表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
牝猫たちはすべてを観ている  作者: N.Willowstream
3・春の祝祭、晴天の空で
25/43

静寂に語らえば2 

   *

 元来、忠霊社は東照宮と称されていた。つまり、本来の宮居の主は東照大権現――徳川家康だ。本朝導術者の総氏神である〈大神靈神社〉がなにゆえに祀っていたかといえば、彼が発した朱印状に基づき創建された経緯があるからだ。


 仰々しく神君などと呼ばれているが、家康は初代将軍であるという他にとりたてて印象に残らない地味な人物としてひろく認知されている。多少、歴史に興味がある層からは優秀な野戦指揮官であるとも。そして近年ではその劇的な最期が評価されていた。その点ではコンスタンティノス11世、足利義輝と同列であるが、家康の場合はどうにもネタ要員として色が強い。


 かまうことなかれ、余は糞を漏らしておるゆえ。これが最期の言葉だとして定着しているのだから、しかたがないのかもしれない。そもそも同時代史料には見当たらないのだが、それらは最期の状況を慎重にボカしているために質が悪い。まぁ、最大の被害者は同日にほど近い場所で死んだ秀忠であろう。この父以上に影が薄い将軍は、やはり脱糞していたと信じられているのだ。後代の軍記物でもそうした描写が存在しないのにもかかわらず、だ。


 とにもかくにも、徳川家康という存在はその日本史上(もしかしたら世界史においても)における影響力からすれば、不当に過小評価されている。ただ、導術者の間では、ごくひかえめに夷神人の氏神としての崇敬を集めていた。


 それは家康が〈大神靈神社〉の創建に関与したばかりでなく、彼の後半生は導術者と深い関わりがあるからだろう。


 たとえば、いわゆる神君伊賀越え。道中警護の一部を導術傭兵が担っていた事例はよく知られている。また関ヶ原合戦。島津兵による猛攻に対し本陣の盾になったのは導術兵たちだった(近世有数の導術による火力戦だ)。そして大坂夏の陣。家康、秀忠親子は侵心による致死事例として記録された。


 導術者である太閤の存在については、あらためて述べるまでもなかろう。


 とにかく、家康は導術者を重用した事実がある。彼の存在があってこそ現代の導術者の地位があるのかもしれない。ただし、あくまでも武士としての登用は避けていた。常人とは異なる集団として扱い、常人の名代を通じて全土の導術者を統率した。もっともこれは伝統的な手法ではある。


 さて、将軍の名代として導術者集団を統率した人物の名を弓庭幸光ゆばさちてるという。なお幸照と表記される事例がままあるが、徳川家光の偏諱を賜った後の幸光が正式な表記とされている。


 この弓庭幸光。根来衆の出身であるとの説があるが、導術傭兵の仲介業を生業としていたのは確実であるらしい。ともあれ、彼は”夷神人管領長上”の役職、それに付随して〈大神靈神社〉宮司に任じられ、またその地位は子孫が世襲することが許された。


 なにゆえに幸光がこれほどの栄誉を得ることができたのか、いまなおも結論がでていない。そこで彼の系譜に注目する観点がある。遠祖はかの蓮光れんこうという伝承があるのだ。ちなみに蓮光は唐土から来朝した導術者集団の案内役で、ソグディアナの産だという。なるほど、これがたしかならば幸光は血筋としてふさわしいだろう。客観的な証拠はいまだに発見されていないが。


 結局のところ、家康との友誼の他に理由はないように思える。ただ初代がいくら怪しからぬ人物とはいえ、弓庭家は政治的な遊泳術はなかなかのものであったといえよう。江戸期を通じて導術者たちの頭領としての地位を堅固なものとし、おおむね幕府との関係も良好であったのだから。実際〈大神靈神社〉には将軍家からの寄進物が数多く記録されている。


 表門の外にあるとはいえ、東照宮が建立されたのも当然の流れだ。参詣者も南多摩一円から集めていた。


 だがしかし。東照宮は廃された。境内の至るところを飾っていた三つ葉葵は今ではほとんど見られず、菊花もしくは桐へと変わっている。


 東照宮が廃されたのは慶応四年一月五日。宮司である弓庭幸倫ゆばさちみちにより御神体が撤去されたのだ。鳥羽伏見の戦いで錦の御旗が掲げられた翌日だ。弟である勤王警衛隊頭取、弓庭幸德ゆばさちとみ(のち初代奉神舍総裁。号の德灯で知られる)の京都からの急報を受け独断で行ったのだ。


 さすがに幸倫の行動は軽挙妄動と批難されてもいたしかたないだろう。が、これをもって弓庭家の維新後の栄達が約束されたと指摘する歴史学者もいる。くわえて、慶応四年三月の幸倫暗殺が決定的と見る向きもある。〈大神靈神社〉の焼討を目論む旧幕方に対し、後醍醐帝の御霊を祀る神域であると主張し斥けた翌日のことだ。勤王の模範としてその死はおおいに喧伝されることになる。


 なんとなれば、慶応四年一月から三月にかけての短い期間、それも神社の境内から動かぬうちに成した働きにより、弓庭幸倫はいわば殉教者として列せられる資格を得たのだ。そして当代夷神人管領長上の殉教は、日本の導術者のほとんどを新政府側へと転向させる効果をもたらした。


 幸德の会津や箱館における活動は勲功抜群ではあるが、それでも幸倫ひとりの死がもたらしたものと比べると霞むかもしれない。のちに幸德が子爵位を襲爵できたのも、その兄のおかげであると本人も認めている。


 ではなぜ徳川将軍家に手厚い庇護を受けてきた弓庭家が、こうもあっさりと転身できたのか。もともと導術者が皇威復興を大義名分として来朝したゆえにと公的には説明されている。実際は政治的嗅覚が鋭敏であったからだろう。家祖がそうであったように。


 ただ、旧東照宮を導術者にとっての護國神社に転用したのはさすがにどうかと思われる。いや、いっそ清々しいふるまいと評すべきだろうか。


 とにかく、弓庭家の人間たちはむしろ誇らしく感じている節があった。外部からいくら卑怯者の誹りを浴びようとも、頑として態度をあらためなかった。日光東照宮の改修には巨額の献金をしているが、あくまでも文物保存のためと主張するほどの徹底ぶりだった。


 なにはともあれ。弓庭家はこうした歴史を経て、今日もなお隠然たる政治力を握っているのだ。

   *

 弓庭幸矢は、やや間をおいてから兄の言葉に応える。


「ま、それも随神だと思うしかねぇじゃんか。俺はなにがあってもオトクンを兄として敬うつもりだけど」


「そりゃ、ありがてぇこった」ほとんど無表情で弓庭幸音は弟のほうを見やる。


「ま、兄としちゃ、つまんなそうにしてなきゃ充分ではある」


 朗らかで張りのある声だった。そこで幸音は表門へと視線を向ける。徐々にだが本来の彩色が現れつつあった。


「おおよそ神は正直をもって先となす。正直は清浄をもって本となす。清浄は心に正しさを喪わず、物を穢さず、大道を守り、定準をもっぱらにす。これをもって、明光、頂を照らし、霊徳、掌に入る。願をなして、なんぞ成らざらんや」


 幸音は弟へと目配せした。幸矢は頬を緩ませ、続きを諳んじる。


「万事は一心の作なり、時々奉行して、各々怠ることなかれ」


「おめぇの人生は残されたもんじゃねぇんだ。なら、真っ当に歩んでいけ。随神に」


 幸矢はしばし言葉に詰まるが、やや震えた声で兄に訴えかける。


「そりゃそうなんだろうけどさ。でも、ステラが消えちまったのも随神だなんて、納得できやしねぇよ」


 すると幸音は冷ややかな声で応じる。


「神は真実なれば、汝らに耐え忍ぶこと能わぬほどの試練に遭わせ給わず。いい言葉だが、随神たぁそこまで人に優しかねぇよ」


 そこで幸音は空を仰いで語りはじめる。いたってまじめな表情だ。


「それ神とは、天地に先立ちてしかも天地を定め、陰陽を超えてしかも陰陽をなす。天地にありては神といい、万物にありては霊といい、人にありては心という。心とは神なり。ゆえに神は天地の根元、万物の霊性、人倫の運命なり」

 

 幸音が弟に目配せをした。幸矢は即応する。


まさに知る。心とは神明の舎、形は天地と同根たることを。……そりゃうちの校是だもん。忘れりゃしねぇよ」


 この兄弟はこうしたやりとりがごく自然に交わされる家風のもとで育った。


「で、だ。神とは森羅万象。随神とは神の御心に添うこと。そんで神道たぁ神の御心の働きを換言したもんだ。なら、御心の働きとは? そいつはこんなふうに表現できる。……神とは天地万物の霊性なり、ゆえに陰陽不測という。道とは一切万行の起源なり。ゆえに道は常の道に非ずという」


「人間も、その不可知の超常的な環境に産まれて、そんで進んでくしかねぇ……」


「そうだ。万物に宿る霊は太極である虚無大元尊神から生じ、天地に形を得て、いずれ形を喪い、帰幽する。その不可思議な生成消滅の過程が神の御心の働き。人間の身体と心もまたその産物。俺は爺ちゃんにそう教えられたわ」


 言葉を終えると、幸音は弟に微笑んで見せた。当然のように理解できるよな、と訴えかけているのだろう。たしかに幸矢もその宇宙観を躾られてきたから理解できている。ただ、今は感情が否定しているだけなのだ。


「なら、人間はどうやって生きていきゃいいんだ? こんな宇宙で産まれてさ」


「宇宙はこっちの都合なんざおかまいなし、と覚悟するっきゃねぇだろ。一気未分の大神様に対し、極小の一部にすぎねぇ俺らがどれほどのもんだってんだ」


 幸矢がちいさくうなづいたのを認めると、幸音は続ける。


「ひとつ例え話をしてみっか。こっから多摩川に笹舟を二杯、並べて浮かべてみたとしよう。はたして、その二杯はずっと隣りあってて、同時に東京湾に辿りつけるか?」


 幸矢は素直に答える。「まずありえねぇ」


「うん。神様に対しできることなんざ、ちょいと恵んでもらえるよう、ひたすら清らかに慎ましく祈るしかできねぇべ」


「神職の本分とは、祭祀を通じ民草の祈りを神明へと言伝すること。でしょ?」


 幸矢の発言はなんら特別なものではない。神職たる者なら有していてしかるべき職業倫理だった。


「ああ、神様と人との仲介者インストメンタルだ。さらには国体護持を祈念する。あ。ついでに、本朝に住まうすべての導術者の弥栄もね。ま、これは神社本庁から要請されてるとかじゃなくて自主的にやってることだが。……なんともまぁ、じつに素敵な商売じゃねぇか」


 政治的な冗談を幸矢は鼻で笑う。さらに幸音は続ける。


「ま、俺らは非力な存在だが、そんでも意志と智慧がある。それがありゃいくらひどい艱難でも克服できる。そう信じてる」


 幸矢は訝しげに幸音の顔を見る。彼はあくまでもにこやかであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ