親友、来たりて3
散々、恥ずべき所業を晒された平岡は二本目を咥え、指で着火する。なぜか清々しい顔をしていた。
「ひさびさだよねぇ。こんなにやりあったの」
そして、平岡は得意気に煙を藤の花穂に吹きつけた。幸矢は揺れる花穂を見つめながら呟く。
「前はいつだったかなぁ……。去年の春合宿か。西表島で砂浜専有謀議、……ビーチハウス建築計画」
「うん。とにかく夜は暇だったよねぇ。御飯食べたら泡盛飲んで、本を読んでたりした。で、僕がニュージーランドの交通地図があることに気づいた」
「そう、ステラの土産だ。暇潰しにもってきた。そいつがなぜかニュージーランド防衛戦の図上演習をやろうてことになった。なんにしろ、酔っていて暇すぎたのがいけねぇ」
「もっとも本土防衛計画を妄想しただけだけどね」
「さらに適当なんが、防衛を担うのが 日 本 皇 国軍、侵攻してくんのがドイツ国防軍。しかもオーストラリアの地図がねぇんで、イタリアからリビアに侵攻する感じで、つうことになった」
「僕がもってきた本を参考にしてね。山下元帥によるトリポリ攻略戦に、シチリア上陸での海軍陸戦隊のノンフィクション」
「ああ、いい本だった。で、軍備の設定は第二次大戦つうことでひとます同意したが〈八洲〉型を投入するかどうかでだいぶ揉めたんだっけ」
「だって就役したの〈ヴァンガード〉よりも後だしさ。オーパーツだよ。それにしても幸矢は〈大和〉型のなにがイヤなのかわからなかったよなぁ」
「ほら、三連装砲塔三基を前甲板に集中させてんの、すげぇ不細工だべや」
「あのおかげで全長のわりに大型の機関室を設置できたからいいじゃんか」
「三〇ノットを達成すんのが至上命題だし。でも〈八洲〉型じゃ機関室を挟んでふたつずつの背負式にしたんだし、やっぱ過渡期のデザインなんだよ、ありゃ」
「素直には賛同できないよね。艦政本部もとくにコメントしてないしさ。それに、しょせん〈八洲〉型は米帝が研究してたのをパクってみただけだし」
すると、幸矢は鼻で笑う。まったく、これみよがしという態度で。
「いまだパクリ説だとか恥ずかしい奴だ。一要素を抽象してそんだけですべて説明するつうの、知性の欠如の発露だわな。経済学でそれやられたらたまらん」
「けど、米帝のプランを大規模に援用したのは事実でしょうが?」
不快感もあらわに平岡は反発するが、幸矢は苦笑しながら首を横に振る。
「まず、二〇年代から二二インチの共同研究が存在したじゃん。けど、そいつを載せるプラットフォームはおおきく違ってた。米帝は三連装十二門で海上封鎖の打破が目的。我が日本は連装八門で真珠湾を急襲するのが目的。補足すりゃ、米帝は鈍足だがとにかく堅牢。対して日本は、まぁハッシュ・ハッシュ・クルーザーの太平洋適合型みてぇなもんだった」
「そうだね。米帝のは三八年度計画艦が四三年から〈バサリスク〉級として就役開始。日本は昭和十二年度計画艦、つまり金剛型後継の〈穂高〉型として建造される予定だった。けど〈大和〉型及びその改良型の整備で代替されることになっちゃった。でもそんなん、軍艦趣味者にとっちゃ、基礎的知識じゃん。いまさらなんなの?」
ムッとしている平岡に、幸矢は似たような表情で返す。
「最後まで聞けよ。……状況が変化してくのは、四〇年に合衆国でスターク案が始動してから。具体的にゃ二十インチ九門の〈ヴァーモント〉級の大量建造が発覚してからだ。ま、十八インチの戦艦群じゃ分が悪い。で、ここで復活したのが試製五六センチ砲。それを三連装十二門で対抗しようとした」
「制式化して一式五六センチ五〇口径砲。とはいえ、実際は五五・八八センチだけどね。ヤード・ポンド法で設計されてるもんだから。そんで、生産機材は米帝から輸入しなきゃならんかったわけで」
「そいつぁ当時じゃ珍しくもねぇわ。とにかく、対独戦争の煽りもあって早期の完成を目指すことになった。で、予算や資材は〈尾張〉型やらを流用して確保できた。そんで、肝心の設計だ。主砲塔やその周辺、くわえて射撃統制装置も〈バサリスク〉級のものを採用したわけだが」
「だから、そこがパクリだと指摘されてるじゃん」
「せいぜい主砲まわりだろが。条約型重巡一杯分の重量があっけど全周旋回が五分以内、かつ発射速度は毎分二発! そんなもんはじめからやってたら、十年じゃすまねぇ。しかも、反動の船殻への吸収やらなんらも考えなきゃなんねぇだろ。だもんで、先行研究を導入すんのはまっとうな判断だ。けどよ、鈍足の重装甲艦を、ほどほどの装甲で高速に仕立てるの、ちょこちょこいじっただけじゃダメじゃん。そこが独自性。実際、機関構成は全然違うだろ?」
「いやぁ、そうなんだけどさぁ。僕はそこらへんはあまり評価できねぇんだよね」
「どこがよ。屏風みてぇな集合煙突が気にいらねぇんか?」
「そうじゃなくてさ。短縮したくてパラレルにしたのはいいけど、代わりにデブになったじゃん。さすがに抵抗が激しくなっちゃったんで、第一砲塔から前を延長して解決したとか。それはなんだかなぁ、て」
「重量に直結する集中防禦区画はわりとコンパクトだぜ。あと、水線下は三重だし、水密区画は五千ぐらい。地味だが、溶接を全面採用してたおかげもあって浸水にゃ強靭だとされてらぁな」
「たしかにそうなんだけど、非装甲区画が長すぎるのは問題だよ。的の面積がおおきすぎるというか。つまり、船は機関室とかだけで浮いてるわけじゃないし」
幸矢はその指摘になにか思うところがあるのか、渋い顔になる。
「けどさ。その長すぎる前甲板があればこそ、一六〇セルものVLSを搭載できたわけで……」
「ほんで、ニュージーランド防衛はどないなったんですか?」
あらぬ方向に会話が向かうのを、咲楽が制止した。平岡が苦笑して答える。
「北島を失陥したことを考えて、大本営をどこに移転するのか議論になってね。おもしろそうだからチャタム諸島にすることになって、そこの地図を眺めてる最中にステラが状況中止を宣言しちゃった」
「キーウィは征する、キーウィは海原を征する、とか唄いながら地図をとりあげやがった」
はぁ、と咲楽は曖昧にうなづいた。悪いタイプのオタク的論争だと評価した。
「ステラさんがいってましたて。一生に一度の中学校卒業旅行の夜が、無益に消費されらんが我慢ならねかった、て。どうせ、ふたりともステラさんを無視してたんじゃねやんですか?」
暁緒の言葉に幸矢はひどく適当に微笑む。平岡は肩をすくめていう。
「そりゃ、サプライズで来てもらってもねぇ。しかもスパムを1キロも持ってこられてもさぁ。寝袋と糧食をもってきたのはマシだったけど」
「結局、俺ら、メルばっか相手してたな」
愉快げに幸矢は語り牝猫を見やる。が、彼女はそっぽを向く。
「まぁ、なんにしろ、ステラがあそこにいなきゃどうなってたんだか」
幸矢は鳶色の尾の揺らめきを凝視しながら、そう呟いた。
「でも、そのおかげであの夜は寝袋に入ったあとでもくだらないことを……」
「理想のおっぱいとはなにか、か」幸矢はこともなげに言った。
女たちはピクリと反応した。牝猫もだ。
「結論。サイズはステラを理想とする。課題は乳輪の範囲。とくに範囲はどの程度におさまっているか」
「わりと簡単だぞ。注意力が足んねぇんだよ。屈んでいるとこを狙って……」
幸矢はその先については言及しなかった。己に集中している視線に気づいたためだろう。もっとも彼の身長からすれば、普通に並んでいても可能ではありそうだ。
「そいつはどうでもいいけどね。それはそうと、僕は思ったんだよねぇ。ステラの巫女装束はたしかに素晴らしいけど、全体的な、ふんわりとしたイメージでそう評価しているだけじゃん、てね。彼女の意志は尊重したいけど、やっぱは巫女装束は胸周りが肝心なのよね」
しかし平岡は話題をひきずる。どうしても言及したかったのだろう。
「そう。一般論として緋袴はやっぱ締まりがねぇと」
すると男どもは同期して咲楽を一瞥する。首から上でなく、その下だ。そうして顔を赤めた男どもは愉快そうに笑いあった。一方で咲楽は軽く唇を噛む。
『おい、なんやこら。そん笑いは憐憫か? おい、同情すんなら、乳くれや?』
咲楽は他人からの指摘を許容できるほどには達観できていなかった。
「まぁ、ようわからへんですけど。おっぱいはふたつありますさかい、おふたりでステラさんのをわけあえばええんとちゃいますのん? ま、左右どっちがええんか、議論が起きよぉと思いますけど」
我慢できなくなった咲楽はしごく優しい口調と表情でそういってのけた。彼女とて、ある種の男は女からのあけすけな性的発言が苦手だと知っていた。むろん咲楽は男どもの暴走を抑制するという目的以上の意図はない。
平岡には効果があったようだ。彼はシュンとして視線を落としている。一方で、幸矢はその妙に迫力のある目で咲楽を凝視していた。怒りというより呆然とした感情が浮きでていた。ただし咲楽はそれを意に介さない。
「せやさかい、そんステラさんがおらんとこで、こないな……」
「なぁ、いつだっけか?」幸矢が咲楽の発言を遮った。
しかし問いかけは平岡に対してだ。冷えきった表情で幸矢は彼を見つめる。つられるように咲楽と牝猫も見やる。しかし暁緒は警戒の視線を咲楽に。
「七五三だろ。僕らが五歳で、ステラが三歳。忘れられないよ、あれは」
「おめぇが悪ぃ。シラガのガイジンだぁ、て散々いじめてたじゃん」
「離れたとこから煽ってただけだって。問題を深刻化させたのは幸矢だって」
「制裁しただけだ」幸矢は断言した。「普通は背後から蹴ってこないよ」
「これぞワースト・コンタクトじゃねぇか。おめぇの母ちゃんが俺の兄貴の担任じゃなけりゃ、どうなってたことか」
「髪の色素が薄い人間は、幼少期はさらに薄いものだ。そんな知識を得ているのは確実だろうけど」
「とにかく、十五年以上か。ずいぶんと長ぇつきあいじゃねぇか?」
平岡は不穏な顔つきになってうなづいた。幸矢は口角を歪める。
「俺ら、信じてたんじゃねぇか? この関係は老人なっても続くんじゃね、とか?」
いい関係だと咲楽は思った。だが、彼女の他はあきらかに緊張を強めていた。その空気を読んでか、牝猫は逃げるように水辺に去っていった。
「そんで、だ。俺ら、なんでステラについて語ってんだろうな。俺らの間の思い出話をしてたつもりだったんだけどよぉ」
「そういうのだったんだよ、僕と幸矢との間にあるの。けど、これからは……」
平岡は途中で言葉を切った。はっきりと痛ましい表情になっていた。
「疑問が浮かんじまったんだ。俺らの間にステラがいねぇ未来を信じねぇようにしてただけじゃね? たとえ現実が変わっちまってもだ」
「結論をいえよ」
はじめて平岡が厳しく発言したのかもしれない。幸矢は即答した。
「堕落すんだ」深呼吸して続けていう。「俺らは堕落するとしか思えねぇ」
どうして、と平岡は問う。忌々しげに。もしかすると幸矢の返答内容を確信しているのかもしれない。
「幻を共有して生きてくつうの、よろしいわきゃねぇんだ。いつか、いろんなもんに幻を重ねて解釈しやがるようになんだ。そんな状態になりゃ、人間としての体をなしちゃいねぇや」
「なるほど、ね。主張したいもんは理解できた。表現が気に喰わないね」
これが初対面でも咲楽は平岡が怒りを抑制しているのがわかった。体全体の筋肉が硬直しているのがみてとれる。もっとも鎮める方法はわからない。
「なら、適切な表現はあんのか?」
「ステラがいなくたって、僕ら、うまくやってきた時期があるじゃんか?」
平岡は幸矢の質問を無視して、逆に問いただした。幸矢は嘲笑を返す。
「どんなに遠くにいたって、女神様は実在してた。そいつを信仰すんのは、それほど不健全じゃねぇ。俺らがどんな無茶やっても、のちのち女神様からバッサリとやられる。そんな呑気な信仰だ。いや、甘えてただけかもな」
「まるでデウス・エクス・マキナみたいじゃん」
「だな。事態を収拾してくれるありがてぇ存在だ。俺ら、莫迦を晒してきやがったが、みんなまるごとステラは共有してくれた。そんで、正しいかどうかはとにかくとして、ちゃんとコメントしてくれる。で、俺らはそれに行動を律してきた。すくなくとも表面上は、かもしんねぇが」
幸矢は藤が繁茂する頭上を仰ぐ。目を細め、夕暮れの空の断片を探している。
「なんつうかな。物語を聞いてくれてなんか応じてくれる存在がいたら、すんげぇ嬉しいと思う」
「同意するよ。それを得るのが人生の目標のひとつかもしれないから」
「なら、そんなのを喪失したら、どうなっちまうんだろうな。求めているうちにそれなりに想像するんだろうけど。つまり、俺ら、恵まれすぎてたんだ」
やや時間をおいて平岡は首肯した。幸矢はおおきく溜息をつく。
「ま、おめぇにゃHRCつう居場所があって、そこにゃこなさなきゃなんねぇ仕事がある。いや、そんだけじゃねぇな。為替のデイトレードで生きていくなら、幻想にかかりっきりになる余裕はねぇはずだ。ま、日常のいい作用だわな」
「どっちかていうと、僕のスタンスはスインガー寄りだけどね。ま、幸矢だって、その利益にあずかればいいじゃんか。それなりに資金があって、ヒリヒリする感覚に没頭したいなら、レバ一千倍でポンドルに手をだせばいい。資金に余裕がないなら、HRCでいくらでも仕事をつくってやるさ。実は夏合宿で新清カヌー旅行はどうかなと妄想してる。で、協賛者は幸矢が探す」
幸矢はうつむいて舌打ちした。ついでテーブルを右手で叩いた。その挙動には平岡は動じなかった。呻きながら幸矢は上目気味に幼馴染を睨む。
「わかんねぇ奴だな。おめぇはそれでいいんだよ。俺は、また別だ」
興味深げに平岡は訊ねる。「生きるべき日常を見つけたの?」
「罪深き俺にゃあ、そんな場所なんざねぇんだ」
その瞬間、派手な水音がした。人間たちは一斉に池のほうに視線を向ける。牝猫が身を乗りだして錦鯉を叩こうとしていた。むろんその打撃は標的には届いていない。苦笑しながら幸矢は平岡に向きなおる。
「ま、おめぇは好きなように生きりゃいい。俺は好きなように朽ちてくさ」
平岡は押し殺した声でいう。「その表現は、大変に気に喰わない」
「私も、平岡さんに同意しますてば。親友からそっつぁながん聞かされて、平気でいられる人間がいるってやんですか?」
幸矢は説教してきた暁緒を真顔で見やる。彼女は腰をなかば以上浮かせて、テーブルに乗せた両手は堅く握られていた。この場ではずばぬけて小柄な人間だが、それでも怒る権利はあると主張しているのだ。
傍観者たる咲楽は先輩の言葉に同意できたが、両手を組んで静観を決めこんでいた。どこまで介入すべきか判断する材料が決定的に不足している。また、こめかみが徐々に痛くなっているのは把握している。
「そりゃそうだ。手が早ぇ奴なら殴ってくる。もうちょい穏当なら、性根をみかぎって、これにて交渉決裂と判断する。どっちにしろめでたく絶交へ。ま、平岡のことだ。そんぐれぇでイモ引くようなマネはしねぇ。なぁ、南雲、もうちょいと計算してみたほうがいいぞ。主将様はああ見えて、難しい人間だからな。この場だって、おめぇの胸を値踏みしてっかもしんねぇ」
ヘラヘラした顔で幸矢はいう。その視線は体格相応の胸の膨らみに向けられていた。咲楽は唇を強く噛んだ。その均整された顔にひずみが生じる。顔が奇妙に火照っているのを強く感じた。
「嫌な人間だよ」平岡はついで暁緒にいう。「南雲さん、殴るならあとで」
平岡はゆっくりと呼吸する。それを見て幸矢は大変につまらなそうだった。
「そうだよね。僕はその程度のことで昂奮しやしない。当然、哀しさとか虚しさはあるさ。しかし、抑えこむ。条件が適合しないかぎり、静穏であれ。僕や南雲さんはそういう訓練を施されてきた人間だから」
平岡は己の目を指さした。常人にはありえないはずの、黄色の瞳だ。ただ視線そのものは幸矢の隣りにいる同じ瞳の色の少女に向けていた。
「心神を傷ましむること莫れ。えれぇこった」
「とはいえね。かわいい後輩が人間としてまっとうな反応するとの打算で、ああいうふうにふるまわれると、男の見栄を傷つけられて非常に居心地が悪い。そんで、情緒的な問題を個対個から個対多にして、望みのままに印象形成したいのを理解できるのがさらにたちが悪い」
そして幸矢はポメラニアンを思わせる少女に諭すようにいう。
「な、難しい人間だろ? だから、大事に支えてやれ。気にいった人間ならいろんな算段を尽くして守るだろうさ。物理力のほうも俺が保証すっからな」
呆然とした表情で暁緒はうなづいた。それを見て平岡は頬杖をつく。
「で、ほんとのとこは、ひたすらに泥沼な状況に突入させて、疲労を蓄積させたかったんでしょ? 幸矢は反対言論をいくらでもひりだせる頭があるのだし。そんで、僕がその種の状況を嫌っているのを幸矢は理解している、と」
『なんやねん、このダボども』
咲楽は急速に体温が奪われていく感覚を覚えた。彼女の人生では、これほどまでに深い相互理解のうえで計算を尽くして人の感情を弄ぶ人種はいなかった。
「損切が早けりゃ、次の勝負できる場面を見つけやすいもんだからな」
「まぁね。お父さんがそうして生きてきたから。でも、人間関係じゃそういうことはしなかったようだよ。お母さんとだってそうやったから獲得できた」
「次がなかったんだろ」幸矢はポツリと言った。
「ほらぁ、まただ。……ま、よくもまぁ結婚に踏みきれたとは思うけどさぁ。それに、幼馴染こそ失ったら次はないでしょうが」
「ブラディだな。よくこれで個人投資業で生きてこうとしてるもんだわ」
「好きに生きてくために必要な金を得る手段としてしか考えていないから」
「そいつは腐りきった奴との誼を維持することも含めてか?」
そこで平岡は欠伸をした。へたな演技だったが。ついで、僕は悪食だから、と答えた。幸矢はおおいに苦笑する。
「なんだかんだで、おめぇはいい感じに生きていけるだろうな。だから、俺みてぇな夢幻に依存して生きてる人間がそばにいやがるといけねぇんだ。好きこのんで摂取した毒にやられたらたまらんだろ」
「あからさまにサボタージュをしなければ、僕は毒とは認識できないよ」
幸矢はニヤッと笑った。
「莫迦。すでに毒にやられてっぞ。理想化された過去つう奴だ。さしずめ俺は慢性中毒者。厄介なことに毒素を放出してる」
「排除はできなくたって、これからだって症状の緩和はできるはずだよ」
「だぁかぁらぁ、俺は慢性中毒なんだよ。専門病棟に収容すべきほどの」
そういって幸矢は懐から強力な中毒作用をもよおすもの――煙草をとりだす。彼は生気のない笑みを浮かべて、平岡の顔を見つめる。対面の男は疲労の気配こそあれ、爽やか笑みをつくりあげている。
「ふぅん。そういえばさ。毒を食らわば皿まで、ていう諺を好意的につかうのは誤りなんだっけ?」
「誤用ですねん。The die is castが適当やと思いますわ」
咲楽は即座に応答していた。この状況で沈黙している己が我慢ならなかったのだ。ついに口をだせるネタが転がってきたので飛びついただけだ。
「いい発音だ。……平岡、咲楽さんと仲良くしとけ。こうして縁ができたんだ」
突然の提案に対し、咲楽はふいに平岡を注視した。安堵すべきなのか、彼は眉をひそめて幸矢の挙動を注視していた。
「おめぇは過去の女なんざさっさと捨てちまえがいい。拾った莫迦な牝猫が外に牡猫を見つけてでていきやがった。ま、そんぐれぇに思ってよ」
次の瞬間には、平岡の眦がつりあがった。その口許が緊張で歪む。暁緒は左手を素早くこめかみに添えた。右腕は脱力していた。咲楽は反射的に牝猫を見やった。彼女はジッと水面を見ていたが、その長大な尾は激しく暴れていた。
そして幸矢は煙草をゆったりとした仕草で口に咥えた。
その刹那だ。空気が裂かれ、また弾ける音が、空間に響いた。




