第7話 塩漬け依頼
《危険察知Ⅰ》を覚えてから、一か月が経った。その間、ノアは呪われた品を一つも見つけられなかった。最初の数日は、かなり期待していた。ゴミ捨て場へ行けば、以前のように黒く染まった剣や防具が転がっているのではないか。討伐へ向かう途中、捨てられた荷物の中に何かあるのではないか。市場の露店にも、持ち主自身が価値を知らない呪物が混ざっているのではないか。そう思って、仕事の帰りには遠回りまでして探した。だが。
「……ない」
何もなかった。ゴミ捨て場にあるのは、本当に壊れたゴミばかり。折れた剣。穴の空いた革鎧。底の抜けた靴。錆びた鍋。《浄化》を使えば綺麗にはなるが、壊れている物までは直せない。一度など、黒く変色した短剣を見つけて期待した。近づいても寒気はしない。試しに《浄化》してみる。ただの錆だった。
「紛らわしいな」
新品同然とはいかなかったが、錆と汚れはかなり取れたので、安く買い取ってもらえた。それはそれで金にはなった。だが、ノアが探しているのは違う。呪われた品。《月銀の剣》のような。《黒鉄の胸甲》のような。《影隠しの外套》や《危険察知の指輪》のような。浄化することで本来の力を取り戻し、さらに自分へ技能まで残してくれる品。一か月探して、一つも見つからなかった。そこでようやくノアも理解した。
「そんなに落ちてないんだな」
考えてみれば当然だった。呪われた希少級の装備が、その辺に毎日のように捨ててある方がおかしい。最初に続けて見つかったのは、かなり運が良かったのだろう。だからといって、呪物が見つかるまで何もしないわけにはいかない。食べるには金がいる。装備を維持するにも金がいる。ノアは普通に冒険者として働いた。ゴブリン討伐。畑を荒らす角兎の駆除。街道近くへ出る小型魔物の討伐。倉庫の荷運び。それから《浄化》を活かした清掃依頼。特に清掃の仕事は、他の冒険者より圧倒的に速かった。
「《浄化》」
倉庫へ光が広がる。床の泥。棚の埃。長年染みついた臭い。一度にかなりの範囲から消えていく。《浄化Ⅰ》だった頃とは違う。《浄化Ⅱ》になってから、効果範囲も使いやすさも明らかに上がっていた。普通の人間が半日かける清掃を、一時間ほどで終わらせることもある。最初は清掃依頼を少し嫌がっていたノアも、最近では考えを変えていた。
「戦わなくていいし、怪我もしないし、報酬も悪くない」
魔物討伐より安全。食料や薬を使うことも少ない。何より、自分のギフトを使えば早く終わる。悪い仕事ではなかった。もちろん、討伐もやめなかった。技能は持っているだけでは足りない。《剣術Ⅰ》があっても、実際に剣を振らなければ身体は慣れない。《危険察知Ⅰ》についても同じだった。最初は何に反応しているのか分からないことが多かった。森を歩いていると突然、背筋がぞわりとする。慌てて横へ跳ぶ。直後、茂みからゴブリンの投げた石が飛んできた。別の日には、木の陰へ近づいた瞬間に反応。足を止めると、その先に角兎が潜んでいた。便利だった。かなり便利だった。だが、何でも分かるわけではない。《危険察知Ⅰ》が教えてくれるのは、――危ない。それだけ。右から来るのか。左から来るのか。剣なのか。魔物なのか。罠なのか。そこまでは教えてくれない。一度、ゴブリンの投石に反応したのに、どこから飛んでくるか分からず、避ける方向を間違えて肩へ石を食らったこともある。
「痛っ!」
危険が分かっても、避けられなければ意味がない。それでも。何も分からないよりは圧倒的にいい。一か月の間に、ノアは少しずつ《危険察知Ⅰ》にも慣れていった。食事も以前より取れるようになった。毎日パンを食べられる。干し肉も買える。たまには屋台の温かいスープも飲める。痩せていることに変わりはないが、頬のこけ方は少しだけましになった。穴の空いた服を着る必要もない。予備の服まで持っている。スラムで暮らしていること自体は変わらない。それでも。一か月前の自分とは、かなり違っていた。
◇
「ノアさん」
ある朝。依頼を受けるためにギルドへ行くと、受付の女性から呼び止められた。
「何?」
「冒険者証を出してもらえますか?」
「なんで?」
「いいから」
言われた通り、冒険者証を渡す。受付の女性が確認し、そのまま奥へ持っていった。
「……何かしたかな」
依頼を失敗した覚えはない。規則違反もしていない。少なくとも、自分では。少し不安になっていると、受付の女性が戻ってきた。冒険者証を差し出す。
「おめでとうございます」
「何が?」
「今日からEランクです」
「……え?」
ノアは冒険者証を見る。以前まで刻まれていたFの文字。それが。Eへ変わっている。
「上がったの?」
「上がりました」
「もう?」
「もう、というほど早くありませんよ」
「一か月くらいだけど」
「新人としては早い方です。ただ、討伐依頼を安定して達成していますし、清掃や雑用系の依頼も含めて失敗がほとんどありません」
「清掃も入るんだ」
「依頼は依頼です」
「ゴブリン倒すのと掃除が同じ?」
「危険度は違いますが、依頼人からすれば仕事をきちんと終わらせる冒険者かどうかも大事です」
「へえ」
ノアはもう一度、Eと刻まれた冒険者証を見る。少しだけ嬉しかった。何か大きなことを成し遂げたわけではない。ただ毎日仕事をしていただけ。それでも。一つ上がった。
「Eランクになると何が変わる?」
「受けられる依頼が増えます」
「強い魔物?」
「それもあります。ですが、護衛や調査など、Fランクには回されにくい依頼も増えます」
「報酬は?」
「基本的には上がります」
「それはいいな」
「そこが一番なんですね」
「お金ないと飯食べられないし」
「まあ、それはそうですが」
受付の女性は苦笑した。ノアは冒険者証をしまう。
「じゃあ、Eランクの依頼見てくる」
「待ってください」
「何?」
「ちょうど一つ、あります」
「おすすめ?」
「……おすすめというより」
受付の女性の顔が微妙になった。
「誰かに受けてほしい依頼です」
「何それ」
嫌な予感がする。受付の女性は依頼板の端へ行った。一枚の紙を外す。ずいぶん前から貼られていたのだろう。紙の端が少し丸まっている。
「これです」
ノアは受け取った。
────────────
《共同墓地地下整理》
ランク:E
依頼内容:地下納骨施設内の遺骨整理
報酬:銀貨四枚
────────────
「墓地?」
「はい」
「地下?」
「最近見つかったそうです」
ノアは依頼票を読み直した。
「これ、いつからあるの?」
受付の女性が少し目を逸らした。
「三週間ほど」
「三週間?」
「はい」
「誰も受けてない?」
「受けていません」
「塩漬け依頼じゃん」
「……そうとも言います」
ノアは依頼票を見る。報酬は悪くない。むしろ良い。戦闘依頼でもない。
「危険なの?」
「調査は済んでいます。魔物はいません」
「毒?」
「ありません」
「呪い?」
「確認されていません」
ノアの反応が少しだけ鈍くなった。
「じゃあ、なんで誰もやらないの?」
受付の女性が少し黙った。
「仕事内容が……」
「仕事内容?」
「地下で見つかった人骨を整理する仕事です」
「それは書いてある」
「ただ箱へ入れればいいわけではありません」
「どうするの?」
受付の女性は依頼票の裏を見せた。そこには細かい指示が書かれている。
「骨を部位ごとに分けてほしいそうです」
「部位?」
「頭蓋骨は頭蓋骨」
「うん」
「大腿骨は大腿骨」
「うん」
「肋骨は肋骨」
「……」
「腕の骨、脚の骨、手や足の細かい骨も、できる限り分類して箱へ」
「……何人分?」
「正確には分かりません」
「だいたい」
「数十人分ではないかと」
ノアは依頼票を見た。受付の女性を見る。また依頼票を見る。
「地下で?」
「地下で」
「ずっと骨を分ける?」
「そうなります」
「頭蓋骨を集めて?」
「はい」
「頭蓋骨の箱に入れる?」
「はい」
「それを数十人分?」
「はい」
ノアは少し考えた。
「……そりゃ誰もやらないな」
「ですよね」
魔物と戦う冒険者だからといって、死体が好きなわけではない。報酬が多少高くても、薄暗い地下で何十人分もの骨を一日中仕分けるくらいなら、ゴブリンでも狩った方がいい。
「ただ、ノアさんなら《浄化》がありますし」
「骨を綺麗にできる?」
「泥や汚れを落とすだけでも、かなり作業がしやすくなると思います」
「なるほど」
「……受けませんよね?」
「受ける」
「え?」
「銀貨四枚でしょ?」
「はい」
「魔物いないんでしょ?」
「確認された範囲では」
「じゃあいい」
「気味悪くないんですか?」
ノアは少し考える。遺体安置所。そこには死体そのものが並んでいた。今回は骨だけだ。
「骨でしょ?」
「骨ですけど」
「噛まないなら大丈夫」
「普通は噛みません」
「じゃあ受ける」
受付の女性は何とも言えない顔をした。
◇
共同墓地は街の北側にあった。石壁に囲まれた広い土地。古い墓石が規則正しく並んでいる場所もあれば、年月が経ち、文字すら読めなくなった石が傾いている場所もある。入口の小屋にいた墓地の管理人へ冒険者証を見せる。
「ギルドから来たノアです」
「おお!」
老人に近い年齢の管理人が、露骨に嬉しそうな顔をした。
「やっと来てくれたか!」
「そんなに?」
「三週間だぞ! 三週間!」
「誰も来なかったって聞いた」
「冒険者ってのは魔物の腹を裂くくせに、骨くらいで怖がるのか?」
「嫌なんじゃない?」
「何が違うんだ」
「俺に聞かれても」
管理人が大きな鍵束を持つ。
「こっちだ」
墓地の奥へ進む。かなり古い区画だった。墓石の数も少なく、木の根が地面を押し上げている。その一角。地面の一部が掘り返され、石造りの階段が露出していた。
「これ?」
「ああ」
「前からあったの?」
「知らんかった」
管理人によれば、一か月ほど前。大雨のあとに地面の一部が沈んだ。最初は墓穴でも崩れたのかと思ったらしい。掘って調べると、下へ続く階段が出てきた。
「昔の納骨堂らしい」
「なんで埋まってたの?」
「百年以上前の記録なんぞ、まともに残っとらん」
「魔物はいなかった?」
「一応、衛兵と冒険者に中を見てもらった。何もいない」
「じゃあ骨だけ」
「骨だけだ」
管理人が階段脇に置かれた箱を指差す。木箱が何個も積まれている。一つ一つに文字が書かれていた。《頭蓋骨》《上腕骨》《前腕》《大腿骨》《下腿》《肋骨》《その他》ノアは無言で並んだ箱を見る。
「……本当に分けるんだ」
「そのための依頼だ」
「なんで分ける必要あるの?」
「あとで寺院の人間が確認して、まとめて埋葬し直す」
「一人ずつ分けるんじゃないんだ」
「全部混ざっとるから無理だ」
「なるほど」
「それから」
管理人がノアを見る。
「骨だからって雑に投げるなよ」
「分かってる」
「昔は生きてた人間だ」
「うん」
そこはノアにも分かる。遺体安置所から装備を借りた時も、勝手に持ち出すのは少し抵抗があった。
「壊さないようにする」
「頼む」
◇
地下へ降りる。入口近くはまだ外からの光が届いていた。だが十段ほど降りると、一気に暗くなる。ノアは携帯灯へ火をつけた。狭い石造りの通路。壁には湿気。床には泥。その先。
「……多いな」
思わず声が出た。広い地下室。壁沿いに石の棚が並んでいる。本来は一人ずつ納められていたのかもしれない。だが棚の多くが崩れていた。骨が床一面へ散らばっている。頭蓋骨。腕。脚。肋骨。小さな骨。どれが誰のものなのか、まったく分からない。管理人も後ろから降りてくる。
「な?」
「これは嫌だな」
「お前も嫌なのか」
「量が」
「そこか」
「何日かかるの?」
「今日中に終わらなくても構わん」
「できれば今日終わらせたい」
ノアは腕をまくった。
「まず綺麗にする」
右手を上げる。
「《浄化》」
白い光が地下室へ広がった。床の泥が薄くなる。骨についていた土。棚の埃。湿った臭い。一気に消えていく。
「おお……」
管理人が目を丸くする。
「便利なもんだな」
「骨は壊れてない?」
近くの頭蓋骨を確認する。汚れだけが落ちている。ひびはそのまま。
「大丈夫」
もう一度。
「《浄化》」
さらに広げる。石床の汚れが消え、白っぽい骨が見分けやすくなった。
「これならかなり楽だ」
「頼むぞ。わしは上にいる」
「手伝わないの?」
「腰が悪い」
「本当?」
「本当だ」
「骨が嫌なだけじゃなくて?」
「……腰が悪い」
管理人は目を逸らした。
「まあいいけど」
一人になった。ノアは最初の頭蓋骨を持ち上げた。両手で持つ。目の部分が空洞になっている。
「……」
見られているような気もする。
「気のせいだな」
階段を上がる。《頭蓋骨》と書かれた箱へ、そっと置く。一個。地下へ戻る。二個目。三個目。
「これ、効率悪いな」
箱を地下へ運ぶことにした。頭蓋骨用。大腿骨用。肋骨用。その他。何個かだけ先に持ち込む。
「これならいい」
そこから延々と仕分けが始まった。頭蓋骨。
「頭」
箱へ。長く太い骨。
「これは……脚かな」
大腿骨の箱へ。細い骨。
「どっちだ?」
一度管理人を呼ぶ。
「これ何?」
「知らん」
「管理人なのに?」
「骨の専門家じゃない」
「じゃあどうするの?」
「分からんやつは《その他》だ」
「最初からそう言ってよ」
《その他》の箱が一番早く埋まり始めた。肋骨は形で分かりやすい。頭蓋骨も分かる。問題は細かい骨だった。
「指?」
小さな骨を拾う。
「……多分」
その他。また拾う。
「これも指?」
その他。一時間。二時間。ひたすら骨を拾う。途中で何度も《浄化》する。泥が落ちるだけでも分類しやすい。
「魔物倒してる方が楽かも」
思わず呟いた。危険はない。だが単調だ。しかも、どこを見ても骨。それでも銀貨四枚。途中でやめる気はなかった。昼になり、地下から出る。管理人と少し離れた場所でパンとチーズを食べた。
「どうだ?」
「半分くらい」
「速いな」
「《浄化》あるから」
「昼からも頼む」
「うん」
食事を終える。また地下。頭蓋骨。肋骨。大腿骨。その他。途中から、どの骨を見ても何となく判別できるようになってきた。
「これは脚」
箱へ。
「これは腕」
箱へ。
「これは……その他」
少し雑になった。だが投げたりはしない。一つずつ置く。日が傾き始める頃には、床がかなり見えるようになっていた。
「あと少し」
最初は足の踏み場もなかった地下室。今はほとんどの骨が箱へ移されている。残っているのは奥の一角だけ。崩れた石棚の下に、骨がまとまっている。
「これで終わりかな」
ノアは棚の欠片を動かした。頭蓋骨が二つ。大腿骨らしいものが数本。それから細かい骨。一つずつ拾う。最後に、石の下へ半分埋まっていた頭蓋骨へ手を伸ばした。
「よいしょ」
引き抜く。その瞬間。足元から。ミシッ。
「……ん?」
小さな音。ノアは下を見る。石床に細い亀裂が走っていた。
「まず――」
言い終える前だった。バキンッ!床が割れた。
「うわっ!」
足場が消える。身体が落ちた。反射的に何かを掴もうとする。指先が石へ触れた。滑る。
「っ!」
落下。暗闇。数瞬後。ドンッ!
「ぐっ!」
背中から地面へ叩きつけられた。息が止まる。
「……っ、痛……」
しばらく動けなかった。だが。腕。脚。動く。折れてはいない。《耐久Ⅰ》のおかげかもしれない。
「ノア!」
上から声がした。管理人だ。
「大丈夫か!」
ノアは顔を上げた。かなり上。崩れた穴から、小さく光が差し込んでいる。
「生きてる!」
「怪我は!」
「痛いけど動ける!」
「待ってろ!」
管理人の声が慌てている。
「ロープを持ってくる! 倉庫にある!」
「分かった!」
「動くなよ! 絶対にそこから動くな!」
「うん!」
管理人の顔が穴から消えた。足音が遠ざかっていく。ノアはゆっくり身体を起こした。
「……最悪」
携帯灯は落下した時に消えていた。どこに落ちたかも分からない。上から入る光も弱い。目が慣れても、周囲はほとんど見えなかった。床に手をつく。土。上の納骨堂とは違う。ここは、さらに下だ。
「こんな場所あったんだ」
返事はない。当然だ。管理人はロープを取りに行った。魔物はいないと聞いている。そもそも、この場所の存在自体、誰も知らなかったのだろう。
「動くなって言われたし」
ノアはその場で座った。ロープが来るまで待てばいい。数分。それだけ。暗い。静かだ。自分の呼吸だけが聞こえる。
「……」
そして。ぞわっ。突然。背筋を冷たい感覚が走った。ノアの身体が固まる。
「……え?」
知っている。何度も経験した。ゴブリンの石。茂みから飛び出してきた角兎。背後から迫る攻撃。間違いない。《危険察知Ⅰ》。それが。誰もいないはずの暗闇の中で。強く反応していた。暗闇の中から伸ばされた腕がノアの身体へ巻きついていた。




