第15話 人は未知に恐れるのは当たり前だけど、その常識も通じない人もいるの話
26/6/13 改稿済
あれから一週間の時が経った。
修業内容は至ってシンプルだった。
第一段階は、【融魔制御】で石を強化する。
次に、石よりも繊細に扱わなければならない武器。
そして最後は、岩の破壊を目的としている。
「もう一回……ふんぬっ!!!」
そんな俺は、未だに第一段階で苦戦していた。
腕に魔力を込めて石へ流し込むと、石は弾け飛んで壊れる。
魔素を取り入れれば、石は砂になっていく。
原因は分かっている。
魔力だけが先に流れれば石は耐えきれず砕ける。
逆に魔素だけが先行すれば、構造そのものが崩れて砂になる。
二つを同時に流し込まなければならない。
言葉にすると簡単だが、それができない。
やはり、同じタイミングで行うしかなかった。
「ぐ……ぐあぁっ!?」
腕に走る激痛に耐える。
そのたびに石を落としてしまう。
今でも痛みに耐えきれず暴れそうになる俺を、ユキが拘束して治療を始める。
すぐに痛みは引き、俺は礼を言った。
「あ、ありがとう」
「……」
ユキはコクリと頷く。
一週間も経ったというのに、未だに激痛と戦っていた。
……そろそろやめたい。
だけど、生憎と俺は諦めが悪い。
そんなことを考えながら、アイリスを見る。
融魔制御は初めてやることなのに、一回で成功してしまった。
彼女は明らかに天才だ。
だが、ただ才能だけで片付けるのも違う気がする。
俺が石に魔力を流す時は、どうしても魔力か魔素のどちらかに意識が偏る。
対してアイリスは、最初から二つを同じもののように扱っていた。
まるで呼吸をするみたいに自然に。
何かコツでもあるのだろうか。
「なあ、アイリス」
「ん……なぁに?」
アイリスはキョトンとした顔をしている。
急に話しかけられたから、少し驚いたようだ。
だが、嬉しそうな顔でそのままゆっくりとこちらへ近づいてくる。
うん、可愛い。
「アイリスは、どうやって融魔制御したんだ? あれから一週間、何度やってもうまくいかないんだ。アイリスはどうやったんだ?」
「私は……ユキから“見える”魔力と魔素の流れを真似しただけ……」
「「はい?」」
ユキも同じ反応だった。
確かにユキさんの魔力が強いことは肌で感じて分かる。
けれど、今回の修業である融魔制御はスキルでもパッシブでもないため、魔法詠唱でもしない限り、魔力や魔素が“見える”ことはない。
それこそ、月ノ城さんが洞窟で使った機械でもなければ数値化して確認することもできない。
つまり、アイリスの言っていることが本当なら、普通では認識できない情報を目で捉えていることになる。
魔力の流れを把握できるなら、融魔制御を一発で成功させた理由にも説明がつく。
むしろ失敗する方が難しい。
考えていると、ユキが口を開いた。
「……【魔眼】」
ユキはそう言った。
その言葉に、アイリスの体がビクッと震える。
顔を見てみれば、何かに怯えるような表情をしていた。
この世界に魔眼というものがあったんだな……。
少しだけ格好いいと思ってしまう。
だが、その反応が引っ掛かった。
ただ便利な能力なら、ここまで怯える必要はない。
アイリスの様子を見る限り、その力には何か問題がある。
しかし、その浅はかな考えはすぐに後悔することになった。
ユキはアイリスの目を見て話す。
「……魔眼。それを持つ者は疎まれる存在……」
ユキはそう言った。
アイリスの表情が暗くなっていく。
「魔眼は効果が強すぎる故に、皆……その力に怯える……。魔眼と分かれば、すぐに晒され……処刑される……」
「なるほど」
短い説明だったが、十分だった。
強すぎる力は周囲からの恐怖。
発覚すれば処刑。
少なくとも、この世界では祝福ではなく災厄として扱われているらしい。
そう考えると、洞窟で見つけた大量の鎖や封印も別の意味を持って見えてくる。
俺はアイリスが何故あの洞窟に閉じ込められていたのか、少し分かった気がした。
多分、その大きな理由の一つは魔眼を所持していたからだろう。
ただ、それだけではないことも分かる。
あの洞窟の異常な封印にアイリス自身の規格外の力
そして、失われている記憶。
一つの理由だけで説明するには、どうにも噛み合わない部分が多すぎる。
だが、今はまだ分からない。
情報が足りない以上、考えても答えは出ないだろう。
俺はアイリスを見た。
少し震えている。
きっと魔眼のことを知られたからだろう。
「ヨウイチっ、ちが……」
震える声。
体も小刻みに震えている。
その様子を見て、俺は一つの結論に辿り着いた。
コイツは魔眼そのものを恐れているんじゃない。
魔眼を知った俺に拒絶されることを恐れている。
まるで捨てられた子犬みたいな顔だった。
自分が魔眼を持っている。
だからまた捨てられる。
そう思っているのだろうか。
バカだなぁ……。
黒杉はアイリスの頭に手を置き、そのまま優しく撫でる。
柔らかな銀髪が指の間を流れていく。
「ヨウイチ……?」
不安そうに揺れる瞳が、まっすぐ俺を見上げていた。
「アイリス、何を怯えてんだ?」
怯える必要なんてないんだ。
少なくとも俺の前では。
「で、でも……私は魔眼を持ってて……だから、だから……」
「それがどうした? アイリスはアイリスだろ?」
そうだ、結局のところ、それだけだ。
魔眼だろうが古代魔法だろうが関係ない。
俺が知っているのは、一緒に笑って、一緒に飯を食って、一緒に旅をしているアイリスだ。
俺にとって大事な存在で、支えになっている。
きっと彼女がいなければ、とっくの昔に心が折れて野垂れ死んでいただろう。
魔眼?そんなもの知ったこっちゃねえ。
俺はコイツを守るって決めたんだからな。
……まあ、実際は守られている方が圧倒的に多いんだけど。
アイリスは目を丸くして俺を見つめる。
まるで信じられないものを見るような顔だった。
たぶん、こういう言葉を向けられたことがないのだろう。
そのことが少しだけ胸に引っ掛かった。
「約束しただろ。一緒に旅をするってさ」
俺は笑う。
「俺もアイリスと一緒に、この世界を回りたいんだ。それに、この世界での価値観なんて知らないからな。そのくらい気にすんな」
「う、うん……!」
次の瞬間、アイリスは勢いよく抱きついてきた。
柔らかな感触と体温が伝わってくる。
「お、おいっ!?」
「……えへへ」
泣いていたはずなのに、今度は嬉しそうに笑っている。
忙しいやつだ。
胸元には涙の跡が広がり、服はぐしゃぐしゃになっていた。
それでも離れようとはしない。
むしろ少しだけ抱きつく力が強くなった気がする。
本当に不安だったのだろう。
俺は小さくため息を吐きながら、もう一度その頭を撫でた。
するとアイリスは気持ち良さそうに目を細める。
まるで甘える猫みたいだった。
アイリスは強い、俺なんかより遥かに強い。
だけど、こうしていると、ただの泣き虫な女の子にしか見えなかった。
「あの……イチャイチャするのは構わないんだけど、修業しないの?」
ユキが呆れたように話しかける。
アイリスはハッと我に返り、顔を真っ赤にして俺から離れた。
耳まで赤くなっている。
……とりあえず、気にしないでおこう。
俺は咳払いを一つして、話を戻す。
「アイリスはユキの魔力の流れを見たんだったな?」
「うん、そう……」
アイリスは少し恥ずかしそうにしながらも頷く。
そして、どう説明するべきか考えるように首を傾げた。
「なんて表現したらいいのかな……?」
どうやら説明に苦戦しているらしい。
見えている本人には当たり前でも、見えていない側に伝えるのは難しいのだろう。
しばらく考えた後、アイリスはゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。
「魔力は皮膚にくっ付くっていうより、血管の中を巡ってる感じ? 魔素は吸い込むというより、皮膚にくっ付いている感じ。そこから、巡っている魔力を少しずつ分散させて細かくすることで、魔力と魔素の衝突を抑えて、そのまま結合している……」
そう言いながら、アイリスが俺の腕に触れる。
指先が肌の上をなぞるように動き、魔力の流れを説明していく。
少しくすぐったい。
だが、それ以上に説明の内容が興味深かった。
「ヨウイチの場合だと、無理に魔力と魔素をくっつけようとしてる感じがした。そのせいで、魔力と魔素の力が強いままだから、反発して暴走してる感じがする……」
「反発……か」
俺はその言葉を頭の中で反芻する。
今まで俺は、魔力と魔素を無理やり一つにしようとしていた。
だが、それが原因なら話は変わってくる。
要するに磁石みたいなものだ。
同じ極同士を力任せに押し付ければ反発する。
反発した力は逃げ場を失い、そのまま暴走する。
石が砕けたり、腕に激痛が走ったりするのも説明がつく。
ならば必要なのは力ではない。
衝突しないように整え、魔力を細かく分散させ、魔素と馴染ませることだ。
そう考えると、今までの失敗にも納得がいった。
俺は融合させようとしていたんじゃない。
力任せに押し込もうとしていただけだったのだ。
ユキも黙って頷いている。
どうやら考え方自体は間違っていないらしい。
「なるほどな。アイリス、ありがとう」
「えへへ……どういたしまして」
褒められて嬉しかったのか、アイリスは少し照れたように笑う。
その表情に思わず頬が緩みそうになるが、今は修業中だ。
俺は意識を切り替え、再び石を手に取った。
今度は力任せじゃない。
まずは魔力を細かく分散させる。
そして魔素とぶつけるのではなく、馴染ませるように――。
俺はゆっくりと目を閉じた。
血液はどうやって循環している?
──心臓だ。
血液は心臓から全身へ流れ、再び戻ってくる。
なら、魔力も同じだ。
心臓を起点にして巡らせる。
血液のように、全身へ、ゆっくりと、丁寧に。
ドクン――。
鼓動に合わせるように、魔力が身体中を巡り始める。
なんとも不思議な感覚だった。
まるで身体の輪郭が曖昧になり、宙へ浮かび上がっているような感覚。
だが、意識は驚くほど澄んでいる。
次だ。
空気に混じる魔素を感じろ。
魔素とは何だ?
自然に満ちるエネルギー。
世界そのものを構成する力。
植物が光を受けて育つように、魚が水の中を泳ぐように、俺もまた、その中にいる。
だから拒むな……受け入れろ。
ゆっくりと息を吸う。
肺ではない、身体全体で、世界に溶け込むように。
魔素が肌へ触れる。
優しく、静かに・・・。
そして――。
巡る魔力へと近づいていく。
今までならここで弾けていた。
反発し、暴れ、俺の腕を破壊していた。
だが違う。
押し付けるな……力任せに混ぜるな。
馴染ませ、溶け合わせろ。
そうだ、そのまま集中しろ…もっと、もっとだ。
身体中を巡る魔力が細かく解けていく。
魔素がそれを包み込む。
二つの力が境界を失い、一つになっていく。
あと少し…あと少しで――。
「――――っ!!」
その瞬間だった。
身体の奥底から、膨大な力が溢れ出す。
ドクンッ!!
心臓が大きく脈打ち、全身の感覚が一気に研ぎ澄まされた。
風の流れ、草木の揺れる音に遠くの気配。
今まで感じ取れなかったものが、鮮明に世界へ浮かび上がる。
身体が羽のように軽く、それでいて力に満ちている。
今なら走れる、戦える。
どこまでも行ける。
そんな万能感が全身を駆け巡る。
それでも掴みたかった力が、今ここにある。
黒杉はゆっくりと拳を握る。
今までとは比べ物にならない力が、その中に宿っていた。
「これが――融魔制御……!!」
身体の奥から湧き上がる力。
今まで感じたことのない万能感。
思わず笑みがこぼれる。
一週間苦しめられ続けた修業を、ようやく乗り越えた。
その達成感に浸った――次の瞬間だった。
「――――あ」
集中が途切れる。
ほんの一瞬、本当に一瞬だった。
体内で均衡を保っていた魔力と魔素が一気に暴れ出す。
「イダダダダダダダダダダダダッ!!?」
全身に激痛が走った。
「痛い痛い痛い痛い痛い!!?」
今まで何度も暴走を経験した。
だが、これは別格だ。
融魔制御によって増幅された力が、そのまま身体の中で暴れている。
例えるなら爆竹と火薬庫くらい違う。
「よ、ヨウイチ!?」
アイリスが慌てて駆け寄る。
俺は地面を転げ回りながら必死に耐えた。
いや、耐えられていない。
普通にのたうち回っている。
すると、ユキが呆れたような顔で近づいてきた。
そして慣れた手つきで俺の身体に触れる。
暴走していた魔力と魔素が徐々に落ち着いていった。
数秒後。
嘘のように痛みが消える。
「ゆ、ユキさん……ありがとう……」
息も絶え絶えに礼を言う。
ユキは小さくため息を吐いた。
「……アホですね」
「ぐふっ」
思ったより鋭い言葉が刺さった。
「集中力が切れれば制御ができなくなって暴走する……当然」
「そ、それを早く言ってほしかった……」
「普通は分かる……」
「分からなかったんだよ……」
俺が抗議すると、ユキは再びため息を吐いた。
その姿を見て、アイリスはクスクスと笑っている。
最近気付いたことがある。
ユキは最初より明らかに口数が増えた。
それに遠慮もなくなってきている。
以前なら最低限の説明しかしなかったはずだ。
それが今では普通に毒を吐いてくる。
……まあ。
信頼されていない相手に毒は吐かないだろう。
たぶん、きっと…そういうことにしておこう……。
俺は都合よく解釈しながら、そっと視線を逸らした。
――――――――――「???」
崖の上から海が見える。
夜の海は静かだった。
月明かりを受けた水面が銀色に輝き、どこまでも広がっている。
吹き抜ける潮風が草木を揺らし、波の音だけが静かに響いていた。
「よぉ、久しぶりだな」
その崖の上には、一つの墓が建っている。
男は手にしていた花束をそっと墓前へ供えた。
続いて懐から小さな瓶を取り出す。
コルクを抜くと、中に入っていた聖水をゆっくりと墓へ注いだ。
月明かりに照らされた墓石には文字が刻まれている。
『ミリア=ザムジード 此処に眠る』
男の顔が月光に浮かび上がる。
月ノ城羽咲。
フヴェズルングのリーダーだった。
月ノ城は墓の前へ腰を下ろす。
そして、そこにいるはずのない相手へ語り掛けた。
「俺は、お前のおかげでこうして生きてる」
ぽつりと零れた言葉は、波音に溶けていく。
その横顔はどこか寂しげだった。
「でも、俺はお前を守れなかった……ごめん」
返事はない、あるはずもない。
それでも月ノ城は言葉を続けた。
胸元へ手を伸ばし、一つの首飾りを取り出す。
古びた銀の十字架。
長い年月を共にしてきたのだろう。
月ノ城はそれを静かに月へかざした。
「お前にもう少し世界を見せたかったが……それは出来なくなった」
月明かりが十字架を淡く照らす。
「今できるのは、この綺麗な海を見せることだけだ」
潮風が吹く。
髪を揺らし、服を揺らし、墓前の花弁を揺らしていく。
月ノ城はゆっくりと立ち上がった。
海を見つめる。
そして墓へ視線を落とした。
「なあ……俺の選択は正しかったのか?」
掠れた声だった。
後悔、罪悪感、諦めきれない想い。
様々な感情が滲んでいる。
「ミリア……お前を救えたかもしれない未来だってあったんだぞ?」
返事はない。
返ってくるのは波の音と、風に揺れる草木の囁きだけ。
静寂が答えだった。
月ノ城は自嘲気味に笑う。
「まあ、返事が返ってくるわけ――」
その時だった。
ピタリと表情が消える。
背後に気配を感じた。
反射的に腰の刀へ手を掛ける。
殺気にも似た鋭い視線を向けながら振り返った。
「――誰だ?」
そこに立っていたのは、一人の男。
月明かりに照らされた金色の髪。
堂々とした体躯。
王者の風格を纏うその人物を見て、月ノ城の目が細まる。
フィルネル王国国王。
ヨハン=ザムジード。
「ヨハン……何しに来た?」
低い声だった。
明確な敵意が滲んでいる。
だが、ヨハンは気にした様子もない。
静かな足取りで墓前へ歩み寄る。
「そう警戒するな」
穏やかな声。
しかし、その声音の奥には長い年月を生きた者だけが持つ重みがあった。
ヨハンはミリアの墓の前で立ち止まる。
そして静かに膝を折り、一輪の花を供えた。
「今日は娘の命日だ」
ヨハンは墓石へ視線を向けたまま言う。
「親が来ても、おかしくはないだろう?」
その声は穏やかだった。
どこまでも静かで。
だからこそ、月ノ城の胸の奥にある怒りを刺激した。
「俺はお前を許した覚えはない」
低く唸るような声、拳が震える。
「ああ」
ヨハンは頷く。
「許されようとも思っていない」
その一言が火種だった。
月ノ城は拳を強く握り締める。
爪が食い込むほどに。
「何故だ……!」
押し殺していた感情が溢れ出す。
「何故、あの時ミリアを行かせた!!」
怒号が夜の海へ響く。
潮風が吹き抜けた。
だがヨハンは動じない、ただ静かに答える。
「……仕方なかったんだ」
「仕方ないだと!?」
月ノ城の目が見開かれる。
「ふざけんな!!」
怒りが爆発した。
一歩踏み出す。
今にも殴りかかりそうな勢いだった。
しかし――。
ヨハンは『無表情』だった。
怒りも悲しみもない、まるで感情そのものが抜け落ちたような顔。
それどころか、どこを見ているのか分からない。
視線が妙に虚ろだった。
「お前も分かっていたはずだ!」
月ノ城は叫ぶ。
「何故魔獣を討つ! 何故魔王を倒そうとする!」
刀の柄を握る手に力が入る。
「答えろヨハン!!」
沈黙。
そして。
「分かっていないのは――お主だ」
ゾクリと背筋を冷たいものが走った。
「何……?」
空気が変わり、風が強くなる、草木がざわめく。
明らかに雰囲気が違う。
まるで世界そのものが拒絶反応を起こしているかのようだった。
ヨハンはゆっくりと顔を上げ、月明かりがその瞳を照らした。
そこにあったのは王の光ではない。
深く、暗く、底の見えない闇だった。
「世界はもう腐っているんだ」
静かな声。
だが、その言葉には異様な重みがあった。
「この世界は悪意に満ちている」
一歩。
ヨハンが前へ出る。
「救いもない」
また一歩。
「希望もない」
さらに一歩。
「何もかもが手遅れだ」
その口元が歪み、笑っていた。
だが、それは人が浮かべる笑みではない。
「だから世界を――作り変える」
月ノ城の表情が険しくなる。
違う、目の前にいるのは知っているヨハンじゃない。
英雄王ヨハン=ザムジードではない。
こんな顔をする男ではなかった。
こんな笑い方をする男ではなかった。
「そんな世界に……もう希望など持てないんだ」
ヨハンは聖大剣を抜き、刃が月光を反射する。
しかしその輝きは徐々に失われていった。
黒い何かが侵食するように広がっていく。
聖なる剣が、まるで呪われた魔剣のように。
「ヨハン……」
月ノ城の声が低くなる。
刀へ手を掛ける。
「お前は一体何を見ている」
返答はない。
「……いや」
月ノ城は目を細めた。
「お前は誰だ」
殺気が溢れ出す。
「答えろ」
風が唸る。
「さもなくば――ヨハンと言えど斬る」
数秒の沈黙。
そして。
「ハハハハハハハハッ!!」
ヨハンは愉快そうに笑った。
腹を抱えるほどに。
まるで何かが壊れてしまったかのように。
「何を言っている」
笑いながら顔を上げる。
その瞳に理性の光はない。
「私はヨハン=ザムジード本人だ」
狂気を孕んだ笑み。
それを見た瞬間、月ノ城の中で最悪の可能性が形になる。
「気にするな」
ヨハンは聖大剣を肩に担いだ。
「じきにお前も娘の元へ送ってやる」
瞬間、轟音のように魔力が噴き出した。
ドォォォォォォッ――!!
禍々しい魔力に黒い奔流。
聖大剣は完全に黒へ染まり切る。
「ヨハン……お前……既に……」
月ノ城の顔が歪む。
理解してしまった。
だからこそ歯噛みする。
「クソッ……!」
ヨハンは嗤う。
まるで他人事のように。
「これが英雄の末路だよ」
風に乗って声が響く。
「絶望し、全てを疑い、何も信じられなくなった」
ヨハンは空を見上げた。
月明かりが黒い剣を照らす。
「朽ち果てた姿だ」
その姿は、もはや英雄ではなかった。
「ツキノギ」
ヨハンは剣先を向ける。
「神には勝てない」
静かな宣告。
「全ては滅びゆく運命なんだよ」
月ノ城は刀を抜いた。
澄んだ刃が月光を反射する。
そして、真っ直ぐヨハンを見据え。
かつて、友人だった"者"に刃を向ける。
「……やってみなきゃ分からねぇだろ」
その一言に迷いはなかった。
「いや、無理だね」
ヨハンは断言した。
即答だった。そこに迷いはない。躊躇もない。
何度も考え、何度も苦しみ、それでも辿り着いた結論なのだろう。
だからこそ重い…だからこそ厄介だった。
だが――。
それでも月ノ城は退かない。
自分が信じる道を信じる。
それが今まで生きてきた理由だ。
何度倒れようと、何度絶望を見ようと、それだけは捨てなかった。
「ああ、そうかい!」
月ノ城は刀を構える。
切っ先を真っ直ぐヨハンへ向けた。
「俺はそれでも抗ってみせるさ!」
夜風が吹き抜ける。
二人の間を通り過ぎ、海へと消えていった。
「お前が絶望って言うなら――」
刀を握る手に力が入る。
「俺が希望を作ってやる!」
月光を受けた刃が鋭く輝いた。
その瞳に迷いはない。
「希望ってのはな……」
月ノ城は笑う。
どこか懐かしむように。
誰かを思い出すように。
「待ってりゃ誰かが運んでくれるもんじゃねぇ」
静かな声。
だが、その言葉には確かな重みがあった。
「自分で掴んで――」
一歩踏み出す。
「自分で作るもんなんだよ」
そして。
「――アイツみたいにな」
その瞬間。
ヨハンは鼻で笑った。
「ふん……」
失望したような。
あるいは羨んでいるような。
そんな曖昧な笑みだった。
「ならば、その希望ごと叩き潰してやろう」
ヨハンは黒く染まった聖大剣を構える。
かつて人々を守った聖剣。
今は禍々しい闇を纏い、その輝きを失っていた。
「その目で見るが良い」
闇の魔力が溢れ出す。
空気が震え、海が唸る。
そして、互いに"名"を言う。
「英雄王にしてフィルネル王国国王――ヨハン=ザムジード。参る」
「ただ…ここに生ける亡霊――月ノ城羽咲。清算の時間だ」
月ノ城も刀を構えた。
風が止み、波音が遠ざかる。
世界が息を潜めたようだった。
そして――。
「さらばだ、殺人鬼」
「じゃあな、英雄」
ヨハンが踏み込む。
ほぼ同時に月ノ城も地を蹴った。
一瞬。
本当に一瞬だった。
次の瞬間。
轟ッ――!!
剣と刀が激突する。
凄まじい衝撃が大地を揺らした。
爆風が吹き荒れ。
海面が大きく波打ち、夜の静寂は砕け散り。
轟音だけが世界に響き渡った。
その傍らで、一つの墓標だけが静かに佇んでいる。
『ミリア=ザムジード 此処に眠る』
聖水に濡れた石碑は月明かりを受けて淡く輝いていた。
英雄と英雄が刃を交える。
その光景を、ただ黙って見つめるように潮風が吹く。
波が寄せては返す。
好きだった海を前に、誰よりも優しかった少女の眠る場所で墓標だけが静かに月光を浴びていた。
まるで――泣いているかのように、決して届かない想いを抱えたまま。
ただ虚しく。
ただ静かに。
夜の海と共に泣いていた。
よかったらブクマしてね




