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牝猫たちはすべてを観ている  作者: N.Willowstream
2・夜の間際まで
20/43

いなくなった少女1

 なにか奇妙な暁緒の態度を見ても、咲楽の意思は変わらなかった。というよりもむしろ強まったかもしれない。卑しい野次馬根性であることは自覚しつつも。そうして彼女は深く、深くうなづく。


 暁緒はうつむきながらゆっくりと息を吐いた。溜息をつくことがあるのか、というふうに咲楽は興味深く思った。


「はちゃ、こっちに来てくんねか? たぶん、まだあるはずらて」


 暁緒は重い足どりで近くにある掲示板まで咲楽を案内する。咲楽は今まで掲示板をまじめに見たことがなかった。


 その掲示板の大半を白が占めていた。それはコピー用紙の白であり、つまり、サークルの新歓関連のビラやらで覆われていたのだ。その中にあって群を抜いて目につくのは〈ヒヤシンス姫〉のポスターだ。なるほど、もったいないほどに質のいい紙を用いていて、発色の具合も素晴らしい。フラッグシップモデルの大判プリンタで出力したのかもしれない。


「……アホちゃうかな」咲楽は疲れた声で呟いた。


 幸矢がしたとおりほぼ無加工だが、修正は凝ったものだ。最上部には実にそれらしいフォントでHARD ROUNDERSと掲げられていた。姫の背後はよく見れば”ミタマ様の杜”の二万五千分の一地形図になっている。芸は意外と細かい。だが、さらりと見ただけでは、とてもではないがアウトドア系サークルの新歓ポスターだと理解できるわけではない。


 なかばの咲楽に対し、暁緒は沈痛な表情で掲示板の一点を見つめていた。暁緒はおそるおそるといったふうに、そこを指さす。


「ほら、サク。ステラさん、ここにいたてば……」


 暁緒が示したのはラミネート加工されたA4判の小さなポスターであった。カラープリントされているが、周囲からとくに浮いた印象をあたえることはなかった。暁緒はわざわざスマホのライトを用いてそれを照らした。


 咲楽は屈んで、照らしだされた少女の顔を興味津々といったふうに観察する。


「めごげな顔をしてるでねか。こっけな笑顔ならすぐに気づくはずだろも」


 かわいい娘だ、と暁緒はいっている。咲楽はしごく素直に首肯できた。


 ステラという名の娘は朗らかな笑みをたたえていた。


 失踪者の情報提供を呼びかけるポスターに掲載されたポートレートで。


 ステラ・アビゲイル・F・ボウマン。失踪時で十八歳。記憶に刻まれることを期待して、とくに注意して選定されたのだろうが、まったくもって輝きが溢れる笑顔で写っている。


 艶のある象牙の肌に、丸みを帯びた輪郭。頬はふっくらと柔らかそうで。細くくっきりした鼻筋。優美な線を描く眉。二本のおさげにまとめた繊細な髪は真珠色。


 咲楽にとってすこぶる惹かれたのは、ステラの目許だ。猫を想起させる、円な目だ。瞳は潤いのある深い青灰色。咲楽はその瞳を食入るように凝視する。彼女にとっては親しみを覚える色彩であったからだ。そうして、冬の日本海、ついでそこを疾駆する軍艦を連想するに至った。


 美醜の観点からいえば、ステラの顔は間違いなく恵まれている。聡明な雰囲気を持ちつつも、愛らしさで溢れている。これだけ穏やかに優しく笑えるのは、もともと和やかに美しい造形だからできることなのだろう。


 ふと咲楽は〈ヒヤシンス姫〉のポスターを確認してみた。たしかに、姫のモデルとなった女優と、このステラは相貌の雰囲気が似通っているように思えた。ごく単純に表現すれば、両者とも猫をイメージさせるのだ。


 ステラの顔を凝視するふたりもまた美少女といってもいい。ただ、暁緒は愛くるしい空気がなによりも先行しているし、咲楽は絶妙に美しくまとまっているが、緊張感をもって成立した美だった。ステラの顔は静謐さも陽気さもどちらも素晴らしく表現できるはずだ。


 咲楽はステラの全身イラストに視線を移した。失踪時の服装だ。


 現実に忠実なのかどうか、豊満な胸周りに、引き締まった肢体として表現されていた。赤いロングのサロペットスカートに、白い長袖のブラウス。咲楽はおしとやかななセンスだと思う。また、己には馴染まないだろうという感想ももった。


 身長をみれば一六五センチだという。日本では長身の女として記憶されるはずだ。当然というべきか、体重については記載されていない。 


 そして咲楽は国籍の項目が設けられていることに気づいた。オレゴン特別在留者、とあった。彼女はその情報に、無性にやるせなく感じた。


 ひととおり身辺を確認したあとで、咲楽は濃くくっきりとした眉毛をこわばらせて失踪時の状況を確認する。


 去年の十一月初旬の昼下がり。場所は神稜環境保全林。そこで友人が会っていたのが確認された最後。所持品、とくになし。財布や携帯電話などが遺留品だという。これだけで判断すれば、自発的失踪とは考えにくい。


「なんで、こないな娘が……」


 ひととおり確認したあとで、咲楽はおおきく嘆息する。それにつられてか、暁緒も音を立てて息を吐いた。ふたりの少女は重く冷えた空気を共有している。


「なしてなんだかわかんねども、めじょげだこっつぉね」


 その声を受けて咲楽は東へと顔を向けた。こんもりとした黒い塊があった。その輪郭は仄かに橙に縁どられていた。その暗黒の領域のどこかで、ひとりの少女が消えたのだ。


「神稜環境保全林てありますけど、具体的な場所はわかりますのん?」


「幸矢さんによれば、奥宮なんだろも。あっ……。ごめん、サク……」


「アキさん、謝らんといてください」


 咲楽は丘の稜線を目でなぞり、ピークの地点で視線を据える。


 鳥居に結界された平場。薄紅の絨毯に、山桜の巨木、その梢が天井となっていて。桜の根元には小さな祠。その直前で寝転んでいた男、さらに彼のそばで侍る白い猫。


 森の深奥にあった情景が咲楽の心中に再現される。彼女が期待したとおり、静かな浮き世離れした空間であった。ただ、それだけの印象の空間であるはずだった。


「ところで、この最後の目撃者は誰ですのん?」


「幸矢さんだこっつぉね」なんら意外性のない答えだった。


「ほんで、なんでステラさんは失踪を……」同じ疑問を繰り返した。


「だぁすけぇ、それがわかんねすけ、困ってらんそ。幸矢さんも、私たちも」


 ここに至って、咲楽は幸矢の発言を理解できた。いたずらに森を侵すと消えてしまう。おそらく彼はそのように納得するしかなかったのだろう。


 瞬間、咲楽は胃を締めつけられる痛みを感じた。そして全身の火照りも。


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