絶体絶命……
俺と澄花はソファに腰を下ろした。
少し遅れて結城富美加も向かいのソファに腰を下ろす。
そんな結城富美加を見て澄花は俺の袖をぎゅっと握りしめて俺に身を寄せてきた。
「で、話って何かしら?」
結城富美加はワザとらしく首を傾げると俺たちに微笑みかけた。
どうやら、彼女は相当のドSのようだが、生憎、俺はドMではない。
だから眉を潜めて不快感を露わにすると単刀直入に用件を口にする。
「ノートを返してくれ。俺たちの用件はそれだけだ」
俺は結城富美加をじっと睨み付けた。
が、依然として彼女は笑顔を崩さない。
「ノート? ごめん、何の話かしら?」
どうやらこの女はド畜生だ。いや、前に会ったときから知っていたが……。
どうやら彼女はしらを切るつもりらしい。
「あんたが、俺たちから奪い取ったノートだよ。まだ手元にあるんだろ?」
俺がそうしつこく食い下がると結城富美加はなにやらわざとらしくはっとした顔をした。
「ああノートね。あれならしっかり読ましてもらったわ。あの内容でバッチリよ。誤字脱字もなかったからそのまま最終稿ってことで出しちゃうわね」
「そのノートを出版させるわけにはいかないんだ。悪いけど、俺たちに返してくれ」
「どうしてかしら? 内容は完璧よ」
「そういう問題じゃないんだ」
「じゃあ、どういう問題なのかしら?」
「あれは澄花、いや澄木紗々が書いたものじゃない」
と、そこで結城富美加はそこで初めて少し驚いたような表情を浮かべて「へえ、なるほどね……」と呟いた。
が、すぐにまたあの憎らしい笑みに戻る。
「で、言いたいことはそれだけかしら?」
「そうだ。だから、そのノートを出版させるわけにはいかないんだ」
そう言って俺は結城富美加の前に手を伸ばす。
が、結城富美加は笑みを浮かべたまま微動だにしない。
「おい、早く返せよ」
「それはできないわね」
「はあっ!?」
意味がわからない。
俺の言葉だけであのノートを返してもらうための言い訳としては十分だったはずだ。
俺が目を丸くしていると結城富美加は笑みを浮かべたまま口を開く。
「そんなのもみ消しちゃえばいいの。なんなら私が直接出向いて話をつけてもいいわ。いずれにせよ、そんなことどうとでもなるわ」
「なっ……」
俺は怒りを通り過ぎて呆然とする。
なんだこの女は……。
と、そこで結城富美加はふと目を俺から逸らすと近くにいた部下らしき男を見やった。結城富美加の視線に気がついた男は何やら机の引き出しを開く。そして、中から見覚えのあるノートを取り出すと結城富美加に手渡した。
そして、
「な~んちゃってっ!!」
と、当然そんなことを言う結城富美加。
なんちゃってっ!?
彼女の口から零れた言葉に俺は今度は呆然を通り越して心臓が止まりそうになる。
「いくら私だってそこまで危ない橋は渡らないわ」
と、まるで彼女はくだらない冗談でも口にしたような悪戯な笑みで俺を見やる。が、決して目は笑っておらず獲物でも狙うように鋭い眼光で俺を見つめていた。
「でも私たちもいつまでも、あなたたちのおふざけに付き合っていられるほど暇ではないの。彼女はうちの看板作家の一人なの。あんまり長引くようだとさっきの冗談も本当になっちゃうかもね」
そう言うと結城富美加はノートをテーブルに置いた。
「これは返すわ」
突然、そんなことを言う彼女に俺は何も言い返せない。
そんな俺を何やら可笑しそうに眺める結城富美加。
「安心して、とっくにバックアップは取ってあるから」
どうやら彼女は安心しての意味をはき違えている。
「あなたたちに一週間だけ猶予を与えるわ」
「猶予?」
「もしも、一週間以内に原稿が上がらなかったが場合はさっきの冗談は冗談じゃなくなるかもね」
「お、おい、一週間なんかで書きあがるはず――」
「話はそれだけよ。私たちも暇じゃないの」
そう言うと結城富美加は立ち上がって奥の部屋へと消えて行ってしまった。
※ ※ ※
理不尽だ。
俺は結城富美加という女がいかに極悪非道な人間かということを改めて思い知った。
が、同時にこれ以上、あの女に何かを言ったところで何も取り合ってはもらえないことも理解した。
となると、あの女の言う通り一週間以内に澄花に原稿を書き上げてもらうしかない。
が、
「おい、澄花……大丈夫か?」
帰りのタクシーの中。
澄花はほとんど口も開かずに俺の腕にしがみついていた。
そんな彼女を眺めていると本当に彼女に申し訳ないことをしたと思う。
俺の言葉に澄花は小さく「大丈夫です……」と呟いた。
「実は半分以上は原稿書けているんです。失恋のシーンさえ何とかなれば一週間以内に書き上げられると思います……けど……」
けど、その失恋シーンがどうにもならない。
というのが彼女の言いたい言葉だろう。
「師匠……」
と、澄花は俺の名前を呼んで俺の顔を見上げた。
言葉には出さないものの、その顔は明確に助けを求めていた。
※ ※ ※
自分の蒔いた種だ。
俺がなんとかしなきゃならない。
けど、その前にやることがある。
俺は体調が優れないという澄花を家に送った後、とある場所へと向かった。
インターホンを鳴らすとしばらくしてドアが開いた。
「か、柄木田くんっ!?」
ドアから顔を出した藤谷美沙は俺の顔を見て驚いたように目を丸くした。




