第11話 ベルツの冒険者
ベルツへ向かうと決めた翌朝。ノアの旅支度は、驚くほど早く終わった。
「……これだけでいいな」
水。干し肉。固いパン。チーズ。包帯。火打石。予備のシャツが一枚。雨避けにも使える薄い毛布。それだけ。全部、《遠征用収納鞄》へ入れてもほとんど場所を取らない。ノアは自分の住処を見回した。そもそも、持っていきたい物がほとんどなかった。スラムで暮らしていると、物は増えない。買えない。拾っても、必要な物だけ残す。余計な物を持っていれば盗まれることもある。いつでも持って逃げられる程度の物だけ。それが普通だった。
「鍵もないしな」
今まで寝泊まりしていた粗末な場所。戻ってきた時に残っている保証もない。だからといって、惜しいともあまり思わなかった。《月銀の剣》を腰へ。《黒鉄の胸甲》の上から《影隠しの外套》。服の内側には《宵闇の短剣》。腕には《剛身の腕輪》。肩から《遠征用収納鞄》。
「行くか」
これだけで。ノアの全財産のほとんどだった。
◇
街を出る前に、冒険者ギルドへ寄った。
「本当にベルツへ行くんですね」
「うん」
「でしたら、ちょうどいい依頼があります」
受付の女性が依頼票を出す。
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《書簡配達》
目的地:ベルツ冒険者ギルド
期限:六日以内
ランク:F以上
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「手紙?」
「ギルド間の書類です。ちょうどベルツへ向かうなら持っていってもらえます」
「報酬は?」
金額を見る。
「受ける」
「即決ですね」
「どうせ行くから」
書類は封をされた小さな筒へ入っていた。ノアはそのまま《遠征用収納鞄》へ入れる。
「なくさないでくださいね」
「鞄ごとなくさなければ大丈夫」
「その鞄、新しく買ったんですか?」
「うん」
「ずいぶん立派そうですね」
「呪われてたから安かった」
「……」
「何?」
「もういいです」
受付の女性は深く聞かなかった。
「ベルツのギルドでこれを渡せば依頼完了です」
「分かった」
「街道から外れすぎないようにしてください。途中には魔物も出ます」
「うん」
「夜は?」
「野宿する」
「宿場が一つありますから、最初の夜はそこを使った方が安全ですよ」
「高い?」
「安宿ならそれほどでも」
「じゃあ考える」
ノアは依頼票と道順を確認した。
「行ってきます」
「気をつけて」
ギルドを出る。そのまま西門へ。十五年間暮らしてきた街を出る時も、特別なことはなかった。門番へ冒険者証を見せる。門を抜ける。振り返る。城壁がある。その向こうにスラムもある。
「……」
少しだけ見た。それだけ。ノアは西へ続く街道を歩き始めた。
◇
旅は、思っていたより楽だった。一番大きいのは《遠征用収納鞄》だった。水を多めに持っても重くない。食料も入る。毛布も。途中で拾った薬草まで入れられる。
「便利すぎる」
何度言っても足りない。以前なら、水袋一つでも邪魔だった。今は腰回りに何もぶら下げなくていい。初日の夕方。受付に教えられた宿場へ着いた。小さな食堂と宿が一緒になった建物。ノアは入口の前で値段を確認した。
「一泊、銅貨……」
払える。問題なく。少し前なら、宿へ泊まるという発想自体なかった。
「お願いします」
一番安い部屋を取った。狭い。ベッド。小さな机。窓。それだけ。ノアは部屋へ入ると、扉を閉めた。鍵をかける。カチャ。
「……鍵ある」
当然なのだろう。宿だから。でもノアには少し新鮮だった。ベッドへ座る。柔らかい。
「おお……」
手で押す。戻る。
「これで寝ていいのか」
金を払った。だからいい。その夜は、久しぶりに地面でも硬い板でもない場所で眠った。
◇
二日目。街道で角兎を二匹見つけた。依頼ではない。だが肉と皮は売れる。一匹目。《危険察知Ⅰ》が反応。跳びかかる瞬間を避ける。《月銀の剣》で首。二匹目も同じ。
「これも入る」
解体できる範囲だけ処理して、丸ごと《遠征用収納鞄》へ。まだ余裕。三日目には小型の狼系魔物が二匹。以前なら二匹同時は避けていた。今は。《隠密Ⅰ》で一匹へ近づき、先に脚を斬る。もう一匹が飛びかかる。《危険察知Ⅰ》。身体を横へ。《身体強化Ⅰ》で踏み込む。首へ一閃。
「……前より速い」
残った一匹も倒す。魔石。毛皮。牙。全部収納。
「旅しながら金になるな」
少し嬉しい。四日目の昼。遠くに城壁が見えた。
「あれか」
ベルツ。今まで暮らしていた街より少し小さい。それでも、ノアにとっては十分大きな町だった。
◇
門で冒険者証を見せる。Eランク。問題なく入れた。まず冒険者ギルド。場所を聞きながら歩く。知らない街。知らない道。露店。鍛冶屋。宿。市場。人の顔も全部知らない。
「……変な感じ」
でも。嫌ではない。ベルツの冒険者ギルドは、元の街のギルドより少し小さかった。中へ入る。受付へ。
「書簡配達です」
「どちらからですか?」
ノアは元の街のギルド名を伝え、収納鞄から筒を出した。封を確認される。
「確かに受け取りました。冒険者証を」
「はい」
依頼達成が記録される。報酬。
「これで終わり?」
「はい。お疲れさまでした」
「あと聞きたいことがある」
「何でしょう?」
ノアは金属札を取り出した。
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《第七呪物保管庫》
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「これ知ってる?」
受付の女性が見る。
「第七呪物保管庫……?」
「この町にあるらしい」
「申し訳ありません。私は聞いたことがありません」
「昔の施設とか」
「古い記録なら資料室に何かあるかもしれません。ただ、すぐには分かりませんね」
「そっか」
「お急ぎですか?」
ノアは少し考えた。
「別に」
ここまで来た。施設が今日消えるわけでもない。
「しばらくこの町にいるから」
「でしたら、何か分かったらお伝えします」
「お願いします」
次。泊まる場所。
「安い宿、どこ?」
「長期ですか?」
「多分」
教えてもらった宿は、ギルドから歩いて数分。一階が食堂。二階と三階が客室。一番安い個室を見せてもらう。ベッド。机。椅子。小さな窓。鍵。
「食事は?」
「朝食込みだよ」
「夜は?」
「別料金」
「湯は?」
「桶一杯なら銅貨」
ノアは考える。一泊分。払える。一週間分。払える。
「一週間お願いします」
硬貨を出す。宿の主人が鍵を渡した。
「二階の奥だ」
「ありがとう」
部屋へ入る。鍵を閉める。ベッドへ座った。
「……ここで暮らすのか」
自分で金を払って。屋根のある部屋。鍵まである。毎朝食事も出る。ノアはベッドへ横になった。
「悪くないな」
スラムへ戻りたいとは思わなかった。
◇
翌日から。ノアは稼いだ。かなり稼いだ。最初に受けたのは《牙猪討伐》。前の街でも倒した魔物。今なら戦い方も分かる。一頭。《隠密Ⅰ》で近づく。突進。《危険察知Ⅰ》。避ける。脚。首。討伐。そして。
「今度は全部」
《遠征用収納鞄》へ。牙。魔石。毛皮。肉。脂。使える骨。前回は捨てた部分まで。ギルドで出す。
「まだあります」
「まだ?」
受付台の横に素材が積み上がる。
「牙猪一頭分です」
「かなり綺麗に持ち帰りましたね」
「鞄あるから」
討伐報酬。素材代。肉代。前回とは比べものにならない。
「……こんなに?」
「大型魔物は素材が多いですから」
その日。宿代を引いても大きく黒字。翌日。牙猪二頭。その次は《灰狼》三匹。さらに薬草採取。討伐の帰りに見つけた薬草を、収納鞄へ入れられるだけ入れた。
「討伐依頼なのに薬草まで?」
「見つけたから」
「買い取れますけど」
「じゃあ全部」
また金になる。ノアは理解した。
「この鞄、稼げる」
魔法の鞄は便利なだけではない。今まで捨てていた物を、全部金へ変えられる。討伐一回あたりの収入が大きく違う。しかも《身体強化Ⅰ》がある。以前より遠くまで動ける。魔物を倒す速度も上がった。《剣術Ⅰ》。《耐久Ⅰ》。《隠密Ⅰ》。《危険察知Ⅰ》。《身体強化Ⅰ》。一つ一つはⅠ。それでも組み合わせれば、Eランクの魔物相手ならかなり安定する。
◇
一週間。宿代をもう一週間分払った。まだ金が増えている。二週間。食事を削る必要がなくなった。朝は宿の食事。昼は収納鞄へ入れたパンや肉。夜も温かい料理を頼む。ある夜。肉と野菜の煮込みを食べながら、ノアは自分の腕を見た。
「……少し太くなった?」
気のせいかもしれない。でも以前より骨ばかりではない。毎日きちんと食べて。身体を動かして。眠る場所もある。十五歳なら。本来はこうやって身体が大きくなる時期なのだろう。
「食べるって大事なんだな」
今さら知った。金も貯まった。宿代。食費。装備の手入れ。それらを払っても。革袋の硬貨が増えている。ノアは金を数えた。
「……しばらく働かなくても食べられるな」
少し前なら考えられなかった。明日のパン。次の食事。そこまで心配しなくていい。だからといって、仕事をやめる気はない。
「貯めよう」
金があれば。必要な物を買える。旅もできる。情報にも金を払える。呪われた物を見つけた時、買うこともできる。金も。強さの一つだった。
◇
三週間目。ノアはギルドへ戻り、討伐証明を受付へ置いた。
「《森熊》一頭」
「……一人で?」
「うん」
「Eランクの依頼ではありますけど、普通は二、三人で行く方が多いですよ」
「最初、知らなかった」
「依頼票に書いてあったでしょう」
「倒せたからいいじゃん」
「怪我は?」
「腕を少し」
《黒鉄の胸甲》にも爪跡がついている。だが。《耐久Ⅰ》。《身体強化Ⅰ》。そして《危険察知Ⅰ》。致命傷は避けられた。受付の女性がため息をつきながら素材を確認する。
「魔石、爪、毛皮、胆嚢……また全部持って帰ってきたんですね」
「売れるから」
「その収納鞄、本当に便利ですね」
「高かったから元取らないと」
「呪われていた物を安く買ったって言ってませんでした?」
「普通よりは安かった」
「十分元を取っていると思いますよ」
査定を待っていると。受付の女性がノアの冒険者証を見た。
「ノアさん」
「何?」
「少し待っていてください」
「?」
奥へ消える。しばらくして。別の職員と一緒に戻ってきた。
「何かした?」
「悪いことではありません」
ノアは少し安心した。
「依頼達成数、討伐実績、納品記録。それからこの三週間の活動を確認しました」
「うん」
「Dランクへの昇格基準を満たしています」
「……D?」
「はい」
ノアは自分の冒険者証を見る。今はE。
「もう上がるの?」
「前の街でEランクになった時点で、かなり依頼実績がありましたから。それにこちらへ来てからの達成数も多いです」
「鞄のおかげ?」
「鞄は依頼を達成してくれません」
「そうだけど」
「牙猪、灰狼、森熊。討伐依頼をすべて成功させています。依頼放棄もなし。報告も問題ありません」
「じゃあD?」
「簡単な確認だけ受けていただきます」
「試験?」
「実技を見るほどではありません。すでに森熊まで単独討伐していますから」
職員からいくつか質問された。冒険者としての規則。依頼中に一般人を巻き込んだ場合。街道で負傷者を発見した場合。討伐対象以外の危険な魔物を見つけた場合。分からないところもあった。
「それ知らない」
「では今覚えてください」
「はい」
教えてもらう。最後に。冒険者証が預けられた。しばらくして戻ってくる。
「どうぞ」
受け取る。刻まれている文字。Eではない。D。
「……」
ノアはじっと見る。
「おめでとうございます。今日からDランク冒険者です」
「D……」
「嬉しくないですか?」
「嬉しい」
ちゃんと。嬉しかった。最初。冒険者になる金すらなかった。重い荷物を何時間も運んだ。腕が痛くて。脚も震えて。それでやっとFランク。ゴブリン一匹を倒すだけで腕を裂かれた。今は。Dランク。
「上がったな」
小さく呟く。
「何か言いました?」
「別に」
冒険者証をしまう。
「Dランクになると何が変わる?」
「受けられる討伐依頼が増えます。護衛や遠征にも参加しやすくなりますよ」
「報酬も?」
「もちろん」
「いいね」
「やっぱりそこなんですね」
「お金大事だから」
「否定はしません」
受付の女性が笑った。
「それと」
「何?」
「前に聞かれた《第七呪物保管庫》について、少しだけ分かったことがあります」
ノアの表情が変わった。
「本当?」
「古い資料に、似た名称がありました」
受付の女性が一枚の紙を取り出した。
「町の西側に、昔使われていた地下施設があったようです」
「今は?」
「閉鎖されています」
「場所は分かる?」
「大体なら」
ノアは紙を見る。町の外。さらに西。古い街道から少し外れた場所。
「第七呪物保管庫?」
「そこまでは断定できません。ただ」
受付の女性が資料の一部分を指差した。古い文字。
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《危険物保管施設・第七区画》
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「……」
「かなり古い記録です。現在も入口が残っているかは分かりません」
「誰か使ってる?」
「少なくともギルドの管理施設ではありません」
「立ち入り禁止?」
「現在の所有者すら不明です」
ノアは紙を見つめた。一か月以上。呪物を探しても見つからなかった。それなのに。魔法の鞄の中から出てきた鍵。《第七呪物保管庫》。そして。この町の西に残っているかもしれない、古い危険物保管施設。
「行ってみる」
「そう言うと思いました」
「だめ?」
「止めても行くでしょう?」
「多分」
「でしたら、せめて準備してください」
「してる」
ノアは肩から下げた《遠征用収納鞄》へ触れた。食料。水。包帯。野営道具。全部入る。金もある。宿もある。冒険者ランクもDになった。ベルツへ来た時より。また少し。強くなった。ノアは新しくなった冒険者証を服の内側へしまった。
「明日行く」
目指す場所は。《第七呪物保管庫》。その名前通りの物が残っているなら。今までとは違う。一つや二つではないかもしれない。ノアは紙に描かれた古い位置図を見ながら。少しだけ笑った。




