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第38話 VS月ノ城(下)とアイリスの気持ちの話

改稿済

御剣は俺の顔を見た瞬間、目を見開いた。

死んだと思われていた同級生が、今、目の前に立っている。


あの日、胸を剣で貫かれ、奈落の底へ落とされた俺が、生きている――。

どう考えても、生き延びられる状況ではなかった。


御剣の瞳が一瞬だけ潤む。

次の瞬間、堪えていた感情が溢れたように、大声で俺の名を叫んだ。


「黒杉くん……! 黒杉くんじゃないか!?」


「あー……ばれちゃったかぁ……」

「『ばれちゃったか』じゃないよ!!?」


そう言って、御剣の瞳には涙が浮かんでいた。

あの日、仲間を守れなかったことを、勇者として誰よりも悔やみ、自分を責め続けてきたのだろう。

そんな御剣を前にして、俺は強く言えるはずもなかった。


「……すまん」


すると御剣は小さく首を横に振り、涙を拭って言う。


「あ、いや……生きてるなら、それでよかったよ!」


ここで正体がバレるとは思っていなかった。

……いや、いずれはバレるとは思っていたけど、早すぎる。

だが、幸いだったのは、美空たちではなく御剣に見つかったことだ。


美空たちに知られれば、心配して周囲に話してしまうかもしれない。そうなれば、何らかの形で板野の耳に入る可能性もある。

そう考えると、最初に見つけたのが口の堅い御剣だったのは、不幸中の幸いだった。


先ほどのスキルでかなり魔力を消耗しているはずだ。

俺は【収納】から丸薬を取り出し、御剣へ放る。

御剣はそれを受け取ると、迷うことなく飲み込んだ。

ほどなくして、身体から魔力が溢れ始める。


どうやら効果は十分らしい。

俺は小さく息を吐き、話を切り出した。


「あー……えっと、一つ頼みがある。俺が生きていることは、内緒にしてくれ」

「何故だ? 生きているなら、一緒に戻ろうよ! 君が生きていると分かれば、皆が……!」

「それが、できないんだ。……すまない」

「何故なんだ? 理由だけでも聞かせてくれ」


御剣は剣を構えたまま、月ノ城への警戒を解かない。

その一方で、月ノ城も刀を鞘へ納め、こちらの会話を静かに見守っていた。


本来なら、こんな隙を見逃すような人ではない。

侵食されても、妙なところで律儀なのは変わらないらしい。

……本当に、この人は侵食されているのか?


だが、念のため、アイリスには目配せだけで月ノ城を見張るよう伝える。

アイリスもすぐに意図を察し、大剣を地面に突き立てたまま、いつでも抜けるよう両手を柄に添え、月ノ城から視線を外さなかった。

少しくらいなら話してもいいだろう。


「ごめんな……詳しい理由は言えないんだ。俺の存在を知られることで、皆を危険に巻き込んでしまう」

「なっ!? それはどういうことだ? ちゃんと説明してくれないと……!」

「それを話したら、お前は皆に伝えるんだろ?」

「……うっ」


御剣は言葉を詰まらせる。

図星だったのだろう。

委員長である御剣の性格なら、事情を知れば仲間に知らせようとするはずだ。

だからこそ、俺は話せなかった。


「申し訳ない……だけど、誰にも言わないでくれ。頼む……。もし知られれば、きっと後悔する。知らないままの方がいいんだ」

「……ッ」


御剣は、その"後悔"という言葉に小さく息を呑んだ。

まるで、あの日の出来事を思い出したかのように、その表情が曇る。


そんな顔をさせてしまったことに、胸が締めつけられた。

俺は思わず、自分の胸元をぎゅっと握りしめる。


しばらく沈黙が流れる。


やがて御剣は、小さく目を閉じると、観念したように息を吐いた。

困ったように笑いながらも、その表情はどこか優しかった。


「本当に、あの日から……変わらないね」


そう呟くと、一度だけ頷き、静かに続ける。


「……分かった。でも、いつか必ず戻ってきてくれ」

「……?」


一瞬、その言葉の意味を考える。

だが、深くは聞かなかった。


「ああ、約束する。絶対にな」


御剣は少しだけ寂しそうに微笑む。

それでも、その瞳の優しさは、昔と何一つ変わっていなかった。

話が一区切りついたところで、退屈そうな声が割って入る。


「もういいか? 俺は結構、短気なんだ」


月ノ城だった。

刀を静かに構え直した、その瞬間――。


「ヨウイチ……構えて。アレが来る……ッ!」


アイリスの緊迫した声が響いた。

そう言って、月ノ城は静かに刀を構えた。


――あの構えだ。


「……弐の型『皐月』ッ!」

「ヨウイチは……私が守るっ!」


抜き放たれた刹那、一閃が五つの斬撃へと枝分かれする。

その五撃は寸分の狂いもなく、頭上から足元まで、一瞬で俺たちを切り裂こうと襲い掛かった。


『連撃』とは違う。


一太刀から生み出された五つの斬撃。

それだけで、月ノ城との技量の差を嫌というほど思い知らされる。

まともに受ければ、致命傷では済まない。


まさに、人を殺すためだけに磨き上げられた一太刀だった。

その瞬間、アイリスが一歩前へ踏み出す。

巨大な大剣を素早く縦に構え、迫り来る五つの斬撃を真正面から受け止めた。


――キィィィンッ!!


耳をつんざく金属音が森へ響き渡る。

火花を散らしながら、アイリスは一歩も退かない。

月ノ城は感心したように目を細めた。


「ほう……今のを防ぐのか」

「一回見れば、十分……【黒焔陣ヘイム・ジーンヌ】」


攻撃を受け止めた瞬間、大剣から膨大な魔力が溢れ出す。


次の瞬間――。


月ノ城の斬撃をそのまま跳ね返すように、漆黒の炎が爆ぜた。

ほぼ零距離。

避けることなど不可能だ。

俺はそう確信した。


――だが。


パンッ!


乾いた発砲音が森に響く。

それと同時に、イヤホンからも銃声が聞こえた。

思わず瞬きをした、その一瞬だった。

爆炎の中にいたはずの月ノ城の姿が消えている。


「……ッ!?」


視線を巡らせると、炎の外へ離脱した月ノ城の姿があった。

その真正面へ、高速で一発の銃弾が迫る。

月ノ城は気付いたように片手で刀を振るった。


――キィン。


澄んだ金属音が響く。


コトッ。


何かが地面へ転がった。

視線を落とすと、そこには真っ二つに断たれた銃弾が転がっていた。

イヤホン越しに、サンクの悔しそうな声が聞こえる。


『対処されるのは、もう少し先だと思ったんですが……慣れるのが早すぎますね……ッ。すみません。攻撃は通用しなさそうです。ここからは援護に専念します』


通信の向こうで、素早くボルトを操作する金属音が響く。

一方、月ノ城はゆっくりと山の方角へ視線を向け、小さく呟いた。


「厄介だな……。流石に、11.135km先の敵までは能力の範囲外だ」


その一言で、サンクの居場所が特定されたことを悟る。

しかも、距離まで正確に言い当てた。


……何なんだ、この人。


もはや目にICチップでも埋め込まれているんじゃないかと思うほどの精度だ。

とはいえ、本人もその距離では手出しできないと判断したらしい。


「厄介なのは、そっちも同じじゃないか。殺気だけで魔力と魔素を殺し、スキルの発動を封じるどころか弱体化までさせる。そんな能力、この世界そのものを否定してるようなもんだろ」

「否定か……まあ、そうだな」


月ノ城は小さく笑う。


「職業的にも、本来はそっちの方が向いている。……なんせ俺は、殺人鬼だからな」


四対一。

それでも戦況は、ほぼ互角。

改めて、目の前の男が化け物だと思い知らされる。


――パンッ!


イヤホン越しに発砲音が響く。

サンクの狙撃だ。

しかし、月ノ城はもう慣れてしまったのか、振り返ることすらしない。

刀を軽く払うだけで、飛来した銃弾を弾き落とした。

その一瞬の隙を、御剣は見逃さなかった。


「ここだ!!」


俺の能力【大元帥】が発動する。

その効果で、御剣のステータスが飛躍的に上昇していくのが分かった。

眩い閃光を纏った聖剣が、高速で振るわれる。


凄まじい連撃。


だが、そのすべてを月ノ城は紙一重で捌き、刀一本で受け流していく。

俺は御剣の攻撃に巻き込まれないよう横へ回り込み、拳銃を構えた。


──パンッ! パンッ! パンッ!


三発。


さらに十キロ以上離れた場所から、サンクの狙撃音が五発続く。

八方向からの攻撃。

完全な挟み撃ちだった。


「ッチ……!」


月ノ城は舌打ちすると、御剣へ回し蹴りを叩き込み、その身体を吹き飛ばす。

さらに、その回転を利用して横から飛来した三発の銃弾を同時に斬り裂く。

空中で体勢を立て直すと、続いて飛来したサンクの五発も、身を捻りながら避け、刀で弾き落とした。

だが、俺の攻撃は終わらない。


【仁王】を発動。


空になった弾倉を捨てると同時に、新しい弾倉を【収納】から取り出し、一瞬で装填する。


──パンッ! パンッ! パンッ! パンッ! パンッ!


休む間もなく撃ち続ける。

しかし月ノ城は、その銃弾の雨をものともせず、一歩、また一歩と前へ進む。

飛来する弾丸を斬り伏せながら、まっすぐ俺との距離を詰めてきた。


徐々に距離を詰めてくる月ノ城に対し、俺は【収納】から散弾銃ショットガンを取り出した。


そのまま銃口を向け、引き金を引く。


────バァァンッ!!


轟音とともに、無数の散弾が月ノ城へ襲い掛かる。


その瞬間だった。


月ノ城の紅い瞳が、大きく見開かれる。

まるで、自分へ飛来する弾の数を、一発残らず数えているかのようだった。

その眼光に射抜かれ、思わず身体が強張る。


圧倒的な覇気。

一瞬だけ、俺の呼吸が止まった。

月ノ城は散弾との間合いを見極めるように、一歩だけ踏み込む。

そして――刀を振るった。


────カカカカンッ!!


甲高い金属音が連続して響き渡る。

ほんの一瞬。

まるで月ノ城の周囲だけ時間が止まったかのような錯覚を覚える。

着弾するよりも早く、飛来した散弾を斬り伏せたのだ。

その姿は、まさに修羅。

月ノ城の背後には、真っ二つに断たれた無数の散弾が、静かに地面へ転がっていた。


――だが。


流石の月ノ城でも、すべては防ぎ切れなかった。

頬と太ももに、浅い掠り傷が刻まれる。

その瞬間、後方から御剣の驚いた声が響いた。


「ショットガン……!? で、でも、それよりも……攻撃が通った!」

「まさか、散弾銃まで扱えるとはな……」


そう呟くと同時に、月ノ城は地面を蹴った。

一瞬で間合いを詰め、そのまま刀を振るう。

咄嗟に身を捻ったことで致命傷は避けたものの、刃は頬を浅く掠めていった。


「っ……!」


その瞬間だった。

頬の傷口が大きく裂け、鮮血が噴き出す。

流れ落ちるはずの血は赤い霧へと変わり、空気へ溶けるように消えていく。

しかも、傷は塞がらない。

いや、それどころか、傷口からは赤い霧が絶え間なく溢れ続けていた。



続いて、二撃目。


顔面を狙って振り下ろされた刀が、目の前まで迫る。

俺は咄嗟に黒姫ノ紅を構え、その一撃を受け止めた。


カンッ!! キィィイイン!!


激しい剣戟音が響き渡る。

その瞬間、もう片方の手に握った拳銃を月ノ城の腹部へ突きつけ、そのまま引き金を引いた。


パンッ!!


至近距離。

これなら避けられない――そう思った。

しかし、月ノ城の紅い瞳が鋭く光る。

まるで俺の筋肉の動きを見切っていたかのように、引き金を引くのと同時に身体をわずかに捻り、銃弾を躱した。


「至近距離だぞ……!!」

「殺気が駄々洩れだ」

「月ノ城さんに言われたくない!!」


そう言うと同時に、月ノ城は再び刀を振るう。

無数の剣閃と火花が俺たちの周囲を覆い尽くした。





カンッ! キンッ!! ギギ――ギィィイイン!!


刃を受け流すたび、地面には鋭い斬痕が刻まれ、俺の身体にも少しずつ切り傷が増えていく。

舞い上がった木の葉までもが、一瞬で細切れになって宙を舞った。


「ヨウイチ!」

「黒杉くん!!」


二人の声が響く。

気が付けば、アイリスと御剣が月ノ城を挟み込むように迫っていた。


御剣は足を、アイリスは首を。


互いに急所だけを狙って斬り込む。

俺は二人の攻撃に巻き込まれないよう、そのまま後方へ飛び退いた。


二人の横一閃が、ほぼ同時に月ノ城へ襲い掛かる。


――捉えた。


そう思った瞬間だった。


月ノ城は二人の斬撃の隙間へ滑り込むように身体を沈め、そのまま身体を捻る。

勢いを乗せた左右の回し蹴りが放たれ、二人は同時に吹き飛ばされた。


「っくっ……!!」

「……っ!!」


流石に捉えたと思ったが、甘かった。

息を整えようとして、自分の腕へ視線を落とす。

切り傷からは、今もなお赤い霧が立ち上っていた。


「ぐっ……! これは、あの時……!」


オロチとの戦いで見せた、再生能力を封じるあの能力だ。

月ノ城の刀身へ付着した血は、まるで吸い込まれるように刀へ溶け込んでいく。

禍々しい力を宿しているはずの刀は、それとは裏腹に白く淡い輝きを放っていた。

不気味でありながら、どこか神秘的でもある。


そんな奇妙な光景だった。


「村雨の武器技能――【血狂い(トゥレオ・パーツィオ・マトス)】。


一度斬られた傷は開き続け、流れた血は霧となって、この刀の糧となる」

そう言って、月ノ城は静かに刀を構えた。


次の瞬間、一閃。


刀を振るった軌跡から、鮮血のように赤い斬撃が放たれる。

俺は咄嗟に身を翻して回避した。

通り過ぎた斬撃の先へ視線を向ける。

そこに立っていた大木は、真っ二つに切断されることもなく、赤い霧となって静かに消滅していった。


「血の斬撃を食らえば、お前たちも霧となって消える」


その光景を見た瞬間、背筋が冷たくなる。

あれは受けてはいけない。

近接戦はもちろん、あの斬撃すら致命的だ。

より慎重に立ち回らなければならない。


そう考えた、その時だった。

アイリスが大剣を構え、迷うことなく月ノ城へ踏み込む。


「アイリス! 危ないぞ!」

「ヨウイチ、大丈夫。信じて」


アイリスは大剣へ黒い炎を纏わせ、そのまま一気に間合いを詰める。

重い一撃から途切れることのない連撃。

あの大剣を受け止めれば、爆炎が襲い掛かる。

そのことを月ノ城も理解しているのだろう。

刀で受けることはせず、紙一重で回避を続けていた。


――だが。


月ノ城は回避の合間、一瞬の隙を突くように反撃へ転じる。

刃がアイリスの腕を浅く掠めた。


「……っ!」


その瞬間、傷口が大きく裂け、鮮血が噴き出す。

流れ落ちた血は赤い霧となり、空中へ溶けるように消えていった。

アイリスは腕を押さえ、小さく膝を折る。


「……さあ、霧となって死ぬがいい」


月ノ城は静かに告げる。


だが――。


アイリスの瞳に、諦めの色はなかった。

傷口はみるみる広がり、霧は止まることなく溢れ続ける。

誰が見ても致命傷。

それでもアイリスは、一歩も退かなかった。


次の瞬間。


月ノ城は鮮血を纏った刀を振り抜く。

狙われたのは、大剣を握る腕だった。


ザンッ


アイリスの腕が斬り飛ばされ、赤い霧が二人の頭上に舞う。


「アイリス!?」

「足掻いても無駄だ。一度致命傷を受けた傷は、霧を生み続ける。その身体が完全に霧となるまで、決して止まらない」


月ノ城は淡々と告げた。

俺は思わず叫ぶ。


斬り落とされた腕が宙を舞い、ボトッと鈍い音を立てて地面へ落ちる。

だが、それも束の間だった。

腕は赤い霧となり、ゆっくりと空気へ溶けるように消えていく。

そして今度は、アイリスの身体からも赤い霧が立ち上り始めた。


「アイリス!!!」


このままじゃ、アイリスが霧となって消えてしまう。

俺は歯を食いしばる。


――あの時、ちゃんと止めるべきだった。


また、大切な人を失うのか。

また、後悔することになるのか。

そんな考えが頭をよぎり、胸を締めつけた。


「ヨウイチ……」


絶望の中で聞こえたその声は、どこまでも穏やかだった。


「……え?」


思わず顔を上げる。

アイリスの表情は、いつもと何一つ変わっていない。

俺を安心させるように、小さく微笑んでいた。

その瞬間だった。

斬り落とされた腕の断面から、黒い炎が静かに燃え上がる。

炎は勢いを増し、傷口から溢れ続けていた赤い霧を次々と焼き尽くしていく。


シュゥゥゥ……


霧は蒸発し、炎はゆっくりと腕の形を成していく。

そして――。

失われたはずの腕が、完全に再生した。


「なっ……!?」


思わず目を見開く。


本当だよ!

びっくりさせるなよ!!!

マジで心配したんだからな!?


そんな俺を見て、アイリスは再生した腕を見せるように、小さくピースサインを作った。


「大丈夫」


少しだけ得意げに笑う。


「……心臓に悪すぎるだろ」


俺が大きく息を吐くと、アイリスは悪びれる様子もなく、小さく首を傾げた


「でも、信じてって言った」

「そうだけどさぁ……」


俺はもう一度深く息を吐き、苦笑いを浮かべた。

一方、その光景を見た月ノ城は、初めて驚きを隠せなかった。


「……まさか、蒸発させるとはな!!」

「私の能力……【炎神】を応用した新しい力」


アイリスは再生した腕で大剣を握り直す。

黒い炎が刃を包み込む。


「【焔黒再生スルト・ペクス】」


その一言と同時に、周囲の空気が熱を帯びた。

月ノ城の【血狂い】は、血を霧へ変え、再生を封じる能力。

だが【焔黒再生】は、その霧そのものを焼き尽くし、再生を可能にする。


つまり――。


月ノ城にとって、アイリスは最悪の天敵だった。


「面白い……!」


月ノ城は静かに口角を上げる。


「ならば、その炎ごと斬ってみせようか……!」

「……やってみて」


アイリスは静かに大剣を構える。

黒い炎が、今まで以上に激しく燃え上がった。


アイリスは黒い炎を纏わせた大剣を、大きく振りかぶる。


「はあああああッ!!」


渾身の一振り。

流石の月ノ城も避け切れないと判断したのか、刀を横へ構え、その一撃を真正面から受け止めた。


――ガァァァンッ!!


轟音と共に爆炎が巻き起こる。

黒炎は一気に月ノ城を飲み込んだ。


だが――。


「甘い」


漏れ出した殺気が爆炎を切り裂き、黒い炎すら霧散させていく。

その瞬間だった。


「今だ!!」


御剣が地面を蹴る。

右手の聖剣が眩い光を放ち、左手の鉄塊が大気を震わせる。

軽さと速さを極めた聖剣。

重さと破壊力を極めた鉄塊。

正反対の二振りが、一つの流れとなって月ノ城へ襲い掛かった。


「黒桜花流――」


聖剣が一閃する。

眩い光を放っていた刀身は、次の瞬間には光を失い、黒く妖しい輝きへと変わる。

聖剣とは思えないほど、暗く妖しい輝き。

まるで刀身そのものが、夜へ溶け込んだかのようだった。

静寂の中、その闇から淡い桜の花びらが舞い始めた。


一枚、また一枚。


花びらは次第に数を増やし、夜桜のように月ノ城の視界を埋め尽くしていく。


しかし、それは幻ではない。


舞い散る花びら、その一枚一枚すべてが剣閃だった。


「……黒桜花流を、二刀で昇華させたのか……!」


月ノ城の表情が初めてわずかに揺らぐ。

以前、黒桜花流と戦ったことがあると言っていた。

だが、その驚きようを見る限り、二刀で放たれる黒桜花流は初めてなのだろう。


御剣が辿り着いた、新たな黒桜花流。

月ノ城が桜の剣閃を捉え、刀を振るう。

一枚、また一枚と剣閃を斬り払っていく。

その瞬間だった。


「秘儀――『闇桜』ッ!!」


闇の中から、鈍い轟音とともに鉄塊が姿を現す。


聖剣は囮。


本命は、闇に紛れた鉄塊だった。

鉄塊は大地を砕く勢いで、真上から月ノ城へ振り下ろされる。


――ズドォォォォンッ!!


咄嗟に月ノ城は聖剣を受け流しながら、刀で鉄塊を迎え撃つ。

轟音が森中へ響き渡る。

地面は陥没し、衝撃波が周囲の木々を大きく揺らした。


「ぐっ……!」


流石の月ノ城も、その衝撃までは殺し切れない。

両足が地面へ深く沈み、初めてその身体が大きく揺らいだ。


「黒杉くん!!」


御剣の叫びと同時に、俺は拳銃を構えた。


「分かってる!!」


俺はその一瞬を逃さない。

拳銃を構え、すかさず援護射撃を放つ。


一発目、二発目は刀で弾かれる。

三発目、四発目は紙一重で躱された。


だが――。


五発目が、月ノ城の肩を貫いた。


「……ッ!」


僅かではあるが、月ノ城の動きが鈍る。

それは誰の目にも明らかだった。


サンクは、その一瞬の隙を見逃さなかった。

イヤホン越しに、乾いた発砲音が響く。


――パンッ!!


遅れて飛来した銃弾が、体勢を崩した月ノ城の太ももを正確に撃ち抜いた。


「ぐっ……!」


鮮血が舞い、月ノ城の身体がわずかによろめく。


というか……


仲間なのに容赦ないな、サンク……。

俺は心の中で、「怒らせてはいけない人物リスト」にまた一人名前を書き加えた。


月ノ城はゆっくりと片膝をつく。

荒い呼吸を繰り返し、村雨を地面へ突き立てて身体を支えていた。

その姿を見て、ようやく実感する。


――追い詰めた。


四人がかり。


それでも、ようやくここまでだった。

俺は拳銃と黒姫ノ紅を向けたまま、一歩だけ前へ出る。


「月ノ城さん……もう終わりです」


月ノ城は顔を伏せたまま、何も答えない。


「帰りましょう。皆、待ってます」


倒すためじゃない。

連れ戻すために、俺はここまで来たんだ。


俺たちは月ノ城さんを取り囲む。

だが、その瞳から闘志は消えていなかった。

誰一人として気を緩めることなく、武器を構えたまま一歩も動かない。


「あー……ここまで追い込まれるとはな。流石に相性が悪いか」


月ノ城は肩を竦め、まるで世間話でもするかのような口調で呟く。

だが、その全身から溢れ出る殺気だけは、一切衰えていなかった。


「おまけに、聖剣を持った勇者まで来ちゃってさ……俺って、本当に運がねぇな」


そう言って、ふらりと立ち上がる。

そして、太ももへ深く食い込んだ銃弾へ指を突き立てると、まるで小石でも摘まむかのように、容赦なく抉り出した。


ぐちゅっ――。


生々しい音とともに銃弾が地面へ転がる。

太ももからは鮮血が滴り落ち、地面へ赤い染みを広げていく。


それでも、月ノ城の表情は微動だにしない。

痛みに顔を歪めることもなく、ただ淡々と銃弾を捨てた。


その声は相変わらず軽い。

だが、その無表情との落差が、かえって不気味だった。


……嫌な予感しかしない。


「まあ……ここで大人しく捕まるつもりはないけどな」


その言葉と同時だった。

月ノ城は、たった一歩踏み出した。

それだけだった。


なのに――。


気が付けば、もう俺の目の前に立っていた。


「なっ……!?」


月ノ城は力なく腕を垂らしたまま、刀を横へ払う。

俺は咄嗟に黒姫ノ紅を構え、その一撃を受け止めた。


――ガキィィンッ!!


重い。


「ぐっ……!」


さっきまでの鋭い斬撃とは違う。

一撃一撃の威力は僅かに落ちているはずなのに、その重さだけは異常だった。

受け止めた両腕が痺れ、俺の身体は地面を削りながら数メートル後方へ押し込まれる。


「なんだ、この一撃は……!」


何が起きたのか、理解できなかった。

確かに、目で追っていたはずだった。

月ノ城は歩いていた。


俺との距離も、五メートル以上はあった。

それなのに――。

気が付けば、いつの間にかアイリスの懐へ潜り込み、刀を振るっていた。


「なっ……!?」


俺の思考が追いつかない。

速い、なんてものじゃない。


見失った。


いや――。


最初から見えていなかったのか?


「いったい、何が起きてんだ!?」

「黒杉くん、落ち着いて! 冷静になれば、絶対に見えるはずだ!」


御剣の声が飛ぶ。

だが、俺の目には何も映らない。

すると月ノ城は肩を竦め、小さく笑った。


「なーに。ただの殺人術の一つだよ」


暗殺でもない。

抜刀術でもない。

月ノ城は、それを――殺人術と呼んだ。

次の瞬間、その姿が揺らぐ。


「っ……!」


今度は御剣へ向かった。

確かに相手は一人しかいない。

それなのに、四方八方から同時に斬り掛かられているような錯覚に襲われる。


気付けば右、次の瞬間には左、さらに背後。

まるで複数人に囲まれているかのような気味の悪さだった。


「そもそも、俺の得意分野は殺人術だ」


月ノ城は御剣へ刃を振るいながら、淡々と口を開く。


「名前の通り、人を殺すためだけに磨き上げた技術だ」


御剣の聖剣が火花を散らす。

その死角から、もう一撃。


「まあ、普段は魔物ばかり相手だから、ほとんど使う機会はないんだけどな」


月ノ城は笑う。

その笑みはどこまでも穏やかなのに、刃だけは一切の容赦がなかった。


「……だが、今回は人間が相手だ」


その紅い瞳が細く笑う。


「何が起きるか……もう分かるよな?」


そう言うと、月ノ城から溢れていた殺気が、ゆっくりと薄れていく。

先ほどまで肌を刺していた圧迫感が消え、思わず息を吐きそうになった。


――だが、違った。


殺気が薄れるほどに、今度は月ノ城自身の存在感まで薄れていく。

そこに立っているはずなのに、視界から零れ落ちていくような感覚。

まるで、彼自身が霧へ溶け込んでいくようだった。


「黒杉」


静かな声が響く。


「俺は勇者でもなければ、村人でもない」


月ノ城は薄く笑った。


「そう――俺は殺人鬼だ」


その紅い瞳だけが、闇の中で静かに光る。


「……忘れてないよな?」


「お、おい、黒杉くん! アイツはいったい何を言っているんだ!?」


御剣が戸惑いを隠せず叫ぶ。

俺は月ノ城から目を離さないまま答えた。


「月ノ城さんの職業は……殺人鬼なんだ」


喉が乾く。

嫌な予感しかしない。


「つまり……今まで、手加減してたってことだよ!!」

「う、嘘だろ!? あれで手加減だったのか!?」


御剣の顔から血の気が引いていく。

俺は続けざま言う


「今までは対魔物用の戦闘だったわけで…」

「今度は一人の人間として認識された…ってことだね!」


互いにできるだけ距離を取らないようにポジションをとる。

すると、御剣が気づく。



「なんだ!?このスキルは、アイツの気配が感じなくなったぞ!?」


そう、不気味なぐらい感じない。

人の気配がなにもかも、布の擦る音も、影も、草を踏む音すらも。


いつの間にか周りに霧ができ、その中に完全に溶けこんでいた。

すると何処から声が聞こえる。


「何言ってんだ。これはスキルでも何でもない、ただの殺人術だ。」


すると、御剣の後ろから月ノ城が現れる。

俺は叫んだ。


「御剣!後ろだ!」


御剣はハッとした顔で後ろを振り向き、剣を振る。

月ノ城の攻撃を弾く。

だが、再び霧となって消えた。


「対魔物用の戦いだったわけで……」

「今度は、一人の"人間"として認識された……ってことだね」


互いの死角を消すように、俺たちは距離を取り過ぎない位置へ散開する。

その時だった。


「なんだ!? このスキルは……アイツの気配が感じられないぞ!?」


御剣が焦ったように叫ぶ。

その言葉通りだった。

人の気配が、何も感じられない。


衣擦れの音も。

草を踏む足音も。

影さえも。

そこにいるはずなのに、何一つ存在を捉えられない。


気が付けば、辺りには濃い霧が立ち込めていた。

そして月ノ城は、その霧の中へ完全に溶け込んでいる。


どこにもいない。


――いや。


どこにでもいるような錯覚だけが残る。


「何を言ってる」


どこからともなく声だけが響く。


「これはスキルでも何でもない。ただの殺人術だ」


その瞬間。


「御剣! 後ろだ!」


俺は叫んだ。

御剣は弾かれるように振り返り、聖剣を振るう。


――キィンッ!!


火花が散る。

辛うじて月ノ城の一撃を受け止める。

だが、追撃の鉄塊を振り抜く頃には、月ノ城の姿は再び霧へと溶け込み、音もなく消えていた。


「お前たちは、スキルに頼り過ぎだ」


どこからともなく、月ノ城の声だけが響く。


「スキルってのは、魔力を消費して発動する"力"だ」


その瞬間。

目の前の霧が揺らぎ、月ノ城が姿を現した。


「っ!」


俺は反射的に黒姫ノ紅を振るう。

だが、手応えはない。

空を切った。


「……遅い」


声だけが耳元で囁く。


「俺の技は、俺自身が編み出した技術だ」


再び霧へ溶け込む。


「そう、人間なら誰でも身につけられる技だ」


どこから来る。

右か、左か、それとも――。


「ただ、それを"人を殺すこと"だけに特化させただけに過ぎない」


月ノ城は静かに姿を現す。

だが、その手に握られていたのは村雨ではなかった。


一本のナイフ、それだけ。

千里眼で解析する。


『鉄製ナイフ』


そう表示される。

本当に、どこにでもある普通のナイフだった。


「……ッ!」


再び姿が消える。

次の瞬間、肩に鋭い痛みが走った。

反射的に肩へ手を当てる。

掌には、べっとりと血が付着していた。


「っく……!?」


肩を押さえながら距離を取る。

すると、どこからともなく月ノ城の声が響いた。


「驚いたか?」


その声は穏やかだった。


「殺そうと思えば、いつでも殺せる。……だが、それじゃあつまらない」


遊ばれている。

その事実に背筋が冷たくなる。


やばい。

確実にやばい。

このままじゃ、本当に全滅する。


俺は必死に頭を回転させた。

この霧は何だ。


【千里眼】で解析しても表示されるのは、ただの『濃霧』。


特殊な魔法でも、スキルでもない。

特徴があるとすれば、異常なほど視界が悪いことだけ。

俺たちからは月ノ城が見えない。

だが、月ノ城だけは俺たちの位置を正確に把握している。


何かある。

必ず、突破口が。

その時、不意にあるものを思い出した。


「……そうだ!」


ハグレさんから渡されたゴーグル。

『視界阻害を無効化する』と言っていた装備だ。

俺はすぐに【収納】からゴーグルを取り出し、装着する。

視界が切り替わる。


濃霧の向こう側。

そこには、まるで最初から見えていたかのように、ゆっくりとこちらへ歩いて来る月ノ城の姿があった。


「見えた……!」


月ノ城がナイフを振るう。

だが今度は違う。

俺はその軌道を見切り、紙一重で身をかわした。


「……見えるのか?」


月ノ城がわずかに目を細める。


「ああ」


俺はゴーグル越しに月ノ城を見据え、口元を吊り上げた。


「お前さんが言っただろ。人間なら誰でもできるような事だってな」


……まぁ、作ったのはハグレさんなんだけどな。

心の中でだけ小さく付け加え、黒姫ノ紅を構える。


「ほう……俺にナイフで挑むのか」


月ノ城もナイフを逆手に構える。

次の瞬間、その姿が掻き消えた。


「っ!」


――来る!


直後、月ノ城が再び俺の目の前へ現れる。

俺は反射的に身体を反らし、ブリッジする。


ヒュンッ!


鋭い刃が鼻先を掠め、冷たい風だけが頬を撫でた。

避けた勢いのまま身体を横へ捻り、回転を利用して一本のナイフを放つ。

ナイフは月ノ城の横顔を掠めるように飛び抜けた。


「【黒姫ノ影】!」


投げたナイフの位置へ瞬時に移動する。

月ノ城の背後。


「もらったッ!」


俺はそのままクレナを振り下ろした。


――だが。


月ノ城は背中を向けたまま、逆手に握ったナイフ一本で、その一撃を受け止める。


――ギィィィンッ!!


火花が散る。


「なっ……!?」


普通のナイフで、クレナの斬撃を受け止めること自体がおかしい。

それなのに、背後からの攻撃を見もせず防いだ。

……この人、本当に後ろにも目があるのか?

そう思った、その瞬間だった。


「――ッ!」


一直線に黒い炎が月ノ城へ襲い掛かる。

不意を突かれた月ノ城は、流石に反応が一瞬遅れた。

咄嗟に大きく後方へ跳び、炎を回避する。


「っく……!?」

「ヨウイチ……!」


アイリスだった。

妖刀は使っていない。

純粋な魔法による一撃。

その代わり、大きく回避したことで月ノ城の体勢が崩れる。


隙が生まれた。


――今しかない。


俺は炎の中へ向かってクレナを投げ放つ。


「【黒姫ノ影】!」


俺は月ノ城の眼前へ現れ、そのままクレナを振り抜いた。


ザシュッ――!!


確かな手応え。

刃は胸元を深く切り裂き、鮮血が宙へ舞う。


「ぐっ……!」


月ノ城は数歩よろめくと、その場に片膝をついた。

胸元を押さえ、赤い血が指の隙間からぽたぽたと零れ落ちる。


「あちゃー……流石に、これはきついなァ……」


いつもの軽い口調。

だが、その呼吸は僅かに乱れていた。

俺も肩で息をする。

体力も魔力も限界に近い。


それでも――。


ようやく、届いた。

そう思った、その時だった。


「……ッ」


突然、月ノ城が胸を掴み、苦しそうに身体を震わせる。


「月ノ城さん?」


傷の痛みじゃない。

何かを押さえ込むように、苦悶の表情を浮かべていた。


次の瞬間。


黒い霧が月ノ城の身体から溢れ出す。

禍々しい魔力が辺りを包み込み、空気が一変した。


「おい! 大丈夫か!?」


駆け寄ろうとした、その瞬間だった。


「来るなッ!!」


月ノ城は今まで聞いたことがないほどの剣幕で叫ぶ。


「……これ以上近づくな!」


その声と同時に、全身が痺れた。

まるで身体そのものを縛られたかのように、一歩も動けない。


「っ……!」


月ノ城はゆっくりと俺たちを見渡す。

そして、その瞳を見た瞬間、俺は息を呑んだ。

その目を、俺は知っている。

さっきまでの紅く濁った瞳ではない。


ほんの一瞬だけ――。

いつもの、あの優しい瞳に戻っていた。


「……すまねぇな」


その一言だけを残し、黒い霧が月ノ城の身体を包み込む。

霧は渦を巻くように膨れ上がり、やがて彼の姿を完全に飲み込んだ。

そして、霧が晴れた時には、もうそこに月ノ城の姿はなかった。

消える、その刹那。

一瞬だけ碧く戻ったような気がした。


「……月ノ城さんは、まだいる」


俺は誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。

あの一瞬の瞳は、見間違いなんかじゃない。


必ず、あの人を取り戻す。



激闘の末――。



俺たちは、最後まで月ノ城さんを取り戻すことはできなかった。

張り詰めていた緊張の糸が切れた、その瞬間だった。


「ヨウイチ……!」


アイリスが駆け寄り、そのまま勢いよく俺へ抱きつく。

続いて、武器状態を解除したクレナも慌てて駆け寄ってきた。


「ご主人様!!」

「わっ……!」


二人の勢いに耐えきれず、俺はその場へ尻もちをつく。

全身から一気に力が抜けていく。


「はは……もう少し体を鍛えないとなぁ……」


そんなことを呟きながら苦笑していると、一人の足音が近付いてきた。

御剣だった。


「黒杉くん……」


俺の前で立ち止まり、その青い瞳で真っ直ぐ俺を見つめる。


「君はいったい……その力は、一体何なんだ……?」


その問いに、俺は小さく肩を竦めた。


「それより、町へ戻れよ。皆がお前のことを心配してる」

「……だけど」


御剣は言葉を飲み込む。

しばらく黙り込んだあと、小さくため息をついた。


「……分かった。どうせ君は、止めても行かないんだろう?」


「よく分かってるじゃないか、委員長」


俺が笑うと、御剣も呆れたように苦笑した。


「……茶化さないでくれ」


「いやまぁ、普段あれだけ優遇されてるんだから、少しくらいはいいだろ?」


俺が笑って言うと、御剣は呆れたようにため息をついた。


「……じゃあ、誰にも――」

「分かってるよ。言わなければいいんだろ?」

「……本当に、分かってるならいい」


理解が早くて助かる。

流石、委員長だ。

俺は立ち上がると、御剣へ右手を差し出した。


「じゃあな」


御剣も小さく笑い、その手をしっかり握り返す。


「ああ。また会おう、黒杉くん」


短く握手を交わし、互いに手を離す。


「さて、戻りますかね」


「うん」


アイリスが頷き、クレナも「はいっ!」と元気よく返事をした。

俺たちはその場を後にし、町へ戻る。

今日はもう動けそうにない。

宿を探し、その日は久しぶりにゆっくりと身体を休めることにした。



その日の夜――。



今日一日の激闘で疲れ切った俺は、宿のベッドへ倒れ込んだ。


「今日はさすがにぐっすり眠れそうだ……」


そう呟いて毛布を掛けようとした、その時だった。


「……ん?」


ベッドに妙な膨らみがある。

恐る恐る毛布をめくると――。


「ヨウイチ、おかえり」


そこには、いつの間に入り込んでいた肌見えるアイリスが、紅い目がこちらを見上げていた。


「いや、なんでいるの!?てか服は!?」

「一人だと眠れなかった。あと誘惑」


悪びれる様子もなく答えるアイリス。


「それ以前に、人のベッドに勝手に入るな!てか…」

「……ダメ?」


首をこてんと傾げられ、思わず言葉に詰まる。

そのまま、細い人差し指を自分の胸の軌道をなぞる。

その優しい手つきは、身体が思わず反応する。


「そういう問題じゃないんだって……」

「ヨウイチが、さっきの戦いの後で応えてくれるって言ったから来た」


その一言を聞いて、俺はしばらく考え込む。


……よし。


ここは、聞かなかったことにしよう。

というより、思い出さないふりをするのが一番だ。


聞こえない振りをしていると、アイリスは俺の胸を触り、足を絡めてくる。

その強引な様子に思わず、どもる。


「お、おい! クレナとファノンは!?」

「気絶させておいた」

「おいいいいいっ!?」


思わず大声を上げる。


「あいつら、結構強いんだぞ!? それをそんな簡単に気絶させるって、どういうことだよ!?」


アイリスは再び首を傾げる。


「……寝てる」

「いや、それを気絶って言うんだよ!!」


すると、アイリスの表情が少しずつ曇っていく。

先ほどのやり取りが嘘のように、笑顔がなくなっていた。

気が付けば、その紅い瞳は涙で潤んでいた。


「ヨウイチ……何度も死にかけた」

「あ、あぁ……そうだな」

「初めて会った時もそう……無理しすぎ……」

「お、おう……」

「あのヘビもどきの時もそう……!!」


そう言うと、アイリスは俺の胸を何度も軽く叩いた。

強く殴るわけじゃない。

ただ、抑えきれない感情をぶつけるような、小さな拳だった。


「心配だったんだよ……?

怖かったんだよ……?」

「……」


何も言い返せない。

俺は普通の人間だ。

不死身でもなければ、特別な再生能力があるわけでもない。

だからこそ、いつ死んでもおかしくない。

そのことを、誰よりもアイリスは近くで見てきた。


「基地に着いたら、ユキさんとの修行で気絶。シルクさんとの戦闘でも気絶。クレナを仲間にしたと思ったら、今度は腕に大怪我……」


アイリスは一つひとつ思い返すように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「その次は、三か月も離れ離れ……。たぶん、私が見ていないところでも、何度も死にかけてる」

「……」


そう言って、アイリスは俺の身体へそっと手を伸ばした。

指先が、今も残る"再生できなかった傷"を優しくなぞる。


その手は震えていた。


否定なんて、できなかった。

特に、あの三か月の修行はそうだ。


狙った獲物は決して逃がさない紅嘉。

拳一つで地面にクレーターを穿つ水嘉。

盾を投げるだけで、大岩を四、五個まとめて粉砕する雷嘉。


あの三人との修行は、一歩間違えれば命を落としていても不思議ではない毎日だった。

それでも――。

そのくらいの地獄を乗り越えなければ、俺は強くなれない。


「でも……俺は、強くならなきゃ」

「わかってる!!」


アイリスの声が、静かな部屋に強く響いた。

肩を震わせ、その瞳からは大粒の涙が次々と零れ落ちる。


「元の世界に戻りたい。強くなりたい。復讐したい……」


涙を拭うこともなく、アイリスは真っすぐ俺を見つめた。


「全部分かる。分かってる……でも」


唇を強く噛み締める。


「ヨウイチ、傷が多すぎる……」


震える声で、ゆっくりと言葉を続ける。


「今日の戦いだってそう。あんなに傷だらけで、血だらけで……死にかけてる姿を見て」


一度言葉を切る。


「他の人が見たら、どう思うの?」

「……」


何も返せない。

アイリスは涙を流したまま、小さく俯く。


「私の……ヨウイチを守りたいっていう気持ちは……どうなるの?」


その一言が、胸の奥へ深く突き刺さる。

気が付けば、俺はそっと手を伸ばしていた。

アイリスの頬へ触れ、親指で流れ落ちる涙を優しく拭う。


「……ごめん」


ようやく絞り出せた言葉は、それだけだった。

アイリスは小さく首を振る。


「私が来なかったら……どうなってたの?」


震える声で問いかける。


「野垂れ死にしてたの?」


「……」


反論できなかった。

もし、あの時アイリスが来てくれなかったら――。

俺はきっと、あそこで死んでいた。


間違いなく。


その事実だけは、否定のしようがなかった。

気が付けば、俺はそっとアイリスを抱き寄せていた。

腕の中の小さな身体が、かすかに震えている。


すると、アイリスは俺の胸へ顔を埋め、小さく呟いた。


「……一人にしないで」


その一言が、胸の奥へ深く突き刺さる。

あぁ、俺はなんて馬鹿なんだろう。

こんなにも近くで、こんなにも強く俺を想ってくれる人がいる。


気づかないはずなんて、なかった。

ほぼ半年、一緒に過ごしてきた。


嬉しい時も、苦しい時も、命懸けの戦いも。

アイリスは、いつだって俺の傍にいてくれた。


離れ離れだった三か月ですら、俺のことを想い続けてくれていた。


それなのに――。


俺はずっと、気づかないふりをしていたんだ。


「アイリス……」

「聞きたくない……」


そう言って、アイリスは俺の胸へ顔を埋めたまま、小さく首を横に振る。

きっと、今の顔を見られたくないのだろう。


だけど――。


「聞いてくれ」

「やだ」


今度は、俺が自分の気持ちを伝える番だ。


「きーけって!!」

「やー!」


子どものような言い合いになってしまう。

それでも俺は、そっとアイリスの顔を上げた。

そこには、大粒の涙を流し、目を真っ赤に腫らしたアイリスがいた。


胸が締めつけられる。


俺は何も言わず、アイリスをベッドの真ん中へ座らせる。

そして、その紅く潤んだ瞳を、まっすぐ見つめた。


「その……まず、ちゃんと謝らせてくれ」

「……」

「ごめん」


俺は静かに頭を下げた。

アイリスは何も言わず、その姿をじっと見つめている。


しばらく沈黙が流れる。


やがて俺は顔を上げ、もう一度アイリスを見つめた。


「その上で……俺の気持ちを聞いてほしい」

「……!」


アイリスは小さく目を見開く。

俺は胸の奥に押し込め、自分でも気づかないふりをしてきた想いを、一つずつ言葉にしていく。


「俺は……弱いし、村人だし、何もできない」

「……うん」


そこは少しくらい否定してほしかった。

……でも、それは紛れもない事実だ。

だからアイリスは、嘘をつかなかった。


「だけど……俺は諦めたくないんだ」


一度息を吸い、胸の内をそのまま言葉にする。


「強くなることも、元の世界へ帰ることも……そして、復讐することも」


「……」


アイリスは何も言わず、ただ俺を見つめていた。


「でも、その全部にアイリスを巻き込んでいいのか……ずっと、それが引っかかってた」


俺はゆっくりと言葉を続ける。


「せっかく自由になれたのに、今度は俺なんかのせいで縛られるなんて……そんなのは嫌だった」


それが俺の本音だった。


俺の身勝手な行動。

俺の歪んだ考え方。

そして、復讐への執念。


そんなものに、純粋なアイリスを巻き込みたくはなかった。

どんな正体であろうと、俺にとってアイリスは、一人の少女でしかなかったから。


だけど――。


アイリスと過ごす時間は、少しずつ俺を変えていった。


いつもの食事。

何気ない毎日。

一緒に歩いた旅路。


そのすべてが、俺にとってかけがえのない時間になっていた。

気づけば、俺はいつもアイリスを目で追っていた。


そして、ようやく気づいたんだ。

俺の気持ちに。

だから、もう一度だけ、ちゃんと伝えさせてくれ。


「だから――」


俺はまっすぐアイリスを見つめる。


「俺は、一緒に……アイリスを、本当に"頼って"いいのか?」


その問いに、アイリスは目を大きく見開いた。

口元を両手で押さえ、小さく肩を震わせる。

溢れそうになる涙を堪えながら、震える声で答えた。


「……いい」

「……」

「いいに決まってる……」


涙が次々と頬を伝う。


「いいに決まってるよ……!!」


その言葉には、一切の迷いがなかった。

アイリスも、ずっと感じていたのだろう。

俺がどこか遠慮し、何でも一人で背負い込もうとしていたことを。

だからこそ、その返事は、まるで今まで胸に抱えていた想いを解き放つように、真っすぐ響いた。


「……そうか」


自然と笑みがこぼれる。

俺はそっとアイリスの手を取った。


「アイリス……」

「……」


俺は、そっとアイリスの手を握り返す。


「俺は、もう一人で戦わない」


その言葉に、アイリスは小さく息を呑んだ。


「だから――」


一歩、前へ進む。

それは、俺たち二人にとっても、新しい一歩だった。


「愛してる」

「……っ!!」


これが、俺の答えだ。

次の瞬間、アイリスは勢いよく俺へ飛びついてきた。


「うわっ!?」


そのまま二人そろってベッドへ倒れ込む。


「うん……うんっ……」


涙を零しながら何度も頷き、俺の手をぎゅっと握り返す。

指と指が絡み合う。

もう、離さないというように。


「私も……愛してる!」


すると、アイリスはゆっくりと顔を近づけてきた。

互いの視線が重なる。

紅い瞳が少しだけ揺れたあと、そっと唇を重ねる。


静かな時間が流れる。


やがて、名残惜しそうに唇が離れた。

至近距離で見つめ合うアイリスは、少し照れたように微笑んでいた。


そして……


「アタックアップ……」

「えっ?」


小さく呟いた、彼女のが力が強くなった。


「え、ちょ、アイリスさん!?」

「恋人になった記念」


クスリと笑い妖艶な顔をしたアイリスを見てドキッとしてしまった。


「あのー、今日はー・・・」

「問答無用」


どうやら、逃がしてくれないようだ。

待ってください、心の準備がまだ出来ていないんです!!

そう言って、シャツのボタンを一個ずつ外し、今度はとても濃い口づけした。


「あ、アッー!!!!」


アイリスはその一言を言って、俺達は永い夜を過ごすのだった。



良かったね、アイリス!



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