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牝猫たちはすべてを観ている  作者: N.Willowstream
3・春の祝祭、晴天の空で
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何処より星は?

 駅前からの眺めをどう語るべきかためらいを感じてしまうほどだった。東口の車寄のすぐそばには、ちょっとしたバスの営業所があり、他にはこじんまりとした家屋が列なっているだけ。ざっくばらんに吐いてしまえば、じつにつまらない情景であった。


 なんにしろ近在する青梅線福生駅周辺の殷賑いんしんと比べるべくもない。まぁ、この駅が属する路線は平成の御代になってようやく一部電化がなされたのであるから、いたしかたないかもしれない。


 とにかく土曜日午前十時の東口はひどく静かだった。歩く人影は絶無であって、面した道路を走る車もない。バスの営業所にも動きがない。人間の活動が停止させられているかのような静けさだ。


 かような情景にひとりたたずむ男がいる。駅の階段の脇に、やたらと長身で痩身の男がひとりだけ。灰色のジャージに頭にはタオルを巻き。高い鼻梁が目立つゴツい造りの顔。それに眼鏡をかけた若い男だ。弓庭幸矢であった。


 幸矢はなにかに憑かれたような表情で紫煙をくゆらせている。痩せた頬には汗がとめどなく流れていた。


 幸矢は疲労していた。神稜校地から、ここまで素直に行けばせいぜい二〇キロ程度の道程だ。自転車でも一時間ほどだ。が、幸矢はわざわざ埼玉県境をなぞるような経路を辿ってやってきた。しかも三段変速のシティサイクルで。その面倒な行程は、彼の逡巡をそのまま示していた。


 無益に酷使された自転車はすぐかたわらに停めてある。そのサドルには体毛のほとんどが純白の小柄な牝猫がちょこんと乗っている。彼女はこの暇な状況で眠るでもなく、幸矢と同じものに視線を向けていた。


 はるばる自転車を漕いできて、今、幸矢が注視しているのは子供の背丈ほどの石碑だった。素朴な直方体の石碑。装飾性など皆無といってもいい。また、別段、注目されなくてもよいという意志も感じさせる。


 ひとことも発することなく、また表情を変化させることなく、ただ煙草は欠かすことなく。幸矢は碑文を舐めるように読んでいた。遠出につきあわされた牝猫は直立する石のどこに興味を惹かれているのだろう。


 静止した時間が過ぎている最中。甲高い音が裂いた。反射的な挙動で幸矢は音が響いてきたほうへ、背後へと振りむいた。


 音は高まり、ついには轟々たるものとなった。幸矢の視線は南から北へと音源を求めて滑っていく。やがて、南の低い空に灰色の物体が出現した。鯨のような胴体に翼に四基のジェットエンジンをぶらさげていた。巨大な輸送機だ。


 その輸送機のどこにも真紅の円はない。所属国を示すのは尾翼に描かれた赤地に青の斜十字が描かれた旗だ。むろん脇腹にも国籍標識のラウンデルがあるのだが、低視認性のためによほど近づかないかぎり判別できないだろう。


 幸矢はちいさく呟く。「たぶん、374空輸航空団かな?」


 正解だった。尾翼にあるアルファベット二文字にはFJとあった。福生空軍基地所属を示す標識であり、そこで運用されている部隊は第374空輸航空団なのだ。


 むろん日本皇国空軍(IJF)の規則にかような標識は設定されていない。あの巨大輸送機の運用者はCSFだ。つまり ア メ リ カ (クラウンズ・ステーツ) 連 合 帝 国(・オヴ・ジ・アメリカ)空軍フライアーズなのだ。


 米帝(CSA)軍機は乱暴に高度を稼いでいって、急速にその姿をちいさくしていく。やがて点となり、一分もせずに、ジェットの唸りが届くだけとなった。


「ま、いいもん見れた、てとこか……」


 幸矢はのんびりといった。駅が日本皇国空軍福生基地の最寄りであることをなかば忘れていたのだった。


 もっとも、福生基地の主が日本空軍であることをただちに想起する人間はさほどおおくない。もっぱら認識されているのは以下の情報だ。東京秩序保障条(TOTO)約機構東(/HQ)アジア兵団司令部(EASTACOM)。またCSFの東太平洋における拠点のひとつ。日本空軍も航空総隊司令部を設けていて、くわえて防空砲兵隊が展開しているが、なにぶん航空機は連絡用のヘリしかないので存在感が薄い。


 幸矢の現在地から五分ほど歩いた先には、七平方キロ超もの軍用地がひろがっていた(神陵校地の四倍以上だ)。そこは極東最大の空輸兵站拠点として機能し、五千人もの将兵・軍属の生活の場となっていた。


 しばし無為に空を眺めたあとで幸矢は石碑へと注意を戻す。ふと、彼は思う。


『なんとまぁ、忙しい上昇だ。南側は障碍がなさそうなもんなのに。……いや、フッサ・コリドーにアクセスするにゃ、ここらの空が狭すぎるんか』


 フッサ・コリドーとは、福生基地から相模灘までを繋ぐように設けられた特別な空域だ。米帝軍が交通管制を担当しており、事実上、フリーハンドで使用している。とはいえ、羽田空港の進入管制区が広大な面積を有しているので、このコリドーはその隙間を縫うようなかぼそいものでしかない。そして米帝軍はたいてい太平洋側に用事があるのだ。


 民需優先の風潮に兵務省が折れたゆえの産物だが、離発着に強引な機動を余儀なくされるため、周辺にとってはあまり望ましくない状況であった。


『ま、半世紀前なら、んな七面倒なもんがねぇから素直にアプローチできたんだろうな』


 そこで幸矢はひとりごちる。「彼らはあの空の向こうからやってきた」


 幸矢はまた石碑へと注意を向けた。そこに刻まれた碑文を再度、確認したい衝動を抑えきれずに。


 碑文の内容そのものはごく平易なものだった。日本語と英語が並記してある都合で横書なのが珍しいかもしれないが。


 幸矢は文面をゆっくりと眺める。このように刻まれていた。


 ”顧みれば一九五三年十一月二一日からすでに十年の月日が流れている。あの日に日本皇国空軍福生飛行場に来着した百二名のオレゴン人、各々の心情はいかなるものであっただろうか? けして希望だけを抱いていたわけでないだろう。戦渦の荒廃から逃れるべく彼らは否応なしに太平洋を渡ってきたのだ。日本人にとり予想外の客人であるのは間違いないのだ。しかし迷えるオレゴン人は神の恩寵に与ることができた。”


 幸矢は牝猫へと語りかける。「ジョージ爺ちゃんもそのうちのひとりだ」


 対する牝猫は尻尾を揺らしながら、ちいさく鳴いた。幸矢は続きを読む。 


”日本皇国天皇陛下及び陛下の政府を筆頭に、日本人は官民の別を問わず有形無形の援助をオレゴン人が満足するまであたえたのである。そのため、彼らは戦後の混乱の最中にあった母国に残る同胞を安心して東洋の島国に招くことができた。かくして、一万人ものオレゴン人が来朝するに至った。”


「ま、その半分は皇国の海外領土、つまり新清あらすがに、アメリカ人がいうとこのアラスカに移住したわけだが」


 幸矢は微笑みながら牝猫に説明する。まぁ、たしかに新清は北西海岸からは近い。気候ならば北海道だろうが。

 

 そして幸矢は残りの文面を音読する。


「上記の事績は、広大な太平洋の両岸にあって、共通の利益と理念を有する国家の間にある尊重すべき友誼のひとつの事例である。両国人民の堅き絆が未来永劫にわたり損なわれることなきよう祈念する。昭和三八年十一月吉日」


 幸矢は肝心な建立者の名前を読みあげなかった。その者の肩書は日本皇国駐箚アメリカ連合帝国特命全権大使となっていた。


 その事実に幸矢は口許を歪めた。併合した国家の事績についてコメントを求められた男の心情を察してのことだ。オレゴン国民ではなく、オレゴン人と表現したのも最大限に考慮した結果であろう。


 最後の両国とは、日本皇国・オレゴン自由国と明記すべきなのだ、本来ならば。


 苦笑を押しこめてから、幸矢は牝猫へうなづいてみせた。彼女は耳を小刻みに揺らして応答した。


 幸矢の用事はこれで終わった。そもそも、文面は以前から深く刻みこんだものだ。父から、弓庭の人間として知っておくべき記憶だと教育されていたのだ。


 しかしながら、歴史の現場に立たねばわからぬ感情があるのだと幸矢は思っていた。だから直接に対峙することにしたのだ。


 どうしよっかな、と呟きながら幸矢は南の空を仰ぐ。うんざりするほどの快晴であった。彼はふと思う。すくなくとも自宅でオレゴンからの避難民について思いを馳せていたら、空を見上げることはなかっただろう。


「空……星……、そしてステラ」


 幸矢はより深く感傷に浸りかけていた。その彼の姿を牝猫は目を薄くして凝視していた。体躯をさらにちいさく縮める。


 唐突に幸矢が、アツッ、と呟いた。不意に後頭部に鋭い痛みを認識したのだ。


「ふざけやがって、驚かせんじゃねぇよ。畜生め」


 右の頬をひきつらせ、幸矢は背後へと顔を向けた。明確にすぎる敵愾心。誰もいないことをいいことに、彼は素直に感情を示したのだ。虚無に向かって。


 ただ、幸矢は心のうちで対象を捉えている。ときたま、接近してくるという刺激を与える、奇妙な悪意。


 ようやく虚無の存在が退いた後、幸矢はやりきれなさそうな顔になる。幻覚だと判断しているが、だからといって湧いてくる不快感を消せるわけではない。


 しかも困ったことに生涯に渡って実態のない脅威に苛まれるとの予感があった。気が滅入ること、はなはだしい。


 とりあえず南に行こう、と幸矢は牝猫に呼びかけた。苛立たしげな鳴き声が返ってきた。


 幸矢は駅から去った。石碑の裏に刻まれた寄進者たちの名簿はいまさら確認するまでもなかった。その中にG・ボウマンという男の記録されていることも、彼がステラ・アビゲイル・F・ボウマンの父方の祖父であることも、当然、知っていた。


 ジョージ・ボウマンはバプテスト教会の牧師だった。コロンビア川中流の小さな教区を管轄していたのだが、かつて日本で宣教した経験があった。それだけでオレゴン避難民の第一陣に選任されたのだ。第一陣のメンバーは条件調整を任務としており、多少でも日本に詳しいことが必須であった。


 来日してからしばらくのち、ボウマン牧師は奉神舍大學の英語教員として雇用された。そして神稜校地の教員用住宅を終生の住処とした。のち、その家は奉神舍大學教員となった息子が引き継いでいる。その隣家が幸矢の実家であった。


 福生基地の外周を疾走しながら幸矢は想像する。様々な苦難を経験して祖国を逃れてきた一〇二人。彼らの中にジョージ・ボウマンがいなければ。いや、彼の田舎が核汚染に曝される事態がなければ。また、より長期的な観点で除染措置が実施されていたならば。


「俺とステラが会うこたぁなかった。そんで、どこかで平穏に生きてるんだ」


 無意味な想定であるのは幸矢も理解している。ただ、奇しき縁で繋がっていたのだと信じたかった。そうなのだから容易く離れていくのだと納得したかった。今日は、そのための確認作業のつもりだった。


 だが、結果は違っていた。奇しき縁だと思えばこそ、愛しい存在であった事実が重くなった。手放した事実が重くなった。


 幸矢は青空を厳しく睨みながら、ある歌の一節を口ずさんだ。


「そいつは星(ザッツ・ステラ・)影のステラ。(バイ・スターライト)夢なんかじゃねぇ、俺の心なんだ。俺にゃこの天地のすべて」


 もちろん、白昼の空に星など見えない。また涙で滲んでいく視界では空は眩しいだけだ。


 前籠の中では、白い牝猫はこじんまりと丸まって瞼を閉じている。が、風に逆らって鳶色の耳はピンと立てられている。その耳にはいかなる音が届いているのだろう。

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