閉ざされた記憶の場1
幸矢はこの空間について端的に表現する。
「殺風景だが、なんか不思議と落ちつける空間だわな」
幸矢によれば弓庭德灯長老記念公園と呼ばれているとのことだ。
「さいですな。目につくもんは緑だけよって、そらええ具合になりそうですわ」
半時間ほどかけて案内された場所について、咲楽はそう評した。彼女らふたりと牝猫一匹は東側にある深い切通から緑の色彩が占める空間を眺めている。
森に縁取られた円形の窪地。その直径は百メートルほどか。平坦な地面は芝生が占めており、中心には男の立像。東を向いた銅像は約三メートルとおおきなもので、台座も含めれば三階建の屋上にも届くだろう。
そして、空間にあるのは芝生と銅像だけであった。まぁ、テーブルセットがいくつかあり、おかげでここが公園であることをささやかに主張していた。なんにしろ、緑の円すべてが銅像の構成要素であるような印象がある。
「あと、ドッグランに使てもよさそうですねんな。ウチならそうしますねん。せやさかい、せっかくですがここでゴロゴロすんのはやめときますわ」
咲楽は脱力した調子で続けた。端正な顔もいくぶん締まりがない。芝生の上で寝転がりたいのは本音であった。季節は春の盛りで、空は快晴、時刻は正午過ぎ。くわえて一面の柔らかな緑の絨毯。眠気を催してくるのも当然だ。
幸矢は朗らかな顔でうなづき、芝生一面を指さした。
「つっても、発情したカップルにゃ関係ねぇらしいがな。そんで、いたしてる最中に、耳元でジジイの声が聞こえてくるんだとさ。おい、汚ねぇもんをこっちに向けんな、てね」
自転車のサドルでウトウトしていた牝猫が反応する。甲高く短く鳴いたのだ。気分がいいところに汚い話をするなと抗議したのだろうか。それは咲楽も同様であった。
「そいつは興味深いことですわ。幸矢さんも実践してみたらどないですのん?」
湿った視線を受けて、幸矢は口角を歪めてみせる。
「やんねぇよ、んな莫迦な真似。だって、学生なら留年確定らしいからねぇ。部外者なら下腹部の調子が悪くなるんだと」
牝猫はおおきく尻尾を振った。彼女が人間ならばツッコミしたことだろう。
咲楽は内心で訊ねる。『それ以前に相手はおるんですのん?』
「まぁ、あの米帝のお爺さんも東洋の島国でわざわざそないなもんを見せつけられてもねぇ。そらしゃあなしですわ」
咲楽は気だるげに銅像を指さした。青銅の巨人はフロックコートにスラウチハットといういでたちで、顔の半分は髭で覆われていた。咲楽の発言には説得力があった。第一次南北戦争当時のアメリカ連合帝国陸軍の典型例に見えるのだ。なお十九世紀北米を扱う歴史学では、米帝並びに米帝軍を南部・南軍と、同様に合衆国並びに合衆国軍を北部・北軍と換言するのが慣習となっていた。
すかさず幸矢が指摘する。
「おいおい、誰を記念しての公園だと思ってんだよ」
「あ……。せやったら、あれは幸德さんなんですか。せやけど、見た目、完全にリー元帥ですわ」
とはいえ、よくよく注意すれば佩刀が日本刀の誂えであることに気づくだろう。よほどのマニアしか気にしないだろうが。
「まぁ、翁は南部陸軍少将の階級を賜ってるからねぇ」
腰に手を添えながら咲楽は銅像を瞼も重たげに眺める。幸矢の得意げな説明はまどろんだ意識に溶けてすぐに意味を喪っていく。
「もちろん、名誉昇進だがな。一九一四年、大正二年に戦勝五十年を祝して、で。ま、翁は翌年に逝去したからちょどいい追贈になっちまったが」
はぁ、と咲楽はうなづいた。頭を起こすのがしんどかった。
「そんでも、将官まで昇進したゲティスバーグ経験者の最後の生存者として記憶されてるわな。ついでに第一次南北戦争に関係して、義勇兵から常備軍に編入された最後の将校でもある。まさに伝説だ」
ゲティスバーグ、という言葉が咲楽の意識を覚醒させた。奉神舍の入試で、世界史の設問にあったことが思いだされた。会戦の発生順とその影響についての設問だ。そして彼女は幸矢の横顔を鋭く見やる。
「なんですのん? ゲティスバーグ会戦に従軍? いやいや、義勇兵やゆうても、もとから正式に軍籍に登録されてたよな話ですやん。しかも将校?」
大尉だよ、と幸矢は応じた。ついで、これみよがしにニヤリとする。
「だって、南部籍でなくたって義勇兵になれたんだぜ。シャーマン将軍閣下だって、北部市民でありながらルイジアナ州兵将官として雇用されてたじゃん。当時は南北で幅広く人間の移動があったわけだし。ま、第二南北戦争まではそうだったけどさ」
ちょい待ち、と咲楽は言葉を遮った。己の知らなかった情報を開陳されて、理解が追いつかなかった。
「ウチ、日本人が南北双方で従軍してたゆう話は知っておるんですけど、せやけど将校がおったなんぞ知らへんですわ」
「教科書でわざわざ触れるまでもねぇわな。ただ槍働きしただけであって、南部の生存を決定づけたわけじゃねぇんだ。そりゃ当然だ」
幸矢はそういっていたが、表情はまことに嬉々としていた。
「だいたいからして熱望した結果じゃねぇし。遊学先のオレゴンで国境紛争に観戦しにいって、そこでピケットに出会ったのが運の尽き。情にほだされてヴァージニアへの帰郷につきあったら、いつの間にやら義勇兵将校にさせられちまっただけだし」
幸矢はそこで肩をすくめた。咲楽はその仕草に乾いた笑みを浮かべる。
「翁にとっちゃ異世界転生みてぇな経験だったろうな。ライフル一丁と刀一振り、それに片言の英語だけを頼りにして、南部を駆回ったんだもん。たいしたもんだ」
咲楽は深くうなづく。第一次、第二次の大戦で欧州に出征した日本人たちよりもひどく困惑した状況であろうと思う。そして、同時期の南部人たちも似たようなものか、などと続いて思った。
「さいですね。せやけど、珍奇な有色人種だからやのうて充分に優れた義勇兵やったさかい、将軍になれたとちゃいますのん? ボンクラなら軍籍での記録しか残らんでしょうし」
「だな。……いや、ただひたすらに幸運であったかもしれんわな。なんせ、幸德翁はピケットの突撃にもつきあってたんだから。戦列の最右翼で、セメタリーリッジからの砲撃を浴びつつ、四分の三マイルを進んだんだ」
咲楽は顔をしかめて、幸矢の表情を窺った。暗鬱なものであった。咲楽にはその理由を察するだけの知識があった。
南部人にとり四分の三マイルという普通名詞は、日本人にとっての二〇三高地と同じ重みがあった。一八六三年七月三日の午前、その距離を行進した一二五〇〇人のうち半分が死傷したのだ。
「ジ・アングルにゃ突入できなかったが、その行動を支えた日本人の一党がいたこたぁ覚えといてくれ。彼らの四分の三はゲティスバーグで斃れたし、骨もそこにあんだ」
咲楽は深く、深く首肯した。
「Oriental volunteer regiment of mounted rifles。東洋人騎乗狙撃兵義勇聯隊。ま、聯隊つっても頭数のおおい大隊だけどな。弓庭幸德義勇兵大尉は、その最終的な最先任将校だったんだ」
そこで幸矢はちいさく息を吐くと、南部陸軍少将の像へと一礼した。しかし、咲楽は従わなかった。美しく均整された顔をひきしめて像を凝視する。
*
ピケットの突撃は巨大な損害を被りつつも北軍をゲティスバーグから排除した。彼の地からペンシルヴァニア州の州都ハリスバーグまでは指呼の間だ。そこを確保すればフィラデルフィアの西からの連絡を遮断でき、さらには北部の首都プリンストンにも脅威を及ぼせるのだ。
だがしかし、そこまでであった。北上するには南軍は血を喪いすぎていた。ゆえにリー将軍はすぐさまメリーランド州へと退却せざるをえなかった。あまりにも悲惨で直接的には無益な勝利であった。間接的にはおおいなる勝利と評せる。北部大統領個人の精神に恐慌をもたらしたのだ。
北部大統領は即日、歴史的な命令を発した。ミシシッピ川沿岸の地方都市を包囲していたグラント将軍に東部への転進を命じたのだ。大統領は南部の東西分断よりも北部首都の死守こそが戦争を決すると判断したのだ。グラント将軍が攻めていたヴィックスバーグはミシシッピ川の交通にとって決定的な位置にあり、南軍には解囲するほどの兵力がなかったにもかかわらずだ。
結果、北部は戦争を喪った。
*
「幸矢さんは、歴史について語るためにここに案内したのですのん?」
「ま、半分はそんなとこ。ちょいとは興味深い事実を提供できたと思うが」
咲楽ははにかむ。昨日、幸矢に本心を口走ってしまったのが恥ずかしく思えたのだ。また、本来は先にこの銅像を訪ねるべきだったかも、とも考えた。わざわざ森の深奥を探るのではなく。
「ほんまありがとうございます。さいですが、そないな事績があるんやったら、ひろく知られておってもおかしゅうないと思いますねん」
咲楽の本心からの問いかけであった。幸矢は空を仰ぎながら応じる。
「そりゃまぁ、第一次南北戦争は奴隷制の是非を巡る戦争だったからねぇ」
咲楽は顔をしかめることしかできなかった。幸矢の主張するものが理解できたからだ。米帝、とくに深南部では警察による黒人市民に対する一方的射殺は今日でも珍しくない。
「そうはゆうても、幸德先生は奴隷制のために闘ったわけとちゃいますやろ?」
「ああ、そのはずなんだ。そんで、リー元帥だって、奴隷制にゃ消極的に反対してた。ただ彼にゃなによりも護るべき故郷があった。対して幸德翁。南部にゃなんもねぇんだ。結局、生真面目に従軍した理由なんざ、若もんの冒険心みてぇなもんだろうな」
「なんや、たかがそないなことで身体を張れるもんですのん?」
「さぁな。だがよく考えてみりゃ、なんも守るべきもんがねぇ国だからこそ、無心に務めることができたかもしんねぇぞ。損になるかもと思ったらケツまくりたくもならぁ。が、元からなんもなけりゃ、飯と金を恵んでくれるんなら、どんな雇い主だろうとありがてぇさ。ただ誓約どおりに働きゃいいんだから」
幸矢は周囲をはばかるように声をひそめた。
「なんにしろ堂々と誇れる話じゃねぇべや。宣誓どおりの存在であることがいかに困難であろうがな。……君、君たらずとも臣は臣たれ、つうのかな。なんとも日本人的な精神じゃねぇか」
咲楽は口角をひきつらせた。サーヴィス残業には従わないと公言しつつも、無茶な勤務を当然のごとく了承していた母の姿を眺めながら育ったのだ。
「ほんでも、奉神舍としては、幸德先生の、個人としての功労を称えてとうて、像を建立したと?」
幸矢は満足げにうなづく。
「御明察。世間からの評判がどうだろうが、南部での経験は冒険と栄光の日々として記憶してたのはたしかだし。なんでも、南部陸軍の制服でオメカシした写真がお気に入りだったらしい。大礼服よりも、ね」
五体満足で帰国できたのだから。そのように咲楽は思ったものの、ここは素直に首肯した。悲惨な経験をすれば皆が皆、厭戦的になるかといえば、そうでもないとも思ったのだ。己の勇猛と凶気のすべてを曝けだした経験とは、強烈な自己肯定に繋がるだろうから。
「ま、縁者もえらいですねんな。こんだけ丁寧に整備したって。俗世間から隔てるよな閉じた空間で故人の功績を記念しとぉ」
芝生の緑を眺めながら咲楽は呟いた。意図したわけでもないが詩的な表現になってしまった。とはいえ、丘陵をこれだけ掘るのはなかなかの苦労であったのは事実だろう。対して幸矢はひどく曖昧な笑みを示した。
「現状ではこんなとこでよかったと思うよ。いやさ。ヘタに目立つと、ソシャゲで英霊にされやがるかもしんねぇし。クラスはバーサーカーで、しかも女体化とか。そうなったら、ちと笑えんな」
「そら、深刻な懸念でしょうけど、わざわざこないに造成したったのはえらいことですわ」
咲楽はあらためてぐるりを見やる。土を掘るだけでも百万円かそこらは要しただろうと予測した。
「……実のとこ、遊休地の活用つうもんでな。もとは導術関連の実験施設だ」
咲楽はつまらなそうな視線を幸矢に振った。無意識に吐いた言葉が莫迦にされたように感じてしまったのだ。それを察したのか、いい視点だぜ、と幸矢は説明する。
「極高強度の雷鎗による物性試験。ようは鉄板とかをX線レーザーでブチ抜いたりしてたんだ。あと、古い基準での導術技能評価試験にも供してた」
咲楽にはそれだけで事足りた。
「なるほど。高エネルギーの光が逸出せぇへんよに、ですか。ほんでも、いっそバンカーにしよったほがよさそなもんですが」
いくら分厚いコンクリートで囲まれていようが、建築物周囲の環境も注意すべきであった。なにせ雷鎗の理論最大出力は決定されておらず、また最長連続射撃時間も同様なのだから。まぁ、いくら雷鎗の強度がX線の半価層により設定されているとしても(つまり術者の掌から標的に到達するまでにエネルギーの半分が失われる)、標的の背後に立ちたい人間などいないだろう。また、標的を貫通しなくても制動放射線が非常に強烈なのだ
バンカー、という単語を聞いて、幸矢の濃い眉がピクリとした。
「バンカーなら、座間校地、つまり導理科学研究所の高エネルギー実験施設にあるわな。徹底的に逸出放射線から防護するために。しかも、御丁寧なことに照射ラインの軸は少々斜めっててな。そいつを延長してけば、富士山のマグマ溜を通過するとか」
「どうせやったら神岡の地下を標的にすらええですやん。ほんで、そないな雑学を披露しよるのが、理由のもう半分ですのん?」
幸矢は微笑しながら首を横に振った。
「いやぁ、さすがにそいつぁねぇや。四分の一は飯を喰うにゃちょうどよさそなとこで」
幸矢は自転車の荷台を見やった。そこにはデイバッグが括りつけてある。勝手にせぇ、と思いつつ、咲楽は次の言葉を待つ。
「残りは、だ。ボッチふたりが時間を潰すにゃ好適だと思ってね」
あまりにもあんまりな表現に、咲楽は険しいまなざしを向けながら口許では笑う。否定するべきだろうが、どうにもうまい表現が見つからなかった。
「ウチはもうちょい視線があってもかめへんですけど」
「あるじゃんか」幸矢は銅像を指さし、ついでに牝猫に視線を投げた。
「それにここは明かしたくねぇ記憶を閉じこめた空間だわな。つうことであんまり気の進まねぇ話をこぼしたくなっても大丈夫だ。すべてはこの場に留まる、いや、留めたくなっちまうと思うんじゃねぇかな、たぶん」
すると咲楽はおおきく溜息をついた。彼女は演技のつもりだと思っていた。
「なんで、そないにウチのことを気にかけよるんですのん?」
「たいして縁がねぇ人間だからだろうな。だからこそ、どんな話だって深刻に受けとりゃしねぇと安心できらぁ」
ひどい表現かもしれない。いや、ひどい言葉だ。咲楽はそう捉えていたが、同時に安堵すべきだとも評価していた。ここまで宣言されては傷の舐めあいの果てに奇妙な恋愛感情が生じることはなさそうだから。
ふいに幸矢は思う。幸矢はそのようにしむけるために発言したのか、などと。まぁ、ありえなくはなさそうだが、ここでは無視しておくと決めた。
「ほなら、ウチは幸矢さんにはそこらの他人と同じですやん」
咲楽はブリッジに指を添えながらいう。幸矢の真意を探りたかった。無根拠に捧げられる親近感は、今の彼女にはどうにも居心地が悪かったのだ。
「そこらのどうでもいい他人だとしても、駅のホームから転落しそうだったら、なにか動くべきだわな。実際はそう見えただけだとしても、だ」
咲楽は瞬時に言葉を発した。
「森に消される」
幸矢は深くゆっくりとうなづいた。そういう機械であるかのように見えた。無骨な顔貌は蝋でできているかのように生気がなかったのだ。
「この俺は杜の主に祟られちまってるかもしんねぇが」
反応に困った咲楽は幸矢から視線を外した。そのために牝猫の黄玉の双眸をまじまじと見つめることになった。
昼寝を決めこんでいたはずの牝猫が、首をもたげて人間たちを監視していたのだ。鳶色の耳は堅く起立していた。
黄玉の瞳に惹かれ、咲楽は静かに思った。
常に幸矢のそばで侍っているこの牝猫こそが彼を救えるのではないか、などと。




