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牝猫たちはすべてを観ている  作者: N.Willowstream
4・どこからも遠い場所にて
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閉ざされた記憶の場7

「金ね。たしかにそりゃ大問題だわな」


 幸矢は素直に苦笑した。身も蓋もないが、その理由ならば納得せざるをえなかったのだ。


 たしかに奉神舍大學は私学としてはだいぶ学費が低廉であった。予科では私学ではほぼ最安値。学部でも総合教養学部、商学部ならば官公立よりは少々高い程度。法学部も、まぁ内容から考えればずいぶんとパフォーマンスがよいだろう。ただし、理系は相応に高い。さすがに設備投資を学費以外で回収するにも限界がある。


 くわえて一定期間の集団居住が義務づけられているが、基本的にベランダ付のワンルームが用意されていて、しかも居住費は低廉だ。そのため奉神舍周辺におけるアパート経営はかなりの苦戦を強いられていた(とはいえ不動産営業はそのへんの事情は考慮しないが)。


「……その、なんだ。家庭の事情、からなのか?」


 おずおずと訊ねた幸矢に対し、咲楽は答える。


「ウチの矜持ですわ」


 幸矢は小首を傾げる。すんなりとは理解できなかった。


 その様を見て、咲楽は深呼吸し、ブリッジに指をかける。そうしてしごく凛冽な表情で語りはじめる。


「なんや。ウチ、両親に頼んだってんです。官立しか行かへんさかい、そのぶんのお金だけ用意してくれへんか、て」


 咲楽は表情を崩さなかった。衒いなどなく、まさに事実を述べているだけなのだろう。


 それに対し、幸矢は口許を歪めながら遠くを眺めていた。


 戯言だ、だと莫迦にする感情も湧かなかった。ただただ凄味を感じていた。冗談交じりの発言であったかもしれないが、よほどの自信がなければここまであけすけな依頼を口にすることはできないからだ。


 そして幸矢は己のことを振りかえってみれば、両親に学費に関して確認することさえしなかった。ひたすら甘えていたのだと思う。


「もし、私学行くことになってもうたら、差額はウチが工面したるわ。そないなことまで宣言したってんです」


「まさか親御さんはそれを真に受けちまった、とか?」


 幸矢は不安を覚えていた。咲楽は微笑しながら頭を振った。


「それはあらへんでした。金の心配なんぞせぇへんでええ、とお父さんに一蹴されてしまいましたわ」


 安心した、と幸矢は内心で応えた。咲楽は声を強めてさらに続ける。


「せやけど、ウチはほんまそないに思うておりました。両親への宣言ですねん」


 咲楽はわずかに幸矢へと上体を寄せた。美しい才女のまなざしを幸矢は身を固くして受けとる。


「ほんで、お父さんは、そんつもりでやったるなら好きにやったれ、と。お母さんは黙ってうなづきよりました。これで誓約は成立しましたわ」


「ちょいと極端な話じゃねぇかと思うんだが」


「せやけど、誓約は誓約ですねん。果たさなあかんのですわ」


 奇妙なほどに咲楽の表情は晴れやかであった。たとえ稚気じみていても誓約を交わしたことそのものに悔いなどない、とでもいいたそうに。


 幸矢は気分良く微笑む。いささか扱いが面倒な、頭が切れる美女。それが彼が好む女性像だった。そして一瞬、幸矢はステラを思いだし、足許の牝猫を見やる。牝猫は薄い目で彼を見つめていた。そうして、幸矢は愉快そうに言う。 


「そこらの男よりゃよほど剛毅だわな。どんな親御さんに育てられたんだか」


 ただの軽口のつもりだったが、咲楽は別の解釈をしたようだ。


「あぁ、うっとこは、お父さんはヘリ操縦士で、お母さんは看護師です」


「なんつうかな。失礼かもしんねぇが、変わったカップルだな」


 すると、咲楽は堂々とした声量で幸矢に告げる。

 

「ふたりとも海軍さんの大村基地で、救難ヘリのクルーをやっておりました。お父さんが大尉で機長、お母さんは少尉で機上救護員(エアメディツク)


 皇国海軍大村基地の救難飛行隊は、その管轄に対馬、壱岐、五島列島など、おおくの離島を抱えており、それらの住民の命のインフラとして機能している。そして皇国軍でもっともおおくの急患搬送を遂行してきた。


「なんや、今となっては海軍予備役(IJNR)に編入しておりますけどね。震災後にお父さんの灘の実家に戻ってきよったんですねん」


 両親のことについて語る咲楽は嬉々としていた。それだけで咲楽がふたりに親という存在以上の敬意を抱いていることが、幸矢には理解できた。 


「せやけど、今の職場も似たようなもんで……。六十に近いゆうのに、お父さんはドクターヘリの操縦士。お母さんは赤十字で講師やっとぉです」


「まぁ、そんなんじゃ、現役時代よりも働いてんじゃねぇかな?」


「ほんまですわ。お父さんはやっとこ予備役少佐になったゆうに、お母さんはなんやしらんですが中佐ですわ。たまぁに、お父さんがボヤきよります。家にも機長席が欲しいねん、ゆうて」


 幸矢はコクコクとうなづき、咲楽の両親について感心した。優秀な人間なのだろうと。皇国軍は人事方針として予備役を定期昇進させないからだ。まぁ、赤十字社は伝統的に軍との交流が深く、人材のプールとして機能しているという事情がある。ゆえにその教育担当者には相応の階級をあてがう必要があるのだろうが。


「たいしたもんだ。おめぇの親御さんは戦闘職種よりも戦闘的だな。勝手な想像だけど」


 幸矢としては賞賛しているつもりだった。そして、咲楽は朗らかに、まったくですねん、と応じた。


「やんや、他人を活かすためにザット・アザース・メイ・リヴ、を体現しよった人間ですので。ほんで、目端が利いて、の海軍魂もありよるし。ほんま、厄介なもんです。でけるゆうたらでけるように己を合致させなあかん。そないな言葉を何回も何回も聞かされて育てられましたわ」


 そして、直後に咲楽は深くうなづく。


「そないなふたりの愛娘が、ウチですねん。高らかに宣言して惨めに失敗してもうた、こん乾咲楽ですねん」


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