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牝猫たちはすべてを観ている  作者: N.Willowstream
3・春の祝祭、晴天の空で
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おはよう、孤独な私

 なんやねんな、と咲楽は凛々しい眉を極端に歪ませて呟いた。居室のドアの向こうから、騒々しい声を認識したからだった。


 寝起き直後で、使い古しのスウェット姿のままであった。本来のスラリとした身体のラインが隠れているので、長身なぶん、ひどく野暮ったい。端正なはずの顔面も相応な状態になっている。


 咲楽は腕時計を確認する。午前十時半を過ぎていた。顔をさらに険しくして、彼女は前髪をかきむしる。今日は休日であり、とりたてて用事がなく、また寝不足であり、ランチにはまだ早すぎるという頃合。ついでに行動を起こすにはやや遅いかなという時間帯でもある。つまり中途半端な時間に目覚めてしまったことにたまらなく苛っていたのだ。


 それゆえに咲楽はあえて積極的な行動にでた。濡鴉の長髪を整えてから、ドアを開いてみたのだ。我が世の春を謳歌する娘どもを物憂げな顔で覗いてみたくなったのだ。まぁ、なんとも根暗な衝動である。


 が、いざ外を覗いてみれば誰もいなかった。


 予想外の結果に咲楽はブリッジに指を添えて考える。


「なんやったんやろな?」


 咲楽は訝しげに観察してみる。「なんやったんやろな?」


 咲楽の居室は二〇平米ほどの共用ラウンジに面している。中央に設けられた会議卓。角に置かれたテレビ。ホワイトボード。それに自販機。神棚。それらに変状はない。


「なんや。入れちがいでみなエレヴァーターに乗ったとちゃうかな?」 


 欠伸を殺しながら、咲楽はラウンジへとでる。気勢を削がれたせいか足どりがひどく重い。


刺激と糖分への欲求から、咲楽は目覚めの一杯としてコーラを選択した。それから、ゴクリと一口。舌がチクチクとする快感をしばし楽しむ。ひとごこちついたところで、彼女は胡乱な視線でラウンジを再度見まわした。


「ま、この時間に誰もおらへんのは当然なんやけどな……」


 咲楽は嘆息しながら椅子に座る。たしかに一限の始まりから夕方まで、ラウンジにはほとんど人気がない。むろん講義があるからだ(それか自室で寝ている)。もっとも賑わうのはだいたい夕食後から午後十一時ぐらいまでの間だ。


 しかし、だ。咲楽は壁にかけてある電光掲示板に注意を向けた。


「このフロアに残っておるの、ウチだけゆうの、ちとおかしいとちゃう? そらたまの土曜日休講日やけどな。……ほんま、アクティヴやねんなぁ」


 このフロアで起居する二十数名の在室状況を示す掲示板。それは咲楽を除いて空室となっていた。その事実に、彼女は無性に惨めな気分に追いやれた。


 ついで咲楽はぼんやりとしたまなざしでホワイトボードを見る。本来は連絡掲示板として利用されるはずが、もっぱら落書きスペースとして機能しているものだ。中央にはおおきくこのように書き殴られていた。


おい! お祭り好きの神稜女子ども! Let’s enjoy! Weey!


「……アメリカンか」


 字体には記憶があった。おそらく暁緒のものだ。それを囲むようにコメントやらイラストが散りばめられていた。咲楽が記憶するところでは、これらは昨晩はなかったはずだ。


「なんやかなぁ。ほんま、女学校のノリやね」


 一瞬、咲楽はハイセンスな一文をそこに加えようかと思ったが、やめる。その場に参加しなかった人間が、遅ればせながらなにをしようが疎外感がいや増すだけだからだ。そのことに気づいてしまった。


そうして咲楽はコーラを強引に飲みほす。むせようが我慢して。炭酸の刺激が心を乱す。千千に乱れた心のままに缶を潰す。


 ただ輪の中には入れなかっただけなのだ。今日はたまたまタイミングが悪かっただけ。元来、咲楽は早起きの質なのだ。


 咲楽は重い溜息を吐いた。


「……ほんま、なにしとん、ウチ」


 咲楽はぞんざいに扱われているわけではない。いや、その隔絶した美貌と非常な長身ゆえになにかしら関心の対象になっていた。が、彼女からは深いつきあいを求めようとしていなかった。


 ゆえに、この状況はとりたてて気にかけることはないはずだった。というよりも、白けた視線で見ていたかもしれない。


 しかし、現在はどうだろう。


 いつものフロアでひとりきりで親密な交際を現すホワイトボードをひたすらに眺めている。彼女だけがいないホワイトボードを。


「……ほんま、ウチ、ひとりぼっちなんやな」


 咲楽はかぼそく呟き、凝視の対象を水色の天井ボードへと移した。しばし、このガランドウの空間で時間を空費する。やがてそれが苦痛に感じてくる。


「せや、外へいかんとあかんで。ほんまに天気がええさかい」


 起床直後は部屋で寝転がってすごそうかと思っていた。が、ここにきて、とにかく外出することに決めたのだ。かといって、まったく具体的な用事は思いつかない。


 それでも、咲楽はこれだけは意識することにした。多少なりとも人の目があるところへ行く。


「せやないと、ウチが消えてもうても誰もわからんよって」


 なんとはなしにこぼれた声に、咲楽は驚愕した。それから彼女は冷えた笑みを浮かべる。ろくでもない妄想としかいいようがないからだ。


 そして咲楽は自覚している。この不穏な情動は今さっき湧いてきたのではない。昨夕から捕らわれているのだ。どうやら寝たところで霧散するほど柔弱ではなかったらしい。


 そう。ステラという少女が、森の深奥で消えた事実を知ってからだ。咲楽もまた同じ領域を覗いてしまったのだ。

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