第16話 お説教するのもPの務め
駆け足で家に帰ると、ルームウェアにエプロン姿の響香ちゃんが仁王立ちでわたしを待ち構えていた。
「18時です。委員会が17時終わりだから、まっすぐ帰ってこればこんな遅くならないはずだよね?」
「違うんだよ響香ちゃん。選挙管理委員会が……」
そこまで言って、思うところがあって言葉を止める。
鈴香ちゃんと話していたから遅れた。そう響香ちゃんに打ち明けたら、成り行きで響香ちゃんと鈴香ちゃんが互いを嫌い合っていたことは勘違いだと伝えることになる。
きっと響香ちゃんはわたしの言葉を信じてくれるだろう。そうなったら、家に戻って、鈴香ちゃんと話をして、今日はわたしの家にお泊りしなくなるかもしれない。
「選挙管理委員会がなに?」
「……選挙管理委員会が想定していたよりも長引いたんだ。それで帰りが遅れたの」
「ふぅん」
ジトっとした目をまっすぐ見つめ返す。嘘をついているから罪悪感はあるけど、こうすれば響香ちゃんは流されてくれるのだ。
強張っていた表情がきっとすぐにほぐれて……
「とりあえずはそういうことにしといてあげる」
あれ? ほぐれてない?
「夜ごはん出来てるから手洗いうがいして着替えたらリビングに来てね」
「うん。……響香ちゃん、怒ってる?」
「ん、怒ってないよ」
にっこりと笑っている。だけど、その綺麗な笑顔は響香ちゃんが自然体に浮かべる笑みとは少し違っていて、表情と心中は一致してないことがすぐにわかった。
「……そっか。ならいいの」
どうして怒っているのかわからない以上、踏み込んで事態がより悪化しかねないリスクを取るよりは、触れずにおいて時間が解決するのを待つべきだろう。
しかし、その選択は誤りであったと食後に思い知らされる。
「今日は別々にお風呂に入ろうか」
「え、どうして?」
「そういう気分なの」
それってどういう気分なんだろう。
ただ響香ちゃんがわたしを拒絶していることは明確にわかる。食事中も全然話しかけて来なかったし。
「……響香ちゃん、やっぱり怒ってるよね」
口にしてしまえば揉め合いになることはわかっている。争いはできるだけ避けたい。だけど、その代償に響香ちゃんとのいつもの日常が崩れてしまうのなら話は変わってくる。
響香ちゃんをまっすぐ見つめて本音を炙ろうと試みる。視線をぶつけ合って、先に折れたのは響香ちゃんだった。
「本音言うと怒ってるよ。だってほたるが嘘つくんだもん」
響香ちゃんは椅子に腰掛け、頬杖をついてわたしを見据える。
「女の子のにおいがする。誰といっしょにいたの?」
「鈴香ちゃんだよ」
逡巡なく答えると、響香ちゃんの瞳が大きく見開かれた。
「鈴香って、私の妹の鈴香?」
「うん、そう。彼女も選挙管理委員だったから偶然鉢合わせたの」
ここまで話してしまったら残りも伝えるほかないだろう。
「でね、委員会が終わった後に話をしてたんだ。響香ちゃんのことをどう思ってるのかって」
「やめて!」
金切り声がわたしの言葉を遮る。
俯く響香ちゃんの肩は小さく震えて見えた。
「……ごめんね。ほたるは私を気遣ってその話題を出さずにいてくれたんだよね。もしかしたらほたるが私以外の誰かとそういう関係にあるんじゃないかって怖くなっちゃったの。この話はもうここで切り上げよう」
「急に早口。……ふぅ。そうやってなんでも自己完結しちゃうのは響香ちゃんの悪いところなんだろうね」
思い返せばこれまでも何度かその兆候があった。
自分の推察が正しいものと仮定し、他者からの意見を聞き入れることなく完結させる。鈴香ちゃんとの問題だって、ちゃんと話をしていればこうも大きな問題に膨れ上がっていなかったはずなのだ。
「目が怖いよほたる?」
「そりゃお説教してるから。今からわたしめちゃくちゃ喋るけど、ツッコミは一旦無しね。いい?」
響香ちゃんが呆然としているので、もう一度「いい?」と圧力をかける。こくんこくんと頷く姿を見届けたところで話をつづける。
「まず大前提として、鈴香ちゃんは響香ちゃんを嫌っていないです。むしろ大好きです」
「え?」
「無言」
「は、はいっ」
「……じゃ続けるね。でね、話を聞いたら鈴香ちゃんも響香ちゃんに嫌われてるって勘違いしてたの。高校二年生になってから避けられてるって。わたしの家に頻繁にお泊りするようになったのは、自分が嫌われてわたしが特別になったからだって言ってた。ちなみに、ゲームとかアニメを頭ごなしに否定されたからって話題は一切出てこなかったよ。はい、話してOK」
「……今のぜんぶ本当なんだよね?」
「わたしが咄嗟にここまで作り話できるほど頭良くないって響香ちゃんは知ってるでしょ」
「そうやって自分を卑下しないの」
優しくわたしを窘めると、響香ちゃんの瞳から透明なしずくが滴り落ちた。
「嫌われてなくてよかったぁ……」
わたしの前では不安なんてないよとばかりの明るさを振りまいている響香ちゃんだけど、不安はいつも胸のうちに佇んでいたはずだ。 突然、妹と険悪になる。結果として勘違いであったとはいえ、その現実に響香ちゃんは苦しんでいたことだろう。
「……おうち帰る?」
今日お泊りできなくなるのは寂しいけど、響香ちゃんが仲直りを優先したいのならそちらを優先すべきだ。今日に限らず、鈴香ちゃんとの不仲問題が改善されたから家で過ごしたいというのならそちらを優先してくれてもいい。
……またひとりぼっちの日常に戻るのは嫌だなって思うけど。
「ううん、今日はほたるの家に泊まる」
涙を拭いつつ返された返事に耳を疑う。
「仲直り第一優先じゃないの?」
「心の準備がしたいし、ほたるをひとりにする時間はできるだけ避けたいから」
椅子から立ち上がり、わたしの手を握ってくる。
「いっしょにお風呂入ろっ」
「……うん、いいよ」
響香ちゃんにしてみれば、なんでもない一言だったんだと思う。
だけど、わたしをひとりにする時間を可能な限り避けたいというその一言は――わたしを最優先にしてくれていると暗に証明するその一言は、とても胸に染みて……
「響香ちゃんストップ」
「ん? 急にどうし――」
その先の言葉は紡がれなかった。わたしが背伸びして唇を塞いでしまったから。
不意の出来事に顔を真っ赤にする響香ちゃんにわたしはぎゅっと抱きついた。
「大好き」
「……うん、わたしも大好きだよ」
湯船に浸かりつつ、鈴香ちゃんのことを話したらすぐに響香ちゃんが帰ってしまうじゃないかと懸念していたから話すのを渋っていたと伝えると、響香ちゃんは「私の一番はほたるだよ」と温もりで包んでくれた。うれしいけど、それ鈴香ちゃんの前でいうのは禁止で。
入浴を済ませてから、勉強して、歯を磨いて、ベッドにふたりで寝転がって。
「明日、鈴香ちゃんと話できそう?」
「うん。明日なら大丈夫」
「御意」
鈴香ちゃんのLINEに明日の放課後、時間を割けないかと確認の連絡を送る。すぐに了承のメッセージが返ってきた。
「鈴香と話すとき、ほたるも同じ場所にいてくれる?」
「響香ちゃんが望むのなら喜んで」
誰にも必要とされなかったわたしが、長きにわたる姉妹喧嘩に終止符を打つにあたって活躍している。
誰かの役に立てるのって心地いいな。
そう思った。




