私は勇者になってしまったようです…えっ?私がW主人公役!?作者さんそんなの聞いてないよ!?(中中中)
一週間が過ぎた。
私達は魔獣討伐のため、北の国――スノーガーデンへ向かうことになった。
出発の日。
私達は国王陛下へ挨拶を済ませ、フィルネル王国を後にする。
王都の城門が少しずつ遠ざかっていく。
けれど、私の心だけは、あの日の夜へ置き去りにされたままだった。
あの出来事以来、私はあまり眠れなくなってしまった。
眠ろうとすれば、黒杉くんと晴渡さんの笑顔が浮かぶ。
胸が苦しくなって、目を閉じていられない。
だから私は、眠気が限界まで訪れるまで、毎晩ひたすら剣を振り続けていた。
(眠いけど……集中しなきゃ)
弱音を吐いている暇なんてない。
私は勇者だ。
皆を守るためにも、もっと強くならなければならない。
そして――。
あの人を守れるくらい、強く。
そんな想いを胸に、私は今日も聖剣を握る。
道中ではゴブリンやオークの群れが何度も現れた。
けれど、聖剣『レイアード』の前では、その巨体もまるで豆腐のように容易く断ち切られる。
斬られた魔物達は断末魔を上げることもなく、淡い光へ包まれ、そのまま静かに浄化されて消えていった。
「さすが勇者様だ!」
仲間達の歓声が上がる。
私は小さく笑って応える。
けれど、その笑顔の裏で、胸の痛みだけは消えてくれなかった。
そうして、私達の旅は順調に進んでいった。
――――北の嘆きの洞窟
洞窟へ一歩足を踏み入れた瞬間、辺りは一気に暗闇へ包まれた。
吐く息は白く染まり、肌へ触れる空気は刺すように冷たい。
(暗いなぁ……)
そんな中、一人のクラスメイトが火の精霊を呼び出した。
小さな炎の精霊は、ふわりと宙へ浮かび、洞窟の中を赤く照らしていく。
(精霊かぁ……)
少しだけ羨ましくなる。
(私も仲良くなりたかったなぁ……)
淡い明かりが洞窟の奥へ広がる。
その瞬間だった。
「――っ」
思わず息を呑んだ。
壁一面に、人の顔のようなものが浮かび上がっていた。
よく見れば石だ。
けれど、その表情はどれも苦しそうに歪み、泣き叫んでいるように見える。
笑っているようにも見えれば、助けを求めているようにも見える。
(ひえぇぇぇ……)
正直、今すぐ帰りたい。
私は昔からホラーが大の苦手だった。
(む、無理無理無理……)
だけど。
ここで私まで怖がったら、皆まで不安になってしまう。
勇者である私が怯えるわけにはいかなかった。
私は何事もないように前を向いた。
しばらく進むと、洞窟の奥から魔物達が姿を現した。
今まで相手にしてきたゴブリンやオークとは違う。
身体は一回り以上大きく、動きも速い。
その威圧感に、生徒達の足が止まる。
(このままじゃ駄目だ!)
私は一歩前へ出た。
「怯むな!」
洞窟へ声が響く。
「今まで通りにやれば大丈夫だ! 魔法隊は火炎魔法の詠唱を!」
その声を聞いた瞬間、崩れかけていた陣形が整い始める。
さっきまで怯えていた皆の表情が変わる。
「「「紅波に呑まれよ――過炎!!」」」
炎の奔流が洞窟を駆け抜ける。
何体もの魔物が炎に包まれ、悲鳴を上げながら消えていった。
それでも。
奥へ進むほど敵は強くなっていく。
ガギィィィン!!
槍を受け止める。
左右からさらに二体。
何とか躱して斬り伏せた、その瞬間。
ズシュッ。
「っ……!」
鋭い痛みが右腕を走る。
リザードマンの槍が腕を掠めていた。
私は歯を食いしばり、そのまま聖剣を振り抜く。
光と共に魔物は粒子となって消えた。
「御剣君!」
誰かが駆け寄ってくる。
暖かな光が腕を包み込み、傷がゆっくり塞がっていく。
「ありがとう……」
ヒーラーの子は首を横へ振った。
「いえいえ。黒杉さんに言われなかったら、傷に気付けませんでしたから」
「え?」
思わず黒杉くんを見る。
少し後方で戦況全体を見回しながら、次々と指示を飛ばしている。
戦えないからこそ。
誰よりも周囲を見ている。
(やっぱり……)
彼は凄い。
そう思わずにはいられなかった。
その時だった。
アルバートさんが険しい顔で私を見る。
「まずいな。魔物の数が多すぎる。一度撤退するぞ」
だけど。
私は首を横に振った。
ここで引けば、後ろからも魔物に挟まれるかもしれない。
それなら、ここで突破するしかない。
「大丈夫です!」
私は聖剣を握り締める。
「まだ皆戦えます!」
刀身が眩く輝き始める。
身体中の魔力が、一気に聖剣へ集まっていく。
「輝くよう綾なせ――断裁の光!」
光が収束する。
そして。
「――『クロス・ジャッジメント』!!」
十字の光が洞窟を駆け抜けた。
光に触れた魔物達は、一瞬で粒子となって消えていく。
暗闇だった洞窟へ、無数の光の粒が舞った。
雪のように、星屑のように。
「綺麗……」
誰かが小さく呟いた。
その言葉が、妙に胸へ残った。
だけど。
代償は大きかった。
(……っ)
全身から力が抜ける。
思っていた以上に魔力を消費してしまった。
身体がふらつく。
その時だった。
「御剣!」
聞き慣れた声。
振り向くと、黒杉くんが走ってきていた。
「大丈夫か? これを飲め」
「……っ! 黒杉くん……ありがとう……」
差し出された回復薬を受け取ろうとした、その時だった。
小瓶へ伸ばした指先が、黒杉くんの手に触れた。
「…………」
ほんの一瞬。
それだけだったはずなのに、心臓が大きく跳ねる。
驚いて顔を上げると、すぐ目の前に黒杉くんの顔があった。
少し癖のある、こげ茶色の髪。
汗で濡れた前髪が額へ張りつき、その隙間から、吸い込まれそうなほど黒い瞳が私を真っ直ぐ見つめている。
(近い……)
こんなに近くで黒杉くんの顔を見るのは、いつ以来だろう。
子どもの頃と変わらない、どこか優しそうな目。
だけど、昔よりも輪郭はしっかりしていて、少しだけ大人びて見えた。
そして何より――。
触れた手が、思っていたよりもずっと硬かった。
剣を握り続けた私の手とは違う。
きっと、この一ヶ月間ずっと訓練を続けてきたのだろう。
掌にはいくつもの小さな傷があり、指先も少し荒れている。
温かくて、大きくて。
昔、私を助けるために差し出してくれた手よりも、ずっと男らしくなっていた。
(黒杉くんの手……こんなに大きかったっけ……)
何故だか、指を離すことができなかった。
黒杉くんも回復薬から手を離さず、驚いたように私を見つめている。
数秒ほど、互いに何も言えないまま視線が重なった。
その黒い瞳に、自分の顔が映っている。
そう気づいた瞬間、頬が一気に熱くなった。
(わ、私、今どんな顔してるんだ……!?)
恥ずかしさに耐えられず、私は慌てて視線を逸らした。
ほとんど同時に、黒杉くんも顔を背ける。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が流れる。
けれど、触れた指先には、まだ黒杉くんの温もりが残っていた。
変な雰囲気のまま、進むのはちょっと気まずい。
「黒杉くん……あの……」
何か言わなければと思った。
けれど、続く言葉が見つからない。
すると黒杉くんは、気まずい空気を誤魔化すように、慌てて口を開いた。
「……っお、おう!?自分にはこれくらいしか出来ないからさ」
あまりにも分かりやすく動揺した返事がおかしくて、思わず笑みが零れた。。
「そんなことないよ」
私は首を横へ振る。
「黒杉くんのサポートは本当に助かってるし、その場の指示が的確ですごいと思うよ」
彼は少し照れ臭そうに笑った。
その笑顔を見ただけで、胸がまた苦しくなる。
(やっぱり優しいな……)
私は回復薬を一本飲み干した。
そして、残った一本を見つめる。
……何となく。
全部飲んでしまうのは勿体ない気がした。
私は誰にも気付かれないよう、最後の一本だけをそっと懐へしまう。
(……ありがとう)
心の中だけで、小さく呟いた。
休憩を終え、私達は再び洞窟の奥へ進み始める。
だけど。
奥へ進むほど、妙な違和感が強くなっていった。
さっきまであれほどいた魔物が、一匹もいない。
代わりに、洞窟の奥から押し潰されそうなほど重い殺気だけが流れてくる。
肌が粟立つ。
身体が本能的に警鐘を鳴らしていた。
それでも私は、光剣を握り直す。
「ここまで来たんだ」
小さく息を吐く。
「今さら、撤退なんてできない」
私は一歩前へ踏み出した。
この時の私は、まだ知らない。
この洞窟の奥で待ち受ける、本当の絶望を。
――――――【最深部】
長く暗い洞窟を進み続け、私達は最深部へと続く巨大な石扉の前へ辿り着いた。
「以前、こんなものがあったか……?」
アルバートさんが、訝しげに石扉を見上げる。
その声には、明らかな戸惑いが含まれていた。
アルバートさんは以前、この洞窟へ来たことがあるらしい。
けれど、その時にはこんな扉は存在していなかったという。
石扉の表面には、見たことのない文字が刻まれていた。
フィルネル王国で使われている文字とも違う。
教会の聖典に記された神聖文字とも違う。
規則性があるようにも見えるけれど、ただの不気味な模様にも見える。
何より、その文字を見ているだけで胸の奥がざわついた。
(アルバートさんも知らないんだ……)
その事実が、一番怖かった。
長年この国の兵士長を務め、数え切れないほどの戦場を経験してきたアルバートさんでさえ、この場所を知らない。
つまり、この扉は最近になって現れた可能性が高い。
誰が造ったのか。
何のために造ったのか。
そして、この先に何が封じられているのか。
考えれば考えるほど、嫌な想像ばかりが膨らんでいく。
それでも――。
「アルバートさん、行きましょう」
私は聖剣レイアードの柄を強く握り締めた。
ここまで来た以上、引き返すことはできない。
アルバートさんはしばらく私の顔を見つめたあと、重々しく頷いた。
「ああ。皆の者、武器を構えろ! 最大限に警戒しながら進むぞ!」
「はい!」
生徒達と兵士達が、それぞれの武器を構える。
やがて、巨大な石扉がゆっくりと開き始めた。
ゴゴゴゴゴゴ……。
重い音が洞窟全体を震わせる。
扉の向こうに広がっていたのは、底の見えない奈落へ架けられた一本の石橋。
そして、石橋の先には巨大な円形の広間があった。
「何だ……ここは」
アルバートさんが眉をひそめる。
「アルバートさん?」
「こんな場所は、初めてだ」
その一言で、皆の緊張がさらに高まった。
ここから先は、アルバートさんにとっても未知の領域。
私達は橋の中央へ身を寄せ、慎重に歩き始めた。
足元の下には、どこまでも続く暗闇が広がっている。
落ちれば、まず助からない。
一歩、また一歩。
そして、全員が円形の広間へ足を踏み入れた、その瞬間だった。
ボォッ!
壁沿いに並んでいた無数の松明へ、蒼い炎が一斉に灯る。
「きゃっ!?」
「な、何だ!?」
突然の出来事に、何人もの生徒が悲鳴を上げた。
「皆、落ち着け!」
私は聖剣を構え、周囲へ視線を巡らせる。
「何かいる! 集中するんだ!」
けれど、その言葉を発した直後だった。
空気が変わった。
いや。
最初から、そこにいたのだ。
ただ、暗闇に紛れ、私達が気づけていなかっただけ。
ズシン――。
広間の奥から、地面を踏み締める音が響いた。
たった一歩。
それだけで石床が揺れ、胸の奥まで振動が伝わってくる。
ズシン――。
音が近づいてくる。
同時に、全身へ圧し掛かる殺気も膨れ上がっていった。
息が苦しい。
肺が押し潰されそうになる。
心臓が嫌な音を立て、握っている聖剣が震えた。
(怖い……)
正直に言えば、今すぐ逃げ出したかった。
こんな感覚は初めてだった。
戦う前から分かってしまう。
今まで戦ってきた魔物とは、格が違う。
「ひっ……」
誰かが、小さく息を呑んだ。
暗闇の中に、六つの紅い光が灯る。
目だった。
六つの瞳が、私達を見ていた。
やがて、巨大な影がゆっくりと姿を現す。
最初に見えたのは鋭い牙。
続いて、一つ目の首。
さらに二つ目。
そして――三つ目。
「首が……三つ……?」
三つの首を持つ巨大な犬。
十メートルを優に超える巨体。
針のように逆立つ黒い毛。
首には蒼い炎を纏った首輪が嵌められ、口元から滴り落ちた液体が石床から白い煙を上げている。
まるで冥府そのものが、獣の形を取って現れたようだった。
――アオォォォォォォォォォォォン!!
咆哮が広間を揺らした。
音というより、衝撃だった。
全身を殴りつけられたような圧力に、私達は思わず身体を竦ませる。
耳を塞いでも意味がない。
咆哮は身体の内側へ直接響き、本能へ恐怖を刻み込んでくる。
勝てないかもしれない。
そんな考えが、一瞬で頭を過った。
「馬鹿な……!」
アルバートさんが目を見開く。
普段の豪快な姿からは想像できないほど、その顔は驚愕に染まっていた。
「何故だ……何故、こんな場所にケルベロスが!?」
「どうしたんですか、アルバートさん!」
私が尋ねると、アルバートさんは震える手で斧を握り締めた。
「本来、ケルベロスはこんな場所に出現する魔物ではない!」
「な、なんだと……?」
近くにいた生徒が声を漏らす。
「奴は本来、冥府に生息する魔獣だ! 地上へ現れることなどあり得ねぇ!」
アルバートさんは、ケルベロスから一瞬たりとも視線を逸らさない。
「何せ、こいつはヨハン国王によって封印された魔物の一体だからだ……!」
封印された。
その言葉だけで、背筋が冷たくなった。
倒されたのではない。
封印された。
つまり、この世界でも屈指の実力者であるヨハン王でさえ、完全に倒すことができなかった可能性がある。
「う、嘘だろ……」
「そんなの、勝てるわけ……」
「嫌だ……死にたくない……!」
不安は瞬く間に広がった。
武器を落とす者。
後ずさる者。
今にも泣き出しそうな顔で周囲を見回す者。
「帰ろう!」
「助けてくれ!」
「こんなの無理だ!」
皆の心が、ケルベロスの姿を見ただけで折れかけていた。
私だって怖い、足も震えている。
逃げたいという気持ちだってある。
けれど――。
私は一度目を閉じた。
そして、黒杉くんの姿を思い浮かべる。
一ヶ月間、誰よりも弱い能力でありながら、誰よりも遅くまで訓練を続けていた。
馬鹿にされても、笑われても。
決して諦めようとはしなかった。
そんな彼の姿を思い出すと、不思議と震えが少しだけ収まっていく。
(そうだ)
私には、守りたい人がいる。
クラスの皆。
そして――黒杉くん。
私は聖剣を両手で構えた。
「諦めるのは、まだ早い!」
声を張り上げる。
皆の視線が、私へ集まった。
「なら、この剣で浄化してみせる!」
私は地面を強く蹴った。
バンッ!
石床が砕け、身体が一気に前へ飛び出す。
ケルベロスとの距離が、瞬く間に縮まっていく。
三つの首が、同時にこちらを向いた。
「限突――」
身体の中に眠る力を、一気に解放する。
「《オーバー・クロック》!」
全身を光が包み、世界が遅くなった。
迫り来る牙。
振り下ろされる爪。
その全てが、はっきりと見える。
私は身体を捻って牙を躱し、その遠心力を利用して聖剣を振り抜いた。
「『一閃漣真』!」
ザシュッ――。
鋭い斬撃が、ケルベロスの中央の首へ深く食い込む。
「グルゥアアアアアッ!」
獣の悲鳴が響く。
切り開かれた傷口から噴き出した魔物の血が服へ降り掛かる。
けれど、聖剣の浄化に触れた血は、淡い光の粒子となって消えていった。
「まずは――その首をもらう!」
私はさらに強く地面を蹴り、ケルベロスの頭上へ跳び上がった。
聖剣が閃く。
ザンッ――!
一閃。
中央の首が、ゆっくりと胴体からずれていく。
そして――。
ドサッ。
切り落とされた首が、石床へ転がった。
一瞬、広間が静まり返る。
続いて、クラスメイト達から大歓声が上がった。
「キャー! 御剣さーん!」
「流石、御剣さんだ!」
「や、やったのか!?」
(ちょっと待って!)
最後の台詞を聞いた瞬間、嫌な予感が全身を駆け抜ける。
(どうして、そういうこと言うの!? それ、絶対に駄目なやつだから!)
恐る恐る振り返る。
すると――。
ボコッ。
ケルベロスの切断面が、脈打った。
「……え?」
落ちた頭部が、泥のように崩れていく。
切断面から黒い肉が這い出し、うねうねと蠢きながら膨張していった。
牙、目、鼻。
そして、瞬く間に新たな頭部が形作られる。
(ほらぁぁぁぁ! やっぱりフラグだったじゃないか! ていうか、気持ち悪ううううっ!?)
思わず心の中で叫んだ。
「なっ! 頭が再生しただと!?」
クラスメイトの驚愕する声が響く。
アルバートさんが斧を構えながら叫んだ。
「それが奴の厄介なところだ! ケルベロスには核が三つある! それを破壊しねぇ限り、何度でも再生するぞ!」
「その核がどこにあるか、分かりますか!?」
「すまねぇ! 俺にも分からねぇんだ!」
「そうですか……!」
核の位置は分からない。
それでも、戦うしかない。
私は再び聖剣を構えた。
「なら、見つけるまで斬る!」
ケルベロスが怒りに満ちた咆哮を上げる。
赤黒い魔力が全身から噴き出し、筋肉が膨れ上がった。
先ほどよりも明らかに強くなっている。
「やあああああっ!」
私はケルベロスへ斬り掛かる。
牙を躱し、爪を受け流し、身体へ何度も斬撃を叩き込む。
けれど――。
傷はすぐに塞がった。
斬っても、斬っても。
何度斬りつけても、剥き出しになった肉が瞬く間に再生してしまう。
「くっ……!」
呼吸が乱れる。
腕が重い。
魔力も少しずつ削られていく。
それでも止まるわけにはいかなかった。
私が下がれば、後ろにいる皆が狙われる。
だから、私が前に立たなければならない。
ケルベロスの爪と聖剣が激突する。
ガギィィィン!
凄まじい衝撃が両腕へ伝わった。
「どうすれば……!」
どれだけ攻撃を当てても、再生される。
このままでは、私の方が先に力尽きる。
それでも周囲は静かだった。
誰も助けに来ない。
皆、恐怖に怯えながら戦いを見ているだけだった。
(仕方ないよ……)
近づけば、一瞬で命を奪われるかもしれない。
怖いのは当然だ。
だったら、私がやるしかない。
勇者である私が。
皆を元の世界へ帰すと約束した、私が。
ギィン!!カァン!!ザンッ!
再び聖剣と巨大な爪が激突する。
「……っく!このままじゃ……!」
腕へ伝わった衝撃に、指先が痺れた。
私は歯を食いしばり、どうにかケルベロスの爪を受け流す。
その直後、左右から残る二つの首が襲い掛かってきた。
「っ!」
身体を捻り、一つ目の牙を避ける。
けれど、もう一つの首が逃げ道を塞いでいた。
咄嗟に聖剣を横へ構える。
ガギンッ!
牙が刀身へ食い込む。
「う……くっ……!痛い……」
凄まじい力だった。
両足が石床を滑り、そのまま何メートルも後方へ押し込まれる。
恐怖で腕が震える。
ケロベロスの凄まじい攻撃で肩が軋む。
もう、どれほど戦い続けているのか分からなかった。
斬っても傷は塞がる。
首を落としても再生する。
浄化の光を流し込んでも、消滅するより早く新しい肉が作られていく。
攻撃を重ねるたびに、こちらの魔力と体力だけが削られていた。
「はぁ……はぁ……斬ってもすぐ再生される。核までたどり着かない……」
息が苦しい。
肺が空気を求めているのに、上手く吸い込めない。
汗が額から頬へ流れ落ちる。
握っているはずの聖剣が、鉛の塊のように重く感じられた。
それでも、手放すわけにはいかない。
私の後ろには、皆がいる。
この剣を下ろせば、次に狙われるのはクラスメイト達だ。
(まだ……倒れるわけにはいかない)
私は震える足へ力を込めた。
「やああああっ!」
再び地面を蹴る。
聖剣を振るい、ケルベロスの前脚へ斬撃を叩き込む。
ザシュッ!
深く切り裂いた。
けれど、血が噴き出した直後には、傷口が脈打ちながら塞がっていく。
「また……!」
絶望しそうになる心を押し殺し、さらに一撃を重ねる。
首、前脚、脇腹。
何度斬っても、何度光を流し込んでも、ケルベロスは止まらない。
それどころか、傷を負うたびに怒りを増しているようだった。
「グルルルルル……」
三つの喉から低い唸り声が漏れる。
六つの瞳が、私だけを見ていた。
完全に標的として定められている。
一歩下がる。
足元で、小さな石が転がった。
カラン――。
後ろへ視線を向ける。
そこには、底の見えない奈落が広がっていた。
いつの間にか、円形の広間の端まで追い込まれていたらしい。
(まずい……)
これ以上、後ろへ下がれない。
前にはケルベロス。
後ろには奈落。
左右へ逃げようにも、三つの首がそれぞれ進路を塞いでいる。
ケルベロスは獲物を追い詰めたことを理解したのか、ゆっくりと牙を剥き出しにした。
「グルウウウウウ……」
私は聖剣を構え直す。
けれど、腕が上がらない。
魔力もほとんど残っていなかった。
身体強化を維持するだけでも、全身が悲鳴を上げている。
(動いて……怖いよ……)
指先へ力を込める。
(お願いだから、まだ動いて……!)
私が倒れれば、皆が襲われる。
だから、立たなければならない。
勇者だから。
皆を元の世界へ帰すと、約束したから。
だけど――。
身体は、もう限界だった。
ケルベロスの三つの首が、一斉に大口を開く。
獣の口内から漂う、耐え難い腐臭。
「アオォォォォォォォォォン!」
咆哮と共に、巨体が地面を蹴った。
一直線に、こちらへ突進してくる。
速い、避けられない。
受け止める力も、もう残っていない。
(間に合わない――)
死ぬ。
そう理解した瞬間だった。
不思議と、頭の中が静かになった。
浮かんできたのは、一週間前の夜。
月明かりの下で、黒杉くんと晴渡さんが笑い合っていた姿。
そして今日、回復薬を渡してくれた時の、黒杉くんの優しい手。
(嫌だなぁ……)
こんなところで終わりたくない。
まだ何も伝えていない。
まともに話すことだって、ほとんどできていない。
恋が叶わなくてもいい。
選んでもらえなくてもいい。
せめて、もう一度だけ。
あの優しい手に、触れてみたかった。
(黒杉くん……)
ケルベロスの牙が迫る。
私は泣きそうになる気持ちを押し殺し、目を閉じかけた。
その時だった。
「閃光脚ッ!!」
突然、聞き覚えのある怒声が響いた。
轟音。
まるで雷が落ちたような衝撃が広間を揺らす。
次の瞬間、目の前まで迫っていたケルベロスの頭部が、真横へ大きく弾き飛ばされた。
「グォォォォォッ!?」
巨体が大きく仰け反り、数歩後退する。
私は何が起きたのか分からず、目を見開いた。
そして――。
バチバチと光を纏いながら、一人の少年が私の前へ着地した。
「山崎君!?」
そこに立っていたのは、山崎一樹君だった。
肩で大きく息をしながらも、口元にはいつもの不敵な笑みを浮かべている。
「ったくよ……」
山崎君は拳を鳴らし、ケルベロスを睨みつけた。
「勇者が一人で格好つけてんじゃねぇぞ」
そう言って、こちらへ片手を差し出す。
「立てるか?」
「う、うん……」
私は呆然としながら、その手を掴んだ。
山崎君に引き起こされ、どうにか立ち上がる。
その時だった。
地響きのような足音が聞こえてきた。
一人ではない。
何十人もの人間が、こちらへ向かって走ってくる音だった。
「え……?」
山崎君の背後へ視線を向ける。
そこには、武器を構えて駆けてくるクラスメイト達と兵士達の姿があった。
先ほどまで恐怖で動けずにいた皆が。
剣を握り。
杖を掲げ。
盾を構え。
雄叫びを上げながら、一斉にこちらへ向かってきていた。
「み、皆!?どうして、さっきまで後ろにいたのに!?」
何が起きたのか分からなかった。
どうして突然、皆が戦う気になったのか。
誰が彼らを立ち上がらせたのか。
すると山崎君が、背後を親指で示した。
「あー、それはな……」
駆けてくる皆の先頭、その中央に――。
一人だけ、武器とも呼べない短刀を握った少年の姿があった。
「アイツのせいだよ」
「黒杉くん!?」
「あんのバカが皆を"ちょっと"煽ったせいで、皆やる気出しちまってよ。」
遠すぎて、何を話しているのかまでは聞こえない。
けれど、分かる。
皆が前を向いているのは、きっと黒杉くんが何かをしたからだ。
何の力も持たないはずの彼が。
恐怖で立ち止まっていた皆を、再び立ち上がらせた。
その事実だけで、胸の奥へ温かいものが広がっていく。
「黒杉くん……」
九年前もそうだった。
自分が傷つくことなんて気にせず、誰かのために前へ出る。
弱いからと諦めず、できることを必死に探す。
あの頃から、何も変わっていない。
「黒杉くんらしいや……」
思わず笑みがこぼれた。
「ん?」
山崎君が不思議そうにこちらを見る。
「ん?お前、楊一とそんな関わりあったか?」
「あっ……いや!」
思わず声が裏返る。
「あっ、あはは、昔ちょっとね!」
「ふーん?」
山崎君は少し怪しむように私を見た。
けれど、今はそれどころではない。
ケルベロスが体勢を立て直し、怒りに満ちた咆哮を上げる。
私は聖剣を握り直した。
もう、一人ではない。
皆が来てくれた。
黒杉くんが、皆を連れてきてくれた。
なら――。
もう一度、立ち上がれる。
「山崎君」
「ああ」
私達は並んでケルベロスへ向き直る。
「さぁ、ここから反撃だね」
「だな!」
そして、私達は同時に地面を蹴った。
山崎君が拳を鳴らす。
黒杉くんの指示で魔法隊が雷撃魔法の詠唱を始め、晴渡さん率いる盾部隊がその前へ展開する。
「美空!」
「ここは通さない! 盾部隊! 『キングシールド』!」
巨大な黄金の盾が出現し、突進してきたケルベロスを受け止める。
「今だ! 押し返せ!」
盾部隊が一斉に力を込め、ケルベロスの巨体を押し返す。
やがて、魔法隊の詠唱が完成した。
「黒杉さん! 詠唱完了です!」
「攻撃部隊、下がれぇぇぇ!」
皆が一斉に退避する。
黒杉くんが、ケルベロスへ向かって腕を振り下ろした。
「撃てええええええ!」
「荒くれろ、暗雲の秘めし雷を降らせ――『暴雷の嵐』!」
幾筋もの雷が、束となってケルベロスへ降り注ぐ。
轟音、閃光。
凄まじい雷撃が巨体を包み込み、黒煙が立ち上った。
そして、その煙の向こうで――。
「……見つけた」
黒杉くんの声が聞こえた。
「核だ!」
黒焦げになった肉の隙間。
赤黒く脈打つ何かが露出している。
「御剣! 今だ! 君の最大火力で、あの核をぶっ壊してやれ!」
「分かった!」
私は聖剣を強く握り締める。
黒杉くんが見つけてくれた勝機。
皆が命懸けで作ってくれた好機。
勇者として、応えなければならない。
「天から授かりし剣よ――」
光が聖剣へ集まっていく。
「我が身を犠牲にして、逆境を跳ね除けよ!」
全身を包む光が、一本の剣へと収束する。
「天命剣――『リミテッド・ソード』!」
黄金の奔流が放たれ、ケルベロスの核へ直撃した。
巨大な光が、視界を白く塗り潰す。
やがて光が晴れた時、核は確かに砕けていた。
「やった……?」
そう思った直後。
――アオォォォォォォン!
再び咆哮が響いた。
壊れたはずの核の周囲から、黒い肉が蠢き始める。
ケルベロスの身体が再生していく。
それどころか、先ほどよりも筋肉が膨れ上がり、魔力も増大していた。
「そんな……」
力が抜ける。
リミテッド・ソードに、ほとんど全ての魔力を使ってしまった。
足に力が入らず、私はその場へ膝をつく。
ケルベロスの視線が、真っ直ぐ私へ向けられた。
脅威である私を、先に排除するつもりなのだ。
「くっ……」
聖剣を杖代わりに、立ち上がろうとする。
けれど、身体が動かない。
迫り来る巨体。
大きく開かれた牙。
(倒せたと思ったのに……! これで何度目なんだ。このままだと……)
その瞬間だった。
「うおおおおおおおお!!」
誰かが、私へ向かって走ってくる。
「黒杉くん!?」
「届けえええええええええ!!」
黒杉くんが、私の身体を思い切り突き飛ばした。
直後、ケルベロスの突進が、黒杉くんへ直撃する。
「黒杉くん!!」
黒杉くんの身体が、大きく吹き飛ばされた。
「楊一!」
「楊一!?」
山崎君と晴渡さんが叫ぶ。
私も慌てて立ち上がろうとする。
けれど、黒杉くんは自分で地面へ手をつき、ゆっくりと身体を起こした。
明らかに重傷だった。
それでも立ち上がろうとしている。
「黒杉くん! 何故、君が!」
「そりゃあ……俺ができることをしただけだよ」
血の気を失った顔で、それでも黒杉くんは笑った。
その姿を見た瞬間、九年前の記憶が蘇った。
大人の男達を相手に、私を庇い続けてくれた小さな背中。
あの時と、何も変わっていない。
(あぁ……やっぱり、黒杉くんは黒杉くんなんだ)
「御剣」
黒杉くんが、真っ直ぐ私を見る。
「あんたは回復に専念してくれ」
「でも、君が……!」
「もう一度、君の本当の一撃をお見舞いしてやるんだ」
黒杉くんは、ケルベロスへ視線を向ける。
「その間、皆に君を守ってもらうよう指示する。そして――その間は俺が引きつける」
「そんなの無茶だ!」
私はあまりの無茶な作戦に反射的に拒否してしまった。
隣にいる山崎君も叫ぶ。
「楊一、無茶しすぎだ!」
「大丈夫だから! 早く皆に伝えてくれ!」
晴渡さんも止めようとした。
けれど、何も言えずにいる。
きっと晴渡さんも分かっているのだ。
黒杉くんは、一度決めたら止まらない。
何を言っても。
どれだけ傷ついていても。
絶対に諦めない。
私も目を閉じ、考えた。
本当は止めたい。
無理やりにでも連れて帰りたい。
けれど、この人の覚悟を無視することが正しいとも思えなかった。
だから――。
私は信じることにした。
「まったく……君は昔から……」
「何か言ったか?」
「何でもない」
私は小さく苦笑した。
「でも、無茶だけは絶対にしちゃ駄目だ」
「危なくなったら、すぐに撤退してくれ」
「ああ!」
黒杉くんは、いつものように笑った。
そしてケルベロスへ向かい、短刀を投げる。
短刀は一直線に飛び、ケルベロスの片目へ突き刺さった。
「グルゥアアアアッ!」
ケルベロスの敵意が、私から黒杉くんへ移る。
狙い通りだったのだろう。
黒杉くんが、口元を吊り上げる。
「よぉ! 鬼ごっこは好きか?」
そうして黒杉くんは、ケルベロスを引きつけながら走り出した。
私達は回復と、次の攻撃の準備へ入る。
その間も、黒杉くんは何度も攻撃を躱し、傷つきながら時間を稼ぎ続けた。
山崎君が落下しかけた黒杉くんを受け止め。
晴渡さんが黄金の盾で炎を防ぎ。
生徒達と兵士達が、黒杉くんの言葉に応えるように次々と攻撃を仕掛けていく。
「村人以下とか言われて終われるかよ!」
板野くんも剣を抜いた。
「御剣だけに背負わせてたまるか!」
魔法と剣撃が、ケルベロスへ降り注ぐ。
そして――。
「お主ら、しゃがめぇぇぇ!」
アルバートさんが、両手の斧を構えた。
肥大化した腕。
砕け散る防具。
足元の岩盤が大きくひび割れる。
「『十魔砲琥』!」
放たれた二本の斧が、十本へ分裂した。
斧の嵐がケルベロスを襲い、巨体を大きく吹き飛ばす。
核が露出する。
「さあ、御剣殿! 今ですぞ!」
「はい!」
私は立ち上がった。
身体を白い光が包み込み、視界が研ぎ澄まされていく。
青かった瞳が、黄金の輝きを帯びる。
「黒杉くん……」
傷だらけになりながら、それでもこちらを見ている黒杉くん。
「ごめんね。待たせてしまって」
今度こそ。
絶対に終わらせる。
「限突――『オーバー・クロック』」
世界が静止したかのように遅くなる。
私はケルベロスとの距離を一瞬で詰めた。
「これで――とどめだ」
光剣レイアードへ、残る全ての力を込める。
「『リミテッド・ソード』!」
振り抜いた聖剣から、巨大な光の柱が立ち上る。
神聖な光がケルベロスを包み込み、その身体を浄化していく。
禍々しい巨体も、全てが光の中へ消えていった。
光が収まった時。
残っていたのは、赤く脈打つ二つの魔核だけだった。
「それだ! その魔核を破壊するんだ!」
アルバートさんの声に、私は頷く。
そして聖剣を横へ振り抜いた。
ピシッ――。
二つの魔核へ亀裂が走る。
やがて――。
パリンッ!
魔核は、ガラスのように砕け散った。
広間に静寂が訪れる。
「か、勝ったのか……?」
誰かが、恐る恐る呟いた。
けれど、今度は何も起こらなかった。
ケルベロスが再生する気配もない。
魔核は光を失い、そのまま消滅していく。
「……終わった?」
私が呟いた直後。
「やったああああああああ!!」
大歓声が上がった。
皆が生き残ったことを喜んでいた。
私もようやく肩の力を抜く。
「勝った……」
視線を巡らせる。
山崎君も、晴渡さんも、アルバートさんも、クラスメイト達も。
皆、生きている。
そして――。
少し離れた場所で、黒杉くんが一人、座り込んでいた。
全身が傷だらけだった。
それでも、皆の姿を見て小さく笑っている。
(よかった……)
黒杉くんも生きている。
全身傷だらけになりながら、それでも無事に戻ってきてくれた。
本当に、よかった。
胸の奥へ安堵が広がり、私は小さく息を吐いた。
その時だった。
黒杉くんの背後で――何かが揺れた。
「……え?」
黒い靄だった。
最初は、戦いで立ち上った煙の残りだと思った。
けれど、違う。
黒い靄は地面から滲み出すように現れ、ゆっくりと黒杉くんの背後へ集まっていく。
煙のように揺らぎながら。
少しずつ。
人の形を作るように。
(何……あれ……?)
胸の奥が、ざわついた。
見覚えがある。
どこで見たのかは思い出せない。
けれど、私はあの黒い靄を知っている。
ずっと前から。
何度も、夢の中で見ていたような――。
その瞬間。
背筋へ、氷を差し込まれたような悪寒が走った。
心臓が大きく跳ねる。
理由なんて分からない。
黒い靄が何なのかも分からない。
それでも、本能だけが激しく警鐘を鳴らしていた。
危ない。
あれを、黒杉くんへ近づけてはいけない。
「黒杉くん!」
私は反射的に声を上げた。
「後ろ! 避けて!!」
「えっ――」
けれど、遅かった。
黒い靄の中から漆黒の腕が伸びる。
次の瞬間。
靄が弾けるように晴れ、黒杉くんの背後へ漆黒の鎧を纏った騎士が姿を現した。
そして、その手に握られていた剣が――。
黒杉くんの胸を、背後から貫いた。
「…………え?」
何が起きたのか理解できなかった。
ほんの少し前まで、皆で勝利を喜んでいた。
終わったと思っていた。
なのに。
黒杉くんの胸には、剣が突き刺さっている。
「黒杉くん……?」
声が震える。
黒騎士は黒杉くんの耳元へ顔を近づけ、何かを囁いた。
距離が離れすぎていて、その言葉までは聞き取れない。
けれど――。
「……っ」
黒杉くんの表情が変わった。
驚き。
そして次の瞬間には、今まで見たことがないほどの怒りがその瞳に宿る。
何を言われたのかは分からない。
ただ一つだけ分かる。
あの言葉は、黒杉くんの逆鱗に触れた。
考えるより早く、山崎君と晴渡さんが走り出していた。
「てめえええええ!」
「楊一を返せえええええ!」
黒騎士が、黒杉くんの胸から剣を引き抜く。
そして軽く振るった。
それだけで、凄まじい衝撃が発生する。
山崎君と晴渡さんの身体が、地面を転がりながら吹き飛ばされた。
「総員、戦闘態勢!」
アルバートさんが叫ぶ。
「奴を止めろ!」
兵士達が武器を構える。
私も残っている魔力を掻き集め、聖剣を握り締めた。
「限突――」
けれど、黒騎士が小さく何かを呟いた瞬間。
身体が、動かなくなった。
「っ……!?」
まるで見えない鎖に全身を縛りつけられている。
(この感覚……)
私はフラッシュバックするように次々と夢の内容を思い出していく。
暗闇の中。
何よりも大切な人が連れ去られていくのに、何もできなかった夢。
「動いて……!」
力を込める。
「動いてよ……!」
けれど、一歩も前へ進めない。
「オーバー・クロック!」
スキルも発動しなかった。
力はある。
魔力だって残っている。
なのに、何一つ応えてくれない。
黒騎士は黒杉くんの襟元を掴み、奈落へ向かって引きずり始める。
「やめろ……!」
声が掠れる。
「やめてくれ……!」
必死に身体を動かそうとする。
それでも、動けない。
黒杉くんの身体が引きずられ、その後ろへ赤い跡だけが残されていく。
黒騎士は構わず、黒杉くんを引きずりながら奈落の縁へ立った。
そして――。
まるで不要な物を捨てるように、黒杉くんの身体を暗闇へ放り投げた。
「黒杉くん!!」
私の叫びだけが、虚しく洞窟へ響いた。
黒騎士は奈落を一瞥すると、何事もなかったかのように静かに立ち尽くしていた。
その黒い鎧から、ゆらりと黒い靄が立ち昇る。
まるで身体そのものが煙へ溶けていくようだった。
「……っ!」
誰かが息を呑む。
黒い靄は次第に全身を包み込み、輪郭が曖昧になっていく。
そして――。
フッ……。
音もなく、その姿は黒い霧となって空気へ溶けた。
跡形もなく消えた黒騎士。
同時に、私達の身体を縛り付けていた見えない力も消えていく。
「動ける……!」
重かった身体が一気に軽くなる。
私はすぐに地面を蹴った。
同時に、晴渡さんと山崎君も奈落へ向かって駆け出した。
「楊一!」
「楊一いいいい!」
黒杉くんの姿は、目で追える。
けれど、奈落はあまりにも深く。
拘束が解けた時には、もう誰の手も届かない場所まで落ちていた。
「黒杉くん!」
黒杉くんの姿が、暗闇の中へ沈んでいく。
――私が助けるから!
ずっと、そう思っていた。
今度は私が守る番だと。
九年前に助けてもらった恩を、今度こそ返すのだと。
それなのに――。
黒杉くんの姿は、底の見えない奈落へ消えていった。
「…………」
私は黙るしかなかった。
光が見えなくなる。
手が届かなかった。
まただ。
あの夢と、同じだった。
大切な人が目の前で連れ去られていくのに。
私は、何もできなかった。
その時、山崎君の叫び声が聞こえた。
「御剣!!美空を止めるぞ!あのままだと、飛び込むぞ!」
その瞬間、晴渡さんが奈落へ向かって飛び出そうとしている。
「分かった!」
私も慌てて後を追う。
晴渡さんの目を見た瞬間、全身に恐怖が走った。
あの目は、助けに向かおうとしている人の目ではない。
黒杉くんのもとへ行けるのなら、自分がどうなっても構わない。
そんな目だった。
(この人、本気で飛び込むつもりだ……!)
一瞬だけ怯んだ。
けれど、すぐに我へ返り、晴渡さんを止めるために駆け出した。
「楊一!」
「晴渡さん!」
私は腕を掴み、山崎君が晴渡さんの身体へ組みつき、奈落へ飛び込む直前で止めた。
「イヤ!放して! 楊一! 楊一!!」
「晴渡さん! 落ち着いて!」
「美空、落ち着け!」
凄まじい力だった。
本気で奈落へ飛び込もうとしている。
「私が守るって言ったのに!」
晴渡さんが涙を流しながら叫ぶ。
「どうして……どうして、いなくなっちゃうのよ!」
「…………」
「どうしてよ、楊一、なんで一人で行っちゃうのよぉ、うぇぇぇ...」
何も言えなかった。
隣で泣いている晴渡さんに、何一つ言葉を掛けてあげられない。
そんな自分が情けなく、ひどく無力に感じた。
守る。
その言葉は、私も心の中で何度も繰り返していた。
それなのに、私は黒杉くんを守れなかった。
「一樹! あなたまで何で止めるの! 親友じゃないの!?」
「俺だって探しに行きてぇよ!」
山崎君が叫び返した。
目には涙が浮かんでいる。
それでも、必死に晴渡さんを押さえ続けていた。
「何なら、あの黒い騎士を探し出してぶっ飛ばしてぇよ!」
強く握られた拳から、血が滲んでいる。
「でも、お前まで飛び込んだら、それすらできなくなるんだぞ! とりあえず落ち着け!」
山崎君の言葉に、晴渡さんの力が僅かに抜ける。
その場へ崩れ落ち、再び声を上げて泣き始めた。
「どうしてよ……楊一……」
周囲を見渡す。
先ほどまで勝利を喜んでいた皆が、俯いていた。
泣いている者もいる。
拳を握り締めている者もいる。
誰もが、黒杉くんの消えた奈落を見つめていた。
皆を立ち上がらせた黒杉くん。
諦めるなと叫んでいた本人が。
今度は誰にも助けられず、暗闇へ消えてしまった。
「美空!」
山崎君が声を張り上げる。
「いい加減、泣くのをやめろ!」
「一樹……?」
「あいつを勝手に殺すな!」
山崎君の瞳は涙で潤んでいる。
それでも、一滴も流そうとはしなかった。
「あいつは絶対に生きている」
その言葉には、揺るぎない確信があった。
「俺は信じてる。だから強くなって、また探しに行こう」
その姿が、一瞬だけ黒杉くんと重なって見えた。
(そうだ……)
まだ、黒杉くんが死んだと決まったわけじゃない。
私達は、黒杉くんの亡骸を見たわけではない。
奈落の底がどうなっているのかも分からない。
何より――。
黒杉くんは、誰よりも諦めが悪い人だ。
『しぶといのは俺の特権だって、知ってるだろ?』
先ほどの言葉を思い出す。
「そうだね」
私は震える声で言った。
「勝手に彼が死んだと決めつけちゃいけない」
晴渡さんが顔を上げる。
「御剣君……」
「黒杉くんなら、きっと生きてる」
それは晴渡さんへ向けた言葉であると同時に、自分自身へ言い聞かせるための言葉でもあった。
「だから、強くなろう」
今度こそ。
もう二度と、大切な人へ手が届かないなんてことがないように。
「そして必ず、黒杉くんを迎えに行こう」
晴渡さんが涙を拭い、小さく頷く。
「……うん」
私達は一度、近くの村へ戻ることになった。
誰も口を開かなかった。
重い沈黙の中、来た道を引き返していく。
その途中だった。
不意に背筋へ悪寒が走る。
「……?」
振り返る。
そこには、板野くんがいた。
俯いたまま、口元だけを不気味に歪めて笑っている。
「…………」
何故、笑っているのだろう。
クラスメイトが一人、奈落へ落ちた。
その直後なのに。
どうして、そんな顔ができるのだろう。
黒騎士が黒杉くんへ何を囁いたのかは、私には聞こえなかった。
黒杉くんが何故、あれほど怒ったのかも分からない。
けれど――。
板野くんの笑顔を見た瞬間。
何故か、黒騎士の姿が頭を過った。
(まさか……)
根拠なんてない。
声も聞こえていない。
黒騎士の顔だって、兜に隠されていた。
それなのに、どうしても胸騒ぎが収まらなかった。
板野くんが、ゆっくりと顔を上げる。
一瞬だけ目が合った。
その瞳の奥に浮かんでいたものを見た瞬間。
私は、自分でも理由の分からないほど強い恐怖を感じた。
(板野くん……?)
問いかけようとした時には、板野くんはいつもの表情へ戻っていた。
見間違いだったのかもしれない。
そう思いたかった。
けれど、胸の奥に芽生えた疑念は消えてくれなかった。
私は黒杉くんが消えた洞窟を振り返る。
(黒杉くん……絶対に、生きていて)
そして心の中で、強く誓った。
次に会えた時は、もう二度と……
絶対に、その手を離さないと。
お前、ヒロインになれよ。




