第12話 善意の仕事を、断る権利
第三十五日。北衛騎士団の一角にある作業室で、新たな寄託支援事業である『復職準備班』の募集が行われていた。
この班は、負傷などで長期の療養を余儀なくされ、元の前線へ戻ることが困難になった隊員たちへ、無理のない軽作業を提供するためのものだ。団長のレイモン名義で雇用契約を結び、毎会期最大百四十銀貨という予算枠内で、参加手当や技能指導の費用が支払われる。
アデライドは、説明を聞きに来た隊員たちの中にベルンの姿を見つけ、歩み寄った。三日前には、不参加を理由に支援を変えるものではないとエマと共に説明した。それでも彼が今日来たのを見て、仕事そのものには関心を持ってくれたのかと、期待してしまった。彼女はベルンの痛む脚でも無理なく行えるよう、工房で見慣れた『織布の修繕』という座り仕事を提案の筆頭に据えていた。
「ベルンさん。こちらは座って進められる修繕です。作業内容だけでも、ご覧になりますか」
アデライドは良かれと思って勧めた。だが、ベルンはその募集要項を一瞥すると、静かに、しかしはっきりと首を横に振った。
「……お心遣いは感謝します、ライネル夫人。ですが、俺はこれをやりたくありません」
アデライドは言葉を失った。断ってよいと説明した自分が、また同じ仕事を勧めていた。
「縫う仕事が嫌なわけじゃありません。でも、長く座っていても脚が痛むんです。それに、俺がこれまで覚えたことを使える役目がないか、先に探したい」
ベルンは募集要項を机に置いた。
「今日は、それを相談しに来ました」
「ベルン。お前の脚の状態では、第一線の護送任務に戻るのは無理だ。今は安全な範囲に職を限定して、確実な手当を得るべきだろう」
同席していたダリオが、険しい顔でベルンを諭すように言った。
ダリオの言葉の裏には、かつて部下であった彼をこれ以上危険な目に遭わせたくないという、強い「保護」の意志があった。
アデライドも一瞬、ダリオの意見に同調しそうになった。せっかく予算を用意したのだから、安全な仕事をしてくれた方が良いに決まっている。だが、彼女はすぐにその考えを打ち消した。
善意で用意した仕事であっても、本人が望まない作業を「あなたのためだから」と押し付ければ、それは夫オスカーが使っていた「貴族の嗜み」という言葉と同じ、強要になってしまう。
「……副隊長。私の寄託は、希望する方のためのものです。参加を迫る理由にはしないでください」
アデライドはダリオに告げ、ベルンに向き直った。
「私も、あなたの希望を聞く前に勧めてしまいました。申し訳ありません」
エマが募集要項を開いた。
「団長の承認した募集も、本人の希望と医務上の許可が前提です。参加しないと選ぶこともできます。別の任務の相談は、配置の担当へつなぎましょう」
ベルンは小さく頷いた。初月にこの班へ参加したのは、彼を除いた三人のみとなった。
三人の参加に対する初月の支出予定は、作業手当六十銀貨、指導費四十銀貨、検品や器具管理に二十銀貨の、計百二十銀貨。予算上限の百四十銀貨から余った二十銀貨については、無理に使い切ろうとせず、寄託口座には送金せずに手元に残す処理が行われた。
手続きの最中、ダリオが納得しきれない様子でアデライドに問いかけた。
「……枠が埋まらなかった理由を、寄付者向けにはどう報告するのですか」
「本人の事情は要りません。必要な経費と未執行額が分かれば十分です」
アデライドは迷いなく答えた。
「断った人が説明を晒されるのでは、断ってよいとは言えません。私も、先ほどはまた勧めてしまいました」
エマも書類を置いて頷いた。
「不参加で治療を変えることはありません。家族券は市の相談員が別に審査します。募集要項にも、そう書き足しましょう」
アデライドの言葉に、ダリオは複雑な表情を浮かべ、黙り込んだ。
彼は、危険から遠ざけ、安全な場所に閉じ込めておくことこそが「守る」ことだと強く信じているようだった。本人の意思による拒否を受け入れることは、彼にとって一種の恐怖に似ているのかもしれない。
その日の午後。騎士団の裏手にある、普段はあまり人の通らない資材置き場の陰で、ダリオが一人で壁にもたれかかっていた。
彼に確認したい書類があり、その姿を探していたアデライドが足音を立てて近づくと、彼はゆっくりと顔を上げた。
いつもならすぐに居住まいを正し、公的な態度で接してくる彼が、今日はそのままの姿勢で、ひどく疲れたような目をアデライドに向けた。
「……俺も、守るつもりで人を傷つけた」
ダリオは、いつもの「私」ではなく、年齢相応の「俺」という私的な口調でぽつりと洩らした。
アデライドは息を呑み、歩みを止めた。
「安全な道だけを選ばせることが、上官としての正解だと思い込んでいた。それが、結果的に相手の未来や、選ぶ権利を狭めてしまうとも知らずに」
彼の言葉の裏には、午前中のベルンに対する過剰な保護意識と、それに対する深い自責の念が隠されていた。
完璧に見えた実務家の青年騎士が、ふと仮面を外し、不器用な弱さを晒した瞬間だった。
アデライドは不用意な慰めの言葉をかけず、ただ静かに彼のその姿を見つめた。彼が「守る」という名目で他人の意思まで制限しがちになる理由。その奥にある、癒えていない過去の過失の正体が、ゆっくりと彼女の前に明かされようとしていた。




