第10話 呪われた魔法の鞄
牙猪を倒した翌日。ノアは討伐依頼を受けず、街の魔道具店へ向かっていた。目的は一つ。
「魔法の鞄……」
昨日、冒険者ギルドで見た光景が頭から離れない。腰に下げられる程度の小さな鞄から、毛皮も肉も角も次々に出てきた。あれがあれば、牙猪の素材を捨てずに済んだ。《身体強化Ⅰ》を覚えて、以前より大きな魔物を倒せるようになった。だが、倒せても持ち帰れなければ意味がない。ノアは通りに面した魔道具店へ入った。
「いらっしゃいませ」
店内には魔石灯、魔法式の水筒、火を起こす道具など、ノアには見慣れない品が並んでいる。その一角。革製の鞄が何個も並べられていた。
「これだ」
近づく。札を見る。
────────────
《小型収納鞄》
容量:約五十リットル
重量軽減:小
────────────
「……」
値段を見る。
「高い」
昨日受付から聞いた額と、ほとんど変わらなかった。その隣。
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《中型収納鞄》
容量:約二百リットル
重量軽減:中
────────────
「もっと高い」
さらに隣。大きな獲物まで入るという上位品。ノアは値段を見る前に目を逸らした。
「無理だな」
今持っている金を全部出しても、一番安い物に届かない。店員が近づいてきた。
「魔法の鞄をお探しですか?」
「欲しい」
「ご予算は?」
ノアは持っている金額を伝えた。店員が少し困った顔になる。
「それですと、新品は難しいですね」
「中古は?」
「取り扱いはありますが、今日は在庫がありません」
「壊れてるのは?」
「壊れた魔法の鞄ですか?」
「うん。安いなら」
「おすすめしませんよ。収納魔法の術式が壊れていれば、ただの鞄です」
「《浄化》しても直らない?」
「浄化?」
「俺のギフト」
店員は少し考えた。
「汚れや呪いならともかく、破損した魔法術式は直らないと思います」
「じゃあいらない」
ノアはすぐに諦めた。《浄化》は修理ではない。穴の空いた服を直せなかったのと同じだ。壊れた物を安く買っても、意味がない。そこで。ノアは別のことを思いついた。
「じゃあ、呪われてるのは?」
「……はい?」
「呪われた魔法の鞄」
店員が黙った。
「ある?」
「普通のお客様は、呪われていない物を求めます」
「俺は呪われてる方がいい」
「なぜです?」
「安そうだから」
「……」
店員はノアをしばらく見た。
「うちでは扱っていません」
「一個も?」
「危険ですから」
「どこならある?」
「探すんですか?」
「うん」
「本当に?」
「欲しいから」
店員がため息をつく。
「中古魔道具専門の店なら、処分に困った品を引き取っている場合があります」
「どこ?」
教えられた場所は、商業区から少し外れた通りだった。
◇
一軒目。
「呪われた魔法の鞄?」
「うん」
「ない。帰れ」
二軒目。
「そんなもの置いといたら他の商品まで売れなくなるよ」
三軒目。
「昔はあったけど、神殿へ処分を頼んだね」
「そっか」
四軒目。かなり古い店だった。看板の文字も半分消えている。窓際には壊れた魔道具や、何に使うのか分からない金属部品が積まれていた。ノアは扉を開ける。カラン。
「いらっしゃい」
奥にいたのは、白髪混じりの男だった。
「魔法の鞄ある?」
「あるぞ」
「呪われてるやつ」
男の動きが止まった。
「……何だって?」
「呪われた魔法の鞄」
「普通のもあるが」
「高いでしょ」
「まあな」
「呪われてるのは?」
男はノアを見る。腰の《月銀の剣》。外套の下に隠れた胸甲。若い。どう見ても十五歳程度。
「お前、何に使う気だ?」
「普通に収納」
「呪われてたら普通に使えんぞ」
「ある?」
「……あるにはある」
ノアの目が少し輝いた。
「見せて」
「先に言っておく。まともな品じゃない」
「いいよ」
「返品もなしだ」
「値段による」
男は店の奥へ消えた。しばらくして、小さな木箱を抱えて戻ってくる。箱には鍵まで掛かっていた。
「鞄なのに箱に入れてるの?」
「念のためだ」
鍵を外す。蓋を開ける。中には古い革鞄が一つ。肩から下げられる程度の大きさ。破れてはいない。留め金もしっかりしている。見た目だけなら普通の中古品だった。だが。ノアは一歩近づいた瞬間に分かった。
「……冷たい」
「何?」
「いや、何でもない」
間違いない。呪物だ。
「何が起きるの?」
店主が嫌そうな顔で説明した。
「元はかなり上等な収納鞄だったらしい。だが、何年か前からおかしくなった」
「どうおかしい?」
「入れた物が出てこなくなる」
「全部?」
「毎回じゃない。だから余計に質が悪い」
パンを入れる。取り出せる。硬貨を入れる。取り出せる。もう一度パンを入れる。今度は消える。
「中に残ってるの?」
「知らん」
「切ったら?」
「魔法の鞄を切ったら収納空間がどうなるか分からん。やりたきゃ買ってからやれ」
「他には?」
店主は少し黙った。
「前の持ち主が、中へ手を入れた」
「うん」
「何かに掴まれたらしい」
ノアも少し黙った。
「何に?」
「だから知らん」
「腕は?」
「戻ってきた」
「よかった」
「指を二本折られてたがな」
「……」
ノアは鞄を見る。鞄もノアを見る。もちろん目はない。だが、何となく口の部分が生き物の口に見えてきた。
「ちょっと怖いな」
「だから売れん」
「いくら?」
「買うのか?」
「値段聞いてから」
提示された額は。普通の魔法の鞄より遥かに安かった。それでも。
「……結構する」
「元は高級品だからな」
「もっと安くならない?」
「ならん」
「呪われてるのに?」
「それ込みの値段だ」
「誰も買わないんでしょ?」
「……」
「ずっと箱に入ってたんでしょ?」
「……」
「場所取るでしょ?」
「お前、十五歳にしては嫌な値切り方するな」
「お金ないから」
交渉の末。少しだけ安くなった。それでも今まで貯めた金のかなりの部分が消えた。ノアは革袋から硬貨を数えて机へ置く。
「はい」
店主が数える。
「確かに」
「これで俺の?」
「ああ」
「あとから返せって言わない?」
「むしろ返すな」
「分かった」
店主は木箱ごと渡そうとした。
「箱も?」
「持ってけ」
「いらない」
「持ってけ」
「重い」
「《身体強化》でも使え」
「何で知ってるの?」
「冒険者ならそのくらい見りゃ分かることもある」
仕方なく箱まで受け取った。店を出る前。店主が声をかける。
「坊主」
「何?」
「本当に中へ手を入れるなよ」
「分かった」
「絶対だぞ」
「分かったって」
「お前、やりそうだから言ってる」
「やらないよ」
ノアは箱を抱えて店を出た。
◇
住処へ戻る。扉を閉める。木箱を床へ置く。
「さて」
蓋を開ける。鞄を出す。直接手を入れる気はない。鞄から少し距離を取った。
「《浄化》」
白い光。鞄全体を包む。直後。バクンッ!
「うわっ!」
鞄の口が勝手に開いた。すぐ閉じる。
「……動いた」
黒い靄が溢れてくる。
「結構強いな」
家で見つけた指輪より強い。墓地の腕輪ほどではない。ノアはもう一度。
「《浄化》」
バクッ。また口が開く。今度は中から。ガリッ。何かが引っ掻くような音がした。
「……」
ノアは少し後ろへ下がった。
「手入れなくてよかった」
三度目。
「《浄化》」
白い光。黒い靄。押し合う。鞄が床の上を跳ねた。バタン。バタン。まるで逃げようとしている。
「待て」
逃げると言っても鞄だ。ノアは追う。
「《浄化》」
また光。少しずつ。少しずつ。黒い靄が薄くなっていく。休憩。水を飲む。また浄化。何度目か分からなくなった頃。鞄の表面にまとわりついていた黒いものが、ほとんど消えた。
「あと少し」
手を向ける。
「《浄化》!」
白い光が強く広がった。黒い靄が鞄の口から噴き出す。そして。消えた。
「……終わった?」
鞄は動かない。ノアは近づく。今まで感じていた寒気もない。革の色も変わっていた。黒ずんでいた表面が、本来の濃い茶色へ戻っている。金具も鈍い銀色。文字が浮かぶ。
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《遠征用収納鞄》
等級:希少級
容量:大
効果:収納物重量軽減
効果:収納物の劣化抑制
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「大……」
ノアの目が輝いた。一番安い魔法の鞄より明らかに容量が大きい。しかも食料まで傷みにくくなる。
「当たりだ」
やはり。呪われていた物は、本来かなり良い品だった。ノアは鞄の口を開いた。
「……」
暗い。普通の鞄なら底が見えるはずなのに、奥が妙に深い。
「手、入れて大丈夫かな」
呪いは消えた。《危険察知Ⅰ》も反応しない。
「大丈夫……だよな」
慎重に手を入れる。何も掴んでこない。
「よし」
腕を入れる。まだ底に届かない。
「すごいな」
試しに近くにあった水袋を入れる。入った。取り出す。出た。パン。入れる。出る。硬貨。出る。
「ちゃんと戻ってくる」
ノアは嬉しくなった。今度は木箱を持ち上げる。
「これも――」
その時。鞄が突然。ぶるっ。震えた。
「……何?」
次の瞬間。口が大きく開いた。ドサッ!
「うわっ!」
何かが飛び出した。床へ落ちる。さらに。ドサドサッ!
「え!?」
次々に出てくる。古い布。短剣。硬貨。薬瓶。腐った革靴。魔石。紙束。小さな木箱。
「ちょ、ちょっと!」
止まらない。ガラン!金属製の器。ボロボロの外套。何かの骨。
「骨はいらない!」
もちろん鞄は聞かない。最後に。カラン。小さな金属音。そして。止まった。
「……」
ノアの狭い住処。床の半分以上が、鞄から出てきた物で埋まっていた。
「何これ……」
しばらく呆然とする。やがて。意味が分かった。
「消えてた物?」
店主が言っていた。入れた物が戻ってこない。本当に消えていたわけではない。呪いのせいで。取り出せなくなっていただけ。
「全部残ってたのか」
何年分なのか分からない。鞄の以前の持ち主。そのさらに前。誰が入れた物なのかも分からない。ノアは一つずつ確認し始めた。古い硬貨。
「使えるかな」
見慣れない模様。今の街では使われていないものも混ざっている。短剣。錆びている。《浄化》すれば多少綺麗にはなるが、刃こぼれも酷い。
「売れるかな」
薬瓶。中身が変色している。
「これは捨てよう」
知らない薬を飲む気はない。魔石。
「これは売れる」
小さいが何個かある。
「ちょっと得したな」
元を取れるほどではない。でも嬉しい。さらに整理していく。その時。
「……ん?」
床の隅に。さっき最後に落ちた物があった。鍵。普通の家の鍵より大きい。黒鉄製。かなり古い。だが錆はほとんどない。鍵には細い鎖がついている。その先。小さな金属札。ノアは拾った。文字が刻まれている。
「……第七……」
埃を指で拭う。
────────────
《第七呪物保管庫》
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ノアの手が止まった。
「呪物……」
もう一度読む。間違いない。《第七呪物保管庫》
「保管庫って」
何かを保管する場所。そして。保管しているのは。
「呪われた物?」
ノアは鍵を見る。心臓が少し速くなった。一か月探しても。一つも見つからなかった呪物。それを。保管するための場所。
「いっぱいあるのかな」
すぐに期待してしまう。だが。
「どこにあるんだ?」
鍵には場所が書かれていない。ノアは床へ散らばった紙を探した。
「何かないかな」
古い帳簿。読めない文字。破れた紙。何枚も確認する。その中。半分ほど破れた一枚に、見覚えのある言葉があった。
────────────
……第七呪物保管庫への移送……
……西方、ベルツ……
……封鎖後は許可なく立ち入り……
────────────
「ベルツ?」
知らない名前だ。街なのか。村なのか。人の名前なのかも分からない。さらに読もうとする。だが紙の下半分は失われている。
「これだけか」
ノアは鍵と紙を並べた。魔法の鞄を買った。それだけのつもりだった。だが。中から。妙な物が出てきた。
「第七呪物保管庫……」
頭から離れない。
◇
翌朝。ノアは《遠征用収納鞄》を肩へ下げ、ギルドへ向かった。昨日まで使っていた革鞄とは大違いだった。水。食料。包帯。予備の服。火打石。全部入っている。それでもまだ余裕がある。しかも軽い。
「便利すぎるな」
これだけでも買った価値はあった。受付へ行く。
「おはようございます、ノアさん」
「聞きたいことある」
「依頼ではなく?」
「うん」
鞄から金属札を取り出す。
「これ知ってる?」
受付の女性が受け取った。
「第七……呪物保管庫?」
「うん」
「……聞いたことありませんね」
「本当に?」
「少なくとも、この街の施設ではありません」
「昔の施設とか?」
「古い施設なら記録を調べれば分かるかもしれませんが、この名前は初めて聞きました」
やはり。簡単には分からない。
「じゃあベルツって知ってる?」
「ベルツ?」
「これ」
古い紙を見せる。受付の女性が読む。
「ああ」
「知ってる?」
「ベルツなら町の名前ですよ」
「町?」
「ここから西です」
ノアが少し身を乗り出した。
「遠い?」
「徒歩なら……街道を使って四日ほどでしょうか」
「四日」
「急げば三日。ただしおすすめしません」
「なんで?」
「野営になりますし、途中には魔物もいます」
「宿は?」
「一日目に小さな宿場があります。ですが、その先は野営が必要ですね」
四日。今までノアが行動してきた範囲とは全く違う。森。街。スラム。せいぜい日帰りできる場所ばかり。
「ベルツって大きい?」
「この街より少し小さいくらいですね。冒険者ギルドもあります」
「この冒険者証使える?」
「もちろんです。ギルドは各地で共通ですから」
「Eランクも?」
「EランクはEランクですよ」
ノアは自分の冒険者証を見る。
「……行けるな」
「どこへです?」
「ベルツ」
受付の女性が目を瞬かせた。
「急ですね」
「調べたいことあるから」
「その《第七呪物保管庫》という場所ですか?」
「うん」
「危険な場所では?」
「まだ分からない」
「名前からして危険そうですけど」
「でも」
ノアは金属札を見る。
「呪物が保管されてた場所みたいだから」
「……」
受付の女性が何とも言えない顔になる。
「普通、それは近づかない理由になると思うんですが」
「俺には必要だから」
「呪物が?」
「うん」
「なぜ?」
ノアは少しだけ間を置いた。技能を得られること。それはまだ誰にも話すつもりがない。
「《浄化》の練習になる」
「……そういうことにしておきます」
受付の女性は深く聞いてこなかった。
「本当にベルツへ行くなら、街道の依頼も確認してください」
「街道の依頼?」
「護衛や配達があります。同じ方向へ行くなら、旅費代わりに報酬を得られます」
「そんなのあるんだ」
「冒険者ですから」
「見せて」
依頼板へ向かう。西方面。ベルツ方面。何件かある。商人の護衛。手紙の配達。薬の運搬。ノアは依頼を眺めた。そして。肩から下げた《遠征用収納鞄》へ触れる。昨日まで。旅なんて考えたこともなかった。食料を何日分も持てない。水も重い。予備の服や野営道具まで持てば、それだけで動きが鈍る。でも。今は違う。鞄の中には何日分もの荷物が入る。《身体強化Ⅰ》もある。《危険察知Ⅰ》も。《隠密Ⅰ》も。一か月前。ゴブリン一匹と戦うだけで腕を切られていた。今は。別の町まで旅に出ようとしている。
「……行ってみよう」
ノアは金属札を服の内側へしまった。目的地は。西の町、ベルツ。そこに本当に《第七呪物保管庫》があるのか。今も残っているのか。中に何があるのか。何一つ分からない。ただ。もし。名前の通りの場所なら。
「呪われた物、いっぱいあるかもしれない」
ノアにとって。それだけで。四日かけて向かう理由には十分だった。
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