第4話 最初の寄付は、失敗しました
第七日。王都の空は朝から分厚い雲に覆われ、予報通りの冷たい雨が降り注いでいた。
北衛騎士団の施療区では、急ピッチで進められた回廊工事が一応の完成を見せていた。真新しい木材が雨に濡れ、濃い茶色に変わっている。本日は、この回廊が本当に使い物になるかどうかを確かめる、雨天使用前試験の日だった。
アデライドが傘を差して現場の端で見守る中、紺色の実務外套を着たダリオが、重り代わりの土嚢を積んだ車輪付き搬送台を押し始めた。傍らには、厳しい目つきで盤面を記録する医務長エマの姿がある。
ダリオの押す搬送台は、直線部分をスムーズに進んでいった。だが、施療区の中庭を囲む曲がり角に差し掛かった途端、ガクンと鈍い音を立てて床板が傾いた。
ダリオが力を込めても、車輪は傾いた板の継ぎ目に引っかかり、ピタリと止まって動かない。
「……駄目だな」
ダリオが短く吐き捨てた。
第四日の面談で彼が指摘した通りだった。現地水流の見積もりが外れ、雨水が床下に流れ込んでいたのだ。「現地調整で対応可能」という業者の言葉とは裏腹に、集まった雨水はうまく抜けず、曲がり角の床下に溜まり、支えの地盤を泥濘させていた。
「この状態では、患者は通せません」
エマが手元の記録板に強く線を引いた。
「車輪が止まる衝撃は患部に響きますし、何より介助者が滑って転倒する危険があります。安全基準を満たしていない以上、この回廊の利用は一切禁止とします」
厳格な禁止令に、立ち会っていた工事業者は青ざめて弁明を始めた。
「申し訳ありません。追加測量を簡略にして、既存の溝の調整で間に合うと判断しました。床の支えにも締め固めの不足があります。こちらの施工不良は、無償で直します」
業者は濡れた図面を押さえた。
「期限を守ろうとして、変更のご相談をしないまま進めました。申し訳ありません」
業者の言葉に、アデライドは胸の奥が冷えるのを感じた。
第九日の面会に間に合わせたいと、第七日を完工希望日とする支払段階の指定を行ったのは、他ならぬアデライド自身である。専門家ではない彼女は、「とりあえず形を作ってもらい、完成後に実際に試して調整すればよい」と安易に考えていた。
だが、現場ではその素人の急かしによって必要な測量が省略され、結果として使い物にならない危険な床が生み出されてしまったのだ。
アデライドは「私は図面を承認したわけではありません」「業者の腕が悪いのでしょう」と責任を逃れるような言葉を絶対に口にしなかった。契約上の工事許可を出したのは団長であり、安全確認はエマの権限だが、期限を優先してよいと受け取られる言い方をしたことは、自分の責任だった。
「中間の確認を待たずに進めさせた責任は、こちらにもある」
レイモンが業者へ向き直った。
「支えの手直しと追加の排水工事は分けて、施設係にも見積もりを確認させる。次は期限だけで進めない」
「業者の皆様の施工不良につきましては、契約通り無償での是正をお願いいたします」
アデライドは静かに、しかし明確に言った。
「その上で、この水溜まりを根本的に解消するには、どうすればよろしいのですか」
業者は図面を広げ、雨に濡れながら説明した。
「……既存の水路だけでは捌ききれません。角の部分に、新たな排水側溝を増設する必要があります。これには追加の資材と人手がかかり、当初の契約外として八十銀貨が別途必要になります」
誰のせいかと言い争っていても、車輪は進まない。アデライドは具体的に直すための判断を下した。
「私も、日程を延ばせると明言せず、面会に間に合わせることばかり求めました。その経緯は記録に残してください。追加の八十銀貨は、見積もりの確認が済めば予備費からの振替に同意します」
アデライドは即座に市庁舎から立ち会いに来ていたルカを呼んだ。
彼女の寄託予算には、当初二百六十銀貨の予備費が設定されている。これを百八十銀貨に減らし、回廊の予算を二百四十から三百二十へと増額する。ルカが台帳と照合し、予算内での振替が可能であることを確認する。続いてエマが新たな側溝による安全判定基準を確認し、施設係による工事内容と追加見積もりの確認を待って、レイモン団長が許可書に署名した。
正規の手続きを終えたアデライドは、傘を畳んで雨の降る現場へと戻った。
泥跳ねで実務服の裾が汚れるのも構わず、彼女はダリオや介助者たちに近づいた。
「安全に試せる場所なら、私にも押すのを手伝わせてください」
アデライドは自ら搬送台の木枠に手をかけた。言い訳をせず、自分の失敗を認めて共に直そうとするその横顔を、ダリオがじっと見つめていた。
彼は貴族の夫人に泥仕事をさせまいと制止することはしなかった。代わりに、無言のままアデライドの隣に立ち、彼女に搬送台を押すための適切な位置――力を込めやすく、かつ車輪の動きを感じ取れる場所――を顎で示して任せた。
押す位置を任されたことが、アデライドには小さく嬉しかった。
危険な角は立入禁止のまま、施設係が健全と確かめた床の上で検証が続いた。業者が排水溝の候補位置を縄で示し、アデライドたちは搬送台を押して、必要な通路幅を確かめた。
やがて、雨に濡れた図面に、新しい排水溝の位置を示す太い赤線が書き加えられた。
追加の側溝工事には、翌日いっぱいを充てる見込みとなった。再検収は明後日――第九日の親子面会の前を予定する。今度は、試験を通らなければ食堂での面会を延期すると、先に家族へ伝えることになった。
冷たい雨が降りしきる中、未検収で通行禁止となった回廊の向こう側には、明後日の面会日を知らせる木札が風に揺れている。
果たして、親子の面会までに安全な床は完成するのか。時間と天候との戦いを前に、アデライドは泥で汚れた自分の手を見つめ、ただ静かに祈るように拳を握りしめた。




