親友、来たりて2
ひたすらに視線を投射するふたりの男。先に根負けしたのは幸矢だった。ふいに息を吐きだすと、上半身をテーブルに預けた。
「……悲観的観測が的中しちまったな」
緊迫した空気がほぐれ、人間も猫もホッと一息ついた。そして平岡はくだけた口調で幸矢に語りかける。かろうじて上半身を立たせているといったふうだ。
「すまねぇとは思わないけどさ。そんで、楽観的予測はなんだったの?」
「花見の誘いかな。もちろん、酒と食いもんはそっちもちで」
「いやだよ。こっちは新歓花見で疲弊してんだから。でも、幸矢のほうから例のとこで花見やろうってんなら、僕は喜んでつきあわせてもらうけどね」
幸矢はうつむき気味に首を横に振った。
「残念ながら今年のシーズンはしめぇだ。花が散ったんだ。今日、確認した」
「あ、でも行ったんだ。いっつもステラから誘ってたように思うんだけど」
すると幸矢は眉をひそめて牝猫を見つめはじめた。対する牝猫は重々しい表情を静かに観察している。
「なんつうかなぁ。気づけばあそこにいんだよなぁ。だから、今日も……偶然なはずなんだ。ま、最後の満開の姿を見れたんでよかったんだが」
どこか淀んだところのある声音であった。牝猫は徐々に歪んでいく幸矢の顔を観察している。
「それ、奥宮の桜じゃねやんですか?」沈黙していた暁緒が発言した。
幸矢はちいさく首肯した。暁緒はムスッとした顔をつくった。
「今年こそ見たかったんですてぇ。ステラさんが好きだといってたですけに」
暁緒の言葉を聞いて幸矢は咲楽を一瞥した。咲楽は困り顔でうなづいた。
『ええ、さいですねん。ウチにあん桜を教えよったの、こん人ですわ』
幸矢は鼻で笑う。それから、彼は平岡にいう。
「ま、復学したとこで、HRCに戻るかどうかはわかんねぇぞ」
「けど、情報は収集してるみたいだけど。さっきのミュシャの件だって、どうして知ってんの?」
「そりゃ、俺は暇人だがひきこもりつうわけじゃねぇんでな。フルカラーのA2判がやたらとありゃ、目につくってもんだ。まぁ、金がかかってんのはわかんだが、あれじゃなんかの美術展にしか見えねぇだろうな」
「いや、たいして金をかけてないのよ。紙はこっちで手配したけど、デザイン科の友達に新しいプリンタのテストで刷ってもらったから。色調がマチマチなの、それが理由なのよ。あと、彫刻科の知人に運営してるフィギア・サークルの広告出稿をお願いして、多少のお金はもらってるしさ」
「……隅っこにいた猫耳少女は、それか。とにかく……アプローチがおかしいんじゃね?」
「あとさ、役職とかよく把握してるじゃないの? やっぱ関心があんでしょ?」
「唐突だが、ひとつモラルの問題をいうとだな。軍ヲタがなんで軍人にならねぇんだか質問すんのは莫迦なことだぞ」
よく覚えとく、と平岡はうなづき、続けていう。
「ま、僕が主将であるかぎり、幸矢に対する門戸は開放されてることは覚えといてよ。ただ、まず復学しなければどうにもならないわけでね」
「ただ、それを伝えたかったんだろ? わざわざ、ありがとう。しかし、新歓で忙しい時期に、そこまでするこたぁねぇと思うがな」
そして幸矢は頬杖をついた。これからの話題は関心がないといいたげに。かまわずに平岡は続ける。
「だってほら、単位登録の期限が近いでしょうよ」
「詐欺師の基本だな、そういうの。とにかく、なら元旦にいっとけつう話だ。」
「あん時ね。お互い忙しかったし」
それを聞いて幸矢はジロリと平岡を見やる。
「莫迦か。俺は雑踏監視で奉仕してたんだ。ちなみに無給じゃねぇからな。で、おめぇはなんだ? またまた泥酔してただけじゃねぇか」
平岡はまじめな顔で反論する。
「でも、去年のよりはおとなしたかったよ。歩いて帰れたし」
「そっつぁながん、誇れることじゃねぇですて。世間じゃそうなってらんです」
暁緒があきれたように指摘する。咲楽も同意してうなづく。
「おめぇのような輩がでてくっと、奉神舍の学生にゃ酒をだせなくなっちまうかもしんねぇ。この不満、おめぇにゃ背負いきれんのか?」
平岡よりも先に暁緒が応じる。
「校地内で正月三ヶ日貫徹大酒宴とか開催されるだけになると思いますろも」
さて、神道、祭、酒は不可分の関係にある。むろん〈大神靈神社〉でもそうで、ことあるごとに振舞酒が頒布される。とくに元日の振舞酒は南多摩一帯に知られていた。その際に消費される量を小売すればコンビニ十軒を一年間養えると推計されていた。また東京優駿の開催日にも頒布されるのだが、醸造タンク一本が空くとの噂があった。
とにかくこの神社は酒に関しては大変に気前がよかった。神社広報では、祭神の一柱であり少彦名尊の御神徳を崇めるためとしていた。複合的な性格があるこの神だが、酒の神としての側面もある。
「自重してくれてやんです。神社んしょに、来年は平岡さんを新潟に連れてってくんね、と頼まれたんですろも。そっけなんイヤですて。私の田舎をなんだと思ってらんらて、つう話だこっつぉね」
平岡はさすがに苦い表情になる。
「こちとら初詣で三〇万人を集める官幣小社だ。そのへんわかってくれや」
その言葉に咲楽は幸矢を興味深げに見る。正確には三〇万という数字にだ。
『たぶん、楠公さんの三分の一ぐらいやろか。そこそこおおきい神さんなんやね』
もっとも、咲楽の家族は年初の参拝は兵庫縣神戸護國神社と決めていた。他に参拝したのは他所の護國神社か、靖国神社しかなかった。
「いやぁ、たぶん、大丈夫だよ。ステラがいなけりゃね」
すばやく幸矢が返す。
「己の怠惰を他人のせいにすんのは感心しねぇな。いや、心情はわかるがな。たしかに去年のステラはヤバかった。俺だって、あの騒ぎに参加したかった」
タイミングを図ってたかのように牝猫が高い声で鳴いた。
「去年、なにがあったんですのん?」
なんとなく興味を惹かれ、咲楽は幸矢に訊ねた。
「泥酔者にも優しいお宮です。寅年ではないがトラの行動展示。このハッシュタグで漁ればわかるぞ」
幸矢はニヤニヤしながら対面の男を指さす。まぁ、ひどいタグではある。
暁緒が援護射撃を実施する。「十八にして酒乱王、というタグもあった記憶がありますろも」
十八歳になれば法的に飲酒喫煙が認められるとはいえ、やはり印象は悪い。これは”昭和の改新”のゴタゴタで法改正がなされた影響かもしれない。
当時、成人年齢について細々とした議論があった。が、いつの間にやら、数え歳で二〇なのだからと十八歳に引下げられていた。ついでとばかりに飲酒喫煙も解禁されたのだ。増えた税収を戦時国債償還に充当するという露骨な思惑だ。
それゆえ倫理観の再構築についてはとくに努力を払うこともなく、今日でも放置されていた。二〇歳までは少年少女と呼ばれるのが慣習とされているのがその一例だ。
「古傷を抉るなよ。……実際はステラが騒動の核心でしょうが。金髪巫女つうパワーワードに釣られた輩が押しよせたのが、問題だったんでしょ?」
「それ、うちは被害者だぞ。プレスでコーカソイドの緋袴をセンターに配置しただけだからな」
「いや、それは甘いよ。ステラの巫女装束に圧倒的な訴求力があるのを認識できないはずがないもん。画像で見るだけなら、そりゃもう愛嬌が溢れて溢れて、辛抱たまらんですよ」
牝猫が乱暴にテーブルを尾で激しく叩いた。平岡は苦笑しながら補足する。
「失礼。いろいろとクセはあっけど、看板娘としちゃ上出来だよね」
「うん。年賀奉賛金は例年の五割増しだったし。けど、コーカソイドの緋袴で金集めなんざ、官幣小社として、いや神社神道としていかがという話でもあんだ。助勤さんはけして客寄せパンダじゃねぇんだし。まぁ、そいつぁはいいとして、正月三ヶ日ぶんの酒が元旦で消えちまった。こいつはとんだインシデントだわな」
妙に力んで語る幸矢に対し、御愁傷様で、と平岡は笑う。そして幸矢は上体を激しく起こすと、その平岡へとゴツい顔面を突きつけた。
「おめぇが最大のインシデントだわ! なんだよ、半日もステラのそばに張りつきやがって。しかも、ただ酒を飲んでりゃいいもんなのに、周りのカメラ小僧どもを煽りやがってよぉ。皆様、この女神様からぜひ聖水をいただきませんか? 莫迦か! 神社本庁の議事録に残ったんだぞ、この発言がっ!」
咲楽は乾いた笑みを浮かべる。よくぞ、神社と大学が吹っ飛ばなかったものだと思う。暁緒の表情をみるかぎり、同様の感想だろう。
「いやでも、そいつら、それ以前からひどかったでしょ」
「ほとんどはおめぇへの文句だろが。まぁ、撮影の邪魔だからどけ、とかぶん殴りたくなる発言だけどよ。でも、おめぇが誘蛾灯になってたのは事実だ」
幸矢の口調は厳しかった。途中からは右手でテーブルを叩いていた。
しだいに顔色が悪くなっていく平岡はおもむろに煙草を咥える。失礼、とひとこえかけてから、その先端を右の人差指でサッと擦る。ただそれだけで火が着いた。彼はメンソールの香りがする煙を吐きながら、なおも釈明する。
「僕が迂闊だったのは認める。でも、ステラも僕を挑発してくんだもん。飲みっぷりがよいと運勢も上向くと思うよ、とか。あとね、こんなんもあった。よろしい、穢れを吐いてきたらどうだ。で、トイレから戻ってきたらこれだよ。病気平癒の御利益があったな。さぁ、大神様に感謝の乾杯を」
咲楽は呆れながらも同情しかける。『鬼畜やんけ』
「……すぐにトイレに逆戻りだよ」
同情しかけた己を咲楽は悔やんだ。
「そりゃ、優しさだ。お祝い気分でいるとこに厳しいことはいいたかねぇからな。つまり、さっさと潰れて寝ろ、てことだわな。それと願いを叶えてやっただけだ。ほら、年末の男子飲みでほざいただろうが。ステラを眺めながら酒をいつまでも飲みたい、と。あいつ、笑顔で了承したぞ」
「おい、待てよ! なんでバラしてんのよ!」
「それなら、おめぇが先だろが! ステラにあの写真をバラしやがったのをまだ恨んでっからな。一昨年の夏合宿のだぞ。露出癖はほどほどにしたほうがいいよ、なんて忠告されてよぉ。どうしてくれんだよ」
「いや、以前から知ってたと思うよ。中学五年の夏、伊豆で撮った奴、ステラにも送っちゃってるし」
「結局、おめぇがいけねぇんだろがっ!」
男ふたりはしらふなのにひどくくだらないことで応酬している。ふたりとも顔が真っ赤だ。それを傍観する少女ふたりは冷笑していた。牝猫はうんざりしたのか顔を伏していた。どうにも劣勢を覆せない平岡は暁緒に話を振る
「ねぇ、結局、僕が悪いのかな?」
「いやぁ、私にはわかんねですろも」はにかみながら、暁緒は咲楽を見やる。
その咲楽は生真面目な顔をつくり、精一杯の優しい声音で答える。
「ま、なんや。おふたりとも、アホの子ですねんな」
そういうと、咲楽はビスケットを口に放りこむ。やはり美形だからなのだろうが、レンズを通した冷たい眼光には有無をいわせぬ説得力があった。牝猫もこくりこくりと顔を上下に振っていた。
その反応を見て、男どもは同時に肩をすぼめる。なぜか両者敗北というかたちで口喧嘩は収まった。




