第6話 指名依頼
翌朝。ノアはいつも通り冒険者ギルドへ向かった。昨夜は何度か目を覚ました。森で殺した二人のことを思い出さなかったわけではない。だが、だからといって何かをする気にもならなかった。殺されそうになった。だから殺した。スラムでは、それだけで終わることも珍しくない。二人の死体はいずれ誰かに見つかるだろう。それが今日なのか、数日後なのかは分からない。ノアは《影隠しの外套》の前を閉じ、《黒鉄の胸甲》が目立たないようにしてギルドへ入った。腰には《月銀の剣》。服の内側には《宵闇の短剣》。昨日までとは違い、人間と戦った経験まで増えてしまった。
「……次はゴブリンでいいな」
しばらく人間とは戦いたくなかった。そんなことを考えながら依頼板へ向かおうとすると、受付から声が飛んできた。
「ノアさん」
「ん?」
「少しいいですか?」
いつもの受付の女性が手招きしている。何か問題でも起きたのかと思いながら近づく。
「何?」
「ノアさんに指名依頼が来ています」
「……俺に?」
「はい」
ノアは受付の女性を見た。それから、自分を指差した。
「俺?」
「ノアさんです」
「Fランクだけど」
「知っています」
「Fランクに指名依頼なんてあるの?」
少なくとも、これまで見たことはない。新人のFランク冒険者は、掲示板に並んでいる雑用や低級魔物の討伐を選ぶ側だ。依頼人からわざわざ名指しされるような立場ではない。
「普通はありません」
「じゃあ、なんで?」
「今回は特例です」
受付の女性が一枚の依頼票を取り出した。ノアは受け取る前に内容を見る。
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《旧宅調査・清掃》
依頼地:西区外縁部
依頼内容:屋内の調査および清掃
報酬:銀貨三枚
依頼人:家主
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「掃除?」
ノアの声が少し低くなった。
「掃除だけなら、指名しません」
「じゃあ何?」
受付の女性は少し声を落とした。
「その家、呪われているかもしれないそうです」
ノアの目が依頼票へ戻る。
「呪い?」
「まだ確定ではありません」
その家は長い間、人が住んでいなかったらしい。家主が修繕して貸し出そうとしたため、何人かの作業員を入れた。ところが、作業を始めてしばらくすると体調を崩す者が続いた。
「頭痛、吐き気、寒気。酷い人は立っていられなくなったそうです」
「病気じゃないの?」
「最初はそう考えたそうです。ですが、外へ出るとしばらくして治る。別の日に別の人を入れても同じことが起きる」
「……」
「それに、清掃したはずの場所が数日後にはまた黒く汚れていたという話もあります」
ノアは少し興味を持った。
「それで呪い?」
「近所ではそう噂されています」
「でも、なんで俺?」
受付の女性が当然のように答える。
「《浄化》です」
「俺のギフト?」
「以前、呪われた装備を浄化できると言っていましたよね」
ノアは少しだけ警戒した。《月銀の剣》を見せた時に、呪われた剣を《浄化》したことまでは話している。だが、装備から技能を得られることまでは話していない。
「呪いなら何でも消せるわけじゃないよ」
「それでも、普通の清掃業者よりは可能性があります」
「他にそういうギフトを持ってる人はいないの?」
「高位の神官へ依頼する方法はあります」
「じゃあそっちでいいじゃん」
「費用がまるで違います」
「ああ」
ノアにも分かった。銀貨三枚で済む仕事と、神官を呼ぶ仕事では桁が違うのだろう。
「それに、本当に呪いかどうかも分かりません。家主としては、まず安価に調べたいそうです」
「だからFランクの俺?」
「言い方は悪いですが」
「別にいいよ」
むしろ分かりやすかった。安い。《浄化》が使える。新人なので仕事を断りにくそう。家主から見れば都合がいい。
「危険だったら逃げていい?」
「もちろんです。呪いが強すぎると判断した場合は、その時点で依頼を中断してください」
「報酬は?」
「調査分だけ支払われます。解決できれば全額です」
ノアは依頼票を取った。触れてみても、特に何も感じない。ただの紙だ。
「やります」
「お願いします」
「家主は?」
「現地で待っています」
◇
依頼先は街の中心から少し離れた場所にあった。スラムほど荒れてはいない。だが、裕福な人間が住む地域でもない。古い家が並ぶ一角。その中でも、目的の家はすぐに分かった。二階建て。石と木で造られた、少し大きめの家。庭には雑草が伸び、窓には埃が積もっている。壁もところどころ黒ずんでいた。
「君がノアか?」
門の前に、中年の男が立っていた。
「そうです」
「ずいぶん若いな」
「十五です」
「十五……」
家主は少し不安そうな顔をした。
「ギルドから聞いてない?」
「《浄化》を使える冒険者が来るとは聞いている。ただ、もう少し年上だと思っていた」
「嫌なら帰るけど」
「いやいや、待ってくれ」
家主が慌てて鍵を取り出した。
「もう何人も入ってもらったんだ。清掃業者だけじゃない。知り合いにも頼んだが、誰も長くいられなかった」
「おじさんは?」
「私は十分もいると頭が重くなる」
「今も?」
「中へ入らなければ平気だ」
鍵が回る。ぎい、と古い扉が開いた。中から湿った空気が流れてくる。ノアは鼻を動かした。
「カビ臭い」
「それも何度か掃除したんだがな」
玄関から見える床には埃が溜まっている。壁には黒ずみ。天井の隅には蜘蛛の巣。
「中の物は?」
「家具はほとんど前の住人が残した物だ。壊さなければ動かして構わん」
「地下室とかある?」
「ある。台所の奥だ」
「分かりました」
「私は外にいる」
「入らないの?」
「……できれば」
家主の顔を見る。本当に嫌らしい。
「何かあったら呼ぶ」
「頼む」
ノアは一人で家へ入った。扉が背後で閉じる。
「……」
静かだった。足音もない。幽霊の声もない。ただ、長い間使われていなかった古い家。今のところは、それだけに見える。
「まず掃除か」
右手を上げる。
「《浄化》」
白い光が床へ広がった。《浄化Ⅰ》だった頃より、明らかに広い。玄関。床。壁。積もっていた埃が一気に消えていく。蜘蛛の巣も消えた。染みついていた湿った臭いも薄くなる。
「やっぱりⅡ、便利だな」
以前なら何度も使わなければならなかった範囲だ。一度でかなり広く届く。ノアはそのまま一階を進んだ。居間。食堂。廊下。台所。家具を壊すことはできない。ひび割れた壁も直らない。だが汚れは消える。腐って使えなくなった布や木材はそのままだが、泥や埃だけなら簡単だった。
「これだけなら楽な仕事なんだけど」
二つ目の部屋を終えた頃。ノアはこめかみを押さえた。
「……ん?」
少し頭が重い。疲れたのかと思った。《浄化》を何度も使っているからかもしれない。少し休む。水袋から水を飲む。だが。
「寒いな」
外はそれほど寒くない。なのに、家の中だけ妙に冷える。ノアは周囲を見る。窓は閉まっている。風も入っていない。
「これか」
家主たちが言っていた寒気。まだ動けないほどではない。そのまま作業を続ける。奥の部屋。壁一面に黒い染みが広がっていた。
「ひどいな」
右手を向ける。
「《浄化》」
白い光。黒ずみが消える。元の灰色がかった壁へ戻った。
「普通に消えるじゃん」
そのまま二階へ向かった。二階も埃だらけだった。寝室。小部屋。物置。順番に《浄化》していく。頭痛は少しずつ強くなっていた。吐き気まではない。ただ、身体が重い。
「長くいると駄目なのか」
それでも今なら動ける。危なくなったら外へ出ればいい。二階の最後の部屋を終え、一階へ戻った。そして。
「……あれ?」
足が止まった。さっき浄化したはずの奥の部屋。壁に。黒い染みが戻っている。
「消したよな?」
近づく。間違いない。同じ場所だ。しかも。さっきより少し広がっている。
「《浄化》」
再び消える。ノアはその場で待った。一分。二分。何も起きない。
「気のせい?」
さらに待つ。やがて。壁の隅に、黒い点が浮かんだ。
「……」
点がゆっくり広がる。壁の中から染み出してくるように。
「汚れじゃない」
ノアは手を伸ばした。触れる前に。ぞくり。背筋が冷えた。
「これ……」
知っている。ゴミ捨て場で《月銀の剣》を見つけた時。《黒鉄の胸甲》を見つけた時。遺体安置所で《影隠しの外套》に近づいた時。同じ。
「呪いだ」
ノアの表情が変わった。この家は、本当に呪われている。ただし。壁そのものが呪物なのか。それとも別に原因があるのか。
「壁を浄化しても戻るなら……」
原因はここではない。ノアは部屋を調べた。黒い染みの濃さを見る。床にもある。壁際。さらに床板の隙間。
「下?」
しゃがみ込む。耳を近づけても何も聞こえない。だが。床へ手を近づける。
「……冷たい」
地下室。家主が言っていた。ノアは台所へ向かった。奥に、小さな木の扉がある。さっき掃除した時には気にしなかった場所だ。取っ手を掴む。開ける。ぎいい。下へ続く階段。暗い。
「……ここだな」
上より明らかに冷たい。頭痛も強くなった。ノアは壁に掛けられていた古いランタンを確認した。壊れている。自分の鞄から火打石と小さな携帯灯を取り出す。
「買っといてよかった」
火をつける。灯りを持って地下へ降りた。一段。二段。下へ進むほど空気が重くなる。地下室はそれほど広くなかった。棚。古い樽。壊れた椅子。使われていない工具。床には黒い汚れ。
「《浄化》」
光が広がる。一瞬。黒い染みが消える。だが。奥からまた薄く広がってくる。
「やっぱり何かある」
ノアは奥を見る。頭痛を我慢しながら進む。一番奥の棚。何もない。その横。古い木箱。蓋には埃が積もっていた。近づく。ぞわっ。今までより強い寒気。
「これだ」
だが、箱自体を《浄化》しても何も起きない。ノアは剣を抜き、先端で慎重に蓋を持ち上げた。中には古い布が入っていた。その中央。一つだけ。指輪がある。黒い。金属なのかどうかも分からないほど、表面が黒ずんでいる。周囲へ薄い黒い靄がまとわりついていた。
「……小さいのに」
これ一つで。家全体へ影響を与えている。ノアは直接触れなかった。少し離れたまま手を向ける。
「《浄化》」
白い光が指輪へ触れた。バチッ。
「っ!」
光が弾かれた。黒い靄が一瞬だけ膨らむ。ノアはすぐに手を引いた。
「強い」
《影隠しの外套》より強いかもしれない。少なくとも、一度でどうにかできる呪いではない。
「これを消せば……」
家の異常もなくなるはず。だが。ノアは箱を見た。依頼されたのは家の調査と清掃。ここにある物は、家主の所有物だ。勝手に持っていくのは違う。
「聞いてくるか」
古い布を使い、指輪へ直接触れないように箱ごと包んだ。そのまま地下室を出る。
◇
外へ出た瞬間。
「……楽になった」
頭痛が急に軽くなった。家主が門の近くで待っている。
「どうだった?」
「呪われてる」
即答すると、家主の顔が引きつった。
「本当に?」
「地下室に原因っぽい物がある」
「何があった?」
「指輪」
「指輪?」
「黒い指輪。箱の中に入ってた」
家主はしばらく考えた。
「私は知らんぞ」
「前の住人の物じゃない?」
「かもしれん。あの家は昔、親戚から譲り受けたものだ。地下の荷物も全部確認したわけではない」
「その指輪」
ノアは家主を見る。
「処分していい?」
「処分?」
「家から出した方がいいと思う。多分、あれがある限りまた汚れる」
「持ち出して問題ないのか?」
「分からない。でも家に置いとくよりはいい」
家主は家を見た。明らかに入りたくなさそうだった。
「……好きにしてくれ」
「いいの?」
「ああ」
「あとから返せって言わない?」
「言わん。呪われてるんだろう?」
「多分」
「ならいらん」
返事が早い。
「本当に?」
「そんな物を欲しがる奴がいるのか?」
ノアは少し考えた。
「俺」
「……」
「浄化できるかもしれないから」
家主はノアをしばらく見たあと、首を横に振った。
「私には理解できん。だが、持っていってくれるなら助かる」
「じゃあもらう」
「ああ。頼むから二度と家へ戻さないでくれ」
「分かった」
ノアは再び中へ戻った。箱から指輪だけを布へ包む。直接触れないように何重にもした。それを革鞄の一番奥へ入れる。すると。家の中の寒気が、少しだけ弱くなった。
「やっぱりこれだ」
原因を外へ出したあと、ノアは改めて家全体へ《浄化》を使った。一階。二階。地下室。黒い染みを消す。今度はしばらく待っても戻ってこなかった。
「終わった」
家主にも中へ入ってもらう。恐る恐る玄関をくぐった家主は、しばらく立っていた。
「……頭が痛くならない」
「多分大丈夫」
「本当に、あの指輪だったのか」
「たぶんね」
「助かった」
家主は何度も家の中を見回していた。ノアは銀貨三枚を受け取り、そのまま帰った。
◇
スラムへ戻るまで、鞄の中から嫌な冷たさを感じ続けた。人通りの少ない場所では、何度か周囲を確認した。誰もついてきていない。住処へ戻る。扉を閉める。机代わりに使っている木箱の上へ、包んだ指輪を置いた。
「さて」
布を開く。黒い指輪。家の地下で見た時と変わらない。むしろ家から離れたせいか、黒い靄が分かりやすく見える。
「これが何になるんだろう」
《月銀の剣》。《黒鉄の胸甲》。《影隠しの外套》。呪われていた物は、《浄化》すれば本来の姿へ戻った。そして。その一部から、自分は技能を得た。この指輪にも。何かがある。
「《浄化》」
白い光が広がった。指輪を覆う。黒い靄が激しく揺れる。すぐには消えない。
「もう一回」
《浄化》。黒が少し薄くなる。だが、指輪の中心からまた靄が湧き出す。
「しつこいな」
《浄化Ⅱ》になっている。以前より強くなっているはずだ。それでも簡単には消えない。ノアは焦らなかった。《月銀の剣》を浄化した時も、一度では無理だった。少し休む。水を飲む。また手を向ける。
「《浄化》」
白。黒。二つが指輪の上で押し合う。やがて。ぱきん。何かが割れたような小さな音。黒い靄が大きく膨らみ――一気に消えた。
「……お」
指輪の色が変わる。黒ではない。鈍い銀色。装飾は少ない。細い金属の輪に、小さな灰色の石が埋め込まれている。そして。文字が浮かんだ。
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《危険察知の指輪》
等級:希少級
技能:《危険察知Ⅰ》
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「危険察知?」
次の瞬間。身体の奥へ何かが流れ込んだ。《月銀の剣》を浄化した時。《黒鉄の胸甲》を浄化した時。《影隠しの外套》を浄化した時。同じ感覚。
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《危険察知Ⅰ》を習得しました。
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「……覚えた」
ノアは指輪を持ち上げた。技能が増えた。《浄化Ⅱ》《剣術Ⅰ》《耐久Ⅰ》《隠密Ⅰ》そして。《危険察知Ⅰ》
「危険が分かるってことだよな」
指輪を指にはめてみる。特に変化はない。外す。それでも。技能の感覚は消えなかった。
「やっぱり残る」
装備を外しても技能は自分の中にある。ノアは少しだけ口元を緩めた。ゴミ捨て場で黒い剣を拾った時。あの時は偶然だと思っていた。でも。呪われた物は、ゴミ捨て場だけにあるわけではない。捨てられた武器。死者の遺品。そして。誰も近づきたがらない、呪われた家。普通の人間にとっては、触れたくない物。金を払ってでも処分してほしい物。ノアにとっては違う。
「呪われてる方が……いい物なのか?」
もちろん全部がそうとは限らない。だが。今回も。誰も欲しがらなかった指輪が。希少級へ変わった。さらに新しい技能まで手に入った。ノアは銀色に戻った指輪を眺めた。
「もっと見つけたいな」
今までなら、ゴミの中から食べられる物や売れる物を探していた。これからは。少し違う物も探せる。誰も欲しがらない。誰も触りたがらない。呪われた物。それがあれば。自分は、もっと強くなれる。




