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スラム育ちの俺《浄化》スキルで成り上がる  作者: 月瀬 リュカ


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第9話 持ち帰れない

 《身体強化Ⅰ》を覚えてから三日。ノアは、自分の身体が以前とは明らかに違うことを実感していた。見た目は変わらない。相変わらず細い。十五歳という年齢を考えても小柄な方だ。だが。

「速い」

 森の中を走る。以前なら息が上がっていた速度でも、今はまだ余裕がある。木の根を飛び越える。着地。すぐに次の一歩。足が思った通りに動く。

「これ、かなり違うな」

 《身体強化Ⅰ》。腕力だけではない。脚力。瞬発力。身体を支える力。全部が少しずつ強くなっていた。もちろん、急に大人の冒険者と力比べができるほどではない。それでも。一か月前。荷運びの仕事で大きな箱を持つだけでも腕が震えていた自分とは違う。ノアは腰の《月銀の剣》へ触れた。今日受けた依頼も、以前なら選ばなかったものだった。

────────────

《牙猪討伐》

対象:牙猪

討伐証明:右牙

報酬:一頭につき銀貨一枚

推奨:Eランク以上

────────────

 牙猪。森に生息する大型の魔物。見た目は猪に近い。ただし、大きい。成体なら人間の腰ほどの高さがあり、大きな個体になると体重は成人男性を軽く超える。そして名前の通り。下顎から伸びた牙が危険だった。突進をまともに受ければ、革鎧程度なら簡単に裂かれる。以前のノアなら避けた。《剣術Ⅰ》があっても。《黒鉄の胸甲》があっても。身体そのものが追いつかないと思ったからだ。だが今は。

「一頭ならいけると思う」

 無理なら逃げればいい。いつものように。勝てない相手へ意地を張るつもりはない。ノアは森の奥へ進んだ。

◇

 牙猪の痕跡は分かりやすかった。地面が掘り返されている。木の根元には泥がこすりつけられ、低い位置の樹皮が削れていた。

「近いな」

 ノアは歩く速度を落とした。《隠密Ⅰ》。呼吸を整える。足を置く場所を選ぶ。枯れ枝を踏まない。そして。少し先。茂みの向こうから音がした。ブフッ。

「いた」

 葉の隙間から覗く。大きい。灰色がかった硬そうな毛。太い首。地面を掘る鼻。そして下顎から左右へ伸びた二本の牙。

「……思ったよりでかい」

 ノアは少し迷った。依頼板で絵を見た時より大きく感じる。ゴブリンとは違う。体格そのものが武器だ。

「正面からは嫌だな」

 横へ回る。《隠密Ⅰ》のおかげで、牙猪はまだこちらに気づかない。狙うなら首。だが、毛が厚い。どこまで剣が入るか分からない。

「脚をやる?」

 動きを止めれば楽になる。ノアは木の陰を利用しながら距離を詰めた。あと五歩。四歩。三歩。その瞬間。ぞわっ。

「!」

 《危険察知Ⅰ》。ノアは考えるより先に後ろへ飛んだ。直後。

「ブオオオッ!」

 牙猪がこちらへ振り向いた。

「気づいてた!?」

 地面を蹴る。突進。

「速っ!」

 ノアは横へ跳んだ。牙が服のすぐ横を通り過ぎる。以前なら。避けきれなかったかもしれない。だが今は。身体が動く。着地。そのまま踏み込む。

「っ!」

 《月銀の剣》を振った。後脚。刃が入る。

「ブギィィィッ!」

 牙猪が暴れた。後脚から血が飛ぶ。それでも止まらない。身体を捻り、ノアへ牙を向ける。

「まだ来るか」

 また危険察知。ノアは木の後ろへ走る。牙猪が追う。

「こっち!」

 ぎりぎりまで引きつける。横へ。牙猪は曲がり切れない。ドンッ!太い木の幹へ突っ込んだ。枝が揺れる。

「今!」

 ノアは背後から駆け寄った。脚を踏み込む。以前より強く。剣を両手で握る。

「はっ!」

 首へ振り下ろした。ザシュッ!

「ブギィィィィッ!」

 深い。《月銀の剣》の切れ味。《剣術Ⅰ》。そして。《身体強化Ⅰ》。以前より明らかに剣へ力が乗っている。牙猪が振り向こうとする。

「まだ!」

 もう一度。同じ傷へ。刃が入る。牙猪が数歩よろめいた。それでも倒れない。

「硬いな……!」

 ノアはすぐに距離を取った。牙猪がこちらを睨む。口から荒い息。首から血。後脚も傷ついている。それでもまだ動ける。

「正面は無理」

 ノアは剣を構えたまま待った。牙猪が突っ込む。ぞわっ。来る。今度は避けるだけではない。直前。一歩横へ。《身体強化Ⅰ》で踏み込む。牙猪の横を抜けながら。

「っ!」

 首へ横薙ぎ。刃が先ほどの傷をさらに広げる。大量の血が飛んだ。牙猪が数歩走る。足がもつれる。倒れた。

「……」

 ノアは近づかない。剣を構えたまま待つ。まだ脚が動いている。一分。やがて。動かなくなった。

「倒した……」

 ゆっくり近づく。剣先で身体へ触れる。反応なし。

「よし」

 ノアは息を吐いた。強かった。ゴブリンよりずっと。だが。

「前より楽だった」

 そう思える。《危険察知Ⅰ》で突進へ早く反応できた。《隠密Ⅰ》で最初の位置取りもできた。《剣術Ⅰ》が剣を扱う助けになる。そして《身体強化Ⅰ》。避ける速度。踏み込み。剣を振る力。全部が変わった。

「いいな、身体強化」

 ノアは少し嬉しくなった。技能が増えただけではない。実際に。倒せる相手が増えている。

◇

 問題は。そのあとだった。

「……でかいな」

 死んだ牙猪を前に、ノアはしゃがみ込んでいた。依頼として必要なのは右牙だけ。それを持って帰れば討伐報酬はもらえる。だが。牙猪は素材になる。牙。毛皮。肉。脂。一部の骨。魔石。ギルドへ持ち込めば、それぞれ買い取ってもらえる。つまり。捨てれば。金を捨てるのと同じ。

「全部欲しい」

 ノアは牙猪を見る。次に。自分の革鞄を見る。

「……無理だな」

 どう考えても入らない。まず牙を切り取った。二本。これは入る。次に魔石。胸を切り開き、小さな魔石を取り出す。《浄化》。血を落とす。

「これも入る」

 問題はここから。毛皮。大きい。かなり大きい。全部剥げば、それだけで鞄より大きくなる。

「肉も欲しいんだけど」

 ノアはしばらく考えた。まず使えそうな部分だけ切り取る。《浄化》して血や汚れを落とす。布へ包む。鞄へ。

「……もういっぱい」

 まだ肉が大量に残っている。

「嘘でしょ」

 皮もほとんど残っている。牙猪を倒した時より困った顔になった。

「持てるかな」

 《身体強化Ⅰ》がある。重い物は以前より持てる。ノアは試しに牙猪の脚を掴んだ。

「よっ……!」

 持ち上がる。少し。

「重い!」

 運べないことはない。だが。これを街まで引きずって帰る?距離がある。森の中。しかも血の臭いを撒き散らしながら。

「他の魔物来るよな」

 《危険察知Ⅰ》があっても。牙猪を引きずりながら戦うのは嫌だ。

「……」

 ノアは死体を見る。鞄を見る。また死体。

「倒せたのに」

 持って帰れない。

「もったいない……」

 かなり悔しい。仕方なく、価値が高そうな部分から持って帰ることにした。牙。魔石。肉を少し。皮も比較的綺麗な部分だけ切り取る。それでも鞄が膨らんだ。さらに革紐で皮を外側へ括りつける。

「これ以上は無理」

 牙猪にはまだ大量の肉が残っている。脂も。骨も。

「……」

 ノアはしばらく見ていた。

「誰か拾うかな」

 おそらく。魔物が食う方が早い。

「もったいない」

 もう一度呟いた。

◇

 ギルドへ戻った頃には、肩がかなり疲れていた。《身体強化Ⅰ》があっても重いものは重い。

「討伐報告です」

「おかえりなさい」

 受付の女性の前へ牙を置く。

「牙猪ですか」

「うん」

「初めてですよね?」

「初めて」

「怪我は?」

「ない」

「すごいですね」

「ちょっと強かった」

「牙猪を一人で倒して『ちょっと』ですか」

 受付の女性が苦笑しながら牙を確認する。

「討伐確認できました」

「あとこれも」

 魔石。肉。皮。順番に出す。

「買い取って」

「もちろんです」

 査定係へ回される。だが受付の女性は、出された素材を見て少し首を傾げた。

「これだけですか?」

「……」

「牙猪ですよね?」

「うん」

「もっと取れたと思いますけど」

「取れた」

「では?」

「持てなかった」

「ああ」

 その一言で理解された。

「初めて大きい魔物を狩ると、よくありますよ」

「みんな捨ててるの?」

「新人のうちはそうですね。素材回収専門の人間を連れて行く方もいますし、荷車を使う方もいます」

「荷車……」

 森の中を荷車で進む。道を選ぶ。置いて戦う。盗まれる可能性もある。

「面倒そう」

「ですから、ある程度稼げるようになると別の方法を使います」

「別の?」

 その時だった。隣の受付で。

「じゃあ、出すぞ」

 冒険者の男が腰から小さな革鞄を外した。ノアの物と大して変わらない。むしろ少し小さいくらいだった。男が鞄の口を開く。手を入れる。そして。ドサッ。

「……?」

 大きな狼の毛皮が出てきた。もう一度。魔物の角。さらに。肉の塊。魔石。薬草の束。まだ出る。

「……」

 ノアはじっと見た。どう考えても。鞄の中へ入る量ではない。男がさらに大きな甲羅まで取り出したところで、ノアは受付の女性へ顔を向けた。

「何あれ?」

「え?」

「あの鞄」

「ああ」

 受付の女性は普通に答えた。

「魔法の鞄ですよ」

「魔法の鞄?」

「知りませんでした?」

「知らない」

 ノアはまた隣を見る。男はまだ素材を出している。

「中、どうなってるの?」

「空間を拡張する魔法がかけられています。見た目以上に物が入ります」

「重さは?」

「物によりますが、一般的な物でもかなり軽減されますね」

「肉も?」

「入ります」

「皮も?」

「入ります」

「牙猪一頭は?」

「容量次第です」

 ノアの目が少し大きくなる。

「欲しい」

 即答だった。

「ですよね」

「どこで売ってる?」

「魔道具店です」

「いくら?」

「容量によります」

「一番安いのでいい」

 受付の女性が金額を教えた。

「……」

 ノアは黙った。

「ノアさん?」

「もう一回」

 聞き間違えたのかもしれない。もう一度聞く。同じだった。

「……高い」

「魔道具ですから」

「俺の持ってる金じゃ足りない」

「でしょうね」

「牙猪を何頭倒せば買える?」

「素材をどれくらい回収できるかにもよりますね」

「回収できないから欲しいのに」

「……そういう問題がありますね」

 ノアは腕を組んだ。牙猪を倒す。でも素材を全部運べない。素材を全部運べれば金が増える。金が増えれば魔法の鞄を買える。でも。その素材を運ぶために魔法の鞄が欲しい。

「なんかおかしくない?」

「頑張って貯めてください」

「どのくらい?」

「普通のEランク冒険者なら、数か月から一年くらいでしょうか」

「長い」

「高価な道具ですから」

 ノアは隣を見る。魔法の鞄を持った冒険者は、最後に大きな魔石を取り出していた。あれがあれば。今日の牙猪も。肉を捨てずに済んだ。皮も全部持って帰れた。次にもっと大きな魔物を倒しても困らない。

「……欲しいな」

 かなり欲しい。剣より。鎧より。今は。

「魔法の鞄」

 ノアは小さく呟いた。新しく覚えた《身体強化Ⅰ》のおかげで。倒せる獲物は増えた。次は。その獲物を全部持ち帰れるようになりたかった。


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