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第39話 昨晩はお楽しみでしたね、そんな俺はアクセル全開にさせた。の話

改稿済

(朝だ……)


小鳥のさえずりが耳に届き、ゆっくりと目を開ける。


窓から差し込む朝日が部屋を淡く照らし、昨夜までの激戦が嘘だったかのような静かな時間が流れていた。


俺は上半身を起こして目を擦る。

その時、右手に小さな温もりを感じた。


視線を向けると、白くて綺麗な肌……アイリスが俺の手をそっと握ったまま、穏やかな寝息を立てている。


昨夜の出来事を思い出し、思わず苦笑が漏れた。


「……やっちまったなぁ」


照れくささと、どこか気恥ずかしい気持ちが胸をよぎる。

もっとも、最初に押し切ってきたのは、あっちなんだけどさ。


俺は眠っているアイリスの銀色の髪を優しく撫でる。

すると甘えるように頬を寄せ、小さく身じろぎすると、ゆっくりと紅い瞳を開いてこちらを見つめた。



「昨晩はお楽しみでしたね」

「お前なぁ……」


アイリスはいたずらっぽく口元を緩め、くすくすと笑う。

そのまま俺の頬へ、そっと口づけを落とした。


「……っ」


昨夜からずっと、完全に向こうのペースだ。

俺が照れているのを楽しんでいるのか、その表情にはまだ余裕がある。


……畜生。


俺は観念したように小さくため息をつくと、苦笑しながら着替えを始めた。


「起きる?」

「ああ。そろそろ基地に戻ろう」

「うん」


アイリスは小さく頷くと、俺と同じように身支度を始めた。

お互いに言葉は少ない。

それでも、不思議と気まずさはなかった。

昨日までは仲間として過ごしていたはずなのに、たった一晩で二人の距離は少しだけ変わった気がする。


アイリスが服の袖を整え、銀色の長い髪を指先で梳く。

窓から差し込む朝日を浴びたその髪は、宝石のようにきらりと輝いていた。


……相変わらず、綺麗だ。


思わず見惚れていると、俺の視線に気づいたアイリスが、くすりと小さく笑った。

その表情はどこかいたずらっぽく、恋人になったばかりとは思えないほど余裕がある。


「もう一戦する?」

「しません……!」


即答だった。

これ以上付き合ったら、俺の体力が本気で持たない。

俺がきっぱり断ると、アイリスは少しだけ残念そうに肩を落とした。


……いや、そこで落ち込まれても困る。


俺は見なかったことにして、そのまま着替えを続ける。


(オイオイ……あれだけしたのに、まだ足りないのかよ……)


恋人になった途端、積極的になりすぎじゃないだろうか。

そんなことを考えながら部屋の扉を開けると――。


「……え?」


廊下の床には、ぐったりと横になっているクレナとファノンの姿があった。


「あ……」


そこでようやく思い出す。

そういえば昨日、アイリスが「気絶させておいた」と平然と言っていたんだった。


二人とも廊下で仲良く眠り込んでいる。

クレナは小さく丸くなりながら、すぅ……すぅ……と規則正しい寝息を立て、口元からはほんの少しだけ涎が垂れていた。


「むにゃ……ご主人様……それ、私のですぅ……」


寝言まで言っている。


「いや、どんな夢見てるんだ……」


思わず苦笑が漏れる。

一方のファノンはというと――。


「むにゃ……肉なのだぁ……もっと焼くのだ……」

「完全に食べ物の夢じゃねぇか」


こちらも負けじと幸せそうな寝顔だった。

俺は二人のそばへしゃがみ込むと、それぞれの頬を軽くぺちぺちと叩く。


「おーい、起きろー……」


俺が声を掛けると、二人はゆっくりと瞼を開いた。


「うぁ……」

「ご、ごしゅじん……敵襲っ!!!」


ファノンは飛び起きると、辺りをキョロキョロと見回し、今にも飛び出しそうな勢いで身構える。


「敵襲なんてなかったぞ?」

「……あれ?」


俺の言葉を聞いたファノンは、きょとんとした表情で首を傾げた。

……侵入者なら、確かにいたけどな。

そう思いながらアイリスへ視線を向けると、彼女は露骨に目を逸らした。


(こいつ、逃げやがった……!)


「ご主人がそう言うなら……気のせいだったのだ」


ファノンは納得したように頷くと、「ご飯、ご飯なのだ」と呟きながら、食堂のある一階へと降りていく。


だが――。


その場に残ったクレナだけは、じっと俺を見つめていた。

しかも、疑いのこもったジト目で。


「ど、どうしたんだ、クレナ?」

「ご主人様から……変な匂いがする」


その一言に、俺は思わず自分の身体の匂いを確かめた。


「……?」


鼻を近づけてみても、特に変わった匂いはしない。


「気のせいじゃないか?」

「違う……なんか、香水みたいな匂いがする」

「っ……!」


クレナ、こういう時だけ妙に鋭いな!?

俺はこの場をこれ以上ややこしくしたくなくて、そのまま逃げようとする。


だが――。


「待って」


クレナは俺の腕をぎゅっと掴んだ。

……どうやら、逃がしてくれる気はないらしい。

その様子を見て、後ろではアイリスが肩を震わせながらニヤニヤしている。


(おい、笑ってる場合じゃないだろ!!)


しかも、どこか勝ち誇ったような顔までしている。

何とかしてくれよ!

心の中で助けを求めても、アイリスは面白そうに眺めているだけだった。


(覚えてろよ……今度、絶対に仕返ししてやるからな……!)


「……何か、あったの?」

「あ、あぁ! ここの宿、石鹸が切れてたんだよ。それで錬成して自分で作ったんだ。た、多分、その匂いじゃないか?」


詰め寄ってくるクレナに、俺は思わず早口でまくし立てる。

……というか、なんで俺がこんな罪悪感に苛まれながら言い訳しなきゃならないんだ!?

我ながら苦しい嘘だと思ったが、クレナは少し考え込んだあと、


「あ、そうなんだ」


と、あっさり納得してくれた。


(……助かった)


俺は胸を撫で下ろす。

どうにか、この場は切り抜けられたらしい。

俺たちは部屋を出ると、そのまま宿の食堂へ向かった。

階段を降りると、すでにサンクが席に座って朝食を取っていた。

俺たちに気づいたサンクは駆け寄ってくる。


「おはようございます」


いつもの穏やかな笑顔で会釈する。

……助かった。

そう思った次の瞬間だった。


「昨日はお楽しみでしたね」

「ぶっ……!」


あまりにも自然な口調で言われ、俺は盛大に冷や汗をかいた。


「おい、サンク……!」

「ご主人様……?」


恐る恐るクレナの方を見る。

そこには、じーっと俺を見つめる疑いの眼差しがあった。

背中へ、じわじわと視線と魔力が突き刺さってくる。


やめろ、怖い。


一方のサンクはというと、そんな張り詰めた空気などまったく気にしていなかった。


悪気など一切ない。

いつもの穏やかな笑顔のまま、純粋な善意で話しているのだろう。


……だからこそ、余計にタチが悪い。


燃えかけていた火へ、笑顔で薪をくべているようなものだった。


「防音魔法を維持するの、大変だったんですよ?」

「バカッ!! それを今ここで言うことじゃないだろ!?」

「ふーん……」


クレナの声が、一段低くなる。

その瞬間、背中へ突き刺さるような視線を感じた。


……終わった。

俺は静かに、自分の運命を悟った。


(俺は悪くねえ……いや。)


今回は違う。

アイリスの気持ちが爆発するまで、ずっと気づかないふりをしていたのは俺だ。

受け止めるって決めたのも俺。


……うん。


結果的に、俺が悪い。


「おばちゃーん! おかわりー!」

「あいよ! じゃんじゃん食べな!」


そんな空気などどこ吹く風とばかりに、後ろではファノンがのんきに朝食を頬張っていた。

……お前だけは本当に平和そうで羨ましいわ。


「状況は分かったわ。えぇ、よーく分かった」

「……はい」


クレナは一つ息を吐くと、いつもの落ち着いた表情へ戻る。


「まぁ、ヨウイチとアイリスが、いつかそういう関係になるだろうなって思ってたし、別にいいんだけどね」

「クレナ……」


予想外にあっさりしていた。


……いや。


逆に、それが不気味だった。


「まぁ、私は武器ですから? 別にいいんですけどね?」


クレナはいつも通りの笑顔を浮かべながら言う。

そのまま俺の耳元へ顔を寄せ、小さな声で囁いた。


「……後で、覚えておいてね?」

「……っ」


満面の笑みだった。

だからこそ、怖い。


(笑顔が一番怖いんだけど!?)


背筋に冷たいものが走る。


「ヨウイチ……どうしたの?」


事情を知らないアイリスが、不思議そうに首を傾げる。

……まぁ、今回の発端は俺の不注意だ。

アイリスの気持ちに向き合うと決めたのも俺なんだから、ここは素直に反省するしかない。


「ごめん、クレナ」


俺は頭を下げた。

するとクレナは、にこりと微笑んだまま、


「気にしてないよ?」


とだけ答える。

……その一言が、逆に一番怖かった。

俺は重たくなった肩を落としながら、小さくため息をついた。


薄々そんな気はしていた。

……クレナも、俺に好意を抱いてくれていたんだな。

もちろん、クレナ自身も、俺とアイリスがいつかそういう関係になることは分かっていたはずだ。

だから頭では納得している。


それでも――。


心がすぐに割り切れるほど、感情は簡単じゃない。

きっと今は、自分の中の想いに折り合いをつけようとしている最中なんだろう。


俺たちは宿を後にし、車で基地へ戻ることにした。

基地までは、およそ一週間。


つまり――。


「一週間運転かぁ……」


そう呟きながら皆の方を見る。

まず最初に目に入ったのはアイリスだった。


「……」


『車』という単語を聞いた瞬間、目に見えて顔色が悪くなっている。

完全にあの時の悪夢を思い出したらしい。


その隣では――。


「ふふふ」


サンクがなぜか爽やかな笑顔を浮かべていた。

……いや、なんでそんなに機嫌がいいんだ。

そのさらに奥では、


「やったー!! また車なのだー!!」


ファノンが両手を上げて飛び跳ねている。

お前だけだよ、そんなに楽しみにしてるの。

そして最後に視線を向ける。


「……」


クレナだけは腕を組んだまま、ぷいっと横を向いていた。

……まだ拗ねてる。


「はぁ……」


俺は思わず頭を掻いた。

どうやら、この一週間も賑やかになりそうだ。


今回は俺が運転を担当する。

これから車に乗る機会も増えるだろうし、今のうちに慣れておかなければならない。


助手席にはクレナ、後部座席にはアイリスが座る。

どうやらアイリスは助手席だと酔いやすいらしく、自ら後ろへ移動したようだ。


そして――。


一つだけ、昨日までと大きく変わったことがある。


「あのー、クレナさん……もう少し離れてくれませんかね?」

「……」


返事はない。

代わりに、俺の腕へぎゅっと抱きつく力が少しだけ強くなった。

どういうわけか、クレナは昨日まで以上に俺へべったりするようになっていた。

その様子を後部座席から眺めていたサンクが、面白そうに口元を緩める。


「黒杉さん、モテモテですね」

「うっさいわ! 誰のせいだと思ってんだ!!」


いや、それよりも――。


「クレナさん、頼むから運転中くらいは離れてくれないか? 事故でも起こしたら洒落にならないんだ」


俺がそう言うと、クレナは少し寂しそうな表情になり、小さな声で尋ねてきた。


「……アイリスはいいのに、私はダメなの?」


そんな上目遣いは反則だろ……。

思わずため息をつきながら、俺は苦笑する。


「違う違う。ダメなんじゃない。ただ、運転中だけは勘弁してくれ。事故になって死んだら、何もできなくなるだろ?」


その言葉を聞くと、クレナは少し安心したように頷き、ようやく腕を離してくれた。

一方、そのやり取りを後部座席で眺めていたアイリスは、どこか不満そうにこちらを見つめている。


……その視線は見なかったことにしよう。


俺は何事もなかったかのように車を発進させる。

アクセルをほんの少しだけ強めに踏み込む。


――少しくらい、いい薬になればいい。


「ちょ、ヨウイチ……もうちょっと……」

「え? なんて?」


俺はあえて聞こえなかったふりをする。


……おっと、すまない。


足が滑って、うっかりアクセルを"更に"少し強く踏んでしまった。

車がぐんっと加速する。


「ちょ、ちょっと!? 黒杉さん!? 運転が雑じゃないですか!?」


サンクが慌ててシートを掴む。


「ヨ、ヨウイチ……も、もっと……あ、安全運転を……うっ……」


アイリスは青ざめた顔で口元を押さえ、必死に耐えていた。

サンクはシートにしがみつき、身体をガタガタと震わせている。


「ヒャッハー!! なんかテンション上がってきたぜ!!」


俺はアクセルを踏み込み、そのまま森の道を駆け抜ける。


やっぱり【千手】は便利だな!

これなら常に安全運転だぜ!!


「ひゃっほお! ごしゅじん! もっとやれー! たのしいー!!」


そんな中、ファノンだけはテンションを上げて大はしゃぎしていた。

隣に座るクレナも、何かを察したのか、俺とアイリスを見比べ、小さく息をついた。


「……しょうがないな」


さっきまで少し拗ねていた表情が、いつもの笑顔へ戻る。


「これくらいの仕返しなら、許してあげる」


そして、小さく呟いた。


「……応援してあげる」

「ん? 何か言ったか、クレナ?」

「んーんー、なんでもないっ♪」


そう言うと、大きく息を吸い込んで――


「いけー!! ご主人様ー!!!かっとばせー!!!」

「おう!」


……やっぱりクレナは、俺の良き相棒だ。


その頃、後部座席では――。


「く、黒杉さん!? 本当に安全運転なんですよねぇぇ!?」

「ヨ、ヨウイチ……お、お願い……止めてぇぇ……」


アイリスとサンクの悲鳴が、森中へ盛大に響き渡った。

クレナファンには申し訳ない

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