陽春の白昼夢1
今日の空模様は快晴だった。予報によれば、汗ばむほどに気温が上昇するということだ。乾咲楽にとってもじつに望ましいことだった。春の陽気に誘われて外でランチしている、と装うにはちょうどよいからだ。
好都合なことに適当な場所も見つけることができた。そこそこに人通りがある、森を通る道の側、木陰のベンチ。ひとりぼっちでいてもけして不審ではないだろう。
しかし、だ。咲楽の姿は贔屓目に評しても、場違いな、というものだ。
上下ともにスウェーデンのM90迷彩で固めている。緑色系の大柄なモザイクから構成されたパターンで、日本の植生を背景にするとひどく浮いている。もっとも制帽は被っていない。また長い黒髪はやはりハーフアップに仕立てていた。
咲楽はその背丈ゆえに服が悩みの種だった。なにせ日本人男性の平均からも逸脱しているのだから。そして彼女は解決策として海外の軍放出品やレプリカを愛用している。まず機能的で丈夫であるし、充分にカジュアルとして着こなせると、咲楽は思っていた。
また咲楽は密かな願望を抱いていた。できるならば皇国海軍の勤務服(けして水兵服ではない)を入手したかったのだ。が、それはさすがに問題があった。
まぁ、咲楽は着こなしについてわりと凝り性なのだ。今日の装いにしても、あくまでカジュアルウェアとしてだから、髪をあえてまとめなかったのだ。制帽を被っていないのも同様。つまり咲楽の服装センスは、より美的に指向するのではなく、いささか趣味的な方向に逸れている。残念なことだ。
なにはともあれ、咲楽は食事もせずに日向ぼっこを楽しんでいる。現に彼女はずいぶんとくつろいだ表情になっている。というより惚けているといってよい。春の温もりは咲楽の美貌が有する厳しさも和らげるのだ。しかし、迷彩服で身を包んでいるが。
不穏なほどににこやかな咲楽が腕時計を確認した。お午やね、と呟く。
直後、正午の時報が鳴り響く。まず十五秒間のブザー。つぎに軽快なラッパが二度、繰返された。
「出てくる敵は皆々殺せ、出てくる敵は皆々殺せっ」
咲楽はラッパにあわせて口ずさんだ。さすがに声は潜めていた。ようするに正午に放送されるラッパ譜は突撃の号令なのだった。
「あ、ほんまのとこは、急いで駆けろ座席を奪えぇ、やったかな。アキさんがそないなことゆうてたわ。ま、正露丸よか威勢があってええねんけどな」
そんなことをひとりごちて、咲楽はククッと笑いを殺した。
その時、咲楽の眼前を自転車の男どもが駆けぬけていった。彼らの形相はまさに死に物狂いで、やたらめったらに怒鳴っていた。
自転車の一団を無邪気な笑みで咲楽は見送る。彼女は共感を抱いていたのだ。彼らが昼飯ごときに必死になるのはすでに理解していた。
昼間人口ならばプロ野球の本拠地球場を満たすほどなのに、食堂の収容能力が絶望的に不足しているからだ。しかも校地の周囲はほぼ住宅地であるし、広大なために駅前の繁華街まで遠い。自然、昼飯の座席を巡る競争は極めて熾烈となる。かようなこともあり、ダラダラと座席を占有する人間はあからさまに軽蔑されているし、そうされることも許容されている。
「なんやねんなぁ。カレーッ、カレーッ、ほたえておって。金曜日は昨日やで。てか、自炊すらええやんけ」
咲楽は得意げにそういったが、すぐに眉根を狭めて俯く。
『ウチ、めっちゃひとりごとぬかしておるな。あかんで、ほんま』
そうして咲楽はひとりきりのランチを開始することにした。まず、ひとつ一合はあるオニギリから手をつける。同席者はいないから、恥じらいもなく噛りつき、いっぱいにほおばる。御飯が崩れるよりも速く、胃の中へと片づけていく。具の釘煮はかなり甘辛かったが、御飯の量が緩和してくれた。
「そないしても、釘煮がのうなるまで、ウチ、なんぼご飯食べればええねん」
ものの五分で一合オニギリを消費したのち、咲楽はまたひとりごちた。文句じみているが、愉快そうな調子であった。仕送りは素直に感謝したいのだが、量が量なので笑わずにはいられなかったのだ。
咲楽の母がキロ単位で釘煮を炊くのは毎年のことだ。だが、今年は気合が違っていた。上京した愛娘に十キロも送ってきたのはどういった料簡なのだろうか。おそらく友人に配るように考えてのことだろう。だが、残念なことに咲楽にはそうした人間がまだいなかった。
「こないにようけ食べておったら、タッパが伸びてまうなぁ」
誰に向けるでもない皮肉を吐くと、咲楽はおかずの出汁巻玉子を三十秒で平らげた。いささか生焼けだったかな、と彼女は反省点を見つけた。
だいぶ急ぎ足のランチを済ませたのち、咲楽はバイト募集のフリーペーパーに目を通した。
「なんやろなぁ。ええもんがあらへんやん」
咲楽は眉間に力をこめながら、愚痴った。半分ほどページをめくったところで手を止めた。深く溜息をつきながら、視線を水平にする。
すると見知らぬ誰かと目が合った。サッとお互いに顔を逸らす。こういったことは日常茶飯事ではあるが、この時ばかりは咲楽は羞恥心を覚えた。
冷静に考えれば、すでに用事は終了してしまったのだ。であれば、ひとりで無為に陽光を浴びているだけになる。咲楽にはそれが寂しく思えてきた。
「どないしたもんやろ。はぁ、やっぱ部屋におったほうがええとちゃうんかったかな?」
その直後に、咲楽はプルプルと頭を振った。
「いやいや、それはあかん、あかんで。こないなええ陽気で篭っておったら、腐ったモヤシになってまうで」
咲楽は視線を落として、ひとりごちた。心の奥からこんな声が聞こえてきた。
『ま、どうせひとりぼっちなんやし、どこにおっても関係あらへんのやけど』
ふと、咲楽は周囲を見やる。人通りが絶えていた。その事実に咲楽は顔を極度にこわばらせた。また、額に汗が湧いてきた。それは陽気のせいではない。目撃した人間がいなかったことが幸いだと思えてくるほどに凄惨であった。まさに孤立がかような形相を生みだしたのだが。
そうして咲楽はジッと耳を澄ます。ほど近くからは鶯の声。人の声は流れてこない。彼女はそれを待っていた。あまりの過負荷のため、手が震えてきた。
しばしの時間が過ぎたのち、ラッパとドラムの音が咲楽の耳に届いた。ドラムコーの演奏だ。瞬間、咲楽の顔面に血の気が戻ってきた。
電気信号を経由していない、生の楽器の音色が響いてきた。間違いなく人間の存在証明。
「こいつは……速歩行進やん!」
遠州浜松、あるいは信州諏訪の住民ならば血が騒ぐメロディだろう。咲楽にとっても同じであった。
「トッテチンボの毛ワッシャ、サルマタ連隊長、お馬が三匹で、おケツを並べてプップクプゥ」
穏やかな笑みを浮かべて咲楽は空を仰ぐ。と同時に、左手がなにやら棒を回転させるような挙動を示した。
「いやいや、どうせやったら、セイバーのつもりで……」
次の瞬間には、咲楽はゆるく握った右拳を顔の直前に掲げていた。彼女の顔面からは笑みが消え、厳しい均整の美が顕れた。
控えた声音で彼女は発する。「ささげぇ、つつっ」
咲楽の右手は迅速に斜め下へと振るわれた。なんら迷いのない所作の美しさ。
が、咲楽は現在の体勢について失念していたようだ。
右拳がベンチへとしたたかに打ちつけられた。当然の反応として、咲楽は叫ぶ。涙目になりながらも彼女はあたりを探った。そして、人目がないことに安堵して存分にはにかむ。
「あぁ、なんやろなぁ。やっぱボケはツッコミがおらんとただのアホの子やわ」
そうして、咲楽はわざと睨む目つきでドラムコーが響いてくる方向を見やる。どうやら接近してくるようだ。じきに大音響といってよいほどになった。ついには、ホイサ、ホイサという群衆の声も重なってきた。どうやら楽隊だけの編成ではないらしい。
咲楽は訝しげに目を凝らした。集団はまだカーヴの先にいるようだ。が、そろそろ姿を現すはずだった。ラッパとドラムで二十人ほどで、その他をあわせて五十人を超える程度、と咲楽はあたりをつけた。
そしてついに、彼らは咲楽の視界に出現した。
「なんやぁっ!」
咲楽はベンチから跳ねたうえ、叫んでいた。それほどの、情景であった。
集団の先頭を成すのは十人からなるラッパ隊。皆が皆、褌一丁であった。
白い鉢巻、白い六尺褌、白い地下足袋。金色に輝く二環巻の信号ラッパ。男たちは、裸こそが正装であるかのように、意気揚々と隊列を組み、高らかに吹いている。
彼らはただの奇を衒った集団ではなかった。甲高い音が重なり、かつ、歩調も完璧に同期していた。ただ吹きながら歩いているわけではない。行進を見せるために鍛錬してきたことを示している。褌一丁で見せつけている。
ラッパに続くのはスネアドラムの一団。スティックは左右非対称に保持し、精確なビートを刻んでいた。さらには、曲芸打ちというのか、スティックを回転させる技を織りまぜてきた。そして、彼らも褌一丁でこなしていた。
咲楽はこの裸体の男たちをまじまじと見つめていた。いや、布一枚の向こうの股間を想像していたのではない。威風堂々と歩む男たちの、筋肉の精緻な躍動に心を惹かれたのだ。まぁ、やはり、裸体であるゆえに昂ぶっていたのだ。
が、さらに十八の乙女の心を揺さぶるものが続行する。
「ほんで、アレはなんやねん……」
咲楽は一心不乱にまなざしをそこへと向けていた。誰もが無視しえないであろう存在が、その先にはあった。
締込み姿の男たちが神輿を担いでいる。それだけなら問題はない。日本ではありふれた情景だ。しかしながら、神輿が問題だ。
いや、正確には裸の男たちは神輿ではなく、台を担ぎあげている。台の上には男がいた。裸人が舞っていた。
白塗りの裸体に赤褌、顔面は紅白の隈取。そのような、なんともヴィヴィッドな姿で金色の扇子を無秩序に振るっていた。
かような情景がはたして世界に他にあるか。あるのがおかしい。
裸人の楽隊によって先導される、白と赤のツートンカラーの裸人。とにかく超越的で夢想的。うららかな春の午さがりに現れた、まさに百鬼夜行だ。
この時、咲楽は激しく揺さぶられていた。口を半開きにして、目はいっぱいにひろげられていた。恍惚、また陶酔というべきか、尋常ではない。しかし、もとが非常な美形であるだけに、神秘性さえ帯びていた。
神輿である白塗りの男が扇子でブラウン運動を描く。神輿を担ぐ男たちは四分の二拍子のリズムで交互に叫ぶ。ホイサ、ホイサ、と。叫ぶのは彼らだけではなかった。
後続する数十人の群衆も叫んでいた。拳をふりあげながら。彼らがサイケデリックな情景にさらなる彩りを添えていた。先頭集団が異様ならば、彼らの格好もまた日常から逸脱していた。いや、褌一丁というわけではない。大半がちゃんと服を着ている。服を着てはいる。
軍装、メイド、セーラー服、チャイナ、ウェディング、白衣、スクール水着、甲冑、プレート・メイル、裸エプロンなどなど。男装、女装織りまぜてと、まさに百花繚乱なんでもあり。仮装行列と表現するのも困惑するほどの錯乱した集団。それが浮かれ騒いでいるのだ。
呆然としている咲楽の前を、ドラムコーが悠々と通りすぎていく。彼女の肉体はリズムに揺れる。昂ぶった双眸は白昼夢に囚われている。
ついに神輿が咲楽の眼前に。その時、裸人たちは一斉に咲楽へと視線を振った。彼らはニカッと笑みを見せつけてくる。敵意だとか、もちろん性的なものではなく、好奇と自己主張が混じりあったまなざしだ。
それら笑みの群れに対して、咲楽はだらしなく口を開けはなった。
そうして、神輿の裸人が咲楽めがけて扇子を突きつけてきた。金色の扇子は陽光を浴びて煌めく。が、咲楽はその向こう、裸人の顔を直視していた。
いかつく笑う真っ赤な唇、汗ばんだ紅白の顔。さらに気力に充ちた琥珀の瞳。それらが、咲楽の理性を吹き飛ばした。
咲楽は両手を挙げて怒声を発する。端正な顔貌に奇妙な笑みを浮かべて。
「御名の栄光をあらわせたまえ!」
「今日を生きる皆の幸いを寿ぎて! 奉神舍の同胞に弥栄あれ!」
神輿の裸人は大音声で応じる。後続する異形の群衆は万歳で応じた。
咲楽も万歳と叫んでいた。まったく本心ではなかったが、やけっぱちになって万歳していた。
以後、咲楽は万歳しながら、ホイサ、ホイサと叫ぶ。
『ウチ、なにアホさらしとんねんな』
冷静な部分はそう思っていた。が、とにかく、咲楽はどこからか湧いてくる衝動に身を任せていた。その咲楽に異形の集団はなんとも嬉しそうな表情を示してくる。
たぶん、それはじつに素敵なことなのだろう。いかんせん、格好が格好だった。はたから見れば、なにかのカルトの儀礼にしか見えない。
よくわからずに万歳を繰り返しているうちに、行列最後尾が咲楽を通過しようとしていた。やっと終わりやな、と咲楽が安堵した直後だった。




