第16話 理性には上限があり、時間も有限であるの話
現在、改稿中です。
途中で改稿前のストーリーがごっちゃになってるところがあります。ストーリーは事態は同じです。
それでもよろしければ、見てくれると嬉しいです。
修業が終わって、疲れたままベッドの上で寝たのは良いのだが……。
「あのー、アイリスさーん?」
「うーん……もうちょっと」
時間は朝の七時半を過ぎていた。
俺が起き上がろうとすると、何か生暖かい感触がある。
「……ん?」
違和感を覚えながら、そっと布団をめくった。
そこにはアイリスが俺に抱き着くようにして眠っていた。
「……おいおい」
思わず額を押さえる。
前から思っていたけど、この子は距離感というものを知らないのだろうか。
寝顔は穏やかで、長い銀髪が枕の上に広がっている。
規則正しい寝息、まるで警戒している様子がない。
俺を完全に信用しきっているのか、それとも何も考えていないのか。
どちらにしても心臓には悪い。
前から思っていたけど、この子は脱ぎ癖でもあるのか?
いや、まさかな……。
俺は小さくため息をつくと、肩を揺さぶった。
「おい、いい加減起きてくれ。あと服を着てくれ……」
アイリスはゆっくりと瞼を開く。
まだ少し眠そうだ。
あくびを一つすると、こちらを見上げながら頬を赤らめた。
「昨日は激しかったね」
「何もしてないだろ!!?」
即座に否定する。
というか、その言い方はやめろ。
誤解しか生まれない、俺は本当に何もしていない。
……してないよな?
念のため自分の服を確認する。
乱れはない。
シーツも特に変わった様子はない。
よし…。
大丈夫だ。
何も起きていない。
そう結論付けようとした時だった。
アイリスは頬を膨らませた。
「ヨウイチ……ノリが悪い」
「いや、ノリとか冗談とかの問題じゃねぇぞ? てか、なんで脱いでるんだよ」
「誘惑……」
誘惑。
本人は一言で済ませたが、こっちは済まされる話じゃない。
確かにアイリスは綺麗だ。
それは認める。
銀髪も、整った顔立ちも、透き通るような紅い瞳も、人目を引く魅力がある。
だが――。
「やめてくれ……」
思わず額を押さえる。
俺だって男だ。理性くらいある。
だからこそ困るんだ。
まったく、もう少し自分を大切にしてほしい。
そう思いながら壁の方へ視線を逸らした。
……逸らしたはずだった。
だが、人間というものは不思議なもので、見てはいけないと思うほど、逆に意識してしまう。
つい視線が戻る。
長い銀髪、眠気の残る紅い瞳に無邪気な表情。
本人に悪気がないのが余計に厄介だった。
「……」
駄目だ。見るな。
そう決意した瞬間だった。
アイリスの口元がわずかに緩む。
どうやら俺の視線に気付いたらしい。
嫌な予感しかしない。
次の瞬間、アイリスが身を乗り出してきた。
「ちょっ――」
反応する間もなかった。
腕を掴まれ、そのままベッドへ押し戻される。
紅い瞳が真っ直ぐこちらを見下ろしていた。
距離が近い!近すぎる!
というか――。
「力強くない!?」
「ヨウイチの修行不足」
思わず叫ぶ。
細い腕だ。
どう見ても俺より力がありそうには見えない。
なのに全然振りほどけない。
おかしいだろ。
絶対おかしい。
『―――』
その時、アイリスの口元がわずかに動いた。
「……ん?」
待て。
今、何か聞こえなかったか?
よく見ると口が動いている。
というか。
「ちょっと待て」
嫌な予感が確信へ変わる。
「今、【アタックアップ】って言ったよな!?」
「キノウセイキノセイ…。」
カタコトだ!しかも目が泳いでる!!今絶対に嘘ついたなコイツ!!
しばらくの問答に、再び視線を合わせ言う。
「ヨウイチ……私……魅力ない?」
「いや、あのー……そういうわけじゃないけど」
そういうわけじゃない。
むしろ逆だ。
アイリスは綺麗だし、可愛いし、放っておいても目を引く。
だからこそ困っている。
俺は視線の置き場に困りながら答えた。
だが、アイリスは納得していないらしい。
じっとこちらを見つめ、そして少しずつ距離を詰めてきた。
「お、おい……?」
一歩、また一歩。
逃げようにも、背中は既にベッドの端だ。
気付けば距離はほんのわずかしか残されていない。
―――ドンッ!
そのまま壁ドンされる。
いや!シチュエーション逆!!シチュエーションぎゃくうううう!!!
本来、自分がやるべきこと!!何で毎回逆になるんだ!!違うだろー!!
紅い瞳が真っ直ぐ俺を映している。
冗談を言っているようには見えない。
だから余計に困る。
「だから、その……そういう話じゃなくてだな」
必死に言葉を探す。
だが焦れば焦るほど上手く出てこない。
アイリスは首を傾げ、不思議そうな表情。
まるで俺の反応を観察しているみたいだ。
「……」
いや待て、もしかして楽しんでないか?
口元が少しだけ笑っている気がする。
絶対面白がってるだろ。
というか――
アイリスってこんなに押しが強かったのか……?
今までの印象が音を立てて崩れていく。
その時だった。
――ウィーン
自動ドアが開く音がした。
その瞬間だった。
俺とアイリスは同時に動きを止める。
嫌な予感がした。
恐る恐る視線を向ける。
そして――固まった。
そこにはユキが立っていた。
「……」
無言、ただひたすら無言。
数秒の沈黙が流れる。
やめろ、その沈黙が一番怖い。
ユキは俺達の姿をじっと見つめる。
押し倒された俺。
馬乗りになっているアイリス。
近すぎる距離、どう見ても言い逃れできそうにない光景だった。
「……ごゆっくり」
ユキは静かに呟く。
そして、ゆっくりと目を閉じた。
まるで現実から目を背けるように、そのまま何も言わず踵を返す。
待て、帰るな。その反応が一番まずい。
このままでは完全に誤解される。
「待て待て待て待て!! 誤解だぁ!!!!」
慌てて叫ぶ。
「誤解じゃない」
犯人が余計なことを言った。
「アイリス! シャラップ! 貴方はちょっと静かに!」
「むー……」
むーじゃありません。
火に油を注がないでください。
お願いだから!!
俺は必死にユキへ説明する。
本当に何もなかったこと。
アイリスが勝手に潜り込んできたこと。
押し倒されたのはむしろ俺の方であること。
だが、ユキは終始冷たい目だった。
そして最後に一言。
「わかったから……訓練所に集合……変態」
「だから違うって!?」
叫びも虚しく、ユキはそのまま立ち去ってしまった。
終わった、完全に終わった。
俺の評価が音を立てて崩れていく。
どうやら乙女の敵として認識されたらしい。
身に覚えはないのに、本当にないのに。
そうして絶望していると、
――ウィーン
再びドアが開いた。
ユキだった。
「えっ」
帰ってきた。
まさか信じてくれたのか!
そんな期待を抱いた俺に向かって、
「連絡忘れた……大事な話がある。早く来て……」
それだけ言う、そして今度こそ出て行った。
……どうやら変態認定は撤回されていないらしい。
俺は深いため息を吐いた。
その後、アイリスは自室へ戻って着替えに向かう。
俺も制服へ着替えながら、心の中で決意した。
「次からは絶対に鍵を掛けよう。」
いや、この世界の部屋に鍵があるのかは知らないけど。
とにかく何か対策を考えなければ。
そんなことを思いながら、俺は訓練所へ向かった。
───訓練所
訓練所へ到着すると、既に大勢の人が集まっていた。
好きな場所に座っている者。
壁に寄り掛かっている者。
腕を組みながら待っている者。
普段は広く感じる訓練所も、今日ばかりは妙に狭く見える。
ざっと見ただけでも千人近くはいるだろう。
その最前列にはシルクや疾嘉をはじめ、この基地でも上層部に位置する人物達が並んでいた。
「全員集合なんて珍しいね」
「だねー」
そんな会話があちこちから聞こえてくる。
皆どこか落ち着かない様子だった。
当然だ。
訓練や任務の途中で、ここまで大規模な招集が掛かることなど滅多にない。
何かあった、それだけは間違いないだろう。
俺はアイリスと共に後方へ並んだ。
しばらくすると、出口の方からアクレアが姿を現す。
普段と変わらないように見える。
だが、その表情は明らかに硬かった。
そのまま全員の前へ立つと、一度深く頭を下げる。
訓練所から自然と話し声が消えていった。
静寂が訪れる。
そしてアクレアは口を開いた。
「皆さんに報告があります」
その声は静かだった。
しかし、はっきりと全員の耳に届く。
「本日三時四十五分をもって、フヴェズルングの総帥である月ノ城羽咲の反応が消失しました」
――その瞬間だった。
訓練所全体がざわめく。
「は?」
「どういうことだ?」
「あの人が?」
驚きの声が次々と上がる。
俺も思わず目を見開いた。
月ノ城さんの反応が消失?
消えた?あの月ノ城さんが?
正直、信じられなかった。
あの圧倒的な実力に、常識外れの強さ。あのオロチを一瞬で倒したあの人が?
あの人が簡単にどうにかされる姿なんて想像できない。
会場の混乱が大きくなりかけた時だった。
パンッ――。
アクレアが手を叩く。
それだけで訓練所は再び静まり返った。
「現状、リーダーが不在である以上、私、セヌーア、シルク、タチバナの四名で組織運営を行います」
動揺しているのはアクレアも同じはずだ。
それでも声は震えていない、必死に皆を落ち着かせようとしているのが伝わってくる。
「既に二課の者を消息を絶った現場へ向かわせています」
アクレアは一度周囲を見渡した。
「結果が判明次第、速やかに皆さんへ報告します」
それで話は終わりだった。
だが、誰一人として平静ではいられなかった。
訓練所の空気は重い。
皆、不安そうな顔をしている。
それは俺も同じだった。
「月ノ城さん…」
あの人に何があったんだ……?
―――――――――――王国「フィルネル」
「ま、魔物だぁああああ!」
悲鳴が王都に響き渡る。
突如として現れた魔物の群れ。
牙を剥き、爪を振るいながら町へ雪崩れ込んだ魔物達は、人々を次々と襲い始めていた。
目撃された数はおよそ三十匹。
決して少ない数ではない、平和だった町は一瞬にして混乱の渦へ飲み込まれていた。
その報告を受け、勇者達は討伐のため各地へ散開していた。
「おかーさーん!! うああああん!」
泣き叫ぶ声が響く。
幼い少女だった。
避難する途中ではぐれてしまったのだろう。
転んだ際に膝を擦りむいたらしく、赤い血が滲んでいる。
痛みと恐怖で立ち上がることもできず、その場で泣き続けていた。
「うあああああん!」
その泣き声に反応するように、一体の魔物が振り向く。
鋭い牙を覗かせながら、ゆっくりと少女へ近づいてきた。
「いや……」
少女の身体が震える。
逃げなければ、そう思うのに足が動かない。
魔物は獲物を見つけたように口元を歪めた。
そして、少女へ向かって飛び掛かる。
「ッヒ!?」
反射的に目を閉じた。
怖い、死にたくない。
お母さん――。
そう願った次の瞬間。
ガギィィィン!!
耳を震わせるような激しい衝突音が響いた。
だが、痛みは来ない。
恐る恐る目を開くと、その光景に少女は息を呑んだ。
そこには一人の騎士が立っていた。
白銀の鎧を身に纏い、巨大な盾を構えている。
騎士の三倍近い巨体を持つ魔物の攻撃を、まるで当たり前のように受け止めていた。
地面が軋む。
だが騎士は一歩たりとも退かない。
揺るがない、まるで少女を守るための壁そのものだった。
「――――」
少女は言葉を失う。
騎士は静かに剣を抜いた。
次の瞬間、銀色の閃光が走る。
一閃。
それだけだった。
魔物の身体が崩れ落ちる。
あまりにも鮮やかな一撃だった。
「か、かっこいい……」
少女は思わず呟いていた。
騎士は剣を鞘へ納め、そして少女の方へ振り返った。
ゆっくりと近づきながら兜へ手を掛ける。
外された兜の下から現れたのは、凛とした美しい顔立ちだった。
少女は目を丸くする。
騎士だと思っていた。
だが、その正体は一人の女性だった。
彼女は優しく微笑みながら、少女へ手を差し伸べる。
「大丈夫? 立てるかしら?」
「う、うん!」
厳つい鎧とは対照的に、美しい顔立ち。
透き通るような声。
そして、その正体は女性だった。
少女は思わず目を丸くする。
まるで物語に出てくる騎士様みたいだ。
「お母さんとはぐれちゃったのかな?」
「う、うん……」
少女が涙を拭きながら頷く。
その時、背後から激しい羽音が響く。
「――ッ!」
美空が振り向く。
そこには数十匹もの鳥型魔物がいた。
鋭い爪に獰猛な牙、獲物を見つけた獣のような目。
魔物達は一斉に口を開き、美空へ向かって襲い掛かる。
「お、お姉ちゃん後ろ!」
少女が悲鳴のような声を上げる。
美空は咄嗟に盾を構えようとした。
だが、少女を気遣った一瞬の隙、反応が僅かに遅れる。
「っく……!」
間に合わない。
そう思った瞬間だった。
「破山砲!!!」
轟音が響く。
横から放たれた虹色の閃光が一直線に駆け抜けた。
次の瞬間、鳥型魔物達がまとめて吹き飛ばされる。
壁へ叩き付けられた魔物達は、そのまま力なく地面へ崩れ落ちた。
生きている者は一匹もいない、圧倒的な一撃。
「おいおい! 美空さんよ! 気を抜くなよな!」
聞き慣れた声が響く。
振り返ると、一人の青年が肩を回しながら歩いてきていた。
「ごめん! 一樹!」
美空は安堵したように笑う。
白い光線を放った本人――一樹だった。
その後ろから、息を切らせながら七海も駆け寄ってくる。
「二人とも無事ー!?」
「何とかな!」
「ギリギリだったけどね」
三人が並ぶ。
その姿は、まさに人々を守る勇者そのものだった。
「七海! この子の手当てをしてあげて!」
「あいよー! 【光癒】」
七海が手をかざし、呪文を唱える。
すると淡い光が少女を優しく包み込んだ。
まるで春の日差しのような温かな光。
少女の膝にあった擦り傷が、少しずつ塞がっていく。
「わぁ……」
少女は目を輝かせた。
痛みが消えていく感覚が不思議なのだろう。
何度も自分の膝を見つめている。
「これでもう大丈夫!」
七海は親指を立てながら笑った。
少女はぱっと顔を明るくする。
そして、美空達を見上げながら尋ねた。
「ゆうしゃさまですか?」
その言葉に、美空は一瞬だけ表情を曇らせた。
『勇者』その称号がどれほど重いものなのかを知っているからだ。
だが、目の前の少女にとっては違う。
自分達は命を救ってくれた憧れの存在なのだろう。
だから美空は優しく微笑んだ。
「まぁ、そんな感じかな?」
少女の顔がぱっと輝く。
その時だった。
「ミカー!!」
遠くから悲痛な叫び声が聞こえる。
振り向くと、一人の女性が涙を流しながらこちらへ駆けてきていた。
「お母さん!!」
少女も嬉しそうに駆け出す。
そして勢いよく母親へ飛びついた。
「ミカ!! 怪我はない!? 大丈夫!?」
「うん! 大丈夫!」
少女は元気よく頷く。
そして誇らしげに美空達を指差した。
「ゆうしゃのおねえちゃん達が守ってくれた!」
「勇者様……!?」
母親は目を見開く。
そしてすぐに事情を察したのか、深々と頭を下げた。
「ゆ、勇者様! 娘の命を救っていただき、本当にありがとうございます!」
「い、いえ! そんな……」
美空は慌てて手を振る。
大袈裟だ。自分はそんな立派な存在じゃない。
そう思ってしまう。
だが、母親にとっては違う。
目の前にいるのは娘の命の恩人なのだから。
「おねえちゃん!」
少女がポケットをごそごそと探り始める。
そして取り出したのは一輪の白い花だった。
「これあげる!」
「え?」
美空は目を瞬かせる。
少女は満面の笑みを浮かべていた。
「お姉ちゃんみたいで綺麗でしょ?」
その言葉に、美空は思わず吹き出した。
「ふふっ。褒めるの上手だね」
そう言って花を受け取る。
純白の花、決して高価なものではない。
それでも少女にとっては大切な宝物だったのだろう。
美空は少し迷った後、その花を髪へ飾った。
「どうかな?」
「うん! すっごく似合う!」
少女は嬉しそうに笑う。
その笑顔を見ていると、美空も自然と笑顔になった。
「早く避難してください」
「はい。本当にありがとうございました!」
母親は再び頭を下げる。
少女も大きく手を振った。
「ばいばい、おねえちゃん!」
「うん、またね」
二人は避難所へ向かって走っていく。
その背中を見送りながら、一樹は肩を竦めた。
「しかし、ここのところ魔物の出現率上がってないか?」
先程までの穏やかな空気が少しだけ引き締まる。
一樹が首を傾げる。
この二週間、町に現れる魔物は増え続けていた。
それだけではない、最初は雑魚同然だった魔物達も、日を追うごとに強くなっている気がする。
まるで何かに呼び寄せられているかのように。
「そうね……なんでかしら」
美空も同じ疑問を抱いていた。
だが――。
油断していたその時
ゾクリ。
背筋を刃物でなぞられたような悪寒が走る。
心臓が大きく脈打つ。
全身の警鐘が一斉に鳴り響いた。
「――ッ!」
感じたことがある。
この感覚を美空は知っている。
禍々しく、重く、息苦しくなるほど濃密な魔力。
忘れるはずがなかった。
美空は反射的に振り返る。
そこには一人の男が立っていた。
黒いコートに深く被られたフード。
まるで影そのものが人の形を取ったかのような存在感。
いつからそこにいたのか分からない。
気配すら感じなかった。
なのに今は、その男しか視界に入らない。
「ッ……!」
気付けば美空は一歩後退していた。
理屈ではない、本能だった。
目の前の存在へ近付いてはいけない。
生物としての本能がそう叫んでいる。
(コイツはヤバい……!)
額に冷や汗が流れる。
その感覚は一樹も七海も同じだった。
三人とも戦ってきた。
魔物とも、人とも、死線だって潜ってきた。
それでも――。
これほどの『殺意』を向けられたことはない。
いや、それすら生ぬるい。
まるで巨大な猛獣に睨まれた小動物のような感覚。
身体が勝手に強張る。
呼吸すら重い…。
その時、近くにいた魔物が男へ飛び掛かった。
獲物を見つけたように牙を剥き出しにする。
だが、男は動かなかった。
一歩も、指一本すら。
それなのに、魔物の動きが止まる。
まるで時間が停止したかのように。
「……え?」
七海が呟く。
違う、止まったのではない。
既に終わっていた。
ボトリ。
静かな音が響く。
一瞬遅れて。
魔物の首が地面へ転がった。
続いて胴体が崩れ落ち、鮮血が石畳を染めた。
誰も斬撃を見ていない。音すらない。
いつ、どこで、何をしたのか。
誰一人理解できなかった。
男はゆっくりと歩き出す。
コツ……コツ……。
足音だけが静かに響く。
まるで死神が近付いてくるかのようだった。
やがて男は三人から三メートルほどの位置で立ち止まる。
フードの奥は影に隠れて見えない。
だが男であることだけは分かった。
そして、闇の奥で紅い瞳が光る。
その瞳と視線が交わった瞬間――。
美空の心臓が強く跳ねた。
まるで首元へ刃を突き付けられたような錯覚。
いや、錯覚ではない。
一瞬でも気を抜けば殺される。
そう確信させるほどの圧倒的な威圧感がそこにはあった。
「……勇者か?」
男が初めて口を開いた。
低く、感情の読めない声だった。
その一言に、美空達はわずかに目を見開く。
言葉が通じる。
少なくとも魔物ではない。
だが、それで安心できる相手ではなかった。
むしろ逆、意思を持ちながら、この殺意を放っている。
その事実が余計に恐ろしい。
「……だからどうしたの?」
美空は睨み返した。
心臓が嫌になるほど早鐘を打っている。
それでも目だけは逸らさない、ここで怯めば終わる。
そんな気がした。
男は紅い瞳で美空を見つめる。
そして静かに告げた。
「なら、魔獣を倒すのはやめておけ」
「どうして?」
即答だった。
迷いはない、世界を救うために必要なことだ。
自分達はそのために戦っている。
やめる理由など存在しない。
男はわずかに沈黙した。
だが、その問いに答えるつもりはないらしい。
「……答える必要はない」
「じゃあ交渉決裂ね」
美空は盾を握り直す。
男も小さく頷いた。
「そうか」
そして、まるで今日の天気でも話すかのような口調で告げる。
「じゃあ死ね」
次の瞬間、男の姿が消えた。
「美空! 後ろだ!!」
一樹の怒号が響く。
反射的に身体が動いた。
盾を構える。
ほぼ本能だった。
ギィィィィン!!
耳をつんざく金属音が同時に凄まじい衝撃が腕を襲った。
「うっ……!」
足元の石畳が砕ける。
防いだ。
確かに防いだ。
だが――重い、あまりにも重い。
まるで巨大な岩を真正面からぶつけられたような衝撃だった。
腕が痺れ、骨が軋む。
一瞬でも遅れていたら死んでいた。
そう確信できる一撃だった。
「やるな……」
男の声が聞こえる。
気付けば男は再び元の場所へ戻っていた。
まるで最初から動いていなかったかのように。
「よく防いだ」
その言葉に称賛の色はない。
ただ事実を述べているだけだった。
それが余計に恐ろしい、美空は歯を食いしばる。
負けられない、ここで倒れるわけにはいかない。
「死んでたまるもんですか!」
盾を強く握り締める。
「私はまた、あの人に会わなきゃいけないんだから!」
男の眉がわずかに動く。
「あの人……?」
低い声が響く。
「恋人か?」
「ち、違う!……違うけど」
即座に否定する。
顔が熱くなる。
違う、違うけど。
そう言われると否定しづらい何かがあるのも事実で――。
「まぁ、二度と会うことはないがな」
冷たい言葉だった。
だが美空は負けじと言い返す。
「うっさい!」
胸の奥から言葉が溢れた。
「私は"楊一"にもう一度会うんだから!」
その瞬間だった。
男の動きが止まる。
ほんの一瞬、本当に一瞬だけ。
だが確かに反応した。
美空は見逃さない。
「今、反応したわよね?」
男は黙る。
その沈黙が答えのようだった。
「何か知ってるの?」
問い掛ける。
しかし――。
「さあな」
男は答えない。
その直後だった。
「――っぐ!」
男が突然胸を押さえる。
苦しそうに身体を揺らした。
まるで何かに"抗っている"ように
「な、何?」
美空達も思わず戸惑う。
先程まで圧倒的だった男が苦しみ始めたのだ。
だが男は何とか呼吸を整える。
そして紅い瞳で三人を見据えた。
「っく……今回は見逃してやる」
声にはわずかな苦痛が混じっていた。
男はゆっくりと踵を返す。
そして最後に一言だけ残した。
「次に会う時までに――強くなっておけ」
そう言い残し、男は後ろを向く。
次の瞬間、その姿は蜃気楼のように掻き消えた。
風だけが静かに吹き抜ける。
残されたのは、先程までそこにいたという事実だけだった。
「消えた……?」
七海が呆然と呟く。
美空も周囲を見回すが、既に男の気配はどこにもない。
まるで最初から存在しなかったかのようだった。
だが――。
去り際にほんの一瞬だけ、フードの奥から覗いた右目。
その瞳だけが、紅ではなく碧く輝いていた気がした。
「……」
気のせいだろうか。
いや、あれほどの存在感を放つ相手を見間違えるとも思えない。
だが今は考えている余裕はなかった。
「いったい何だったんだ……」
一樹が重く息を吐く。
強かった、今まで出会ったどの敵よりも、戦闘になれば勝てる未来が見えない。
そんな相手だった。
「分からない」
美空は静かに首を振る。
正体も目的も分からない。
なぜ自分達を襲ったのかも分からない。
だが、一つだけ確信できることがあった。
美空は拳を握り締める。
「でも、一つだけ分かった」
自然と口元が緩む。
胸の奥で燻っていた不安が、少しだけ晴れた気がした。
「楊一は生きてる」
その言葉に一樹も頷く。
「ああ。あの反応を見る限りな」
楊一の名前を聞いた瞬間。
あの男は確かに反応した。
あれは偶然なんかじゃない。
何かを知っている者の反応だった。
「ヨウイチくん……」
七海も胸に手を当てる。
その表情には安堵が浮かんでいた。
「生きてたんだ……良かった……」
三人の間に沈黙が落ちる。
だが、その沈黙は先程までの重苦しいものではなかった。
希望があった。
楊一はどこかで生きている。
それだけで十分だった。
予想外の出来事、得体の知れない強敵とも遭遇した。
だが、今日一番の収穫は間違いなくそれだった。
美空は空を見上げる。
「待ってなさいよ、楊一」
小さく呟く。
必ず見つけ出す。必ずもう一度会う。
その想いを胸に、三人は再び魔物討伐へ向かうのだった。
――――――――基地『フヴェズルング』
「うぉおおおおおおおお!!」
気合いと共に、黒杉は強化した短剣を全力で投げ放った。
短剣は空中で激しく回転する。
【融魔制御】によって圧縮された魔力が刃へ纏わり付き、甲高い風切り音を響かせながら一直線に岩へ突き進んだ。
ギギギギギギギ――――ッ!!
刃が岩肌へ突き刺さる。
これまでとは違う、確かな手応えがあった。
短剣は回転しながら岩の表面を削り取り、その亀裂は蜘蛛の巣のように広がっていく。
そして――。
ドォォォォォォンッ!!
轟音と共に爆発が起きた。
衝撃波が周囲へ吹き荒れ、地面の砂を巻き上げる。
視界は一瞬で白く染まり、何も見えなくなった。
「っ……!」
黒杉は腕で顔を庇いながら前を見る。
心臓が激しく脈打つ、成功したのか。
それとも失敗したのか、分からない。
数秒がやけに長く感じられた。
やがて砂煙がゆっくりと晴れていく。
そして、そこにあったはずの巨大な岩は、無数の破片となって地面へ散らばっていた。
「……え?」
思わず目を見開く。
砕けている。
本当に砕けている。
何度挑戦しても傷一つ付けられなかった岩が、跡形もなく破壊されていた。
その光景を理解した瞬間。
「よっしゃぁぁぁ!!」
黒杉は拳を強く握り締めた。
自然と笑みがこぼれる。
何度失敗したかも覚えていない。
腕が上がらなくなるまで投げ続けた日もあった。
それでも諦めず続けてきた。
だからこそ嬉しかった。
「やったね……ヨウイチ」
アイリスが嬉しそうに微笑む。
まるで自分のことのように喜んでいた。
「おめでとう……第一関門突破……」
ユキも小さく拍手を送る。
表情はいつも通り薄いが、どこか誇らしげだった。
「ありがとな」
黒杉は二人へ笑い返す。
達成感で胸がいっぱいだった。
「……これで第一関門か」
思わず苦笑が漏れる。
ようやく岩を砕けるようになった。
だが、それはゴールではない。
ようやくスタートラインへ立っただけだ。
月ノ城の圧倒的な強さに、フヴェズルングの人達の実力。
そして勇者達。
自分との差は、まだ果てしなく遠い。
「先は長いぜ……」
そう呟きながら頭を掻く。
達成感と同時に気が遠くなりそうだった。
それでも、不思議と嫌な気分ではない。
少し前までの自分なら、こんな壁は越えられないと思っていただろう。
黒杉は砕け散った岩を見つめながら、小さく笑った。
「ま、やるしかねぇか」
この先に待つ修業を考えると頭が痛くなる。
その時だった。
「フゥーハッハッハッハッハ!!!」
突如、訓練場に高らかな笑い声が響き渡る。
「な、何奴!?」
思わず身構える。
声は上から聞こえた。
反射的に見上げると、そこには――。
スポットライトに照らされた人影が立っていた。
いや待て…なんでスポットライト?
誰が用意した?
というか昼間だぞ?
「諸君! 刮目せよ!」
人影は大仰にマントを翻した。
「アレは誰だ!?鳥か!?猫か!? いや――私だ!!!」
そう叫ぶと同時に、高台からスタイリッシュに飛び降りる。一体・・・何シルクなんだ・・・。
クルクルと空中で回転しながら華麗に着地。
ポーズまで決めている。
完璧だ…完璧に意味が分からない。
「好きな言葉は猫まっしぐら!」
「なんだよその言葉!?」
反射的にツッコんでしまう。
しまった。完全に相手のペースだ。
「キャットうーにゃん参上!!!」
ドォォォォォン!!
背後で爆発音が鳴った。
いや、絶対鳴った。
気のせいじゃない。でも振り返ったら負けな気がする。
俺は見なかったことにした。
「呼んだな。金貨二枚だ」
「呼んでねぇよ!!」
またツッコんでしまった。
おかしい…なぜ俺は毎回律儀に反応してしまうんだ。
「……シルル」
その時、ユキが静かに声を掛ける。
すると今までノリノリだった猫型ヒーローが一瞬で姿勢を正した。
「あ! ユキ姉! 指導お疲れ様です!」
さっきまでのテンションはどこへ行った。
「じゃあ次お願い……」
「はーい!」
シルクが元気よく返事をする。
すると鉄騎に身に纏った猫型の〇面ライ〇ースーツが光に包まれた。
キラキラと光の粒子が舞い上がり、数秒後には見慣れたシルクの姿へ戻っている。
「……」
俺は無言になった。
待て、その変身機構どうなってるんだ。
どこから出したんだそのスーツ。
そもそも何で変身できるんだ。
誰か説明してくれ、ツッコミが追い付かない。
「よーくん!」
元気な声が飛んでくる。
見るとシルクが勢いよく手を挙げていた。
「次は私の番です! よろしくお願いします!」
満面の笑みである。
「あ、ああ……頼む」
若干疲れた声で返事をした。
その時、服の裾がくいくいと引っ張られる。
「ヨウイチ……」
「ん? どうした?」
振り向くと、アイリスが真顔でこちらを見上げていた。
嫌な予感しかしない。
そして案の定だった。
「私も変身したい……」
「しなくていい!!」
即答だった。
一秒たりとも迷わない。
頼む、本当に頼むからやめてくれ。
これ以上カオスを増やさないでくれ。
最近ただでさえ胃が痛いんだ。
そのうち本気で胃薬が必要になる。
「むぅ……」
アイリスが不満そうに頬を膨らませる。
「諦めろ」
「……ケチ」
「ケチじゃない」
切実な願いだ。
むしろ俺を褒めてほしい。
そんなやり取りを見ていたシルクは何故か目を輝かせていた。
嫌な予感しかしない、本当に嫌な予感しかしない。
黒杉はそっと胃を押さえる。
そして心の中で静かに呟いた。
(俺、生きてこの修業を終えられるよな……?)
不安しかない。
そんな予感を抱きながら、黒杉は再び次の修業へ向かうのだった。
また、来週の火曜日に会いましょう・・・。
現在、改稿版を投稿しています。
そちらの方もストーリーは同じですが、話の内容や追加台詞など変わったり増えたりしていますので、主に、黒杉くんの殺され方など・・・是非読んでいただければと思っています。
※いずれ統合しますけど・・・。
改稿版URL
https://syosetu.com/usernovelmanage/top/ncode/1443099/
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あわよくば、評k(ごめんなさい、調子乗りました。




