親友、来たりて1
ぼんやりとした顔で咲楽は近寄ってくる男女ふたりを見やる。ミシンの駆動音にも似た音が響いた。スマホで連写されたのだ。咲楽は撮影したのが知人の少女だと察知し、すぐさま顔を逸らす。すでに意味はないが帽子を両手で隠す。
「サクゥ、こっつぁなとこでなにしてらんらて! ゴーギなもん被ってそ!」
甲高く、よく通る声だった。ずいぶんと小柄な(一五〇センチに届くかどうかだ)少女だ。が、痩せぎすな印象はない。ちょうどよく肉が備わっている。で、身なりは咲楽と同じく予科の制服。ただ緋色のスカートは大胆すぎるほどに短く、一方でジャケットが裾長なまま。そのためきわどいデザインのワンピースであるかのようだ。そう、スカートの中身が簡単に見えてしまいそうな。
咲楽はごくちいさく溜息をつく。おおきな挙動につられてフワフワするスカートを見やりながら。
『ほんま、いろんなとこがちっこい犬みとうな人やなぁ』
そのとおりかもしれない。明るい栗色のボブカットに、輪郭から各パーツが丸まっこく、ポメラニアンを思わせる。ただ、その瞳の色彩はポメラニアンのそれとは違っているが。かわいいかどうかなら、かわいいと即断できる。
ツレの男が左手を振りながら幸矢に勢いよく呼びかける。
「めでてぇじゃん、幸矢。おめぇ、ナンパに励むようになったの?」
咲楽は男の外見をザッと確認した。まぁ、雰囲気イケメンと表現できそうな、サッパリとした清潔感のある顔だ。じつに朗らかな笑みを浮かべている。背丈は並程度か。第一印象は悪くはないはずだ。彼女は最後の一瞬、男の双眸へと注意を向ける。隣の少女と同じ色をしていた。
『なんや、残念そな男やん』咲楽は男について、そのように評価した。
男は大和人と墨書きされたロングシャツを着ていた。咲楽の趣味ではない。
「ひさびさだっつうんに、いきなり失礼な奴だな。新入生に謝れよ」
もっとも発言だろうが、幸矢はニヤニヤとしていた。そんな表情で男の目へ視線を据えていた。一方で牝猫はやはり男を凝視して、尻尾ではテーブルを盛んに叩いていた。まるで同調しているようで、咲楽はおもしろく感じる。
「すまないわね」男は咲楽に一礼した。「初対面で冗談はよろしくないね」
せやね、と思いつつ咲楽はひかえめに会釈した。ただし、相手の目は見ない。
「まず、名乗るぐれぇしとけや」幸矢はまたもやもっともなことをいった。
「あ、そりゃそうだわ。ええと。僕は平岡春陽。この幸矢くんとは、ま、因縁深い関係だね」
「あながち間違いじゃねぇんが、イヤなもんだ」
「で、こちらの美少女のことは知ってる?」平岡は隣の少女に視線を振った。
「あ? 南雲暁緒だろ。予科文科甲種の、二年か。……あ、書記補佐だな」
「実質、書記ですろも。あと、セクションの筆頭主管学生にもなったんですて。幸矢さんの意向がそのまんま通ったんですてば」
「そいつぁおめでとう。けど、監督学生の怠慢だわな、それ。俺が意見したの、夏休み前だぞ。そいつら、報復で学祭補助員に推薦しとけ」
幸矢は心底あきれているような口調だった。まぁ、ようするにこの小型犬に似た少女はフロアセクション一単位の取締役代表を務めているのだ。その就任条件として監督学部学生の承認があるのだが、だいたいの学部学生は年明けまで真剣に考えない。
幸矢と暁緒のやりとりに苦笑していた平岡だが、急に咲楽へと視線を向けた。ただし、誰もが注視するはずの美しい顔ではなく、滑らかな胸元を見つめる。
「乾咲楽さんだよね? 南雲と同居なんだってね?」
咲楽は無言でうなづいた。だが同じフロアで起居しているだけだ。それは奉神舍のみで通用するスラングのひとつだ。なお遠くから人物特定されたことについては疑問はない。幸矢と対面してちいさく見えない女性などそうそういないだろうからだ。咲楽はとりあえずそう判断することにした。
「あ。メル様も一緒であらせましたか。ご挨拶が遅れましてもうしわけございませんでした。変わらずご健勝であると見受けられてうれしいかぎりです」
平岡は牝猫に対し、じつにうやうやしくお辞儀する。暁緒もあわせて直角に身体を曲げた。対する牝猫はひと声鳴いて応じると、よきにはからえとばかりにゴロリと転がった。結局、これがもっともまともな挨拶だった。
「そんで、幸矢。今日、おめぇを呼びだした理由なんだけどね」
そういうと平岡は席につく。暁緒もだ。男女のペアが対面する構図になった。
「想像はついてんじゃない?」
「もちろん。第二学年への進級おめでとう。いくら楽商学部とはいえ、アルゴ頼りの投資活動に励みながらだと、並大抵の努力では果たせないことだろう。ま、祝いの品は言葉で代えてもらう」
ひどく平坦な抑揚で幸矢はそう述べた。表情はというとわざとらしい無表情。
「その言葉、素直にうけっとくよ。会計学科ほどじゃねぇけど金融学科は厄介だし。ブラック=ショールズ方程式を扱ってるくせに、思考過程はブラウン運動を描いていている。そんな毎日だからねぇ」
咲楽は無関心なそぶりで平岡の発言に注意していた。文科丙種の主な進路は商学部、社会学類経済学専攻といった、まぁ、文系でも微積分をツールとする領域であった。なお、丙種学生にとり商学部会計学科は羨望の的だった。八王子の山中にある某私大ほどではないが、会計士の世界では有名なのだ。
「けど、他にあんじゃねぇの?」
「なんだろうな。栄光と伝統のHRC主将に就任したことをお祝いされてぇとか?」
平岡は両手を組み、爽やかな笑顔を浮かべる。まるで面接官のような態度だ。
「本来なら、幸矢、おめぇにその役おしつけてやりてぇんだけど」
「おめぇのような人間のほうが適してらぁな。俺は責任ねぇ位置から好き勝手にほざくのが得意なだけだ。わかってんだろ、そんぐれぇ」
幸矢は尋問者から視線を外し、ゴロゴロしている牝猫を見つめだした。
そして咲楽はひっそりと呟く。「H、R、C」
「うん。ハード・ラウンダーズ・クルー。サクもサークル選びで悩んでんなら、どやんだ? いいとこだこっつぉね」
目敏いというのか、暁緒が対面の咲楽に勧誘してきた。まったく無邪気な笑顔で。これで十回目になる誘いだ。咲楽は明後日の方向を見ながら応じる。
「せやけど、ウチ、どっちかゆうとインドア派ですさかい」
好奇心に従うままに森の奥深くまで侵入した咲楽はそっけなく拒否した。
『アウトドアゆうてもアレやんけ。はしご酒を深く愛する一党、 なんやし』
内心で毒づくと、咲楽はこの場にいる人物関係を整理する。咲楽以外はサークル仲間というか、関係者。幸矢と平岡は昔からの友人か。幸矢と暁緒はセクションでの知人。そして咲楽は暁緒とはセクションでの先輩後輩。幸矢とは、とりあえず同じ学校での知人という関係。
『なんで、ウチ、ここにおるねん。ほとんどヨソモンやんけ』
咲楽は結論を得ると、溜息をついた。最近、溜息ばかりだと思った。
「そうそう。新歓といえばさっきまで芸術のとこでビラ撒いてたんだけどねぇ。今年はぜひともアーティストを仲間にしてぇんだよねぇ」
平岡は南の方角を顎で示した。池を挟んだ向こうにコンクリート打ちっぱなしのキュービックな建物が見えた。芸術専門部製作実習棟だ。ちょっとした展示場が設けられていて、学生作品の委託販売を行うミュージアムショップも併設されている。幸矢はそこでサイケデリックな猫の帽子を購入したのだ。
「幸矢さん、なんかいってくだせぇて。このしょ、春先からずっとこの調子なんですて。SPTCのしょならまだ見込みがありそうだと思うんですろも」
暁緒ははしゃいだ調子で幸矢に依頼する。
「まずは版権関係に注意しろ。相手は版権で生きてこうって学生だから。つまり、ミュシャが好きだからって〈ヒヤシンス姫〉をほぼ無加工で使うのはセンスがよくねぇ。ちったぁパロディの精神を見せろや。そんで、俺が思うに元ネタをどう弄るかってとこにクリエイティヴさがでてくっと思うんだ」
この指摘に平岡はふむふむと頷く。「たしかにそうかもね」
「けどまぁ、俺も大好きだよ、あの娘。結婚できるんなら足の指をしゃぶる」
「あかんやんけ」咲楽は思わず声を漏らした。
咲楽を除いた三人が一斉に失笑した。変わんねぇて、と暁緒が呟いた。どうも冗談好きというよりは突拍子もない軽口を妙なタイミングで発言したがる性分らしい。咲楽はこのような分析を記録する。
「前から思ってんだけどさ、幸矢、彼女がステラに似てっから大好きなんじゃないの?」
ふいに平岡が問いかけた。その場の人間が一斉に幸矢に注目した。牝猫もだ。彼女は首をもたげ、耳を緊張させていた。幸矢はゴツい造りをひどく歪め、ポツリという。
「その発想はなかったな」
牝猫はか細く鳴いて、また寝そべる。そして幸矢は平岡の目をまっすぐに見つめながらいう。
「で、今日の本題はなんだ? 新歓の手伝いをしてもらいてぇとか? 悪ぃがそいつぁやらんぞ。もちろん、金もなしだ。筋違いな話だからな」
「わかってるよ、そんくらい。退部願を預かっちゃってるし」
「なら、さっさと受理してくれや。活動援助金は登録人数を参考にしてんだ。幽霊部員を使って不正受給なんざ、恥さらしじゃんか」
「承知してるだろうけど、決裁する義務は主将たる僕にある。で、僕はこの件について特別な判断条件を設定してるんだよね」
「……ブラディだ。制度の恣意的運用はよろしくねぇぞ。で、そいつはなんだ?」
「復学する意志があるか否か」
平岡はあっさりと発言した。幸矢の右頬が震えた。そして彼は対面の男の瞳を睨む。澄みきった黄色の瞳を。彫りが深く粗い造りの顔のため、放たれる威圧感は並の人間のものではない。だが、平岡は爽やかな顔面ににこやかな表情を貼りつかせたままだった。
さすがに咲楽はこの無言の対峙に緊張を覚えた。逃げだすタイミングについて検討を開始する。暁緒はというと、さめた表情で幸矢の顔色を窺っていた。牝猫は背を縮めて静止していた。ただし、黄玉の瞳は盛んに動かしていた。




