第40話 チュートリアル終了
俺達は一週間掛けて、基地へと戻ってきた。
一方、アイリスは車から降りた瞬間、青ざめた顔で岩陰へと駆け出していく。
「うっ……!」
バタバタバタッ――。
……うん、自業自得だな。
岩陰の向こうから、なんだかビシャビシャと嫌な音が聞こえてくるけど……きっと気のせいだ。
「ごしゅじーん、アイリスはどうしたのだぁ?」
不思議そうに首を傾げるファノン
「ファノンは気にしなくてもいいんだぞー。」
「むむ?」
納得しているのかしていないのか分からない顔をしながら、ファノンは首を傾げた。
そんな姿が妙に可愛くて、俺は自然と頭へ手を伸ばす。
「よしよし。」
「にへへ~。」
優しく撫でると、ファノンは目を細めて「キュー……♪」と喉を鳴らした。
……本当に妹ができたみたいだ。
その様子を見ていたクレナが、ちらりとこちらを見る。
「……。」
何も言わない。
だけど、頭のぴょこんとした髪だけが、そわそわと揺れていた。
「クレナもか?」
「べ、別に……そういうわけじゃないけど。」
口ではそう言うものの、視線はしっかり俺の手を追っている。
分かりやすいなぁ。
俺は苦笑しながらクレナの頭も優しく撫でた。
「ん……。」
その瞬間。
先ほどまで月ノ城との戦いを思い出して険しかった表情が、ふっと緩む。
「……えへへ。」
照れ隠しなのか、小さく笑うクレナ。
やっぱり、こういう顔の方がクレナらしい。
「二人とも、本当に分かりやすいな。」
「むぅー!」
「な、何よ!」
二人が同時に頬を膨らませる。
そんな平和なやり取りに、自然と笑みがこぼれた。
「おーい、アイリスー! そろそろ行くぞー!」
「ふぁーい……。」
岩陰の向こうから、今にも消え入りそうな弱々しい返事が返ってきた。
遠くから弱々しい返事が聞こえてくる。
しばらくすると、岩陰からアイリスがお腹を押さえながら、とぼとぼと戻ってきた。
「……もう乗り物、きらい。」
「だから言っただろ。」
「うぅ……。」
反省したように肩を落とすアイリス。
……まぁ、本人も十分懲りただろう。
俺達はそのまま基地へ戻った。
基地の自動ドアが開くと、真っ先にこちらへ歩いてきた人物がいた。
「お帰りなさいなの。」
疾嘉さんだった。
俺達の姿を見るなり、頭の先から足元までじろじろと観察し始める。
「ふむ……怪我はなさそうなの。」
なるほど。
どうやら心配してくれていたらしい。
相手は月ノ城さんだ。
心配するのも無理はない。
「ところで、豚杉さん。」
「おい、ちょっと待て。」
前言撤回。
心配はしてくれていたらしいが、扱いはいつも通りだった。
相変わらず、豚でも眺めるような目で見てきやがる。
コヤツめ……!!
すると、廊下の奥から誰かがこちらをちらちらと覗いているのが見えた。
茶髪のショートヘア。うごくアホ毛……。
最初の修業相手だったユキだ。
目が合うと、ユキは少しだけ慌てたように近寄ってくる。
「……オカエリ。」
「ただいま。」
珍しい。
普段は自分から話しかけてくることなんて滅多にないのに。
……というか、何でカタコトなんだ?
しかも、どこか落ち着かない様子でそわそわしている。
何か言いたそうだ。
そう思ったところで、
「ごほん。」
疾嘉がわざとらしく咳払いをした。
「黒杉さん。結局、どうだったなの?」
「あ。」
完全に忘れてた。
俺は報告するために帰ってきたんだった。
……まぁ、半分くらいは疾嘉さんのせいだけど。
いや、七割くらいか。
「それで?」
「はいはい、今話しますよ。」
俺は気持ちを切り替え、月ノ城との戦いについて話し始めた。
クラスメイトと遭遇したこと。
月ノ城さんとの戦闘。
そして――最後には取り逃がしてしまったことまで。
包み隠さず、順を追って説明した。
「ふむ……逃げられちゃいましたか。」
疾嘉さんは少しだけ残念そうに息を吐いた。
「連れて帰れなくてすまないな。」
「いいえいいえ。」
疾嘉さんは首を横に振る。
「むしろ、皆さんが無事に帰ってきてくれただけで十分なの。それに、本来なら三ヶ月は掛かる任務を、たった2週間でやり遂げたんですから。十分すぎる成果ですねぇー。」
それは疾嘉さんからの素直な称賛だった。
普段は俺のことを豚でも見るような目で見てくる人だ。
だからこそ、そんな言葉を掛けられると何だかむず痒い。
……嬉しいけど、素直に喜ぶのも癪なんだよな。
そんなことを考えていると、ふと思い出した。
「あ。」
「?」
「疾嘉さん。」
ちょうど去ろうとしていた疾嘉さんを呼び止める。
「何でしょうか?」
「そういえば、魔物を倒した時にこんな物を拾ったんです。」
俺は収納から、バーのマスターに見せてもらった物とよく似た、禍々しい黒い石を取り出した。
「あの魔物を倒した後、あちこちに落ちてたんです。気になったので何個か拾ってきました。」
「――っ!」
疾嘉さんの表情が一変した。
「もっと早く言ってほしかったなの!」
「す、すまん。」
思わず肩をすくめながら、持ってきた黒石をすべて手渡す。
疾嘉さんは一つ手に取り、食い入るように見つめた。
さっきまでの穏やかな表情は消え、研究者のような鋭い目になっている。
俺も思わず、その様子を見守った。
「これは……どこで拾ったなの?」
「魔物を倒した時です。なんだか月ノ城さんの禍々しいオーラに似ていたので、気になって持ち帰ってきました。」
疾嘉さんは返事をせず、黒石をじっと見つめる。
まるで何かを確かめるように、何度も角度を変えながら観察していた。
その真剣な表情に、俺達も自然と口を閉ざす。
静寂が流れる。
数分にも感じられる沈黙の末、疾嘉さんが静かに口を開いた。
「……こちらを譲ってもらっても良いなの?」
「え?」
「もしかしたら――ウサさんを元に戻せるかもしれないなの。」
その言葉に、思わず息を呑んだ。
「あの状態の月ノ城さんを……?」
「あくまでも可能性なの。でも、この石には気になる点が多すぎるなの。」
「本当ですか!?」
思わず身を乗り出してしまう。
「なのなの。だから、持っている石を全部譲ってほしいなの。」
「もちろんです。」
俺は収納から黒石をすべて取り出し、疾嘉さんへ手渡した。
疾嘉さんは大切そうに受け取ると、小さく頷く。
「ありがとうなの。」
そのまま踵を返し、
「アバダギさんにも見てもらうなの。」
そう言って、足早に研究室へ向かっていった。
俺はその背中を見送りながら、小さく息を吐く。
……もし、本当に月ノ城さんを救えるなら。
それ以上に嬉しいことはない。
その時だった。
「では、私はこれにて。」
振り向くと、サンクさんが軽く頭を下げていた。
「あぁ、最後まで付き合ってくれてありがとう。」
「いえいえ。こちらこそ、貴重な経験をさせていただきました。」
互いに握手を交わし、サンクさんは自分の部屋へ戻っていった。
さて……。
さっきから、妙にそわそわしているユキが気になる。
「どうしたんだ? 何か言いたいことでもあるんですか?」
俺が尋ねると、ユキは一瞬だけ視線を泳がせ、
「……ハグレが呼んでる。」
それだけ言って、どこか満足したように去っていった。
「……それだけかよ!」
思わずツッコんでしまう。
もっと重大な話でもあるのかと思ったじゃないか。
その時だった。
「ヨウイチ……。」
裾をくいっと引っ張られる。
振り向くと、アイリスが青い顔をして立っていた。
「まだ駄目か?」
「……先に部屋、戻る。」
「お、おう……。」
今にも倒れそうな足取りで、お腹を押さえながら歩いていくアイリス。
……って。
「何で俺の部屋なんだ?」
自分の部屋じゃなく、当然のように俺の部屋へ向かっていく。
……まぁ、今はそんなことを言っている場合じゃないか。
流石にここまで酔うとは予想外だった。
その様子を見ていたクレナが、小さくため息をつく。
「ヨウイチ。アイリスは私が見てるわ。」
「悪い、頼む。」
「任せなさい。」
そう言って、クレナはアイリスの後を追い掛けていった。
残ったのは俺とファノンだけだ。
「ファノンはどうする?」
「むむ?」
ファノンは元気よく胸を張る。
「主人について行くのだー!」
「よし、それじゃ行くか。」
俺とファノンはハグレのいるエンジニア室へ向かった。
途中、訓練所の前を通り掛かる。
患者服姿のシルクさんが、修行している隊員達を静かに眺めていた。
「シルクさんじゃないですか。」
俺が声を掛けると、猫耳帽子がぴこっと揺れ、シルクさんはこちらを振り向いた。
「あ……よーくん。お久しぶりです。」
……ん?何だろう。
いつものシルクさんらしくない。
いや、それどころか妙にしおらしい。
こんなの、シルクさんじゃない。
「シルクさん。」
「はい?」
俺はそのまま近づき――。
むにっ。
「いひゃい!? ひゃにをすふんでふかぁ!?」
頬を思いっきり引っ張る。
「ははっ、すまない!」
「何だかその顔見てると、こっちまで調子が狂うんだ!」
「もうー!! いったい何するんですかー!」
俺は頬から手を離した。
怒ってはいる。
でも、その表情はいつものシルクさんだった。
……うん。
やっぱり、その顔の方が似合ってる。
「あんな元気のないシルクさんは見たくないからな。」
「……。」
シルクさんは一瞬きょとんとしたあと、小さく俯いた。
「す、すみません……。」
「やっぱり、あの時のことを引きずってしまって……。」
「いや、謝る必要なんてありませんよ。」
「それに。」
俺は笑って続ける。
「疾嘉さんが、もしかしたら月ノ城さんを救えるかもしれないって言ってましたし。」
「えっ……!」
シルクさんの目が大きく見開かれる。
「ほ、本当ですか!? うーさんを救えるんですか!?」
勢いよく俺の目の前まで詰め寄ってくる。
近い近い近い!!
俺は思わず一歩後ろへ下がり、黒石のことを最初から説明した。
説明を聞き終えたシルクさんは、
「な、なるほど……!」
そう呟いたあと、
ぱぁっと花が咲くように笑顔になる。
「でかしましたよ! よーくん!!」
さっきまでの沈んだ表情はもうどこにもない。
その瞳には、はっきりと希望が宿っていた。
やっぱりシルクさんは、こうでなくちゃ。
俺は軽く手を振り、シルクさんと別れた。
―――――エンジニア室
そこには、いつもと変わらない光景が広がっていた。
カンッ、カンッ、カンッ――。
金属を打つ心地よい音が工房に響く。
武器を鍛えるハグレの姿だ。
自動ドアの開く音に気付いたのか、ハグレはこちらを振り向いた。
「よぉ、旦那! 二週間ぶりじゃねぇか!」
そう言ってゴーグルを外し、笑顔でこちらへ歩いてくる。
叩いていた武器へ目を向けると、それは一本の刀だった。
……刀か。
そういえば、ハグレから貰った刀は月ノ城さんとの戦いで、綺麗に真っ二つに折られてしまったんだよな。
「久しぶりだな、ハグレ。」
「おうよ!」
俺達はいつものように拳を軽くぶつけ合う。
「それで、今日はどんな用件だ?」
「ふむ。」
ハグレはニヤリと笑う。
「実はな、新しい刀を作ろうと思ってよ。」
「それは丁度良かった。」
俺は折れた刀を収納から取り出した。
「月ノ城さんとの戦いで、やられた。」
ハグレは刀を受け取ると、静かに刃へ指を滑らせる。
綺麗に真っ二つに折れた断面。
その姿を見つめるハグレの表情は、少しだけ寂しそうだった。
「やはり、勝てなかったか……」
「やはりとは?」
「いやな? 月ノ城さんの妖刀には単純に勝てないのは分かってたんだ。ただ、こうも簡単に綺麗にポッキリ折られるとなぁ……鍛冶職人かつエンジニアとして、越えられねぇ壁があるって思い知らされるんだわ。」
ハグレは折れた刀を優しく撫でる。
その表情は、自分の作品を責めるようでもあり、悔しさを噛み締めているようでもあった。
職人としての意地なんだろう。
しかし、ハグレの腕前は紛れもなく本物である。
今回は相手が悪すぎたのだ。
武器もそうだけど、月ノ城さんの抜刀術は次元を超えているのだ。
単純に俺の技量不足でもあるから、武器は悪くはないんだよなぁ。
「旦那。」
「ん?」
「無事に帰ってきたんだ。それだけで、その刀は役目を果たしたさ。」
そう言って、ハグレはいつものように豪快に笑った。
……そういうところなんだよな、この人は。
「それでだな、旦那に頼みたい事があるんだ!」
「お? 俺が出来る限りなら。」
「まぁ、旦那というより、そこにいるファノンのお嬢ちゃんに頼みたいんだ!」
ハグレはファノンの方を見て、再び俺の顔を見る。
「ほぇ? 我なのかー?」
「おうよ! 嬢ちゃんに旦那の武器作りを手伝ってほしいんだ! 例えば、その蒼い炎とかな!」
「ドラゴンの炎ってのはな、生命や魂の輝きそのものなんだ。普通の炎じゃ作れねぇ武器ってのが、この世にはある。」
「ほー……。」
それは興味あるな。
ファノンは鵺だけど、ドラゴンに変身できる。
……前から思ってたんだけど、何で変身できるんだろうか。
それに、ドラゴンは高貴な存在だと聞いたことがある。
「それにな。」
ハグレはファノンを見つめたまま続ける。
「俺の見立てじゃ、嬢ちゃんの炎は特別だ。特にその蒼い炎は、昔この世界を守った神竜だけが宿していた炎によく似てる。神竜は賢く、高潔な存在だったって言い伝えがあってな…もしかすると、嬢ちゃんの先祖は神竜だったのかもしれねぇな!」
「ほえぇー。」
……。
神竜ねぇ。
ファノンは何度考えても鵺なんだけどなぁ。
ハグレだって、そのことは知ってるはずだ。
それなのに、こんなことを言うってことは、何か理由でもあるんだろうか。
……まあ。
当の本人は、
「ほえぇー。」
なんて気の抜けた返事をしてるくらいだ。
どう見ても理解している顔じゃない。
ぽけーっとした顔を見ていると、こっちまで力が抜けてくる。
「ファノン、ハグレを手伝ってやってくれないか?」
「ごしゅじんの頼みならば!」
「おうさ! 嬢ちゃんよろしく頼むわ! 旦那の為に良いものを作ってやろうぜ!!」
「おー!」
二人は気合いを入れ、早速作業に取り掛かった。
ハグレは設計図を広げ、ファノンは興味津々に覗き込んでいる。
……うん。
あの二人なら大丈夫そうだ。
さて、この場にいると邪魔になるだろう。
俺は二人に任せて、その場を後にすることにした。
武器が完成するまで待っているだけというのも性に合わない。
俺に出来ることは、少しでも強くなることだけだ。
だから――。
俺は一人、いつもの訓練場へ向かった。
まだ使いこなせていないスキルを、自分のものにするために。
―――――――――――――???
ここは北の最果て。
一年を通して吹雪が止むことのない極寒の大地。
木々は枯れ果て、大地は凍てつき、生き物の気配すら感じられない。
とても人が住める場所ではない。
しかし、この地には世界でも類を見ないほど濃密な魔素が満ちている。
だからこそ――。
"魔人"達にとって、ここは楽園だった。
一人の魔人が、慌ただしく城内を駆け抜ける。
「ま、魔王様っ!!!」
魔王。
それは"魔人"の王にして、絶対の支配者。
幾千万もの魔人を束ねる、この世界最強の存在である。
「なんだ、騒がしいな。」
「一体どうした。」
静かな声が執務室に響く。
そこには、一人の青年が書類へ目を通していた。
艶のある黒紫色の髪。
氷のように透き通った蒼い瞳。
整いすぎた顔立ちは、男でありながら思わず見惚れてしまうほど美しく、それでいて近寄り難い威厳を纏っている。
彼の名は――
ウェーズル・ソ・アブソ。
魔人族の王。
そして、この世界に君臨する最強の魔王であった。
「北の"魔獣"がこちらに向って進行しています!! 数はおよそ十万!!」
「おいおい、またか……。」
ウェズは書類から顔を上げ、大きくため息をついた。
「今週でもう六回目だぞ……。我は疲れていると言っておけ。」
「ただの魔獣に話ができるわけないでしょう!!」
魔人は思わず声を荒げる。
「流石にあの規模でこちらへ進軍されますと、周辺の町にも被害が出ます!」
「えぇー……。」
ウェズは机に突っ伏した。
「我だって魔力は無限じゃないんだぞぉ?このままだと過労死してしまうではないか……。」
──そう。
彼こそが、魔王なのである。
「今は亡き姉上の為にも、この世界を守ると誓ったのは貴方でしょう!?」
「うっ……。」
ウェズの肩がぴくりと震える。
「えー……。」
「どうしても行かないと駄目かー?」
「お願いします! お願いしますから!!」
「後でおやつも奮発しますから!!」
「むぅ……。」
すると、ベルゴが必死に懇願している中、それまで静かに様子を眺めていた少女が口を開いた。
年の頃は十代ほど。
可愛らしいピンク色のドレスを優雅に着こなし、その赤い瞳は静かに魔王を見つめている。
「ウェズ、行ってやれ……」
「スティル……。行かなきゃ駄目か?」
彼女の名は、吸血姫スティル・ブリューナク。
魔王ウェーズル・ソ・アブソとは、数千年もの時を共にしてきた腐れ縁である。
「行け。」
短い一言。
それだけで十分だった。
「……それは"運命の岐路"がそう決めたのか?」
ウェズの問いに、スティルは一度だけ目を閉じる。
「そう……その方が、未来は好転するらしいわ。」
「……そうか。」
ウェズは腕を組み、しばらく考え込む。
そして、小さくため息をつくと、ベルゴへ視線を向けた。
「しょうがないにゃぁー。ちょっとだけだぞぉー。ほら、ベルゴも行くぞ。」
「えっ!?私もですか!?」
ベルゴは驚いたように目を丸くする。
ウェズはその腕を掴むと、半ば引きずるように部屋を後にした。
「では、行ってくるぞ。スティル。」
「いってらっしゃい、ウェズ。」
スティルは二人へ軽く手を振る。
扉が閉まる音を聞くと、何事もなかったかのように紅茶を一口。
「……ふぅ。」
静かな部屋に、ティーカップを置く小さな音だけが響いた。
◇
「ま、魔王様!?」
ベルゴが慌てて声を上げる。
「ほら、向かうぞ。」
ウェズは口元を僅かに吊り上げると、パチンと指を鳴らした。
「『転移』」
その瞬間、景色が一瞬で塗り替わる。
二人は、遥か上空へと立っていた。
眼下に広がるのは、地平線まで埋め尽くす魔獣の群れ。
雪原を黒く染めるその大群は、一目見ただけでも圧倒されるほどだった。
「ふむ。」
ウェズは眼下を一瞥する。
「十二万七千五十三体いるのだな。」
「えっ……。」
ベルゴは思わず固まる。
「も、もう数えたんですか?」
「え?」
ウェズは不思議そうに首を傾げる。
「これくらい簡単だろう?副官なら、そのくらい出来たまえ。」
「魔王様が異常なだけです!!」
魔王は首を鳴らし、腕を回し、足を伸ばし、足首をゆっくりと回していく。
そう――絶対なる強者は準備体操を欠かさないのだ!!
「さて、やるか。」
その瞬間。
魔王の蒼い瞳が、まるで氷が溶けるようにゆっくりと真紅へ染まっていく。
普段のどこか気の抜けた雰囲気は消え失せ、その場の空気が一変した。
ベルゴは思わず息を呑む。
(……来る。)
魔王は両手をゆっくりと持ち上げる。
そして、親指と人差し指で四角を作り、まるで景色を写真に収めるかのように構えた。
「うんうん。やっぱり外へ出たら、外の景色を撮るのが一番だな!!今日は良い写真撮影ができそうだ!!」
「ま、魔王様……?」
ベルゴには何をしようとしているのか全く分からない。
しかし、一つだけ分かることがある。
魔王がこういう時は、大抵ロクなことにならない。
その瞬間だった。
魔王の両手へ、凄まじい量の魔素が集まり始める。
ゴォォォォォ……
空気が震え、雪が舞い上がる。
大地そのものが軋むような重圧が周囲へ広がっていく。
その膨大な魔力に反応したのか。
眼下に広がる魔獣達は一斉に動きを止め、ゆっくりと空を見上げた。
「グルル……?」
「ギャアア……?」
本能が警鐘を鳴らしている。
"空にいる何か"が、自分達では到底敵わない存在だと。
だが――
気付くには、少し遅すぎた。
「さぁ、此処からは通行禁止だ!!
『道をふさぐ者
(サタデー・ナイト・フィーバー)』」
その瞬間、大気中を満たしていた膨大な魔素が、一斉に赤い結晶へと姿を変える。
まるで、真紅の流星群。
数え切れないほどの結晶が空一面を埋め尽くし、ゆっくりと魔物達へ照準を合わせた。
「グルァァァァッ!!」
「ギャアアアアア!!」
逃げる、隠れる、牙を剥く。
しかし、その全てが無意味だった。
赤い結晶は意思を持つように飛翔し、一体残らず魔物達の胸へと突き刺さる。
狙う場所は、ただ一つ。
"心臓"。
貫かれた心臓は赤い結晶へと変わり、そのまま鼓動を止めた。
ドサッ……ドサッ……ドサッ……
雪原へ次々と倒れていく魔物達。
悲鳴は次第に消え、
やがて辺りは静寂に包まれた。
僅か三分。
十二万七千五十三体。
その全てが、たった一人の魔王によって討ち滅ぼされた。
「よし! 解決だな!」
「ひぇぇぇ……!」
ベルゴは思わず肩を震わせる。
何千年も仕えているというのに、この人の力だけは未だに慣れない。
ウェズはベルゴへ向かって、にかっと笑うと親指を立てた。
「ウワッハッハッハ!」
ウェズはベルゴへ向かって、にかっと笑いながら親指を立てた。
「さて! おやつは後でいいから、後始末はよろしく頼むぞ!」
「あ……はい。承知いたしました……。」
「ああ、それとスティルの分も用意しとけ、我だけ食べてると不機嫌になるからな」
「……。」
ベルゴが力なく頭を下げると、ウェズは満足そうに頷いた。
「では、我は帰る。」
パチン。
軽く指を鳴らした瞬間、その姿は掻き消えるように転移していった。
陽気に笑い、仕事は嫌いで、おやつには目がない。
そのうえ、面倒な後始末は平然と部下へ押し付ける。
そんな彼こそ――
魔人達を統べる絶対の王。
この世界に君臨する、最強の魔王。
ウェーズル・ソ・アブソ、その人である。
「…………。」
静まり返った雪原を見渡し、ベルゴは深々とため息を吐いた。
「総員!! 後始末を開始してください!!」
「今日中に終わらせますよ!!」
「「「はっ!!」」」
こうして、魔王軍総出による大掃除が始まるのであった。
……ちなみに。
毎回一番大変な思いをするのは、指揮を執るベルゴである。
今日も彼は、少しだけ泣きそうだった。
第一章 完
次回!第二章へ突入!突然の魔王の登場なのだ!




