第32話 やはり報告の後は奪還作戦だよなの話
改稿済
あれから一ヶ月。
修業を始めて、丁度三ヶ月が経った。
「くああああ! 疲れたあああ!」
「これで終わりですね」
「終わった……本当に終わった……」
思わず笑いがこぼれる。
「黒杉さん、三ヶ月前に比べると随分強くなりました」
「そう言ってもらえると嬉しいですけど……俺からしたら、まだまだ雷嘉さんには一発もまともに入らなかったですよ」
「それでも、最初とは見違えるほどです」
雷嘉さんは静かにそう言う。
その穏やかな一言が、三ヶ月の努力を認めてもらえたようで、少しだけ胸が熱くなった。
全身の力が抜け、俺はその場に大の字になって倒れ込む。
隣では雷嘉さんが息一つ乱さず、静かに剣を鞘へ納めていた。
舞い上がった土埃がゆっくりと舞い落ち、服へ積もっていく。
仰向けのまま見上げた先には、どこまでも澄み渡る青空が広がっていた。
ここが地下施設だと知っているのに、不思議と本物の空を眺めているような気分になる。
改めて周囲へ視線を向ける。
空だけじゃない。
風は一定の強さで吹き、木々は自然に揺れている。
鳥の鳴き声まで聞こえ、水の流れる音さえある。
五感で感じる限り、この空間に違和感は見当たらない。
もし知らずに連れて来られたら、ここが地下だと見抜ける人間はほとんどいないだろう。
この基地は、外の世界とは比べ物にならないほど技術が発達している。
人工の空も、自然そのものの森も、生活設備も──まるで別世界だ。
しかも、ただ再現しているだけじゃない。
気温も湿度も一定に保たれ、長時間いても息苦しさを感じない。
恐らく空気の循環設備まで備わっている。
……一体、どれだけの技術が詰め込まれているんだ。
これも全部、ハグレさんが造ったのだろうか。
もしそうなら、あの人はもう人間というより……神様に近い存在なのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えながら青空を眺めていると、自然と一人の少女の姿が脳裏に浮かんだ。
銀色の髪を揺らし、いつも優しく微笑んでくれる少女。
「……元気にしてるかな、アイリス」
思わず、その言葉が口をついて出た。
この三ヶ月、クレナとファノンが毎日のように騒いでいたおかげで、不思議と寂しさを感じる暇はなかった。
それでも──あと少しで、三ヶ月ぶりにアイリスと会える。
そう思うだけで、自然と頬が緩んだ。
俺は足元の土をそっと握りしめる。
……強くなれただろうか。
今度こそ、アイリスを守れるだろうか。
あの日の俺は、あまりにも無力だった。
最弱職業《村人》のくせに、ほんの少しステータスが上がっただけで、自分は強くなったと勘違いしていた。
新しいスキルを手に入れただけで、実力まで変わったような気になっていた。
だけど現実は違った。
結局、俺は何一つ守れなかった。
その事実が、今でも胸に深く突き刺さっている。
だからこそ、もう二度と同じ後悔はしたくない。
一樹や美空、佐野は元気にしているだろうか。
いつか再会できたら、アイリスも連れて、みんなでどこかへ遊びに行きたい。
そんな何気ない未来を思い浮かべ、自然と笑みがこぼれる。
――だが、その笑顔は長くは続かなかった。
脳裏に浮かんだのは、最後に見た板野の不気味な笑みだった。
今思えば、あの時から何かがおかしかった。
道中でも、あいつはずっと誰かを値踏みするように、こちらの様子を窺っていた。
……一樹と美空が危険な目に遭っていなければいいんだが。
胸の奥に、小さな胸騒ぎが広がる。
それでも俺は、一樹と美空なら大丈夫だと、自分に言い聞かせるように信じた。
次々と過去の出来事が頭をよぎる。
クラスメイトに命を狙われたこと。
奈落の底で必死に生き延びたこと。
そして、あの洞窟でアイリスを危険な目に遭わせてしまったこと。
……今度こそ、守れるだろうか。
思い出すたびに、後悔、悔しさ、不安、そして決意が胸の中で渦を巻いていく。
「黒杉さん」
不意に、雷嘉さんが静かに口を開いた。
「……はい?」
「ちゃんと、強くなっていますよ」
その一言だけだった。
なのに、不思議と胸の中の重さが少しだけ軽くなる。
「あなたは、自分が思っている以上に前へ進んでいます」
俺は思わず苦笑した。
「……雷嘉さんって、疾嘉さんといい、人の心でも読めるんですか?」
「ふふっ」
雷嘉さんは小さく笑う。
「読めませんよ。ただ――」
一度言葉を区切り、優しく続けた。
「ずっと、あなたを見ていましたから」
その言葉に、思わず目を丸くする。
三ヶ月。
誰よりも近くで修業をつけてくれた人だからこそ、言える言葉だった。
「……ありがとうございます」
自然と頭が下がる。
雷嘉さんは照れたように小さく笑う。
しばらく考え込んでいると、不意に視界が陰った。
「……ん?」
顔を上げると、しゃがみ込んだ雷嘉さんが、心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
……しまった。
この角度は、見てはいけないものが見えてしまう。
俺は慌てて目を閉じる。
「黒杉さん?」
不思議そうな声が聞こえ、恐る恐る目を開けると、雷嘉さんの顔がすぐ目の前にあった。
「うわっ!?」
思わず飛び起きる。
そんな俺の反応に、雷嘉さんは小さく笑みを浮かべた。
「黒杉さん、本当にお疲れ様です。三ヶ月間、本当によく耐えましたね。最後まで修業に付き合ってくださり、ありがとうございました」
そう言って雷嘉さんは立ち上がり、俺へ手を差し出す。
俺はその手を握り返し、ゆっくりと立ち上がった。
服についた土埃を軽く払い、ぐっと背筋を伸ばす。
「お、終わったぁー!」
俺たちは、脳筋三姉妹との修業を終えた。
しばらくすると、クレナとファノンが戻ってきて、その後ろから紅嘉と水嘉も姿を見せる。
気が付けば四人はすっかり打ち解けており、修業終わりだというのに元気いっぱいにはしゃいでいた。
「……元気だな、あいつら」
雷嘉さんですら額にうっすら汗を浮かべているというのに。
やっぱり子供の体力って無限なんじゃないだろうか。
そんなことを考えていると、案の定というべきか、四人が騒ぎ始めた。
「ふふーん! メス妖怪はまだまだ甘いな!」
「だから! あたしはファノンって名前があるのだ!!」
「メス妖怪!」
「ファノンなのだー!!」
二人が睨み合うと、それを見た紅嘉がニヤリと笑う。
「いいぞいいぞ! もっとやれー!」
「ふえぇぇ……また始まりましたぁ……」
水嘉はおろおろと二人を見比べるだけで、止めに入る勇気はない。
だが紅嘉に背中を押された水嘉が、二人の間へ押し出される。
「わわっ!?」
「どけなのだ!」
「邪魔よ!」
「ふえぇぇぇぇぇ!?」
右からファノン、左からクレナ。
挟まれた水嘉だけが慌てふためいている。
紅嘉は腹を抱えて笑っていた。
「ははははっ! 水嘉ぁ、頑張れー!」
「た、助けてくださぁい!」
……。三ヶ月経っても、この構図だけは変わらなかった。
周りにまたクレーターができる前に何とかしなければ……。
苦笑しながら皆の所へ向かい声を掛ける。
「おーい、お前ら。相変わらず仲が良いな」
「「良くない!!」」
「もっとやろうぜ!」
「ふえぇぇぇ……違いますぅ」
やっぱり、息ぴったりじゃないか。
息ぴったりじゃないか。
俺は苦笑しながら肩をすくめる。
どうせ放っておいても、そのうち勝手に仲直りする。
三ヶ月一緒に過ごした今なら、それくらいは分かるようになっていた。
とりあえず、俺たちは森を後にすることにした。
訓練場の扉を開くと、見慣れた基地の光景が目の前に広がる。
三ヶ月ぶりに戻ってきたというのに、不思議と「帰ってきた」という安心感があった。
「では、お疲れ様でした」
「じゃあなぁ! 楽しかったぜ!」
「ふえぇ」
……水嘉さん、それは挨拶なのか?
俺は首を傾げながらも三人と別れ、自分の部屋へ向かって歩き出した。
クレナとファノンを連れ、基地の廊下を歩く。
久しぶりに見る景色はどこか懐かしく、それでいて少しだけ新鮮に感じられた。
その時だった。
「ヨウイチ!」
聞き覚えのある、優しく澄んだ声が背中に届く。
まさか――。
胸が高鳴る。
俺は勢いよく振り返った。
間違いない。
そこには、銀色の髪を揺らしながら、嬉しそうに微笑むアイリスが立っていた。
「アイリス……!」
思わず、その名前を呼んでいた。
俺の声に気付いたアイリスが、ぱっと振り返る。
その瞬間、花が咲いたように表情が明るくなった。
「ヨウイチ……!」
次の瞬間には、小走りだった足が駆け足へと変わっていた。
「久しぶり!」
「ああ、久しぶりだな、アイリス。元気にしてたか? あの腹黒に変なことされてないか?」
「うん。疾嘉さんは……優しい人。大丈夫だよ」
「ちょっと待てなの」
疾嘉さんの抗議は、誰にも届かなかった。
アイリスはそのまま勢いよく俺へ飛び込み、ぎゅっと抱きしめてくる。
「……!」
三ヶ月ぶりに感じる、人の温もり。
ずっと会いたかった、大切な仲間の体温だった。
自然と肩の力が抜ける。
俺は優しく微笑みながら、そのままアイリスの頭をそっと撫でた。
その時だった。
「コホン」
わざとらしい咳払いが聞こえる。
俺たちが同時に顔を上げると、いつの間にか疾嘉さんが腕を組み、じーっとこちらを見つめていた。
「イチャイチャするのは別に構わないなの。でも、それは部屋に戻ってからお願いするなの。あと、腹黒は余計なの。純粋無垢なの」
堂々と言い切る。
「いや、その自己申告は無理があるだろ……」
思わず小声で突っ込む。
疾嘉さんは聞こえなかったふりをして、そのまま俺の前まで歩いてきた。
「改めて、お疲れ様なの。ちゃんと生きて帰ってきたんですね」
「『ちゃんと生きてた』って何だよ……。俺、死ぬ前提だったのか?」
「はい」
即答だった。
「即答するな!」
やっぱりこの人、絶対性格悪い。
三ヶ月ぶりに会ったというのに、安心するより先に毒を吐いてくるとは。
……俺、そんなに嫌われるようなことしたっけな。
「ごしゅじーん、おなかすいたのだー!」
「お前……さっき食べたばかりだろ。しかも、一人で五人前も食べたのに、まだ足りないのか?」
「だって、おなかすいたのだ!」
元気よく胸を張るファノン。
……何を誇らしげに言ってるんだ。
俺が呆れていると、隣のアイリスがファノンへ視線を向けた。
そして、ゆっくりと俺を見る。
「……ヨウイチ」
「ん?」
「その子は……誰なんですか?」
にこりと笑っている。
……なのに、何故だろう。
背筋がぞくっとした。
「い、いや、そんな怖い顔しなくても……」
「私、笑ってるよ?」
「笑ってるのが怖いんだって!」
思わず本音が漏れる。
アイリスは首を小さく傾げながら、もう一度尋ねた。
「それで……その子は?」
「ああ、こいつは新しく仲間になった鵺のファノンだ」
「ぬ、鵺……ですか?」
アイリスは目を丸くする。
どうやら予想外だったらしい。
するとファノンは胸を張り、アイリスの前へぴょこんと飛び出した。
「ファノンなのだ! よろしくなのだ!」
「えっと……私はアイリスです。よろしくね、ファノンちゃん」
二人は顔を見合わせ、小さく笑い合った。
……よかった。
仲良くなれそうだ。
そう安心したのも束の間――。
「ごしゅじん!」
「ん?」
ファノンが俺の腕にぎゅっと抱き付く。
「おなかすいたのだ!」
「結局そこか!」
「わたしも! わたしも!」
「クレナ、お前までかよ!」
途端に俺の周りが騒がしくなる。
そんな賑やかな光景を、少し離れた場所からアイリスがくすくすと笑いながら見つめていた。
「ヨウイチ……私も、久しぶりに食べたい」
少し遠慮がちにそう言う。
「……しゃあないな」
そう答えると、アイリスは嬉しそうに微笑んだ。
「なんでー!? アイリスには甘すぎじゃない!!」
「あまいのだー!!!」
「うるせぇ、うるせぇ!」
思わず声を張り上げる。
「お前たちは、この三ヶ月毎日のように食ってただろうが! そのおかげで料理系スキルが全部EXになったんだぞ!? 毎日五十人前作る俺の身にもなってくれ!」
二人は「えへへー」と悪びれる様子もない。
……そういえば。
アイリスも、結構な大食いだったな。
「……今日は六十人前か」
思わず空を仰いだ。
しばらくして、軽く腹ごしらえをすることになった。
手慣れた様子で料理を作りながら、俺はアイリスに、この三ヶ月であった出来事を話して聞かせる。
クレナとのこと。
ファノンとの出会い。
新しく覚えたスキルや、脳筋三姉妹との地獄のような修業。
アイリスは楽しそうに耳を傾けながら、ときどき驚いたように目を丸くしていた。
そして料理の話になると、ぱっと表情が明るくなる。
「ヨウイチ……料理、すごく上手になったんだね……!」
瞳をきらきらと輝かせながら言うアイリスを見て、思わず笑みがこぼれる。
……うん。
やっぱり、いつものアイリスだ。
さっきまでの少し不機嫌そうな様子など、もうどこにもなかった。
その時だった。
「あれ……?」
気付けば、さっきまで一緒にいた疾嘉さんの姿が見えない。
辺りを見渡すと、廊下の奥で軌光石を手に、誰かと連絡を取っていた。
その表情は、今まで見たことがないほど険しい。
胸の奥がざわつく。
通話を終えた疾嘉さんは足早にこちらへ戻ってくると、真剣な表情のまま口を開いた。
「……緊急事態なの」
その一言で、場の空気が一変する。
「三人が戻ってきた……なの」
「緊急事態……?」
俺が首を傾げる間もなく、疾嘉さんは踵を返し、勢いよく駆け出した。
「皆、来るなの!」
その声には、いつもの余裕がなかった。
俺たちは顔を見合わせると、すぐに疾嘉さんの後を追う。
基地の廊下を全力で駆け抜ける。
普段は何が起きても表情一つ変えない疾嘉さんが、ここまで取り乱す姿は初めてだった。
嫌な予感が胸を締め付ける。
何か、とんでもないことが起きた。
そう直感した。
しばらく走ると、前方に人だかりが見えた。
「どいてください!」
疾嘉さんの声に、人々が慌てて道を開ける。
その先に広がっていた光景を見た瞬間、俺は息を呑んだ。
そこにはセヌーアさんが膝をつき、その傍らには血だらけで倒れるシルクさんとアクレアさんの姿があった。
誰が見ても分かる。
二人とも、重傷だった。
「第七課を呼んでください! 今すぐに!!」
「は、はい!」
疾嘉さんの声は、いつもの落ち着いた口調ではなかった。
その緊迫した声に、基地中の空気が一変する。
周囲にいた隊員たちは弾かれたように動き出し、それぞれの持ち場へと駆けていった。
間もなく、第七課の隊員たちが到着する。
彼らは迷うことなく、重傷のシルクさんとアクレアさんを担ぎ上げ、急いで治療室へと運び込んでいった。
静まり返ったその場で、疾嘉さんはゆっくりとセヌーアさんへ視線を向ける。
その表情には、焦りと、わずかな震えが浮かんでいた。
「……何があったんですか?」
低く、静かな声だった。
セヌーアさんは俯いたまま拳を強く握り締める。
唇を噛み、悔しそうに顔を歪めると、かすれた声で答えた。
「……ウサさんに、やられた」
その瞬間。
時間が止まったような錯覚を覚えた。
誰一人として言葉を発することができない。
信じたくない。
信じられるはずがない。
俺たちが誰よりも信頼していたあの月ノ城羽咲が。
仲間を、その手にかけたというのか。
想像したくもなかった最悪の現実が、静かに目の前へ突き付けられた。
ふえええ・・・




