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牝猫たちはすべてを観ている  作者: N.Willowstream
3・春の祝祭、晴天の空で
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陽春の白昼夢2

 ある小柄な女子が咲楽の目に留まった。黒いセーラー服にブリムハット、スカーフは赤で、くわえて赤いランドセル。ボブカットが栗色でなければ、本当の小学生だと誤認してしまうだろう。


「アキさん、なにしとんですっ!」


 すると、ちいさなセーラー服の女子は足を停めた。と同時に、その隣にいた人間たちも停止した。


 足首まで伸びたスカートのセーラー服で、鉄仮面を被った者。また、合衆国海軍准将という、なんとも凝った女装の眼鏡の男。


『ちょい待ち! そっちは呼んでへんわ!』


 咲楽は心の内で叫んだ。意外な展開の連続に彼女の顔面はあきらかな困惑の色を示した。その様をセーラー服の少女――暁緒はスマホで撮影した。鉄仮面と海軍准将は、得心したふうにうなづいている。


 咲楽はがっくりと肩を落とし、おおきく溜息をついた。知人のあられのない姿を目撃したとしても無視するのが大人なのかな、などと思う。


「ま、ええわ。……それで、アキさん。そん格好はなんですのん?」


 咲楽はやや目を伏せて訊ねた。暁緒の代わりに、隣の鉄仮面が答える。


「これはね。目白の、あの学校を再現してんだけどね。昭和十二年制定。襟は肩幅よりも狭く、下端は胸の上。胸当ては小さめ。まさに関東型の標式標本で……」


 関東型はともかく、咲楽でもモデルがすぐにわかった。丁寧なことに胸当てにある桜の徽章まで再現していたのだ。暁緒の体格からして、初等科児童という設定も許されよう。だが、それ以上に気にかかる問題が浮上した。


「ほんで、平岡さん。どないな理由からそないな格好を? 高知出身ですのん?」


「へぇ。すごいね、乾さん。僕の格好、昭和のドラマが題材だよ?」


 相手が導術者だからという理由ではなく、咲楽は視線を鉄仮面からおおきく逸して応じる。


「……そら、まぁ、主演がうっとこの母校出身やさかい」


 もっともこれは内心の声をだいぶ和らげた表現であった。


『なんや、コラ。ウチをコケにしとん?』


 そのやりとりを聞いていた海軍准将はニヤリとして発言する。


「ファッ、そらほんまか? はぁ、阪神のお嬢様のセンスはキレッキレやわぁ」


 咲楽は額を抑える。よくわからない事態を招いたことに頭痛がしてきたのだ。


「うっとこは阪急ですねん。そんにしてもまぁ、提督は肌が若々しうてええですわ。まるで少尉候補生みとうで」


 すると准将は愉快そうに笑う。「潮焼けしてへんし」


 つられて咲楽は苦笑を浮かべる。もう笑うしかない、と思っていた。この合衆国海軍准将は昨夕に話しかけてきた海軍予備役士官候補生であった。メイクで派手にいじっているが、眼鏡のフォルムは記憶にあるものだった。


「まぁ、ドレスコードが自由やさかい、海軍縛りでいこと思うてな」


 咲楽は彼の左胸を一瞥した。略綬が並んでいるが、さすがに即座には詳細がわからなかった。次に右胸の名札を確認した。彼女でも知っている名前がそこにあった。咲楽は深くうなづいた。


「さらに眼鏡縛りやったろ、と? たしかに元ネタのお婆ちゃんは眼鏡の写真が有名ですねんな……」


 准将はいっそう朗らかに笑った。一方で、彼の脳に小虫バグが侵入しているのではなかろうか、と咲楽は内心で皮肉った。


 そして暁緒はといえば、女装した男ふたりと軍装の少女の姿を一心不乱に撮影している。当然、咲楽は気づいているがあえて触れない。


「なんかしんねども、サクもちょうどいいカッコしているでねか。このまんま神輿巡幸につきあったらいやんじゃねやんか?」


 暁緒がスマホを覗きながら話しかけてきた。咲楽はなかば呆れた顔で空を仰ぐ。ようやく、なぜ己が奇異な身なりの三人に囲まれているのか理解できたのだ。ようは神輿の賑やかしということなのだろう。


 わりと単純な理由なのだな、と咲楽は思った。より深い理由など想像がつかなそうだが。


 また、普段着のつもりなのに仮装行列に参加できると判断されたことについて、とくに反発を感じなかった。そこまでの気力はどこかに消えていた。


「……いや。ウチ、お尻を見とぉて練歩くゆうの、ちと恥ずいですねん」


 咲楽には拒否する気力は残っていた。まぁ、汚いケツなど目にしたくない、などといった過激にすぎる表現は避けたが。


「あ、それ、僕、傷ついてまうわ。あん神輿の担ぎ手に同期がいてはるんやけどな。ま、陸式と空軍なんやけども。ほんま、気づかんかった?」


「……ウチ、男の人、お尻で識別しよるわけとちゃいますで」


「とはいえ、今年の神輿のプリケツ具合はなかなかのもんだと思うけどね。拝んでみたら御利益があるかもね」


 平岡は派手に柏手を打ってみせた。仮装したふたりは笑った。咲楽は笑えなかった。彼女は尻に昂奮する性癖に覚醒していなかった。


「なんや、神さんみとうに……」咲楽は冷めた声音で呟いた。


「今日だけは神様だよ、彼は。あれに選ばれることは名誉なんだわ。一週間前から潔斎してて、今朝はSPTC有志によって神降の祭祀がなされたんだし」


 平岡が反発した。隣の士官候補生はうなづきながら補足する。


「せやね。まず選抜要件が厳しいわ。二五歳未満、在籍四年以上で三回生初年度。さらに年男ゆう希少な人材やわ」


「それ、ただのダブリとちゃいます?」


「そんで、来年にはちゃんと卒業できて、必ず進学及び就職できるてやんは、えらいことだことですてば。まさに神ってるんじゃねやんですかね」


「これ以上、ダブリできへんかったゆうだけとちゃいます?」


「うん。あと生神様であった事実を口外する者はいないつう神秘性がいいよね」


「……口外できる黒歴史はほんまの黒歴史とちゃうと思いますねん」


 そこで咲楽は溜息をついた。なぜ漫才じみた展開になっているのだろうか、などと思っている。また、ツッコミにキレがないな、と悔しい思いも。


「サク、そっつぁな暗い顔してたらダメだてば。だぁすけ、一緒に神輿を拝もて。とりあえず、ホイサ、ホイサ叫んでたら憂鬱なんか吹っ飛ぶけに」


 ニコニコとした女子児童にそそのかされるが、咲楽はひかえめに頭を振った。


「せやから、ウチ、男の裸を眺めるゆうの、趣味とちゃいますねん」


「そりゃ、趣味の問題ならしゃあなしだよねぇ。好き者が自主的に集まって騒いでるだけで、強制するもんでもなし」


 腕組みしながら平岡はうなづく。その様を見て、咲楽は妙に人ができているな、というふうに思った。ただ、鉄仮面のセーラー服という身なりでなければ、笑顔で応じることができただろう、とも思う。


「せやな。僕かてこないな格好はしとうあらへんわ。さすがに准将の荷は今は重すぎるさかい」


 候補生の口調はしごく明るいものだった。彼は月桂で飾られた制帽の庇をさすってみせた。咲楽はうなづく。やはり純粋に女装がにあわないと評価した。


「じゃ、ここでのんびりしているわけにもいかないし、僕らは巡幸に復帰しなきゃだね。……提督閣下。歩兵の仕事になりますが、駆足の自信のほどは?」


 抑制された口調で鉄仮面から問われた提督は口許だけで笑った。


「問題ない。海軍士官は陸戦隊(NLF)としての素養も必須なのだ。そして……君こそどうなのだ?」


「刑事は走れなきゃ務まりません。道具に頼ってばかりじゃいられませんし」


「カケッコなら私も大丈夫ですろも」


 それに応じて、鉄仮面は女子児童に顔を向けて柔らかな声音でいう。


「君みたいなかわいらしい娘に鉄火場は似つかわしくない。ここに残ってお姉さんのお話を聞いておくんだよ。それじゃ、あとでいつもの場所で」


 鉄仮面はふざけているのかと思えるほどに小気味よい敬礼を小柄な少女に捧げた。提督もだ。そして、咲楽が言葉を発しようとした瞬間にはふたりの男は駆けだしていた。猛烈な勢いで、だ。むろん、男そのもののフォームで。


「……なんやろなぁ。さすがに設定がガバガバすぎひん?」


 女装したふたりの背中を見ながら咲楽は呟いた。ひどく曖昧な表情を浮かべている。それから暁緒に訊ねてみる。


「ほんで、あのふたり、お友達やったんですのん?」


 いくら一万人以上が生活の場としているとはいえ、神稜校地は狭い社会だ。どこかであの眼鏡の候補生と再会するのは不思議ではない。しかし、昨日の今日で平岡とペアとなって遭遇するとは、咲楽にとり想像の外であった。


「いやぁ、今日が初めてじゃねやんかな。あの目白さんの元ネタに平岡さんが萌えたとかで、そっから話しかけてみたら意気投合したみてぇらて」


 咲楽はうなづく。平岡はアルゴリズムによる投資が生業だという話なので、そのあたりに興味があってもおかしくはないだろう。それにしても、私立の大学生とはいえ、員数外の公務員として任用されている人間がずいぶんと自由なふるまいをするものだと思う。仮想敵国のものとはいえ、レプリカの軍装をして外を出歩くとは。咲楽には納得しかねた。


 首を傾げる咲楽に暁緒はすぐさまに説明する。


「他んしょの軍服でふざけるてやんはUOTCの春の風物詩みてぇなんらて。新入生は今日の午後から外出できるんだろも、その前の通過儀礼で試験官の役を演じらんだ」


「……あぁ、先輩が引率するゆう話ですねんな。レクチャしつつ近場のオススメを案内したる、とか」


「せやんだ。あえて一般学生を見物させて、浮ついたふるまいをしねぇかどうか試すて話なんそ。つまり、みだりに爆笑したらアウト。そんで合格したらおごりで寿司、できねやんなら焼肉食い放題」


 つまり強度の緊張状態にある人間相手に、少々悪趣味な試験を行うということなのだ。ただし、それなりの効果は期待できるかもしれない。見えない壁の向こうに己も入っていけるであろうことを理解させ、そして鞭を振るう鬼もまた低俗な笑いを振りまく人間にすぎないと錯覚させるのだ。


「なんとまぁ、優しい世界ですねんな。……ほんま、よくわからん伝統で」


 咲楽は鼻で笑った。至るところに伝統があるとはなんと窮屈だと思っていた。


「そりゃ、どんなもんでもそれなりの人数が集まるとこには伝統が生まれてくるもんじゃねやんか? しがらみと捉えるかどうかは好き嫌いの問題だろも」


 咲楽はいびつな笑みを浮かべながら首肯した。暁緒の発言は妥当な認識だと判断し、自嘲したのだ。


「さいですね。ま、そいつが技術の維持向上に資するゆうなら、立派なことですわ。せやさかい、裸で行進しとぉても心を揺さぶることがでけるわけですねんな。でなけら、ただの悲惨なチンドン屋ですわ」


「まずは腹筋を揺さぶると思わんだろも」


 それを聞いて咲楽はひかえめな蔑みの視線を投げた。


「高い技量水準とのギャップがあればこそ、おふざけは完成度が高くなるもんとちゃいますかね?」


 ムッとした表情で暁緒は応じる。「たしかにそっけなもんかもしんねろも」


「彼ら、武道館の軍楽祭出演でも役不足と思いますねん。速歩行進であないなトリックをかましてくるとは思いませんでしたわ」


 暁緒は小難しい顔で咲楽の言葉に耳を傾けていた。最大級の賞賛を示したつもりであったが通じなかったようだ。かまわず咲楽は続ける。


「あ、スティックのことですわ。単調なビートを刻まなあかんゆうに、えらい工夫ですわ。ロイアル・マリーンとはちゃう、よさがありますねん。まぁ、さすがに英陸軍のマレット捌きほど派手ではあらへんですが」


「よくわからねろも、サク、そういうことやってたんか?」


 咲楽は即答する。「民間有志のファンシードリルで活動しておりました」


 暁緒は小首を傾げる。まったく理解できなかったようだ。


「エイダンの吹奏楽委員会はどやんだ?」


 暁緒にとってはそれが理解の範疇にある回答であったらしい。咲楽は苦笑しながら肩をすくめてみせた。演技ではなく、小学生を茶化すような調子で彼女は応える。


「正直、セイバーのパートには興味がありますけど、ライフルのパートはあらへんでしょ?」


「やっぱ、UOTCに進んだらいやんじゃね?」


 咲楽は一瞬、唇を噛んだ。ここに居場所はない、という情動が湧いてきた。


「……ウチ、軍人はなれへんですねん。このせいですわ」


 咲楽は眼鏡のフレームに右手を添えてみせた。


 均整された美貌はアンダーリムの眼鏡により完成されている。もちろん、けして伊達で装備しているわけではない。咲楽はかなりの近視で、かつひどい乱視なのだ。裸眼では外出できないほどであった。


「……残念だといったら、失礼かもしんねろも」


 暁緒は伏し目がちにいった。しごくもうしわけなさそうな声であった。


「いや、これはウチの問題やさかい、アキさんが気にかけることはあらへんですわ。……ま、なにを楽しみにすらええか、慣れらわかってくるもんですわ」


「そっけなもんか?」暁緒は後輩を仰ぎながらいった。


「アキさんは最初から条件がええですやん。ここは馴染みやすい空気ですやん。なにせ……」


 咲楽は凍ったまなざしで先輩を見下ろした。「新潟の生まれですさかい」


 暁緒はキョトンとする。それも当然の反応だろう。咲楽は”黄眼さかい”といおうとしていたのだから。


「いや、たしかに新潟は関東甲信越なんだろも、それ関係あらんか?」


 咲楽は苦笑する。新潟は東京の裏庭である、と暁緒が主張していたのを思いだしたからだ。


「東は東、西は西。狭い日本でもこれはあるとちゃいますか?」


 ついで暁緒の姿を確認する。黒いセーラー服にランドセルを背負った小柄な先輩の姿を。まったく女子児童のイミテーションとしてよくできすぎている。咲楽は彼女をいつの間にか児童として扱っていた。


「私はフロアセクションの責任者として関わった以上、サクがここの生活を楽しんでくれたらいやんだろも。そっけな心配はおめさんには迷惑なん?」


 咲楽はブリッジを右手で抑えた。それこそ迷惑な問いかけだと思ったのだ。心情として、否定しがたい設問であった。しかし、その憐憫の情は重圧であった。義務以上に、本心から慮っていることは察していたが、苦しいことは変わらない。

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