第十話 コラボ配信③
悠真が踏み込んだ瞬間、床が爆ぜた。
衝撃で周囲の岩盤がめくれ上がる。
普通の探索者なら、その初動すら視認できない速度。
だがフェンリルも同時に動いていた。
巨大な身体に似合わない速さ。
黒い残像を引きながら真正面から突っ込んでくる。
空気がぶつかる。
次の瞬間、拳と爪が激突した。
轟音。
洞窟全体が震える。
衝撃波で周囲の魔力結晶が一斉に砕け散った。
『うわああ!?』
『何だ今の!!』
『映像揺れすぎ!!』
配信用ドローンが吹き飛びかける。
協会側のオペレーターたちも悲鳴を上げていた。
「出力が異常です!」
「B級ダンジョンの耐久限界超えるぞ!」
「崩落予測出てます!」
だが現場にいる悠真には、そんな声は届いていなかった。
今、目の前にいるフェンリルだけを見ている。
重い。
今まで戦ったどのモンスターとも違う。
単純なパワーだけじゃない。
魔力そのものが“濃い”。
ぶつかるたびに空間が軋む感覚すらあった。
フェンリルが咆哮する。
至近距離。
音圧だけで岩壁が割れる。
だが悠真は顔をしかめただけだった。
「うるさっ……!」
そのまま拳を押し込む。
フェンリルの巨体が数メートル後退する。
普通ならあり得ない。
S級災害指定個体を、真正面から力で押し返している。
『待って待って』
『人間側がおかしい』
『何で押し勝ってるんだよ』
レイナは少し離れた場所からその光景を見ていた。
そして確信する。
(やっぱり、この人は普通じゃない)
S級探索者は強い。
それでも“人間の範囲”だ。
だが悠真は違う。
戦い方が根本から異質だった。
技術でも経験でもない。
純粋な出力がおかしい。
しかも本人にその自覚が薄い。
それが一番危険だった。
フェンリルが再び動く。
今度は魔力が違った。
黒い霧が周囲へ広がる。
空気が腐る。
地面が侵食され、岩肌が黒く変色していく。
「瘴気……!」
レイナが目を細める。
S級モンスター特有の高密度魔力汚染。
普通の探索者なら近づくだけで身体が壊れる。
だが悠真はその中を普通に歩いていた。
「なんか空気悪いな」
「その程度の感想で済むものじゃありません」
「そうなのか?」
本当に分かっていない顔だった。
フェンリルが一瞬止まる。
赤い瞳が悠真を見据える。
そして次の瞬間。
洞窟全体の魔力がフェンリルへ集まり始めた。
空間が歪む。
地面が浮く。
配信映像が完全に乱れる。
『映像止まった!?』
『何これ何これ』
『逃げろって!!』
協会本部でも警報が鳴り響いていた。
「S級反応急上昇!」
「まだ上がるのか!?」
「このままだとダンジョンそのものが暴走します!」
会議室では複数の幹部がモニターを見つめていた。
彼は静かに映像を見ながら呟いた。
「……なるほど」
その視線はフェンリルではない。
悠真を見ていた。
「本当に、反応している」
現場。
フェンリルの口元に黒い魔力が集束する。
圧縮。
凝縮。
危険だと本能が告げていた。
レイナが即座に動く。
「悠真、下がってください!」
「ん?」
「それは受けてはいけません!」
だが一瞬遅い。
フェンリルが咆哮と同時に黒い閃光を放つ。
空気を裂きながら一直線に悠真へ迫る。
洞窟を貫くほどの高密度魔力砲撃。
S級探索者ですら直撃は危険。
だが悠真は避けなかった。
避けるより先に、身体が動いていた。
拳を振る。
それだけ。
次の瞬間。
黒い閃光が“砕けた”。
轟音。
衝撃波。
ダンジョン全体が大きく揺れる。
数秒、誰も動かなかった。
『…………は?』
『今、殴った?』
『魔力砲撃を?』
『意味分からん』
悠真自身も少し驚いていた。
「……壊れた」
「壊しました」
レイナが真顔で言う。
「いやでも普通こうなるのか?」
「なりません」
即答だった。
フェンリルが初めて明確に警戒を見せる。
巨大な身体がわずかに後退する。
そして悠真は、それを見てようやく笑った。
「お前、今ビビっただろ」
フェンリルが低く唸る。
だがその反応が、逆に答えだった。
悠真はゆっくり拳を握る。
身体が熱い。
周囲の魔力が勝手に流れ込んでくる。
まるでダンジョンそのものが反応しているみたいだった。
レイナはその異常を見て、小さく息を呑む。
ダンジョン内の魔力が、悠真を中心に渦を巻いている。
普通ではあり得ない。
人間がダンジョンへ適応することはあっても、“ダンジョン側が人間へ反応する”ことなど聞いたことがなかった。
悠真がゆっくり拳を握る。
身体が熱い。
周囲の魔力が勝手に流れ込んでくる感覚。
まるでダンジョンそのものが、自分へ反応しているみたいだった。
フェンリルは低く唸りながら距離を取っている。
明確な警戒。
S級災害指定個体が、“人間相手に様子を見ている”。
その異常さに、配信コメント欄も完全に混乱していた。
『何でフェンリルが下がってるんだよ』
『どっちがモンスターなんだこれ』
『新人扱いしてたの誰だよ』
悠真はそんなコメントを横目で見ながら、軽く肩を回した。
「……なるほどな」
「何か分かりましたか?」
レイナが聞く。
「いや」
悠真はフェンリルを見たまま答えた。
「こいつ、思ったより話通じそう」
「通じません」
「即否定かよ」
だが実際、フェンリルの動きは変わっていた。
最初みたいな暴走状態じゃない。
まるで“確認”しているような動き。
悠真を観察している。
そしてそれは悠真も同じだった。
(こいつ、ただ暴れてるわけじゃないな)
普通のモンスターなら、ここまで理性的な間合いの取り方はしない。
特にフェンリル級なら、力押しで全てを潰せる。
なのに今は動かない。
理由がある。
その時だった。
フェンリルの全身を覆っていた黒い魔力が、ゆっくり薄れ始める。
洞窟内の圧迫感も少しずつ下がっていく。
『……あれ?』
『魔力反応下がってない?』
『撤退する?』
協会側でもざわめきが起きていた。
「S級反応低下!」
「暴走収束してる!?」
「どういうことだ!?」
誰も理解できていない。
だが現場にいるレイナだけは、その理由に薄々気づいていた。
フェンリルは“悠真を敵として認識し直した”。
暴走状態から、警戒状態へ移行したのだ。
それはつまり――。
(本能で危険度を理解した)
ということだった。
フェンリルがゆっくり後退する。
赤い瞳は最後まで悠真から外さない。
そして数秒後。
黒い魔力と共に、その巨体が暗闇へ溶けるように消えた。
静寂。
洞窟に残るのは、崩壊した地面と砕けた岩壁だけ。
『……逃げた?』
『S級モンスターが?』
『え、終わり?』
悠真はしばらく暗闇を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「帰ったな」
「帰った、じゃありません」
レイナが真顔で言う。
「S級災害指定個体を撤退させたんです」
「いや、勝手に帰っただけだろ」
「普通はあり得ません」
即答だった。
その時、協会通信が大音量で入る。
『白銀レイナ! 天城悠真! 無事か!?』
「無事です」
『本当に!?』
「はい」
通信の向こうが一瞬黙る。
無理もない。
S級災害指定個体と接触して、“無事です”で済むケースなんてほぼ存在しない。
しかも今回は討伐ですらない。
フェンリル側が撤退した。
そんな記録、過去にほとんど無かった。
悠真は崩れた岩の上へ座る。
「疲れた……」
「その程度で済むんですね」
「いや結構疲れたぞ?」
「フェンリルと正面から殴り合っておいてその感想なのが異常です」
レイナはそう言いながらも、少しだけ安心したように息を吐く。
悠真はその様子を見て首を傾げた。
「お前、心配してたのか?」
「していません」
「絶対嘘だろ」
「……少しだけです」
珍しく認めた。
コメント欄が一気に加速する。
『レイナさん!?』
『今デレた?』
『貴重シーンすぎる』
レイナはコメント欄を見て無表情のまま小さくため息を吐いた。
「面倒ですね、配信」
「今さら?」
だが、その直後。
洞窟全体が小さく揺れる。
レイナの表情が戻った。
「……崩れます」
「え?」
「悠真、走ってください」
「何でそういうのもっと早く――」
最後まで言い切る前に、天井が崩落した。
轟音。
大量の岩石。
悠真は反射的にレイナの腕を掴む。
「うおっ!」
そのまま全力で駆け出した。
後方で洞窟が次々崩れていく。
配信用ドローンが必死に追従する。
『逃げろ逃げろ逃げろ!!』
『最後にそれやるのかよ!!』
『映画か!?』
悠真は崩落を避けながら叫ぶ。
「これ絶対B級じゃないだろ!!」
「最初から言っています!」
「もっと強く言え!」
背後ではフェンリルが残した魔力の影響で空間そのものが崩れ始めていた。
出口までの距離、およそ数百メートル。
だが崩壊速度の方が速い。
普通なら間に合わない。
それでも悠真は止まらなかった。
床を蹴る。
加速。
空気が裂ける。
その瞬間、レイナが目を見開く。
(速い……!)
今まで本気で走っていなかった。
そう理解した。
景色が一気に流れる。
そして次の瞬間。
二人は崩壊寸前のゲートを飛び抜けた。
直後、背後のダンジョン入口が轟音と共に閉鎖される。
静寂。
協会ロビーにいた全員が固まっていた。
土煙の中から現れた悠真が、一言だけ呟く。
「……いやほんと、B級じゃないだろあれ」




