。愛しい者を血に染められた怒りが脳を灼き尽くし、感覚が麻痺していった。



「ノア様!正気にお戻りください……っ!ゼノ!シヴァ!バリアの中へ!」


遥か遠く、防壁を展開するルクシオの叫びが鼓膜を掠めていったが、今の俺には水底で聞く雑音のようで、その意味を理解することすら拒絶していた。



「ひっ……ひいぃぃぃ!」



混濁する視界の奥、千切れた法衣を引きずりながら、床を這い回って逃げ惑う醜悪な背中が映った。



——あぁ、あいつだ。


クローディアの細い背を、あの冷たい金属で容赦なく貫いたのは。俺が大切にし、守り抜いてきた君を無情にも赤く染め上げた張本人。


"それ"を知覚した瞬間、外へ向かって暴発していた魔力がピタリと止まり、沸き立っていた熱い血が冷えた激流となって全身の髄まで駆け巡った。



クローディアに余計な心配をかけまいと圧し殺していた背の激痛も、彼女を抱き抱えることしかできなかった肉体の無力さも、全ての細胞が完全に俺の支配下に収まる。かつてないほどの力が、身体の奥底から際限なく溢れ出てくるのを感じていた。



俺はクローディアの胸元から、彼女を苦しめていた無慈悲な杖をそっと引き抜いた。肉が擦れる不快な感触と共に、新たな血が迸る。



「……赤き情念(いのち)を以て、去にし時を逆巻け。贄刻(げいこく)。」



俺は側にいたジキルの腕に無言でクローディアの身体を委ねた。


「ノ、ノア様……瞳が真紅に……。」


ジキルが戦慄し、僅かに絞り出した声を震わせる。



俺はマジックボックスの空間をこじ開け、その奥から己の得物を取り出す。


——ジャラリ、と不吉な金属音を立てて俺の手に収まったのは、己の背丈を遥かに超える漆黒の大鎌だった。茨のように絡みつく黒鉄の装飾、そして光を完全に呑み込んだ三日月の湾曲刃。己の手に収まった柄から生命(いのち)を刈り取れと聴こえてくる気がした。絶望という概念を形にした死の造形を片手で軽く肩に担ぎ、俺は大神官を見据える。



一歩、また一歩。石畳を靴底で踏み締めながら歩を進める。あの肥え太り、戦意を喪失して床に脂汗を垂れ流すだけの無残な肉塊へ、死の宣告を突きつけるために。



「くっ……来るなぁぁ!」



耳障りな悲鳴が狂喜と変わり脳に染み渡っていく。


這いつくばる男の前に立ち、その贅肉の背中を容赦なく片足で踏みつけ、床の石材ごと圧殺する勢いで踏み付けにする。



「喚(わめ)くな。」



ただ一言、低く告げると同時に、黒い大鎌の弧月を無慈悲に振り下ろした。肉を断つ鈍い手応えの後、男の首と胴体はあっけなく分かたれた。


神聖だったはずの大広間は、まるでその処刑を厳粛に見守るかのように、いつの間にか静まり返っていた。辺りに漂うのは、焼き焦げた雷の臭いと、男の首から溢れ出た生々しい鮮血の匂いだけだった。


俺は首だけを緩慢に動かし、頭上の高台を見上げた。



「見つけた。」



王族席の最前線に立ち、顔を青白くさせて呆然と俺を見下ろしている女王の姿を完全に捉える。ドン、と地面を強く蹴り上げ、俺は重力を無視した躍動で彼女の眼の前へと降り立った。



「ご機嫌……いかがですか?女王陛下、王配殿下。」


俺は洗練された動作で一礼し、まるで普段と何一つ変わらない穏やかな日常の会話であるかのように、静かに声をかけた。


女王はあまりの恐怖からか、声にならない声を漏らそうと、魚のように口を開閉させている。



「……俺はこの国を去ります。ディアの家族の命までは奪いたくありません。ですからどうか、後を追わないでいただきたい。……その首と胴体が繋がっていたいのなら。」



俺は小首を傾げる仕草をしながら、これ以上ないほどに深く、冷ややかな笑みをその唇に浮かべてみせた。


女王も王配も、まるで見えない力に操られているかのように、何度も、何度も必死に首を縦に振る動作を繰り返す。



「では、失礼いたします。」


再度、完璧な貴族の礼を捧げ、俺は地へと飛び降りてジキルの元へと戻った。ジキルの腕から、再び愛しいクローディアの身体を抱き上げる。


その口元に耳を寄せると、微かではあるが、確かに規則正しい呼吸が刻まれていた。その温もりを感じ取った瞬間、張り詰めていた俺の意識が、ようやく芯から冴え渡っていくのを感じた。



「……行こうか。」



俺の静かな呼びかけに応じ、シヴァ、ゼノ、ルクシオの三人が、俺の背後へと着地する。ジキルを含めた四人が、俺の背中を追うように歩き出した。


視線の先、神殿の外では太陽が地平線の彼方へと沈み始め、世界が徐々に深い闇へと塗り替えられようとしている。俺はエンジェル《天族》の国を捨て、迷わず前へと歩みを進めた。




少しでも面白いと思っていただけたら、下の☆やリアクションで応援お願いします!執筆の支えになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。