第17話 めでたしめでたし
翌日の放課後、わたしと響香ちゃんは中庭のベンチに腰掛け鈴香ちゃんを待っていた。
夏の風が吹いている。ここは木陰で夕暮れということもあって涼しく、にもかかわらず響香ちゃんの額に汗が滲んでいるのは心的要因が大きいだろう。
太もものうえで丸まっている手に手のひらを乗せる。
「絶対に大丈夫。もしもの時はわたしが助太刀するし」
「その保険があるのは心強いな」
響香ちゃんの手が動き五本の指が絡まる。大丈夫だよ、と励ますようにわたしはその手をにぎにぎする。響香ちゃんの頬がふっと緩んだ。
「待たせたわね」
後ろから声を掛けられたものだから、わたしと響香ちゃんは揃って過剰なくらいに驚いた反応をしてしまう。鈴香ちゃんは相変わらずのムッとした顔つきをしていた。
「手握ったまま話すの」
言われてハッとする。
わたしは手を離して立ち上がり、ササッと隣のベンチに移動する。
「どうぞ姉妹水入らずでお話ください。わたしは空気だと思ってくれて結構ですので」
「言われずともそうさせてもらうわ」
わたしが離れて心細そうにする響香ちゃんのすぐ隣に鈴香ちゃんは悠然と腰掛ける。
「ちゃんと話すのは久しぶりねお姉」
「……うん、そうだね」
声に張りのない鈴香ちゃん。俯いて不安げな響香ちゃん。
わたしを通じすべては勘違いだったと全容を把握しているとはいえ、すれ違い続けた時間が無くなるわけじゃない。罪悪感や気まずさ、そういった重圧がふたりを襲っているのだろう。
沈黙が長く居座る中、先んじて口を開いたのは鈴香ちゃんだった。
「お姉はほたるさんのことが好きなの?」
「うん、大好きだよ」
迷いなく芯のある声で響香ちゃんが答えるものだから聞いてて恥ずかしくなる。うれしさと恥ずかしさって紙一重だ。
「そ。……私とどっちが好き?」
こちらが本題なのだろう。おずおずと切り出す鈴香ちゃんの顔には、わたしでもわかるくらい強い緊張が滲んでいた。
「優劣なんてつけられっこないよ。ふたりとも大好きだもん」
その答えはほとんど間を置かずに返された。それゆえにそれが虚飾ない気持ちであることは、なにかせずとも勝手に証明される。
先に鈴香ちゃんの顔が動き、少し遅れて響香ちゃんの顔も動き出して、やがて姉妹の視線が交錯する。その瞬間にビクッとする反応は瓜ふたつで、いつもは強気なのに肝心な部分で尻込みしちゃうのは姉妹共通なんだなと微笑ましい気持ちになる。
「ほんとに? 私のこと嫌ってないの?」
「嫌うわけないよ。……前にさ、鈴香が勉強そっちの気でゲームばっかりしてたことあったじゃん? あの時にお説教してから距離感ができちゃったから、頭ごなしに叱りつけて嫌われちゃったんだって思ってたの」
「そんなことあったかしら?」
鈴香ちゃんはきょとんとしている。響香ちゃんも呆けた顔をしている。
自分にとってはやらかしてしまったと感じている出来事でも、相手にしてみればなんでもない出来事だったということは往々にして起こり得る。
わたしも直近であったな。響香ちゃんのお気に入りの服を汚しちゃって、こりゃ絶対気分を害するだろうなと思ったら、クリーニングするから問題ないよとあっさり許してもらえてさ。
つまるところ、客観している以上、絶対はないのである。相手と話して、返事を得て、初めてそれは確定したものとなる。話をすることは大切だ。
「……私も、お姉がほたるさんに首ったけになって無視されてるんだって思ってたわ。急に冷たくされて寂しかったけど、お姉は私がお姉を嫌ってるって勘違いしてたからあえてそっとしていてくれたのね。あぁ全部がつながったわ。さすがお姉。それなら完璧な対応じゃないの」
自己完結しがちなところも姉妹共通の特徴のようだ。昨日、響香ちゃんがその特徴を発揮したときは悪い方向に転がってしまったけど、今はいい方向に転がっている。
鈴香ちゃんは響香ちゃんの手を握り、ぐいっと顔を近づける。その顔にニッと無邪気な笑みが浮かんだ。
「しょうがないからこれまでのことはぜんぶ許してあげる。これからもよろしくねお姉!」
「……うん、こんな頼りがいの無いお姉ちゃんだけどよろしくね」
「響香ちゃんで頼りなかったら全人類頼りないお姉ちゃんだよ」
鈴香ちゃんは響香ちゃんの膝に乗っかり、首に腕を絡め、頭を撫でて欲しいとせがんでいる。響香ちゃんは「しょうがないなぁ」と言いつつ頭を撫で、鈴香ちゃんは顔を蕩けさせている。
急に距離感近いな。
ともあれ、これで薫森姉妹の問題は解決かな。
「すずりん杯に打ち込む理由が無くなっちゃったなぁ」
響香ちゃんは、鈴香ちゃんと仲直りするためにすずりんとのコラボ権を勝ち取ろうとしていた。だけど今、その目標は達成されてしまった。
……生すずりん見てみたかったなぁ。もっと響香ちゃんと動画配信したかったなぁ。
茜色の空を見上げ、エンディングでも流すようにこれまでの日々を振り返っていると、背後から薫森姉妹の会話が聞こえてきた。
「そういえばお姉、どうして私の企画に参加してきたの?」
「対面して話すことは避けられたとしても、動画の中でコラボするって形なら話をしてくれると思って」
「そのためにVTuberにまでなっちゃうなんてお姉の行動力は相変わらずね」
先月のすずりんの配信が脳裏によみがえる。
『今日はすっごくうれしいことがあってね、なんと私の大好きなお姉ちゃんがVTuberはじめました! パチパチパチ~!』
「……いやそんなまさか」
時期は一致する。思い返せば他にも手掛かりはいくつかあった。ひびきちゃんをどことなくすずりんと似てるなと思ったりとか、鈴香ちゃんのツンデレの仕方がすずりんそっくりだなとか。
「ようやく気づいたみたいね」
確信めいた予感に身震いするわたしの前で、鈴香ちゃんは人好きのする笑顔をたたえ、楽器を鳴らすように手を動かしつつ足踏みをする。
「りんりんりん♬ どうもすずりんチャンネルで~す」
それ以上の説明は必要なかった。だって今、鈴香ちゃんがした動きはすずりん生誕一周年の歌配信の冒頭とまったく同じで、声色もすずりんそのものだったから。
……なんだ。わたしはずっと前から響香ちゃんが誤認してるって証明できる情報を持っていたんじゃないか。
油断したらすぐお姉ちゃん自慢をし出すすずりん。すずりんがシスコンといっても過言じゃないくらいのお姉ちゃん好きであることはリスナーの誰もが知っている。
「いつも応援してくれてありがとね、蛍光灯ちゃん!」
「うぅ~、生すずりんだぁ」
感動が衝撃を超えて涙が出てくる。
すずりんが――鈴香ちゃんがわたしに両手を伸ばしている。
まさかハグしてくれるのだろうか。推しとハグできてしまうだろうか。ヤバい嬉しすぎて死んじゃう。昨日の放課後、既に鈴香ちゃんをぎゅっとしてるけど、あれは鈴香ちゃん=すずりんって気づけていなかったからノーカンってことで。
一ノ瀬さんと対面した時もそうだったけど、推しを前にしたら理性が溶ける。本能に忠実に、ルンルンスキップしながらハグしようとすると、柔らかな温もりがわたしを圧迫した。
「私以外とハグするの禁止!」
「うぼぼ、きょ、響香ちゃん、力つよい、ぎぶぎぶっ」
「鈴香もわたしのほたるを誘惑しないでよ!」
ぎゅ~~~~~。
わたしは、恋人の嫉妬爆発お胸プレスで機能停止した。
「ふふ、お姉、ほたるさん消沈してる」
「え? ……ほ、ほたる!? しっかりして! 死んじゃやだ!」
「いやこんなギャグマンガみたいな死に方せんて」
まぁ締め技があと十秒継続してたらヘブンズドア開いてた説が濃厚だけども。
「ほたるさんはすずりんとコラボ動画撮りたいわよね?」
「死ぬほど撮りたいです」
「むぅ~」
響香ちゃんの頬がリスみたいに膨らんでいる。
ごめん響香ちゃん。わたし響香ちゃんのことが大好きだから気持ちに正直になったらこうなるってわかってたけど、衝動を抑えることができなかったよ。
今のわたしはほたるじゃなくて、すずりん古参ファンの蛍光灯。ここだけの話、すずりんとコラボした際に備えて自分のVのアバター用意してます。
「ふふ、気持ちに正直でよろしい。けど、お姉とほたるさんがプライベートで付き合いがあるからって理由で選んだらすずりんブランドに傷ついて炎上しかねないから、今のままじゃコラボはできないわよねぇ?」
メスガキブームをかまして煽ってくる鈴香ちゃんである。あぁめっちゃすずりんしてる。これってもしかしてわたしのためにファンサしてくれてる?
「すずりん杯が終わるまで残り三日。ひびきチャンネルのひびきちゃんとほたるちゃんなら、も~っとアタシが興味惹かれる動画出せるよねぇ?」
「出せます!」
「……ま、私も始めた以上は最後までやり切って勝ち取りたいし」
ふぅと息をつくと、響香ちゃんはふんすと両こぶしを握りしめた。
「すずりん杯でコラボ権を勝ち取ってもっとほたるに好きになってもらうぞ!」
「動機が不純」
けど、響香ちゃんって最初っからこんな感じだよね。人気VTuberのすずりんとコラボできるって名誉よりもその副産物を求めてる。まぁ人気VTuberっていっても妹だしな。
「その意気よお姉! なんでも有りとは言ったけど、Vのアバターで麻辣湯食べるはさすがに無理があるから、お互いにVのアバターで動画を撮りやすい企画をよろしく頼むわね!」
「ん、さては出来レースかこれ?」
贔屓しないって言ってるけど贔屓する気満々じゃないか鈴香ちゃんや。
……仮にわたしたちが選ばれたら、すずりんが大好きなお姉ちゃんとコラボしてずっとハイテンションなコラボ動画が配信されるのか。
それって全ファンが望んでる理想の展開なのでは?
「じゃ、私は帰るわね。お姉もたまには家に帰って来なさいよ。……お姉が幸せならそれが一番だけど、たまには私の相手もしてほしいわ」
「うん、これからは家に帰る回数を週に一回から二回にするね」
「親御さんもよくそれを許容してくれるよなぁ」
おかげでわたしは毎日響香ちゃんと過ごせてハッピーです。ありがとう薫森夫妻。話したことも顔を合わせたこともないけど、すでに好きです。
鈴香ちゃんがバイバイと手を振って去っていく。小さくも立派な背中が見えなくなると、響香ちゃんはわたしの手を優しく握ってきた。
「私たちも帰ろうか」
「うん」
今日は鈴香ちゃんを優先すべきなんじゃない? と思いつつも、わたしはその気持ちを口にはせず、響香ちゃんの手を握り返す。
アスファルトにふたつの影が伸びる。
わたしたちは今日も、わたしたちの家に帰る。




