第32話 呪縛の黒銀籠手
《呪縛の黒銀籠手》を買うと決めると、支配人はすぐに手続きを始めた。正式な商品棚へ出されていない処分予定品だったため、普通の商品とは扱いが違うらしい。呪いによる事故について店側は責任を負わないこと、購入後の返品はできないこと、町中で不用意に開封しないこと。その三点について説明を受けた。
「こちらへ署名をお願いできますか」
「署名……」
差し出された紙を見て、ノアは少しだけ嫌な顔をした。
「難しいこと書いてあります?」
「先ほど説明した内容です。必要でしたら読み上げますが」
「お願いします」
支配人に一通り読んでもらい、内容におかしなところがないことを確認してから名前を書く。以前より文字を書く機会は増えたが、細かい契約書を自分だけで判断するのはまだ苦手だった。分からないものを分かったふりするより、聞いた方がいい。
「これで購入手続きは完了です」
「持って帰っていい?」
「はい。ただし、箱から出さずにお持ちください」
「箱ごと鞄に入れます」
ノアが《遠征用収納鞄》を開くと、支配人と店員が慎重に箱を持ち上げた。厚い木箱の内側には金属板が張られている。さらに黒銀の籠手そのものは、何本もの細い鎖で固定されていた。
「随分厳重ですね」
「以前、運搬中に箱の中で勝手に動いたことがありまして」
「……動くの?」
「正確には、籠手を装着していた人物の腕が痙攣した際、その動きがしばらく残ったのではないかと鑑定士は推測しております」
「それならまだいいか」
「まだ、ですか?」
第五地下区画で、自分から飛んでくる剣を見たばかりだ。それに比べれば、箱の中で少し動くくらいなら驚かない。支配人はそれ以上聞かなかった。箱を収納すると、ノアはもう一度倉庫を見回した。
「ここにある呪物って、全部買えるんですか?」
「いいえ。危険度が高すぎる物や、所有権が当店にない物もございます。研究機関へ引き渡す予定の品もありますので、個別に判断することになります」
「じゃあ、また見せてもらうことはできます?」
支配人は少し考えた。
「今回の籠手を本当に浄化できたのであれば、こちらとしても話が変わってきます」
「どういうこと?」
「呪われた魔道具は、店にとって非常に扱いに困る品なのです。高価な物ほど簡単には捨てられません。しかし、正常な状態へ戻せる技術者は極めて限られています」
「俺が戻せたら?」
「買い取り、浄化依頼、あるいは別の取引をご相談できるかもしれません」
ノアは少し考えた。呪物を買うだけではない。店が持っている呪物を浄化して、金をもらう。
「仕事になる?」
「成功率次第では」
「いいですね」
「まずは籠手を無事に浄化してからのお話です」
「分かってます」
今日はそれだけでも十分だった。ノアは支配人に礼を言い、店を出た。
◇
《白角亭》へ戻る途中、ノアは市場で夕食を買った。店の食堂でも食べられるが、今日は部屋から出るつもりがない。呪物を扱う以上、途中で誰かに声を掛けられたり、周囲へ呪いを撒き散らしたりするのは避けたかった。肉を挟んだパンと温かいスープを買い、宿へ戻る。部屋に入ると、まず鍵を掛けた。窓も閉める。机の上に余計な物がないことを確認し、《遠征用収納鞄》から黒銀の籠手が入った箱を取り出した。
「さて」
すぐには開けない。先に夕食を食べた。食べ終わって水を飲み、しばらく休む。《蓄魔の腕輪》に残っている魔力も確認した。領主の娘を救った時にはほとんど使い切ったが、数日かけて再び蓄えている。完全に満杯ではないものの、予備としては十分だった。胸元には《聖護の首飾り》。《呪耐性Ⅱ》。《魔力循環Ⅱ》。これまで何度も呪物を扱ってきた。それでも油断はしない。
「まず見るだけ」
箱の近くへ立ち、《魔力感知Ⅰ》を使った。箱の内部。大きな魔力が一つ。その周囲を濁った魔力が覆っている。
「やっぱり本体は壊れてなさそうだな」
完全に壊れた魔道具なら、こんなに安定した魔力は残っていない。呪いの方も強いが、第七呪物保管庫の第四地下区画で扱った赤指定ほどではなさそうだった。次に《危険察知Ⅰ》。反応はある。ただ、箱へ近づくだけで逃げろと警告するほどではない。
「これならいけそう」
ノアは《浄化循環》を始めた。身体の中を白い魔力がゆっくり巡る。その状態で箱の留め具を外した。一つ。二つ。最後の留め具。蓋を開く。黒い靄が、細く漏れ出した。
「……臭い」
金属が焦げたような臭い。そこに湿った土のような臭いまで混ざっている。籠手は店で見た時と同じだった。指先から肘近くまでを覆う重厚な造り。黒銀色だったらしい金属はほとんど黒く変色し、表面には焼け跡のような模様が広がっている。鎖で箱へ固定されているため、触れる必要はない。
「最初は弱く」
右手を向けた。
「《浄化》」
白い光が籠手を包む。
ジュッ。
「ん?」
黒い靄が一気に増えた。箱から溢れ、机の上へ広がる。ノアはすぐ《浄化》の範囲を大きくした。
「部屋には出すなよ」
白い光で箱ごと包み込む。黒い靄が押し返され、少しずつ消えていく。だが籠手そのものは、ほとんど変わっていなかった。
「結構強いな」
一度止める。魔力の消費はそれほど大きくない。ただし、今までのように表面から順番に削っていくだけでは時間がかかりそうだった。《魔力感知Ⅰ》。呪いの位置を調べる。
「……右手?」
籠手全体が呪われているわけではなかった。特に濃いのは、手の甲から手首にかけて。さらに細い黒い流れが、指先や腕側へ伸びている。
「中心がある」
第七呪物保管庫で何度も覚えたやり方だ。呪いの中心を見つける。そこから削る。ノアは右手を少し下げ、《浄化》の範囲を絞った。
「ここ」
手の甲。黒い金属板。
「《浄化》」
白い光を集中させる。今度は反応が違った。籠手がガタッと動いた。
「お」
鎖が鳴る。もう一度。
「《浄化》」
ガタガタッ!
箱の中で籠手が暴れた。
「本当に動くじゃん」
支配人の話は大げさではなかった。ただ、ノアへ飛びかかってくるわけではない。固定されたまま、まるで中に誰かの腕が入っているように指が曲がり、拳を握ろうとしている。《危険察知Ⅰ》。反応。少し強くなる。
「麻痺の呪いか」
過去の記録。装着者の右腕麻痺。長時間装着すると、全身へ麻痺が広がる。呪いが何をしようとしているのかは分かりやすい。触れなければいい。ノアは《浄化》を続けた。白い光。黒い靄。ぶつかる。手の甲にあった黒い膜が、僅かに剥がれた。その下。
「銀?」
金属本来の色。黒ではない。銀色。ただの銀でもなかった。角度によって青く光る。
「綺麗だな」
さらに《浄化》し、少し休んでからまた続ける。急ぐ必要はない。一度でも成功させればいい。
◇
一刻ほど経った頃には、籠手の半分近くが本来の色を取り戻していた。手の甲と指。銀黒色。細かな紋様まで現れている。問題は手首だった。呪いの中心。そこだけがなかなか消えない。
「硬いな」
《浄化Ⅲ》は確実に効いている。しかし中心部だけ、何重にも黒い魔力が絡みついていた。ノアは《魔力感知Ⅰ》で中を探る。
「……何だこれ」
黒い魔力。その奥には、籠手本来の魔力。二つが完全に別れていない。絡んでいる。無理に呪いだけを引き剥がそうとすると、元の魔道具まで傷つける可能性があるように感じた。
「壊すのは嫌だな」
せっかく買った。それに、元はかなり高価な装備だ。ノアは手を止めた。水を飲む。椅子へ座り、籠手を眺める。どうするか。第七呪物保管庫で得た《魔力循環Ⅱ》。領主の館で身につけた、呪いを少しずつ分けて浄化する感覚。全部使える。
「一気に剥がさなければいい」
呪いと本来の魔力。絡んでいるなら、一本ずつ。分ける。《魔力感知Ⅰ》を強める。目を閉じた方が分かりやすい。籠手の内部。太い魔力の流れ。本来のもの。その周囲へ黒い細い流れが何本も巻きついている。
「一本目」
そこだけへ《浄化》。弱く。細く。黒い流れがほどける。
「次」
二本目を消し、三本目へ移る。少し抵抗は強くなったが、それでも削れる。
「これならいける」
時間はかかる。魔力も使う。それでも安全だった。一本ずつ。少しずつ。夜が深くなっていく。窓の外から聞こえていた人の声も減った。ノアは気にせず続ける。何本消したか分からなくなった頃。最後に、一番太い黒い流れだけが残った。
「これか」
籠手本来の魔力へ、深く食い込んでいる。ノアは《蓄魔の腕輪》から少量の魔力を引き出した。ここまで来たら、中途半端には終わらせない。
「《浄化》」
白い光。黒い流れ。揺れる。籠手が激しく震えた。
ガチャガチャッ!
鎖が鳴る。
「もう少し」
《浄化》を強める。黒い流れが籠手の魔力から少しずつ剥がれていく。その瞬間、右手。妙な感覚。
「……?」
ノア自身の腕が重くなった。指。動きにくい。
「来たか」
触れていない。それでも呪いの一部が《浄化》を通じて流れてきたらしい。以前なら驚いていただろう。今は違う。
「《浄化循環》」
身体の中では白い流れが巡り、右肩から腕へ入り込んだ黒い魔力を消していく。《呪耐性Ⅱ》も働いているため、麻痺は肘より上まで広がらない。
「領主の娘のやつより弱い」
それなら止める必要はない。ノアは籠手へ《浄化》を流しながら、自分の身体にも《浄化》をかける。《魔力循環Ⅱ》で二つの流れを同時に維持した。
「あと少し!」
黒い流れ。細くなる。最後に、切れる。
パキンッ!
何かが砕ける音。籠手ではない。呪いだけ。黒い靄が一気に吹き出した。ノアは部屋全体へ広がる前に《浄化Ⅲ》を放つ。白い光が箱を包み、黒い靄を飲み込んだ。数秒。静かになる。
「……終わった?」
手を下ろす。右腕。少し痺れている。それも《浄化循環》を続けるうちに消えていった。箱。中。もう黒い靄は出ていない。《危険察知Ⅰ》に反応はない。《魔力感知Ⅰ》。澄んだ魔力だけ。
「成功」
ノアはようやく息を吐いた。
◇
浄化された籠手は、見違えるほど綺麗になっていた。基本となる色は黒銀。ただし呪われていた時のような濁った黒ではなく、磨いた鋼のような銀色の中に薄く黒が混じっている。手の甲には細い紋様。指の関節部分には小さな魔石。手首から腕へ向かって、魔力を流すためらしい線が刻まれていた。
「触ってみるか」
念のため剣先で触れてみる。何も起こらない。次に指で触ると、普通の金属と同じ冷たさが伝わった。そこで目の前に文字が浮かぶ。
────────────
《黒銀の戦籠手》
等級:希少級
効果:装着した腕へ流した魔力を増幅し、攻撃・防御時の出力を補助する。
技能:《魔力纏装Ⅰ》
────────────
「技能?」
その直後、籠手から淡い光が伸びた。ノアの右腕へ。
────────────
《魔力纏装Ⅰ》を習得しました。
────────────
「……魔力纏装?」
初めて聞く名前だった。すぐに籠手を装着するのではなく、まず技能そのものを確認する。意識。《魔力纏装Ⅰ》。すると自然に使い方の感覚が伝わってきた。身体強化とは少し違う。《身体強化Ⅱ》は自分の筋力や身体能力を引き上げる。《魔力纏装Ⅰ》は。
「物に魔力を纏わせる?」
ノアは右手で《月銀の剣》を抜いた。《魔力循環Ⅱ》を使い、二つ目の魔力の流れを腕から手、さらに剣へと送っていく。
「《魔力纏装》」
薄い光が刀身を覆った。
「おお……」
派手ではない。白く光り輝くわけでもない。月銀の剣の表面に、透明な膜が一枚できたような感覚だった。軽く振る。違う。剣が軽くなったわけではない。それでも、刀身そのものが少し強くなったように感じる。
「これ、攻撃力上がる?」
試す相手がいない。宿の机を斬るわけにもいかない。今度は剣を鞘へ戻し、自分の右腕へ魔力を纏わせてみる。皮膚。服。さらに《黒鉄の胸甲》の端。薄い膜。
「防御にも使えるんだ」
かなり便利そうだ。ただし。
「減るな」
魔力。消費。それなり。常時使う技能ではない。攻撃を当てる瞬間。受ける瞬間。必要な時だけ使う方が良さそうだった。さらに気づく。
「剣だけじゃない?」
右手に持つ物、短剣、盾、もしかすると防具。魔力を纏わせられる。技能が成長すれば、もっと広く使える可能性もある。
「これは当たりだ」
ノアは改めて《黒銀の戦籠手》を見た。呪われていた時は、装着者の腕から自由を奪っていた。本来は逆。腕へ流す魔力を助け、さらに《魔力纏装》まで与える装備だった。
「つけよう」
右腕には《剛身の腕輪》と《蓄魔の腕輪》がある。籠手はその上からでも問題なく装着できた。内側に空間があり、魔道具同士が干渉しないよう自動的に調整される。指。握る。開く。
「動きやすい」
見た目ほど重くない。魔力を流す。籠手の紋様が淡く光る。そのまま《魔力纏装Ⅰ》、右拳、魔力の膜。
「……殴るのも強くなるな」
剣を失った時にも使える。ただし。
「俺、拳で戦いたくないけど」
剣があるなら剣を使う。わざわざ魔物を殴りに行く必要はない。それでも選択肢が増えるのは悪くなかった。
◇
翌朝。ノアは《黒銀の戦籠手》を収納鞄へ入れて、昨日の魔道具店へ向かった。普段から装着してもいいが、今日は支配人へ見せるためだ。店へ入る。
「おはようございます」
「いらっしゃいませ……ノア様」
昨日の店員がすぐに気づいた。
「支配人います?」
「少々お待ちください」
すぐ呼びに行く。ほどなくして、昨日の支配人が現れた。
「ノア様。何か問題でもございましたか?」
「問題ないです」
「では?」
「終わりました」
「……何がでしょう」
「籠手」
収納鞄から布に包んだ《黒銀の戦籠手》を取り出す。支配人が固まった。
「これは……」
「浄化しました」
布を開く。黒銀の金属。昨日まで付着していた錆も、焼けたような黒い染みもない。
「少々、拝見しても?」
「どうぞ」
支配人は素手では触らず、まず鑑定用の道具を持ってこさせた。魔石を近づける。光、確認、もう一度。
「呪染反応が……ない」
「消したので」
「一晩で?」
「結構時間かかりました」
「一晩ですよね?」
「はい」
支配人は籠手とノアを何度か見比べた。
「少々お待ちください」
「また?」
「これは店主にも確認していただく必要があります」
昨日より明らかに対応が変わっている。しばらくすると、今度は支配人より年上の男性まで出てきた。鑑定。確認。話し合い。ノアは椅子に座って待っていた。やがて二人が戻ってくる。
「ノア様」
「はい」
「昨日のお話ですが」
「呪物の?」
「ええ」
店主らしい男が、一枚の紙を机へ置いた。
「当店では月に数点から、多い時で十数点ほどの呪染魔道具が持ち込まれます。その多くは通常の商品として扱えません」
「そんなに?」
「ラグナは交易都市です。各地から魔道具が集まるということは、当然、問題のある品も集まります」
ノアは少し身を乗り出した。
「売ってくれる?」
「そのお話もできます。しかし、それとは別にお願いがあります」
「何です?」
「当店が所有する呪染魔道具の浄化を依頼できないでしょうか」
「仕事?」
「正式な依頼としてです」
「報酬は?」
店主が少し笑った。
「もちろんお支払いします。浄化に成功した品の価値に応じて、報酬を決める形ではいかがでしょう」
「いいですね」
ノアにとって悪い話ではない。魔物を探す必要がない。呪物のある場所を探し回る必要もない。店が用意する。浄化する。金になる。そして――
「技能が出る物もありますよね」
「技能?」
「こっちの話です」
言う必要はない。店主も追及しなかった。
「ただし、全部は受けません」
「もちろんです」
「危険だと思ったら触らないし、壊れてる物もやりません」
「それで構いません」
「じゃあ受けます」
「ありがとうございます」
支配人が続けた。「それと、数日後にラグナで魔道具競売会がございます」
「競売?」
「ええ。通常の店舗には流れない希少な装備も出品されます。領主家の紹介状をお持ちであれば、参加資格にも問題ありません」
ノアの興味が向く。
「呪われた物も出ます?」
二人が一瞬黙った。
「……ございます」
「行きたいです」
「やはり、そこなのですね」
「安くなるでしょ?」
「状態によりますが、正常品より大幅に値を落とすことはあります」
ノアは頷いた。ラグナへ来てまだ二日。それなのに、すでに《魔力纏装Ⅰ》という新しい技能まで手に入った。さらに呪物を扱う店との繋がり。
数日後には魔道具の競売。
「しばらくラグナにいよう」
ベルツへ急いで帰る理由はない。新しく手に入れた《黒銀の戦籠手》を見ながら、ノアは次に何が見つかるのか考えていた。




