目覚めし者[壱]
翌日。クローディア、ジキル、シヴァ、ルクシオ先生、ゼノ先生。そして俺を含めた六人が、俺の自室へと集まっていた。誰もが息を潜め、俺が最初に発する言葉を待っていた。覚悟を決め、俺はゆっくりと口を開く。
「どこから話すべきか……。少し長くなりますが、……初めから話します。」
そう前置きをして、俺はすべてを打ち明けた。禁書庫で見つけた『禁断の魔法』と『失われた種族』についての本。俺の正体が吸血鬼族であること。クローディアとシヴァから血をもらって生きながらえていること。俺が扱える血を贄とする『血冥魔法』の真実。傷を隠すための『贄刻』の術。
そして、先日の戦いでジキルが唱えたものこそが、その『禁断の魔法』であったこと――。
最後に、吸血鬼族という種族の生態について、本の記述を思い出しながら細かく説明し終えると、部屋には再び沈黙が訪れた。
誰も口を開かない。各々が、今もたらされた信じがたい真実を頭の中で整理しているのだろう。最初に沈黙を破ったのはルクシオ先生だった。
「——これで、日頃から感じていたいくつかの疑問に、全て合点がいきました。なるほど。そういうことだったのですね。」
ルクシオ先生は深く、己に言い聞かせるように何度か頷くと、真剣な眼差しをこちらに向けた。
「まず伺いたいのは、ノア様ご自身はどうされたいのですか?このまま天族の国で息を潜めて過ごしたいのか。それとも、魔王と戦うために妃と仲間を集める旅に出られるのか。」
「……それは、俺自身ずっと悩んでいたことだ。」
胸の奥が、鈍い痛みでじわじわと侵食されていく。
「本に書かれていることが真実なのか、まだ定かではないからな。だが、今回の戦いで血冥魔法を使用してしまった。もし俺が吸血鬼族であると気づく者が出たならば、この国にいられるかどうかを決めるのは国の上層部だ。少なくとも、人の血を飲み生きることは事実なのだから……。天族の国から追い出されることも想定しなければならないだろう。」
生まれ育った故郷を追われ、共に笑い合ってきた大切な友とも引き裂かれる。そんな未来を、簡単に受け入れられるはずがなかった。
すると、シヴァが迷いのない足取りで俺の前へと歩み出てきた。その場に美しく跪き、右手を左胸に当てる。忠誠を示す完璧な礼だ。
「——もし、ノア様がこの国を捨て、吸血鬼族として生きると仰るのであれば、私はどこまでもお供します。もし許されるのであれば……私に『ヴァレンティス』として、主をお守りする役目をいただけないでしょうか。」
心臓が跳ねた。ヴァレンティス——それは始祖を守護する、命を賭した絶対の側近。
「……シヴァ、お前……本気で言っているのか。」
俺は言葉の一つ一つに拒絶に似た重みを乗せた。シヴァの覚悟に、一筋の翳りでも生じないか試すように。
「ヴァレンティスになる恩恵は確かにある。だが、ロード(始祖)である俺が死ねば、お前も灰となり、死ぬことになるんだぞ。」
「本望です。ノア様のいない世界に、私の存在する理由はありません。ノア様を守れる者に、そして運命を共に背負える者に、……眷属にしてください。私は貴方様の『影であり片腕』です。置いていくなどという悲しいことは、どうか仰らないでください。」
シヴァの眼差しには一切の偽りなどないようだった。そのシヴァの眼差しを見つめ返しながら、俺がどう応えるべきか内心で葛藤していると、今度はジキルが、一歩前に出て忠誠の礼をとった。
「ノア様、私もお供します。この傷だらけの顔では、もはや社交界に私の居場所などありません。幸い、我が伯爵家にはまだ男児がおります。家督のことは弟に任せればいい。それよりも……あの戦いで、命懸けで私の命を救ってくださったノア様を、今度は私の命を懸けてお守りさせてください。」
顔を上げたジキルは、いつもの飄々とした爽やかさからはかけ離れた、確固たる決意をもった面持ちで俺を見ていた。
さらに、彼の背後からゼノ先生とルクシオ先生も追従するように、床に膝をついた。
「ノア様、私の命など、とうに貴方様へと捧げております。貴方に仇をなす全てを打ち払うのが我が使命。どうか、今後は公爵家の指導者としてではなく、ノア様のヴァレンティスとしてお側に侍らせてください。そしてこれからは、ゼノと呼び、私への敬語もおやめいただきたいのです。」
ゼノ先生は、まるで縋るような、懇願する表情を浮かべている。
「私も、ノア様についていきましょう。」
ルクシオ先生が、その美しい長髪を揺らしながら、さらに深く頭を下げた。
「私は、貴方様の規格外の才能にすっかり魅せられてしまっているのです。これからノア様がどんな道を歩み、どんな覇業を成し遂げられるのか、この目で見届けたい。ですからゼノと同じように、これからはルクシオと呼び捨てに。敬語ではなく、臣下としてお接しください。」
「本当に……皆覚悟しているのだな。」
それぞれが冗談などではなく、その身のすべてを賭した、本物の忠誠だった。
「ヴァレンティスになれば、お前たちも血を飲む必要がある……。たとえ人を殺さないにしても、誰かを傷つける側になるんだ。自ら地獄の道に歩み出す必要はない。皆、ここで今までのように幸せに生きていくこともできる。こんな呪いのようなものを背負う必要はない。それでも——本当についてくると言うのか。」
皆の覚悟は痛いほど分かっている。しかしそれを言葉にして突きつけるたび、自らの運命に巻き込む恐怖が剥き出しになっていく。
その時、ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐった。気づけば、クローディアが俺の頭を、自らの胸元へとそっと抱きしめていた。
「そういう貴方だからよ。」
耳元で、澄んだ声が落ち着かせるように染み込んでくる。
「みんな、ノアだから従うの。……前にも言ったでしょう?そんな苦しそうな顔をしないでって。貴方には私たちがついているわ。もう二度と、一人で全てを背負わせたりしない。」
「私たち、って……。」
その言葉の違和感にふと気づき、俺は頭を上げた。
至近距離で、クローディアの美しい瞳が俺を真っ直ぐに射抜いていた。
「なあに?私を置いていくつもりだったの?そんなの、許すはずがないでしょう。皇女なんて地位、私にはいらないわ。私は——貴方が欲しいの。知っていたでしょう?」
くすくすと、彼女はこれ以上ないほど綺麗な顔で悪戯っぽく微笑んでみせた。
皆の顔を見渡す。シヴァも、ジキルも、ゼノも、ルクシオも、誰一人として目を逸らさない。彼らがそこまでの覚悟を示してくれたなら、俺が怯えて目を逸らすわけにはいかない。
「……本当にみんなヴァレンティスになる覚悟はできているんだな?」
「ええ。」
「「「「はっ!」」」」
「たとえ、この国を出ることになろうと……俺にその命、すべてを捧げ、忠誠を誓えるか?」
「ええ。」
「「「「はっ!」」」」
それまで静観していたルクシオが、スッと立ち上がった。
「ノア様とジキル様が先の戦いで起こした一件について、恐らく遠からず城から使者が来ると思われます。何が起きても貴方様をお守りするためには、今、力が必要です。すぐにでも我々をヴァレンティスにすべきかと。」
ルクシオは指先で眼鏡のブリッジを直しながら、理知的な双眸を輝かせた。
「——クローディア様、例の本はお持ちですか?」
「ええ、あるわ。」
そう言ってクローディアがバッグから古文書を取り出す。
「……そうだな。最早、これ以上の確認は必要ないだろう。皆を吸血鬼族の眷属、ヴァレンティスとする。」
俺は一切の雑念を脳裏から振り払い、全員と運命を共にすることを決断した。クローディアへと近づき、その古文書を覗き込む。
「それを、見せてくれるか?」
彼女から古文書を受け取り、儀式の手順を一つずつ目で追っていく。
「俺が魔力を流しながら、俺の血を飲ませる。その後、俺が呪文を唱え、最後にヴァレンティスとなる者が呪文を唱えて終わる……。大まかな流れはこんな感じだ。最後に一つ……。」
俺は古文書から目を離し、クローディアを見つめた。
「ディアは一旦、天族のままでいてくれないか?その方が周りに怪しまれずに行動ができ、城の内部からの情報も入ってきやすいと思うんだ。」
「……。」
クローディアの瞳に、すっと不審の光が混じる。
「国を出るってなった時、私を置いて行ったりしないわよね?」
「ああ、そんなこと絶対にしない。」
俺は小さく苦笑しながら、けれど一切の迷いなく告げた。
「もう、クローディアのことは離さないと決めたから。」
「……そう。ならいいわ。」
途端に不満げだった表情が消え、少し照れたように俯くクローディアの姿が、ひどく愛らしかった。
俺はコホンと一つ咳払いをし、目の前に並ぶ四人に視線を戻して表情を引き締める。
「——心の準備はいいか?」
全員が声もなく、しかし力強く頷き、俺の前に一列に並んで直立した。
「じゃあ、この古文書に書かれているここの文章だけ、今すぐ頭に叩き込んでくれ。」
俺が指し示した呪文を全員が脳裏に刻んでいく。
「……覚えたか?」
「はい。」
「よし、ではいくぞ。——シヴァ、ナイフを貸してくれるか?」
「御意に。」
シヴァはいつものように、衣服の隙間からスッとナイフを取り出し、柄をこちらに向けて手渡してきた。それを受け取り、俺は躊躇なく己の左の手のひらを深く裂く。
じわり、と紅き血が滴り始めた。俺はそこに濃密な魔力を込め、滴る血を傍らのグラスへと注ぎ、順に飲ませていく。
「ではいくぞ。まずは俺の呪文からだ。俺の呪文が終わったら、さっき覚えた呪文を全員で唱えてくれ。」
「「「「はっ!」」」」
俺は深く呼吸を整え、古の言葉を紡いだ。
「かつての生を葬り、我が血の洗礼を受けよ。今より汝は我が愛しき眷属なり。我が魔力を以て、汝の魂を繋ぎ止めん。」
ロードとしての誓言を終え、俺はジキルたちを見据えて続きを促す。四人は視線を交わすこともなく、声を揃えて叫んだ。
「これより我は、王の歩む常闇の、永久の影とならん!」
———ゴォッ!!
その瞬間、部屋の床から爆発的なエネルギーが噴き上がり、全員の身体が不気味な赤黒い炎に包まれた。
「うっ、ぐあ……っ!」
「くっ、は、あぁ……っ。」
それぞれが己の内で荒れ狂う吸血鬼族の力に耐えようと、顔を歪めて苦悶の表情を浮かべる。魔力の圧力が部屋を支配したが、やがてその炎は煤さえ残さず、スッと彼らの肌に吸い込まれるように消えていった。次第に荒い呼吸が収まり、全員の表情が元に戻っていく。
「……上手くいったようですね。」
まだ熱を帯びた声で呟いたのはルクシオだった。
「……恐らくな。そのうち、牙が生えてきたり身体能力が跳ね上がったり、自分の中の魔力が増幅していくのが分かるはずだ。それと——。」
俺は彼らを一人ずつ、確かな眼差しで見据える。
「皆、『贄刻』の呪文は必ず覚えておけ。今後、人の血を飲まざるを得なくなった時、相手につけた傷を完全に消し去ることができる。殺さないよう気をつけるように。」
「「「「御意!」」」」
その返答は、先ほどまでの「はっ!」という臣下のものから、さらに一段と深く、絶対的な血の繋がりを感じさせる、重厚な響きを持っていた。
ピクッと、ルクシオが何かの気配に反応して視線を鋭くした。
「来ましたね。城からの使者が。——ですが、これは使者と呼ぶには些か、不穏な足音のようです。……恐らく、騎士団ですね。」
……思い描いていた中の一番最悪のシナリオだ。ただの事情聴取ではなく、最初から罪人として捕らえに来たということか。
「ディア、今すぐ本を隠すんだ。」
俺の切迫した声に、クローディアが素早く頷いて古文書を隠匿する。俺はすぐさま、四人へ向き直り告げる。
「それから、皆に言っておく。——これから、ジキルと俺は連れて行かれるだろう。だが、その時は絶対に何もするな。手出しは無用だ。まずは相手側の動きを見てから、次の策を考える。」
「「「「——御意。」」」」
その直後だった。バタン、と大きな音を立てて、自室の扉が乱暴に押し開かれた。現れたのは、甲冑に身を包んだ城の騎士たちだった。殺気立った空気が部屋へなだれ込んでくる。
「ノア・ヴァイス、並びに、ジキル・ルンペストはここにいるか!?」
先頭の騎士が傲慢に言い放つ。俺とジキルは視線を交わし、前へと歩み出た。
「よろしい。——その二人に、魔力を封じる手錠をかけろ。」
その命令にクローディアが激昂した。
「待ちなさい!この二人は、街を襲った危機からみんなを救うために命懸けで戦ったのよ!?罪人のように手錠をかける必要なんて、どこにもないわ!」
皇女としての威厳をまとった叫びに、手錠を構えた騎士たちの動きが一瞬止まる。だが、指揮官らしき男は冷ややかに一礼してみせた。
「これは第三皇女殿下、こちらにいらしたのですね。しかし、これは上層部からの絶対の命令にございます。外すことはまかりなりません。どうかご理解いただきたい。」
「そんな……っ。」
いくら皇女とはいえ、前線の騎士に直接下された勅命を覆す権限まではない。クローディアは自分の無力さに唇を噛み締め、悔しさに身を震わせた。
「ディア、大丈夫だから。」
俺は手錠をかけられながらも、彼女に笑いかけてみせた。
「それよりも、その綺麗な唇から血が出てしまっている。心配するな……。きっと、またすぐ会える。」
クローディアがこれ以上不安にならないよう、できる限り穏やかな声を意識する。それを見た騎士の指揮官が、鼻で笑うように吐き捨てた。
「ふん。余裕なことだ。——では、連行する。行くぞ!」
ガシャリと鎖の音を響かせ、俺とジキルは手錠を強引に引っ張られるまま、部屋の外へと連れて行かれた。
廊下を進む最中、背後に残したヴァレンティスたちの、静かに燃えるような魔力の気配を感じていた。
この後の具体的な作戦は何も決まっていない。だが——横を歩くジキルだけは何としても守り抜く。俺は、己の胸の内で強く誓った。
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