藤谷美沙は楽しみたい
俺と澄花が師弟関係を解消して一週間が経った。
あの日以来、澄花からの連絡はない。
まあ当然と言えば当然だ。何せ、俺と彼女を結び付けていたものは小説を書き上げるという目標であってそれが達成された今、俺と彼女はただの一生徒と一生徒なのだから。
そう言えば、数日前に一度だけ廊下で澄花とすれ違った。
廊下で目が合った瞬間、お互い動揺したように一度足を止めたが、澄花はすぐに目を逸らして歩いて行ってしまった。俺は俺で話しかける理由もなくそのままその場を立ち去った。
この一週間で澄花の顔を見たのはそれだけだ。
これまでは嫌になるほどに毎日一緒に行動していたのに、いざ、隣から彼女が消えるだけでなんだか違和感がある。
この違和感もあと一週間もすれば消えるのだろうか……。
※ ※ ※
それからまた数日が経ったある日の夜、俺は藤谷美沙の家で夕食を取っていた。
「柄木田くん、そこの醤油取って」
「あいよ」
「ありがとう」
アパートのリビングでテーブルを挟んで藤谷の向かいに座る俺は彼女の手料理に舌鼓を打つ。
彼女の作る料理はどれも美味い。
特に金目鯛の煮付けが絶品だ。
俺が箸を口に入れるたびに感嘆の声を上げていると藤谷は何やら俺を睨む。
「一口食べるごとに変な声出さないでよ。ちょっとキモいから……」
と、藤谷からキモいと言われ俺は慌てて身を正す。
リビングには俺と藤谷しかいなかった。
例のごとく、藤谷は俺と家族を接近させるのが嫌なようで、奥の部屋に家族を追いやったようだ。
が、兄弟たちの一部は姉の言うことを聞くつもりはないらしい。
現に今、下の妹(たしか瑠々だったっけ?)が襖を少しだけ開けて顔を出して俺に小さな手を振っている。
可愛い。
藤谷の妹に癒やされていると、藤谷が「そういえば」と俺の顔を見やる。
「そういえば今日は何か話があって来たんだよね……」
彼女に言われ俺はここに来た真の目的を思い出す。
「この間のノートの件なんだけど……」
そう、俺がここにやってきたのは澄花が無事自らの力で原稿を書き上げたことを伝えるためだ。
俺がそう口にすると藤谷は明らかに何かを期待するように俺の目を見た。
その目があまりにもキラキラと輝いているので、俺はなんとも後ろめたい気持ちになって目を逸らす。
「お前の力を頼らずになんとか原稿が出来たよ」
俺がそう答えると藤谷は「そ、そうなんだ。それは良かったよ」と言いつつも肩を落とした。
そんな彼女を見ていると自分がつくづくひどいことをしたことを痛感する。
「なんというか、変な期待をさせて悪かったな……」
素直にそう謝る。
が、そんな俺に藤谷は少し驚いたように目を開く。
「そ、そんなことないよ。私としては澄木先生に原稿を褒めてもらえただけで満足だから」
と、気を遣ってフォローをしてくれる藤谷。
「それに……」
と、そこで藤谷は伏し目がちになる。
「それにやっぱり私なんかじゃ澄木先生のゴーストライターは無理だよ」
「そんなことない。お前の作品をすみか、いや澄木先生は本当に褒めてたぞ。それに俺だって面白いと思った」
そう言うと藤谷は「そ、そんなことないよ……」と少し恥ずかしそうに顔を赤くした。
「じ、実は最近、こんなことがあったから澄木先生の作品を少し読み返してたの。それでね、やっぱり私は澄木先生の足元にも及ばないなって……」
と、そこで藤谷は箸を置いた。
「私ね、澄木先生みたいに読んでいてこっちまで楽しくなるような恋愛が書きたいなって思うんだ……」
「楽しくなる?」
「前に柄木田くんのことが羨ましいなって言ったことあったよね?」
と、そこで藤谷はそう尋ねるので俺は記憶をさかのぼる。
確か、初めて俺が藤谷の家を訪れたとき、彼女は俺が羨ましいと言った。
それは確か、俺が澄花や紗耶香と一緒に遊んでいるのが楽しそうで羨ましいというニュアンスだったような気がする。
「そう言ったのはね、多分、柄木田くんと一緒にいるときの女の子がこの小説の登場人物みたいに凄く楽しそうに見えたからだと思うの……」
そこまで言って藤谷は何故か顔を赤くする。
そして、
「柄木田くん」
不意に藤谷は俺の名を呼んだ。
「な、なんだ?」
唐突に改まったように俺の名を呼ぶ藤谷に俺は少し動揺したようにそう尋ねる。
すると藤谷は顔を赤くしたまま口を開く。
「柄木田くん、前に私のことを楽しませてくれるって言ってくれたよね……」
「え? あ、ああ、確かに言った……」
確かに俺は以前、藤谷にそう言った。
けど、どうして藤谷は今、そのことを口にしたんだ?
俺が首を傾げていると藤谷はじっと俺の目を見つめる。
「わ、私もこの小説の登場人物みたいに楽しませて欲しいな……」
そう言った瞬間、赤かった藤谷の顔がさらに赤くなった。




