第29話 Cランク初遠征
領主の館から戻ったノアは、すぐには仕事を受けなかった。セレナの呪いは完全に消せたが、自分も三日間にわたって何度も呪いを身体へ取り込んでいる。《呪耐性Ⅱ》へ成長したとはいえ、疲労まで《浄化》できるわけではない。領主から受け取った報酬もある。鉄背大猿の素材を売った金も残っている。数日休んだところで生活に困ることはなかった。だから二日だけ、何もしないことにした。朝は宿で食事をして、昼まで寝る。起きたら装備を手入れし、《蓄魔の腕輪》へ少しずつ魔力を貯める。夕方には町を歩いて食事を取り、夜になればまた寝た。
「……暇だな」
二日目の昼には、もう耐えられなくなっていた。金がある。食べ物もある。誰にも追われていない。それなのに何もしないでいると、妙に落ち着かない。スラムにいた頃は、動かなければ何も手に入らなかった。食べ物も、銅貨も、寝る場所も、自分で探さなければならない。その癖は、簡単には消えそうになかった。
「明日は仕事しよう」
そう決めると、不思議と落ち着いた。
◇
翌朝。ノアは久しぶりに冒険者ギルドの依頼掲示板の前に立っていた。見るのは、Cランク用の掲示板だ。以前なら横を通るだけだった場所に、今は自分が普通に立っている。
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《Cランク》
《赤角猪討伐》
推定数:三体
報酬:銀貨三十八枚+素材
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「悪くない」
普通の討伐。今のノアなら、よほど変な個体でなければ対応できるだろう。その隣。
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《Cランク》
《岩蜥蜴討伐》
確認数:二体
場所:北部採石場跡
報酬:銀貨四十五枚+素材
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「これもいいな」
稼ぐだけなら、このあたりで十分だった。だが、ノアは依頼書を取らなかった。せっかくCランクになった。今までと同じようにベルツ周辺で魔物を一体、二体と倒すだけでは、あまり変わった感じがしない。もう少し掲示板を見ていく。そこで一枚の依頼書が目に留まった。
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《Cランク》
《商隊護衛》
出発地:ベルツ
目的地:交易都市ラグナ
予定日数:片道四日
募集:Cランク以上一名
報酬:銀貨五十枚
食事支給
帰路は別途契約
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「ラグナ……」
聞いたことはある。ベルツよりずっと大きな都市で、多くの商人が集まる場所らしい。以前、魔法の収納鞄を探していた時にも、店主から名前だけ聞いたことがあった。ベルツにない高級な魔道具でも、ラグナまで行けば見つかることがあるという。
「四日か」
今までのノアなら、長期間町を離れる仕事は避けていた。食料、水、荷物、野営道具。全部を背負えば、それだけで大変だったからだ。今は違う。《遠征用収納鞄》がある。四日どころか、食料さえ用意すればもっと長い旅もできる。
「行ってみようかな」
ベルツから離れるのも悪くない。ノアは依頼書を掲示板から外し、受付へ持っていった。
「これを受けたいです」
受付係が依頼書を確認する。
「商隊護衛ですね。ラグナまで行かれたことは?」
「ないです」
「でしたら、最初に説明を受けてください。Cランクの護衛依頼も初めてですよね?」
「はい」
「少々お待ちください」
しばらくして、簡単な地図が出された。ベルツから南東へ伸びる街道。途中に二つの小さな集落があり、二日目までは比較的人通りが多い。しかし三日目からは森林と丘陵地帯を通るため、魔物や盗賊が出ることがあるらしい。
「今回の商隊は荷馬車三台です。商人と御者を合わせて七名。護衛はノアさんを含めて三名になります」
「一人じゃないんだ」
「さすがに荷馬車三台を一人で守らせることはありません。他の二人は商会側が雇った護衛です」
「なるほど」
自分だけなら、危険を感じた瞬間に逃げればいい。護衛ではそうはいかない。荷馬車も。商人も。守らなければならない。Cランク昇格審査の時に言われたことを思い出した。自分だけが生き残ればいい仕事ばかりではなくなる。
「何か気をつけることあります?」
「一番大事なのは、商人の指示に何でも従わないことです」
「え?」
予想外だった。
「依頼主は商人ですが、安全に関する判断は護衛側が優先されます。急げと言われても、危険なら進まない。荷物を守れと言われても、人命より荷物を優先する必要はありません」
「荷物を捨ててもいい?」
「必要なら」
「分かりました」
その方がノアには分かりやすかった。
「出発は明日の朝です。それまでに必要な準備をしてください」
「はい」
依頼を正式に受注した。
◇
ギルドを出ると、ノアはまず市場へ向かった。食事は商隊から支給される。ただし、それだけを当てにするつもりはない。干し肉、硬いパン、干した果物、飲み水。携帯食を多めに買い、《遠征用収納鞄》へ入れていく。傷薬と包帯も補充した。さらに予備の短い縄、火口、油、小さな毛布。以前なら全部を持つのは無理だった。今は収納鞄の中へ入れるだけだ。
「まだ余裕あるな」
収納量を考えれば、四日分程度の荷物ではほとんど埋まらない。次に武器屋へ寄り、《月銀の剣》の刃を見てもらった。何度も魔物を斬っているが、希少級だけあって大きな刃こぼれはなく、軽い手入れだけで済んだ。続いて装備一式も確認する。《黒鉄の胸甲》《影隠しの外套》《疾風の旅靴》《静音の足環》《衝守の腰帯》《危険察知の指輪》《剛身の腕輪》《清流の指輪》《蓄魔の腕輪》。胸元には《聖護の首飾り》もある。
「増えたな……」
最初は《月銀の剣》一本だった。今は身体のあちこちに魔道具を装備している。ただし、見た目はそれほど派手ではない。ノアは高価そうに見える装飾品を好んで選んだわけではなく、必要な物を使ってきただけだからだ。
「これでいい」
目立つ必要はない。宿へ戻ると、《蓄魔の腕輪》へ最後の魔力を補充した。明日は初めての長距離護衛。そして初めてのラグナ。少しだけ楽しみだった。
◇
翌朝、東門近くの広場へ行くと、すでに荷馬車が並んでいた。三台。一台目と二台目には大きな木箱が積まれ、三台目には布をかけた樽や袋が載っている。
「ノアさんですか?」
声を掛けてきたのは、腹の出た中年の商人だった。
「はい」
「今回の商隊を預かっております。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
商人はノアを上から下まで見た。
「ずいぶんお若いですね」
「十五です」
「十五!?」
「Cランクです」
ノアが冒険者証を見せると、商人は慌てて頷いた。
「もちろんギルドを信用しております。ただ、もう少し年上の方が来るものと思っておりまして」
「駄目です?」
「いえいえ。とんでもない」
少し不安そうなのは隠せていない。ノアは気にしなかった。自分が十五歳なのは事実だ。
「他の護衛は?」
「あちらです」
二人。どちらも三十代くらいの男性だった。一人は槍。もう一人は弓。簡単に挨拶をする。
「俺は前を見る。弓が後ろ。ノアは好きな位置でいい」
槍を持った男が言った。「好きなところ?」
「Cランクなんだろ? 得意な場所があるならそこへ入れ。特にないなら真ん中の荷馬車についてくれ」
「じゃあ真ん中にいます」
前後どちらにも動きやすい。それに《魔力感知Ⅰ》があるなら、中央から周囲を探る方が使いやすそうだった。
「出発します!」
商人の声。荷馬車が動き始める。ベルツの門を抜ける。ノアは二台目の荷馬車の横を歩きながら、一度だけ街を振り返った。ベルツへ来た時は、Eランクだった。収納鞄に残っていた古い鍵を手がかりに、四日かけて歩いてきた。それが今はCランク。領主から紹介状まで貰い、別の大都市へ向かう商隊の護衛をしている。
「早かったな」
まだ数か月も経っていない。ずいぶん遠くまで来た気がした。
◇
最初の一日は平和だった。街道を進む荷馬車は思ったより遅い。ノア一人なら半分ほどの時間で進めそうだったが、大量の荷物を積んだ馬車に合わせる以上、仕方がない。その分、周囲を調べる余裕がある。《魔力感知Ⅰ》。時々、街道の外に小さな魔力を感じる。角兎。小型の魔物。少し離れた森には狼系らしい反応もあった。だが、こちらへ近づいてくるものはいない。
「何かいたか?」
槍の男が聞いてきた。
「右の森に二体います。でも離れていってます」
「見えるのか?」
「《魔力感知》です」
「感知系か。そりゃ護衛じゃ便利だな」
実際、かなり便利だった。《危険察知Ⅰ》は自分に危険が近づかなければ反応しない。《魔力感知Ⅰ》なら、その前に魔物の存在を見つけられる。
「前はこんなのなかったんだけどな」
「最近覚えたのか?」
「はい」
「Cランクになったばかりだって聞いたけど、技能いくつ持ってるんだ?」
「結構あります」
「結構って……まあ、いいか」
ノアが詳しく話す気がないのを察したらしく、男もそれ以上は聞かなかった。夕方には、街道沿いの小さな集落へ到着した。商隊は宿へ入る。荷馬車は宿の裏にある柵の中へ入れられ、護衛が交代で確認することになった。
「野営じゃないんだ」
「一日目から野営する商隊なんて好きでやらんよ」
弓を持った男が笑った。
「宿があるなら宿。温かい飯があるなら食う。身体を休められる時に休む。それが長旅の基本だ」
「なるほど」
ノアは素直に覚えた。第七呪物保管庫へ潜っていた時もそうだった。休める時に休む。無理をしない。結局は同じらしい。
◇
二日目の昼。周囲の景色が少しずつ変わってきた。畑が減る。家も減る。街道の左右に森が増え始める。それでも、時々反対方向から荷馬車が来るため、まだ人通りはある。
「明日の午後からが面倒だ」
槍の男が教えてくれた。
「丘を越えた先は、ラグナまで集落がほとんどない。魔物も出るし、盗賊もいる」
「盗賊」
「人間相手は初めてか?」
ノアは少し考えた。
「襲われたことはあります」
「倒した?」
「はい」
詳しくは言わなかった。スラムで自分を追ってきた二人。殺す気で襲ってきたため、殺した。今でも後悔はしていない。
「なら話は早い。盗賊はこっちを殺す気で来る。甘く見るなよ」
「分かってます」
人間だから手加減する。そんなことをするつもりはなかった。その日の夜も、小さな集落へ泊まった。問題が起きたのは三日目だった。
◇
昼前。道は長い坂へ差しかかっていた。左右は森。前方には低い丘。人の姿はない。
「静かだな」
ノアは何となく周囲を見回した。鳥の姿が少なく、虫の音も先ほどより静かになっている。《危険察知Ⅰ》には反応がない。そこで次に《魔力感知Ⅰ》を使った。
「……」
足が止まった。
「どうした?」
真ん中の荷馬車の御者が聞いてくる。
「止めて」
「え?」
「馬車、止めてください」
ノアの声を聞き、前を歩いていた槍の男が振り返る。
「何かいるのか?」
「前」
反応は街道の先、丘の向こう側にある。かなり遠い。それでも位置は分かった。
「一つ大きいのがいます」
「どのくらい?」
「鉄背大猿より少し小さいくらいの魔力。それと……」
ノアは集中して反応を数えた。大きなものが一つ、その周囲に小さなものが五つか六つある。
「小さいのが六体くらい」
「群れか?」
「たぶん」
槍の男の顔が変わった。
「場所は?」
「街道の近くです。動いてません」
「待ち伏せか?」
「魔物なら、たぶん」
商人が一台目の馬車から降りてきた。
「どうしました?」
「この先に何かいる」
「魔物ですか?」
「まだ確認できていません」
槍の男が即座に答えた。
「ここで馬車を止める。俺とノアで確認する。あんたは荷馬車から離れるな」
「しかし、予定より遅れて――」
「安全確認が先だ」
受付で言われた通りだった。依頼主が急げと言っても、危険なら進まない。商人もすぐに黙った。
「分かりました」
ノアは《影隠しの外套》を整えた。
「俺が先に見てきます」
「一人でか?」
「《隠密》あります。それに足音も消せます」
《静音の足環》。《隠密Ⅰ》。こういう時にも使える。
「分かった。無理に戦うなよ。見て戻れ」
「はい」
ノアは街道を外れた。森へ。足音を消す。《魔力感知Ⅰ》で大きな反応を追う。木々の間をゆっくり進み、丘の側面から回り込む。少しずつ。近づく。
「……あれか」
木陰から街道の先を覗いた。最初に見えたのは倒木だった。太い木が二本。街道を塞ぐように倒されている。
「自然じゃないな」
切られている。その向こう。動くもの。
「ゴブリン?」
小さい魔力。六体。ゴブリンに似ているが、大きい。普通のゴブリンより身体が太く、革鎧や粗末な武器を身につけている。
「ホブゴブリンか」
小さな反応が六つ。その近くに、さらに大きな魔力が一つある。姿を探すと、丘の斜面にある大きな岩の陰に何かがいた。
「……オーガ?」
大柄な人型。二メートル半ほど。手には太い棍棒。ただし、以前倒した装甲オーガや大角オーガとは違う。身体には鎖を巻き、肩には粗末な鉄板。何より。
「待ってる」
街道を見ている。倒木、その周囲に隠れるホブゴブリン、岩陰のオーガ。
「完全に待ち伏せじゃん」
魔物が偶然街道にいるわけではない。荷馬車が来ることを知っているような配置だった。ノアはさらに周囲を《魔力感知Ⅰ》で探った。
「……ん?」
もう一つ。さっき気づかなかった。丘の反対側。離れた場所。小さい。だが、ホブゴブリンとは違う魔力。
「人?」
木の陰に一瞬だけ人影が見えた。手には弓を持っている。
「魔物だけじゃない?」
ノアはそこで、それ以上近づくのをやめた。倒せるかもしれない。でも今は一人だ。しかも目的は魔物を倒すことではない。商隊を守ること。
「戻ろう」
来た道をそのまま引き返さない。少し大きく回り込み、別の場所から街道へ戻る。荷馬車が見えてきたところで《隠密Ⅰ》を解除した。槍の男がすぐに近づいてきた。
「どうだった?」
「倒木で道を塞いでます。ホブゴブリンが六体。オーガが一体」
「面倒だな」
「あと、人間が一人いました」
「人間?」
「丘の反対側。弓を持って隠れてます」
男の表情が一気に険しくなった。
「そいつらが一緒にいるのか?」
「分かりません。でも魔物からそんなに離れてません」
偶然。そういう可能性もある。ただ、街道を塞ぐ倒木。待ち伏せしている魔物。少し離れて潜む人間。
「進まない方がいいと思います」
「ああ。俺もそう思う」
槍の男はすぐに商人へ向かった。ノアはもう一度、丘の方向を見た。Cランクになって初めて受けた長距離護衛。まだ三日目。どうやら、ただラグナまで歩くだけでは終わらないらしい。




