第35話 べたな展開というのは、どの話にでもでてくるものだの話。
なのだー!
俺たちは、月ノ城さんがフィルネル王国付近に現れるという情報を頼りに、サンクの運転する黒い車で現地へ向かうことになった。
運転席にはサンク、助手席にはアイリス。そして後部座席にはファノン、俺、クレナの順で座っている。
【千手】の効果で運転自体はできるようだったが、知識だけで実際の運転経験があるわけじゃない。安全を考え、ハンドルはサンクに任せることにした。
「おー! ごしゅじーん! 外を見るのだ! 速いのだ!」
窓の外を見ながら、ファノンが目を輝かせる。
「あー、はいはい。外に顔は出すなよ。危ないからな」
「へぇ、思っていたより乗り心地がいいのね」
クレナも興味深そうに車内を見回していた。
基地からフィルネル王国までは、車でもおよそ三日かかる距離だ。
一刻も早く向かいたい気持ちはある。
だが、焦っても仕方がない。
相手は月ノ城さんだ。
あの圧倒的な実力を、この目で見てきた。
だからこそ、移動中の時間さえ無駄にはできない。
休憩のたびに筋力トレーニングを行い、少しでもステータスを伸ばす。
わずかな鍛錬の積み重ねが、生死を分けることだってある。
そのため、移動中はサンクやアイリスたちにも稽古をつけてもらう予定だ。
そして――。
俺たちが道中で立ち寄る理由は、それだけではなかった。
「ウッ……ぷ……」
車を走らせて三十分後。
アイリスはすっかりグロッキー状態になっていた。
ぐったりと座席にもたれ掛かり、固く目を閉じている。
かと思えば、急に目を見開き、必死に口元を押さえる。
……すまないな、アイリス。
すると、後部座席のクレナが呆れたように声を掛けた。
「情けないわねぇ。まさかアイリスの弱点が、こんなにも身近にあるなんて」
「むしろ……貴方たちが平気なのが不思議……うっ」
「何言ってるのよ。武器状態の方が、もっと激しく振り回されるんだから。このくらい平気よ」
まぁ、クレナは普段から武器状態で俺に振り回されている。
そう考えれば、この程度の揺れに慣れているのも納得だった。
……このままでは、ヒロインがゲロインになってしまう。
俺は一旦、車を止めるようサンクへ頼んだ。
車が停まるや否や、アイリスは勢いよくドアを開け、そのまま森の奥へ駆け込んでいく。
サンクとクレナは苦笑いを浮かべる。
一方のファノンは、心配そうに車を降りようとした。
「ごしゅじん! アイリス、大丈夫なのだ?」
「待て、ファノン」
俺は慌てて肩を掴んで引き止める。
「どうしたのだ!? アイリスがすごい顔で飛び出していったのだ! ごしゅじん、一体どうしたのだー?」
「ファノンは気にしなくていい。これは、アイリスの未来……いや、尊厳を守るためでもあるんだ」
このまま追い掛ければ、アイリスの将来と尊厳が危ない。
「そ、そうなのだ?」
「ああ。だから、先に車へ戻ってなさい。いいね?」
これ以上説明するのは、アイリスの名誉に関わる。
ファノンは「ふーん」と小さく頷くと、不思議そうに首を傾げながらも、スキップで車へ戻っていった。
……というか、ファノンは車酔いしないのか。
さっきから後部座席ではしゃぎっぱなしだったし、こういう乗り物は案外平気らしい。
しばらくすると、アイリスが少しすっきりした表情で森の奥から戻ってきた。
だが――車を見た瞬間、その顔が再び青ざめる。
「ああ……」
思わず苦笑いが漏れる。
「我慢できなかったんだな……。」
「ヨウイチ……もう大丈夫」
「お、おう……」
そんなキリッとした顔で言われると、余計に吹き出しそうになる。
必死に込み上げる笑いを堪えながら、俺たちは再び車を走らせた。
――三十分後。
「ふぅ……!!ふぅ……!!」
「大丈夫か? 車を止めようか?」
「だ、大丈夫……うっ……」
案の定、アイリスは再びグロッキー状態になってしまった。
車に慣れるには、もう少し時間が掛かりそうだ。
しかし、この調子で三十分おきに車を止めていては、本来なら三日で到着できる距離も、さらに時間が掛かってしまう。
(……これは、酔い止めを作らないと駄目だな)
薬草の知識はあるが、酔い止めとなると専門外だ。
フィルネル王国へ着いたら、薬剤師向けの本でも探してみるか。
流石にアイリスも限界だったため、俺たちは再び車を止め、小休憩を取ることにした。
「アイリス。ここからは少し歩こう」
「はい……」
ようやく解放されたと言わんばかりの表情で車を降りる。
アイリスは大きく背伸びをすると、森の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
その時だった。
――ガサッ。
近くの茂みが揺れる。
反射的に振り返ると、そこには十匹ほどのゴブリンが、こちらをじっと見つめていた。
「キャシャッシャ!(うまそうな女と子供がいるぜ!)」
「キャシシ!(女は生かしておけ! 俺たちの子孫を残さなきゃならねぇからな!)」
「キャシシ!(かなりの上玉だぜぇ! ヒャッハー!!)」
何を言っているのかは分からない。
だが――。
ろくでもないことを考えているのだけは、本能的に理解できた。
口からはだらしなく涎を垂らし、いやらしい笑みを浮かべながら、俺たちを獲物を見るような目で見つめている。
「キャッシャアア!(かかれぇぇぇ!!)」
「「「キャッシャアアアアア!!!」」」
次の瞬間、ゴブリンたちは一斉にアイリスへ飛び掛かった。
まるで飢えた獣のような勢いだ。
……いや。
一匹だけ、どこかで見たような飛び込み方をしている奴がいた気がする。
うん、きっと気のせいだ。
ゴブリンたちは空中で棍棒を振り上げ、そのままアイリスへ叩きつけようとする。
――その時だった。
────パァン! パァン! パァンッ!!
乾いた発砲音が森へ響き渡る。
次の瞬間、先頭にいたゴブリンの頭部がザクロの中身のように弾け飛び、そのまま勢いよく後方へ吹き飛んだ。
身体だけが数歩よろめくように前へ進み、やがて力なく地面へ倒れ込み絶命する。
突然の出来事に、ゴブリンたちは一斉に動きを止めた。
「キャ、キャシシ!?(な、何事だ!?)」
「キャシシ! キャシシキャ!!(親方! あれです!!)」
一匹のゴブリンが震える手で一点を指差す。
その先には、銃口から白い煙を立ち上らせた拳銃を構える俺の姿があった。
鼻をつく火薬の臭いが、静かな森へゆっくりと広がっていく。
さっきまで生きていた仲間が、一瞬で命を落とした。
その原因が、俺の手に握られた見慣れない武器であることを、ゴブリンたちは本能で理解したのだろう。
「キャ、キャシィ……!」
顔から余裕が消え失せる。
次に自分たちが撃たれる――。
その恐怖に耐えきれなくなったゴブリンたちは、一斉に背を向けて逃げ出した。
だが、俺はそれを許さなかった。
仲間へ牙を剥く者は、容赦なく排除する。
そう決めたんだ。
「アイリスに……手を出そうとしたな?」
「キャ、キャシィ!?(ひぃぃっ!?)」
「そうだよな……今、アイリスに手を出そうとしたよなァ?」
俺は【収納・EX】から手榴弾を取り出す。
安全ピンを引き抜き、【石投げ】を使って、そのまま逃げ惑うゴブリンたちの中心へ投げ込んだ。
───ドォォォォォン!!
轟音が森中へ響き渡る。
凄まじい爆風が周囲の木々を揺らし、ゴブリンたちは爆炎に飲み込まれた。
断末魔の悲鳴は爆発音にかき消され、その姿は跡形もなく吹き飛ぶ。
やがて静寂が戻る頃には、腐臭だけが辺り一帯に漂っていた。
思わず鼻を押さえる。
「……やっぱり臭ぇな」
俺は吐き捨てるように呟くと、拳銃をホルスターへ戻した。
そのままアイリスのもとへ歩み寄り、怪我がないかを確認した。
「ヨウイチ、ありがとう」
「ああ。……あまり一人で離れ過ぎるなよ」
「うん」
アイリスは頷くと、俺の服の裾を小さく引っ張った。
普段なら、あの程度のゴブリンなど相手にもならない。
だが、今回は車酔いでかなり消耗していた。
だからこそ、万が一があってはいけなかった。
そう考えていると、不意に周囲が騒がしくなる。
「うぅ……臭いのだぁ!」
「おえぇ……。ゴブリンって、こんなに臭いのね……。一体、何を食べたらこんな臭いになるの!?」
「ははは……そうですね」
クレナとファノンは顔をしかめると、一目散に車へ駆け込み、慌てて窓を閉めた。
俺はアイリスへ視線を向ける。
「アイリス。死体を燃やしておいてくれ」
「わかった」
この世界では、死体をそのまま放置するのは危険だ。
周囲に漂う魔素の影響で、死体がアンデッドとして蘇ることがあるらしい。
遠征中は、その後始末を月ノ城さんがほとんど一人で引き受けていた。
……今思えば、本当に大変だったんだな。
アイリスは静かに詠唱すると、炎がゴブリンの亡骸を包み込む。
やがて腐臭ごと焼き尽くし、辺りには灰だけが残った。
改めて思う。
この拳銃は、ほとんど魔力を使わずに、あれほどの威力を発揮する。
魔力量の少ない俺にとって、これほど心強い武器はない。
死体の処理を終えた俺たちは、再び車を走らせるのだった。
────数日後
「うーん、車も良いけど、やっぱり外の空気が一番なのだー!」
「……う……」
ガクッ。
「ちょっと、アイリス!? 本当に真っ白に燃え尽きてるんだけど!!」
ようやくフィルネル王国が見えてきた。
流石に見慣れない車で王国へ乗り込めば、無用な警戒を招くだろう。
俺たちは車を収納し、ここからは徒歩で向かうことにした。
……そして、クレナが言っていた通りだった。
アイリスはすっかり真っ白に燃え尽きている。
「やれやれ……」
俺は小さくため息をつくと、アイリスへ背中を向けてしゃがみ込んだ。
「ほら、乗れ」
「えっ……」
「このまま歩かせる方が心配だからな」
そう言うと、アイリスは少しだけ照れくさそうに微笑み、遠慮がちに俺の背中へ身を預ける。
「……ありがとう」
「いいんだよ。普段は俺の方が助けられてるんだから、このくらい気にするな」
「……ふふ。ヨウイチは優しいね」
アイリスは小さな手で、ぎゅっと俺の肩を掴んだ。
その温もりを背中に感じながら歩き出そうとした、その時。
後ろでクレナとファノンが何やら騒ぎ始めた。
「キーッ!! 羨ましい!! 私も酔ってきたから、おんぶしなさい!」
「おんぶ、羨ましいのだ! ファノンもおんぶしてほしいのだ!」
「クレナ! お前、ついさっき『酔わない体質』って言ってただろ!? ファノンも無茶を言うんじゃありません!」
二人は不満そうに頬をぷくっと膨らませる。
「その顔をしても駄目です。……って、おい、ファノン!? 何でそこで竜化しようとしてるんだ!? 落ち着け、落ち着けって!!」
「むぅ~!」
クレナとファノンが、ああでもない、こうでもないと騒ぎ立てる。
そんな中――。
「……役得。ぶいっ」
アイリスは俺の背中の上で、小さくピースサインを作りながら、得意げに笑っていた。
……そのどや顔はやめなさい、アイリス。
色々と悪化する。
「皆さん、置いていきますよー!」
気が付けば、サンクはすでに少し先まで歩いていた。
呆れたようにこちらを振り返りながら、大きく手を振っている。
「やべっ!」
俺は慌ててアイリスを背負ったまま駆け出し、サンクの後を追い掛けた。
しばらく歩き続けると、フィルネル王国の城門が見えてきた。
俺は深くフードを被り、顔を隠す。
この国には、"あいつ"がいる。
いつ、どこで鉢合わせてもおかしくない。
今の俺は、まだ姿を見せるわけにはいかなかった。
先頭を歩くサンクが、そのまま門番の前まで進み出る。
「止まれ。通行証、もしくは冒険者カードを提示してくれ」
「分かりました」
サンクは落ち着いた様子で一枚のカードを取り出し、門番へ差し出した。
門番はカードをじっくり確認すると、小さく頷く。
「……よし、通れ」
こうして、俺たちは無事にフィルネル王国へ入国することができた。
城門をくぐった瞬間、通りのあちこちから活気に満ちた声が聞こえてくる。
露店には多くの人が集まり、子どもたちは楽しそうに駆け回っている。
相変わらず、平和で賑やかな国だった。
……だからこそ、胸が痛む。
本当なら、会いたい仲間がいる。
けれど、今はまだ会えない。
正体を明かすわけにはいかない以上、その想いを押し殺し、我慢するしかなかった。
「……ヨウイチ?」
不意に、小さな声が聞こえた。
振り向くと、アイリスが心配そうな瞳で俺を見上げている。
「どうした?」
「ううん……」
アイリスは首を横に振った。
「何だか、すごく寂しそうな顔をしてたから……」
その言葉に、思わず苦笑しそうになる。
そんな顔をしていたつもりはなかった。
「大丈夫だよ」
そう言って、アイリスの頭をぽんと優しく撫でる。
「今はやるべきことをやるだけだ」
「……うん」
アイリスは安心したように小さく微笑み、静かに俺の隣へ並んで歩き出した。
「さて、これからどうする?」
俺が尋ねると、サンクは周囲を一度見回してから静かに口を開く。
「ここからは別行動にしましょう。何かあれば、この通信機ですぐに連絡できます」
そう言って、小型の通信機を軽く持ち上げる。
「それに、私の能力は一人で行動した方が真価を発揮します。できれば単独で動きたいんです」
「わかった。何かあったら、すぐに連絡するよ」
「ええ。そちらも目立たないように気を付けてください」
「任せろ。俺もできるだけ人目は避ける」
互いの通信機に異常がないことを確認すると、俺たちはサンクと別れることになった。
「では、また後ほど」
サンクは軽く手を振ると、人混みへ溶け込むように歩き去っていく。
その姿はあっという間に雑踏へ紛れ、気付けば完全に見えなくなっていた。
「気配を消すのが上手いな……」
そう呟いた、その時だった。
くいっ。
誰かが俺の服の裾を小さく引っ張る。
振り返ると、そこにはファノンがじっと俺を見上げていた。
「どうした?」
「ごしゅじん! あれ食べたいのだ!!」
ファノンは目をきらきらと輝かせ、涎を垂らしそうな勢いで一点を指差した。
今日は太陽が眩しいせいだろうか。
……いや、あれは間違いなく食べ物を前にした目の輝きだ。
何を見つけたのかと思って振り向くと、そこには香ばしい匂いを漂わせる屋台が並んでいた。
「……なるほど」
さっきみたいに騒がれても困る。
俺は素直に三人分買っておくことにした。
「おやじ、串焼きを三本くれ」
「あいよ! 銀貨九枚だ」
俺は袋から銀貨を取り出し、店主へ手渡す。
「毎度あり!」
焼きたての串焼きを受け取ると、そのままアイリス、クレナ、ファノンへ一本ずつ渡した。
「わぁーいなのだ!」
「ふふ、いただきます」
「……悪くないわね」
三人は嬉しそうに串焼きを頬張る。
……よし。
これでしばらくは大人しくしてくれるだろう。
「あれ? ご主人様の分は?」
「ああ。俺はそこまで腹が減ってないんだ」
「そう? じゃあ、遠慮なくいただくわね」
そう言うと、クレナはファノンとアイリスのところへ駆け寄り、三人で仲良く串焼きを頬張り始めた。
三人が大人しく食べている間に、俺は頭の中を整理する。
(さて……ここからどうやって情報を集めるか)
まず調べるべきことは二つ。
一つは、月ノ城さんの手掛かり。
もう一つは、フィルネル王国周辺で最近起きた異変だ。
月ノ城さんは、この付近に現れているという情報がある。
何か目撃情報でもあれば、大きな手掛かりになるかもしれない。
(とはいえ、むやみに聞き回るのは怪しまれるな……)
だったら、まずは情報が集まりやすい場所へ行くべきだ。
俺は定番とも言える酒場へ向かうことにした。
屋台の店主へ近付き、小さく声を掛ける。
「おやじ。この辺に酒場はあるか?」
そう言って、情報料代わりに金貨を一枚差し出す。
店主は目を丸くしたが、すぐに金貨を受け取ると、小さく笑った。
「おっ、気前がいいねぇ」
そう言うと、店主は通りの奥を指差す。
「この道を真っすぐ行けば酒場があるさ。……ああ、でもな」
店主は周囲をちらりと見回すと、俺へ顔を近づけ、小声で続けた。
「だがな。酒場と一口に言っても色々ある。情報を集めるなら、こことは反対側にある酒場へ行きな」
店主は親指で別の通りを指し示した。
「そっちの方が、面白い話も集まりやすいさ」
「……俺が情報を集めてるって、よく分かったな」
「なぁに」
店主は肩をすくめる。
「金貨を一枚も出してくるってことは、それなりの理由があるってことだ。それに仕事柄、いろんな客を見てきた。お前さんみたいな奴は、大体何かを嗅ぎ回ってるもんさ」
随分と勘の鋭い店主だ。
それに、妙に得意げな顔をしているのが少し腹立たしい。
……まぁ、事実だから反論はできない。
すると店主は「ふっ」と笑い、小さく手を振った。
「金貨も貰ったし、誰にも喋りゃしねぇよ。さあ、行った行った」
「助かった」
軽く礼を言うと、俺たちは店主に教えられた酒場へ向かうことにした。
歩くこと十分。
「……ここか?」
目の前には、一軒の酒場が建っていた。
看板には、大きな文字でこう書かれている。
『怪しくない酒場』
……。
…………。
いや、嘘つけ。
建物全体は黒い外壁で覆われ、窓には黒いカーテン。
入口からして近寄り難い雰囲気を放っている。
どう見ても、この街で一番怪しい建物だった。
「怪しいのだー!」
「何かプンプン臭うわね。主に怪しさが」
「……うん。周りは普通の明るい建物ばかりなのに、ここだけ凄く目立ってる」
「シーッ……」
俺は人差し指を口元へ当て、三人を静かにさせる。
そのまま扉を開け、酒場の中へ足を踏み入れた。
ギィィ……。
古びた扉が軋む音と同時に、店内にいた男たちの視線が一斉にこちらへ向く。
どの顔も柄が悪く、一目で堅気ではないと分かる。
……うん。
実にベタな展開だ。
そんな視線を気にすることなく、俺はそのままカウンター席へ腰を下ろした。
カウンターの向こうでは、オールバックの黒髪にバーテンダー服を着た男性が、静かにグラスを磨いている。
おそらく、この店のマスターなのだろう。
男は手を止めることなく、落ち着いた声で口を開いた。
「すまないね。うちは酒場だ。酒しか置いてないから、子どもには出せないよ」
「いや、今日は酒を飲みに来たわけじゃない。少し聞きたいことがあってな」
そう言って、俺はカウンターへ金貨を五枚並べた。
欲しい情報があるなら、それに見合う対価を払う。
それが情報屋の世界の礼儀だ。
マスターは金貨を一瞥すると、静かに懐へしまい込んだ。
「……それで、何をお聞きになりたいのでしょう?」
「黒いフードを被った人物を見かけなかったか?」
俺は胸ポケットから一枚の写真を取り出し、マスターへ差し出す。
マスターは写真を手に取ると、しばらく黙って見つめていた。
やがて、静かに口を開く。
「ふむ……。ちなみに、この写真はいつ頃のものでしょう?」
「三か月前だ」
「三か月前、ですか……」
マスターは一度目を閉じ、何かを思い出すように考え込む。
「残念ながら、この人物を直接見たことはありません」
その一言に、少し肩の力が抜ける。
……だが、マスターはすぐに言葉を続けた。
「ですが――心当たりならあります」
「……本当か?」
どうやら、マスターには三か月前の出来事について心当たりがあるらしい。
すると、彼は静かにカウンターの下へ手を伸ばし、一つの箱を取り出した。
ゆっくりと蓋が開く。
その中に収められていたのは、黒く禍々しい石だった。
石は淡い黒い光を放ち、まるで生きているかのように脈打っている。
「……っ」
俺は思わず息を呑む。
どこかで見たことがある。
そう思うのに、肝心の記憶だけが霧に包まれたように思い出せない。
だが、一つだけ確信できることがあった。
――これは、普通の石じゃない。
「ヨウイチ……」
気付けば、オレンジジュースを飲んでいたアイリスの表情が強張っていた。
「この石……すごく嫌な感じがする」
「ごしゅじん……ファノンも、この石は危ない感じがするのだ」
二人は本能的に危険を察したのか、自然と身構えている。
一方、クレナは眉間に皺を寄せたまま、一言も発しない。
ただ黙って、その黒い石を見つめ続けていた。
……こんな見るからに危険な代物を、どうしてマスターが持っているんだ?
「……これは、一体どこで手に入れたんだ?」
「実は、この三か月の間、この国では魔物の襲撃が急激に増えているのですよ」
マスターは黒い石を見つめながら、静かに続ける。
「そのたびに勇者様たちが撃退してくださっているのですが、一度だけ、この店にも魔物が押し寄せてきましてね」
「この店に?」
「ええ。取りあえず撃退したのですが、その魔物の亡骸から、この石が見つかったのです」
「……なるほど」
というか、このマスター、普通に戦えるのか……。
そんなことを考えていると、マスターは不思議そうに首を傾げた。
「何故、この石をあなたに見せたのか……分かりませんか?」
「……いや」
するとマスターは、俺が差し出した写真へ視線を移し、黒いフードを指差した。
「この人物から漂う雰囲気と、この石……似ていると思いませんか?」
「……!」
その言葉を聞いた瞬間、全身に鳥肌が立つ。
写真越しでは気付かなかった。
だが、改めて見比べると分かる。
あの時、映像越しに見た月ノ城さんが纏っていた、あの禍々しい気配。
目の前の黒い石から漂う気配は、それと酷似していた。
「もし、この方が魔物を生み出しているのであれば、その魔物の痕跡を辿れば、居場所を突き止められるかもしれません」
「……なるほど。ありがとう、マスター」
「いえいえ。お役に立てたのなら何よりです」
礼を言って席を立ち、アイリスたちの方へ視線を向ける。
すると――。
「おいおい! ねーちゃん! 俺たちと一緒に良いことしようZE!!」
「悪いようにはしねぇからYO!!」
厳つい男たちが、アイリスへ絡んでいた。
「……」
アイリスは困ったように俺の方を見る。
「ヨウイチ……どうする?」
……またか。
いや、何なんだ!このベタな展開!?。
異世界へ来てからというもの、こういう連中に遭遇するのは何度目だ!?
そろそろテンプレートにも限度ってものがあるだろ。
俺は小さくため息をつく。
「面倒事は勘弁してほしいんだけどな……」
そう呟くと、俺はアイリスの手をそっと掴んだ。
「行くぞ。クレナもファノンも、こんな連中に構う必要はない」
「うん……!」
俺たちがそのまま立ち去ろうとした、その時だった。
ガシッ。
男の一人が俺の肩を乱暴に掴む。
……ああ、本当に勘弁してほしい。
「おいおい、兄ちゃんよぉ。それはないZE。今、いいところだったんだが?」
「そうだYO! 俺たちを誰だと思ってやがる!」
「いや、知らないけど……」
思わず本音が口から漏れた。
……というか、何なんだこの展開。
異世界へ来てから何度目だ?
なんなんだ、次から次へと続くテンプレみたいなチンピライベントは。
もう少し捻りってものはないのか。
俺が心の中でそんなことを考えていると――。
ガタンッ。
ガタン、ガタンッ。
店内にいた男たちが次々と立ち上がる。
それぞれが剣や斧、棍棒を抜き放ち、今にも飛び掛かってきそうな勢いで俺たちを取り囲んだ。
「ヨウイチ?」
アイリスは俺を見上げる。
その瞳は、まるで――。
「こいつら、殺す?」
そう言いたげだった。
俺は大きくため息をつく。
「……殺しちゃ駄目だからな?」
「……分かった」
何でそこで少し残念そうな顔をするんだ……。
俺は面倒事を起こしたくないんだ。
ここで騒ぎを大きくすれば、騎士たちが駆け付けてくる。
そんな事態だけは避けたかった。
「くそっ! 舐めやがって!! 野郎、ぶっ殺しゃあああああああ!!」
男の一人がナイフを振り上げ、一直線に俺へ飛び掛かってくる。
だが、その前へアイリスが静かに一歩踏み出した。
男の突き出した腕を掴む。
そのまま勢いを利用し――。
綺麗な背負い投げが決まった。
ドゴォンッ!!
木製の床は衝撃に耐え切れず、大きく砕け散る。
男は床へめり込むように埋まり、そのまま白目を剥いて動かなくなった。
「……」
「……」
「……いや」
俺は埋まった男を見下ろし、小さく首を傾げる。
「本当に死んでないよな、これ?」
「あ、兄貴ぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「……悪いな、マスター。これで勘弁してくれ」
流石に床へ大穴を開けたままというわけにもいかない。
俺は【収納】から金貨の入った袋を取り出し、カウンターへ放り投げた。
チャリン、と心地よい音を立てながら袋が滑っていく。
……うん。
こういう時に修理代を払うのも、何だかベタな展開だよな。
マスターは袋の中をちらりと確認すると、こちらへ向かって親指を立てた。
どうやら修理代としては十分らしい。
「よし。マスターの許可も貰ったことだし……店だけは壊さないように相手するか」
そして――。
ここからは、一方的な蹂躙だった。
クレナは欠伸をしながら、男たちの服だけを器用に斬り裂いていく。
「お、おい! 服だけ切れてるぞ!?」
「何だこの女ぁ!?」
一方のファノンは完全に遊び気分だ。
「えーいなのだ!」
アイリスはまるで汚いものでも見るかのような冷めた視線を男へ向ける。
次の瞬間――。
「はぁっ!」
鋭い上段蹴りが男の顎を正確に捉えた。
ゴッ!!
男はそのまま白目を剥き、力なく倒れ込む。
……一撃で気絶か。
というか、魔法は使わないんだな。
いや、「殺すな」って言ったのは俺だけど……。
蹴りを放った勢いで、俺は反射的に視線を少し逸らした。
その仕草に気付いたのか、アイリスは俺の方をちらりと見て、口元に小さな笑みを浮かべる。
「……ふふ」
どこか得意げなその表情に、思わず肩をすくめた。
……後で絶対いじられる気がする。
男たちは次々と壁へ叩きつけられ、悲鳴を上げる。
俺も適当に拳を一発ずつ叩き込み、全員まとめて気絶させていく。
最後に【収納】からロープを取り出し、男たちを一人残らず縛り上げた。
「全く……面倒事に巻き込みやがって。マスター、申し訳ない」
「いえいえ。実は最近、この人たちに店を荒らされて困っていたんですよ。私一人では、どうにもできなくて」
……よく言う。
俺はさっきから、こっそり【解析】を発動していた。
【ミハエル=バートン】
職業:不明 LV180
HP:不明
MP:不明
SP:不明
スキル:不明
パッシブ:不明
「……」
レベルと名前以外、全部『不明』だと?
探求の千里眼でも見抜けない。
ということは、この人は俺のスキル以上の隠蔽能力か、それに類する上位スキルを持っているということになる。
……少なくとも、敵には回したくない相手だ。
俺は心の中で、そう結論付けた。
後から聞いた話だが、こいつらはこの辺りを荒らし回っていた盗賊団だったらしい。




