閉ざされた記憶の場6
「なんでそないなことを訊くんですのん?」
キョトンとした調子の咲楽の応答。それにつられて、幸矢はぼんやりとした口調になる。
「いやさぁ。めぼしい官立が全滅だつっても、関西にだって有力な私立はあるべ? いやいや、ちょっと足を伸ばせば九州にだって……」
とはいえ、幸矢は具体的には思いあたらなかった。せいぜい南関東ぐらいしか世界はひろがっていなかったのだ、と認識する。
咲楽は空のどこかを見つめながら呟く。
「……まぁ、このまんま近畿におったら吉田の学校のことが頭から離れんようになると想像してもうたら、それが恐ろしゅうて」
わからんでもねぇが、と幸矢は無感情に応じる。
実際のところは共感していた。中学生の一時期、幸矢は奉神舍からの脱出を検討していた時期があった。結局、予科、学部と奉神舍を選択したのは、周囲の寛容と己の怠惰からだと、幸矢は結論づけていた。
「ま、箱根を越えよ思うたのは、お父さんの東京での経験もありましてん。幻想から逃げよ思たら、もひとつの幻想に頼りとうなったんですねん」
いかにも照れくさそうに微笑んだ。ずっとこの笑みだけでやりとりできたらな、と幸矢は思ってしまった。
「お父さんいわく。俺はおまえには信じられへんもんを見たってん。西郷さんの肩の上で憤慨する社会主義の戦士。雷門のそばで闇夜に煌めくチャリダー……。時間を経ても消えへん記憶。晴天の下の影のように。俺はまた行かな」
散文詩を諳んじるような調子であった。その時の咲楽はまったく純真に楽しそうであった。対して幸矢はなんとも曖昧な表情を浮かべた。
「どこの異世界の東京だよ」
事実であるのかどうか、どうにも疑問であった。なかなか凝ったパロディだろうが、大阪の情景を表現したものだと感じてしまう。なんにしても、咲楽の言動は父親からの影響がたぶんにあるのだろうと推測できた。
「ええ。ウチには箱根から東は異世界でしたわ。坂東もんにとっての西日本がそないであるよに。……ウチ、うっとこの世界で充分やと思うておりました」
なんとまぁ、と幸矢は苦笑する。じつに微笑ましい関西中心主義。
「なんや、あないなことがあってウチのちんまい世界が壊れてもうて。とにかく、東京へ行かなあかん思うよになって。条件がよけら、東京のどこでもええと。……でなけら、ごっつビミョーな土地には来んですねん。しかもビミョーな宗教系の学校なんぞに」
この発言には幸矢はムスッとした顔になる。咲楽が世にも稀な美貌であるのはたしかだが、とはいえ己の故郷を罵られて平然とはしていられない。その点について自虐することはあるが、他者からあえて指摘されるのは抵抗感がある。
妙に熱のこもった調子で幸矢は宣う。
「たしかにそのとおりかもしんねぇな。ここ奉神舍神陵校地は東京の辺境だ。新宿、立川はおろか、府中だって多摩川の向こう側。聖蹟からもそこそこ離れてらぁ。最寄駅のひとつは川崎市の京王線の駅で、むしろ正門からはそちらのほうが近い」
「町田市のよなもんですのん?」
咲楽は都民には馴染の冗談をいった。あけすけに嘲った表情を示している。
「県境でしか地域を認識できねぇんか? こちとら和銅年間に設置された武蔵国の国府の川向いの土地だわ。だから当時は川港もあったし、時代を降っても鎌倉往還もすぐそばを通ってた。つまり行政中枢の至近だった時期があらぁ」
幸矢は淡々とした口調で、だがその無骨な顔を厳つくして語った。しかし、咲楽は声を漏らしてせせら笑った。ついで愉快そうにいう。
「なんや、そないなこと。まるでウナギの寝床で生きとぉ洛中の住民みとうな物言いですやん」
幸矢は口角を歪めて応じた。さらに咲楽は続ける。
「ほんで、こんおっきな丘のどこらへんに東京らしさがありますのん? 聖蹟の近くになるとゆうても、雫やのうてメイが、いやサンが出てきおってもおかしゅうないですで。大東京を見せたってや。ここは東京ですねんで」
「黙れ、小娘! おまえにこの大学のなにがわかるつうんだ!」
声を荒げたが、幸矢の目許以外は笑っていた。所在地がどうこうの
論争はとりあえず放置することにした。
「微妙な宗教系つうな。奉神舍大學は畏れおおくも三大神道学の一角だべや」
即座に咲楽が反論する。非常な背丈をおおきく揺るがしながら。
「ちゃいますやろ? 神道三大学ですやろ? 神職課程を設置しておるの、三校しかあらへんし。ほんで奉神舍は三大学のうち、双璧とちゃうほうやったかと。ここの神職課程は神社が設立した私学を継承したもんですし、宮様からの令旨を賜ったわけとちゃいますし」
幸矢は頭を掻いた。咲楽の指摘はじつに痛いところを突いていた。
「建学の精神という名義で、有栖川宮幟仁親王の令旨を使わせていただいているんだがな。もちろん、神社本庁やら関係先にゃ了解してもらっちゃいるが」
*
学校教育において神社神道が果たした貢献は、意外なほどにおおきいものであった。いや、正確には”我が固有の道義を窮知する”ことを意義とする国学を普及させる機関として、だ。
明治初期、神武創業の古にたちかえり、祭政一致を目指した大教宣布の挫折と、それに続く祭神論争などの内紛を経て、神社神道は宗教としての存在を否定された。そして神社は祭祀を執行する公共団体と性格づけられ、奉仕する神職は国学を修養した知識的専門職と位置づけられることになる。
つまるところ、神社神道の責務は国学に基づく国民教化を担うものであり、神職は教師としての知識を要求されたのだ。ゆえに神職は血筋ではなく学識によって任用されるべきとされ、ひろく国民に開かれた”学校教育”を通じて養成することを指向するようになった。
そして神職が祭祀により望ましい規範を教育する職業人となれば、より広汎な領域での活動を切望するようになるのは、当然の帰結といえよう。ようは普通教育における教師の養成にも進出したのだ。
全国各地に様々な形態の神職養成所が設立されたが、それらのいくつかは師範学校への進学を目的に掲げていた。それに中等学校卒業者には小学校教師の無試験任用の資格が与えられていたため、神職養成機関から脱して中学校設立を意図する事例が現れている。
奉神舍大學がその代表例であった。
皇国の導術者の紐帯を担うと自負する〈大神靈神社〉は、内務省の支援のもと各種の施策を行っていた。導術者を対象とした神職養成事業もその一環である。とはいえ〈大神靈神社〉としてはさらなる影響力拡大をもくろんでいた。
そしてついには導術者のための私立中学校設立を目指すようになった。神社によって教化された卒業生を師範学校へ送りこむためである。むろん文部省は難色を示した。しかし神社と導術者を管轄する内務省の意向もあって、文部省は財団法人による設立を許可する。また当時は導術者のみで教育することが原則であったが、常人の生徒の学修も行うこととされた。
まぁ、醜いともいえる経緯である。
なにはともあれ、これには〈大神靈神社〉は歓喜した。設立される法人の名称には注文がなかったため、調子にのって”奉神舍”なる実に宗教臭いもので登記したほどだ。文部省担当者はこれを見てなにを思ったことだろう。
こうして財団法人奉神舍は中学校経営を開始したのだが、神職養成所は依然として神社が経営していた。が、数年後には財務強化として神職養成事業を法人が受託することになった。生徒としても、進路の幅がひろがったわけで好意的に捉えられた。
奉神舍の事業は全国の導術者子弟を客層として囲いこんでいたこともあって非常に順調に推移し、大正年間には接続する専門学校を設立するに至った。同時期、内務省から委託されて能力統制行政従事者の養成を担っていた私立導監伝習実験場が合流する。奉神舍は名実ともに対導術者の学校教育、つまり導監教育における代表者となったわけだ。くわえて普通教育の現場でも有力な教員の供給源として機能することになった。
のちの大正七年には大学令とあわせて内務省管轄の私立監導大学令が施行された。これによって奉神舍大學が発足する。内務省による様々な財務での便宜をあたえられて。この点で文部省認可の大学とはおおきな相違があり、今日でもその特例は有効とされていた。
蛇足だが、学生確保のために教員養成課程である高等師範部、また神職養成課程の神道部が学部と同時に開設されている。とくに高等師範部は学部に対しておおきな存在感を示すようになり、のちのち奉神舍大學の烈しい内紛の核心となる。
とにかく奉神舍大學はその出発点が神職養成所であって、欧州の大学の起源と似ていなくもないかもしれない。だが個人企業を乱暴に拡張させたようなものであることもたしかであって、格としてはどうにも微妙なものとみなされていた。他の神道系大学は国家の後押しがあったようなものだが、対して奉神舍は権力を利用したようなものであるからだ。ただの権勢拡大のためであったわけでもないこともたしかなのだが。
なお”非宗教としての神社神道”という奇妙な実態は、包括宗教法人の神社本庁の設立によって解消された。歳出削減のためでもあるが、神社神道からも要望されていたのだ。大規模な財政支援は喪われたが、やはり行政機関の扱いで監督されるのは窮屈であったのだ。
こうして得た自由な裁量権により神社本庁が強権的な統治を行っているのは皮肉な現実といえよう。だが個々の神社には離脱する権利があって、そのうえで独自の教学を宣布する自由もある。これもまた民主国家の成果だ。
*
「そこらへんがまたビミョーなとことちゃいますか? まぁ、建学の理念なんぞで選択する学生はようおらんと思いますが。ただ、自分から三大なんちゃらと騒ぐゆうのはあかん思いますわ」
咲楽に幸矢は肩をすくめる。悔しいのは事実だが、しかしどこか嬉しさも感じていた。外の人間からなんと言われようが、幸矢はこの奉神舍の杜を愛しているのだと気づかされたからだ。この、産まれた時から親しんできた環境を。
「へいへい。どうせ、我が奉神舍大學は胡散臭い宗教系ですよ。明治神宮とか参拝しねぇと卒業のために必要な一単位が獲得できねぇんだから。学部でだぜ?」
学部へ直に接続する大学予科では、先取りして学部教育の一部を受講することが認められていた。つまり予科出身者は転入してきた学生と比べて単位の負担がすくなくなるわけだ。おおくの大学ではなにかと立派な題目で飾りつけられた基礎教育講義を設定し、制度を利用していた。むろん志望者への訴求のためだ。
奉神舍も例外ではなかったが、全国の導術者を想定しているゆえ、学部と予科との差異はさほどつけていなかった。予科出身者の一年生(大半がそうなるのだが)は全学共通科目として”神社神道基礎論”なるものが開講されていた。中身はざっくりとした神社まわりの解説であって実に眠たくなるものだ。
ただ校外学習として都心部の神社に参拝せねばならないのが厄介だ。貴重な日曜日が潰されるため、学生、教員からもおおいに不評であった。玉串奉納というかたちで神社本庁に献金している、との噂があるほどだ。
社家の係累である幸矢とて心情は批判的であった。
「でも、ミッションだと、毎日、必ずチャペルに面だせや、とかほざきやがんだろうな」
すると、咲楽はいかにも不機嫌にいう。
「そないなことありまへんで」
「えらく断定的だな」
「ウチ、そのミッションの女学校の出身ですさかい」
「そうだっけ?」幸矢は気が抜けた声で問いかける。
「さいですよ。エピスコパル・チャーチが母体ですねん」
なるほど、と応じつつ幸矢は空を仰ぐ。そうやって、記憶の底から単語を引っ張りだしているのだ。わりとすぐに照会できた。
「監督派教会、か。……それなら、同じ系統のが東京六大学にもあんじゃんか。さらに南武線じゃなくて山手線沿線だぜ」
ニヤニヤと幸矢は笑っている。実態はとにかく神社神道と馴染みやすいかもしれない、というふうに思っていたのだ。ただし咲楽はあくまでまじめなふうに応答する
「そこも受験しましたわ。ほんで合格しましたわ。せやけど、やっぱ奉神舍を選択したってん」
「そいつぁまたなんで?」
奉神舍のそばで育ってきた幸矢は発作的にそう訊ねた。
「金の問題です」
まったく、ひどく簡潔な説明だ。その時の咲楽は凛々しく微笑んでいた。




