第22話 第四地下区画
翌朝、ノアは再び《第七呪物保管庫》へ向かった。昨日は第四地下区画へ入れることを確認しただけで、何一つ持ち帰っていない。それでも十分な成果だった。《魔力循環Ⅰ》が《魔力循環Ⅱ》へ成長し、《浄化》を身体の中へ巡らせたまま、別の技能へ魔力を流せるようになった。今日は、その先だ。第四地下区画を探索する。ベルツを出て歩きながら、ノアは身体の中へ《浄化》を循環させる。以前なら意識を集中しなければ維持できなかった流れも、《魔力循環Ⅱ》になってからはかなり楽になった。一つ目の流れは《浄化》。胸から腹、腰、脚、背中、肩、腕、そして再び胸へ戻る。これは止めない。二つ目の流れは自由に動かせる。《俊足Ⅱ》へ送れば移動が速くなり、《危険察知Ⅰ》へ流せば危険を感じ取りやすくなる。戦闘になれば《身体強化Ⅱ》や《剣術Ⅱ》へ切り替えればいい。
「前よりずっと使いやすいな」
ただし、魔力そのものが無限になったわけではない。二つの流れを維持すれば、その分だけ消耗する。第四地下区画で長時間活動するなら、そこには注意しなければならない。ノアは《遠征用収納鞄》へ入れた水と食料を確認してから、そのまま西へ歩き続けた。
◇
昼前。黒鉄の鍵を使い、《第七呪物保管庫》へ入る。第一地下区画、第二地下区画、第三地下区画。ここまでは、もう慣れた。赤指定区域へ入っても、《聖護の首飾り》と《呪耐性Ⅰ》、そして《浄化循環》のおかげで身体への負担はほとんどない。
「昔はここでもきつかったのにな」
ほんの少し前のことだ。それなのに、ずいぶん昔のように感じる。第三地下区画の奥にある石板を動かし、その下の階段へ入った。
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《第四地下区画》
《重度呪染区域》
《赤・黒指定保管区》
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ノアは胸元の《聖護の首飾り》へ触れた。
「行く」
階段を一段ずつ降りるほど、黒い霧は濃くなっていった。それでも《浄化》は止めない。階段を下り切ると、昨日と同じ第四地下区画へ出た。一歩踏み込んだ瞬間、《危険察知Ⅰ》がぞわりと反応する。ただし、今すぐ戻れと叫ぶほど強い反応ではない。
「大丈夫」
頭痛なし。吐き気なし。身体の中へ入り込んだ僅かな呪いも、《浄化》の流れに触れて薄く消えていく。第二種呪染防護。昔の人間がどういう方法で実現していたのかは知らない。だが今のノアは、自分の技能と装備だけで同じような状態を作れている。携帯灯を掲げる。昨日見た鉄扉。
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《保管番号四〇一》
《黒》
《開封厳禁》
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「これは駄目」
通過する。次に――
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《保管番号四〇二》
《赤》
《接触禁止》
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昨日も見た。今日は、その下に残っていた小さな文字まで《浄化》で汚れを落として読んだ。
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《枯渇の腕輪》
《装着者の魔力を継続吸収》
《魔力枯渇による死亡例あり》
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「……これなら、まだ分かりやすいな」
触ったら魔力を吸われる。なら触らなければいい。黒指定よりはずっとましだ。ノアは《危険察知Ⅰ》へ魔力を流した。ぞわり。扉の向こう。危険。当然だ。ただし、近づくだけで逃げろというほどではない。
「最初はこれにしよう」
第四地下区画。最初の呪物。ノアは扉に付いた古い留め具を外した。ゆっくり押す。ギィィ……。狭い保管室、中央に石台、その上に黒い箱。第三地下区画と似ているが、違うところがある。
「鎖まで黒い」
箱を固定している鎖、石台、床。すべてへ黒い筋が伸びている。呪いが呪物だけに留まっていない。部屋そのものへ染み込んでいる。
「先に部屋から」
入口から右手を向ける。
「《浄化》」
白い光が広がった。床、壁、石台。黒い汚れが消える。普通の汚れだけではない。部屋へ染み込んでいた薄い呪いも、白い光に押されて少しずつ後退する。
「やっぱり強いな」
《浄化Ⅲ》。第三地下区画なら、かなり広い範囲をまとめて浄化できた。ここでは違う。黒い筋が消える。だが、箱からまた伸びてくる。まるで根のようだった。
「本体をやらないと駄目か」
ノアは部屋へ入らず、入口から何度か《浄化》を重ねた。三回。四回。ようやく石台の周囲が白くなる。黒い箱だけが残った。
「次」
剣先を箱の蓋へ触れさせる。何も起きないことを確認してから、少しだけ押した。
ギッ。
蓋が開いた。
「……腕輪」
中にあるのは。黒い金属製の腕輪。幅は指二本分ほど。装飾らしい装飾はない。ただし、表面から。黒い靄。絶え間なく漏れている。
「触るのは最後」
今まで通り。離れて浄化する。右手。
「《浄化》」
白い光が腕輪を包んだ。その瞬間――
「……え?」
光が。消えた。黒い靄に弾かれたのではない。吸い込まれた。
「今の……」
もう一度。
「《浄化》」
白い《浄化》の光は腕輪へ吸われ、そのまま消えた。だが、表面を覆う黒い靄はほとんど減っていない。
「魔力を吸ってる?」
説明。《装着者の魔力を継続吸収》。触れていなくても、魔力そのものなら、吸う。
「面倒だな」
《浄化》は魔力を使う。その魔力まで吸われるなら、普通に浄化するだけでは効率が悪い。ノアは一度手を下ろした。考える。
「でも、吸える量は無限なのかな」
そんなものなら、そもそも封印できなかったはずだ。どこかに限界がある。ただし。
「満腹になるまで魔力入れるのは嫌だな」
自分が先に倒れるかもしれない。別の方法。ノアは腕輪を観察した。黒い靄、常に同じ量、箱、石台へ伸びる黒い筋。
「全部から吸ってる?」
呪物そのものが魔力を吸っている。なら、吸った魔力を。どこかへ溜めているはず。ノアは《魔力循環Ⅱ》へ意識を向けた。身体の中を巡る魔力。流れ。技能を得る前なら、分からなかった。今なら、自分から外へ出ていく魔力が、どちらへ引かれているか。少し、感じられる。
「……中心?」
反応は腕輪の表面ではなく、中央へ集まっていた。
「そこだけ狙ったら?」
《浄化Ⅲ》。広く使う必要はない。狭く。強く。ノアは腕輪の中央。一点だけを意識した。
「《浄化》」
白い光は今までより細く、一直線に腕輪へ伸びて突き刺さった。そのまま光が吸い込まれていく。だが――
「少し残った」
全部ではない。腕輪の中心で。白い光が一瞬だけ残った。
「いける」
もう一度、今度は強く短く《浄化》を流す。
「《浄化》!」
白い光が吸収され、その奥にある黒い靄が一瞬だけ揺れた。
「削れてる」
それなら、弱い《浄化》を長時間流す必要はない。強い《浄化》を一点へ短く、何度も重ねればいい。
◇
十回を超えた頃。ノアは一度保管室から離れた。
「減るな……」
魔力の減り方は、いつもより明らかに速い。身体を守る《浄化循環》を維持しながら、腕輪へも《浄化》を撃ち込んでいるうえ、そのかなりの部分を吸われているからだ。ノアは水を飲んで座り、《魔力循環》で残った魔力をゆっくり全身へ回した。
「ここで空にするのは駄目」
第四地下区画にいる。帰るための魔力。絶対に残す。ノアは自分の中で。半分。そこを目安に決めた。
「半分切ったら帰ろう」
呪物は逃げないし、一日で浄化しきる必要もない。今日は途中までにして、明日また来ればいい。スラムにいた頃は、その日に食べる物を手に入れなければ夜には腹を空かせた。だが今は宿も金もあり、食事にも困らない。焦る理由はなかった。
「よし」
立つ。もう一度、保管室。
「《浄化》」
白い光を強く短く当てる。二発、三発と続けてから休み、さらに四発、五発。黒い靄は少しずつ薄くなった。
「効いてる」
最初は完全に黒かった腕輪だが、今は一部だけ別の色が見えている。黒の下から、青黒い金属が現れ始めていた。
「元は黒じゃないんだ」
さらに、《浄化》。腕輪が魔力を吸う。だが、ノアはその流れを感じていた。
「……こっち」
吸われる瞬間。魔力が腕輪の中央へ集中する。そこで、《浄化》も。一緒に。奥へ運ばれている。
「吸ってくれるなら」
ノアは少し笑った。
「中まで持っていってよ」
表面を自分から削る必要はない。腕輪に吸わせればいい。ただし普通の魔力ではなく、強い《浄化》を混ぜる。身体の中には二本の流れを作る。一つ目は自分を守る《浄化循環》で、これは絶対に止めない。二つ目は右腕から手へ送り、濃い《浄化》として腕輪へ流し込む。
「吸え」
手を向ける。
「《浄化》」
白い光を腕輪へ流すと、力が中央へ吸い込まれていく。直後、腕輪が震えた。
ガタッ!
「お」
腕輪が震え、内側から黒い靄が一気に噴き出した。
「当たり」
《浄化》が呪いの中心へ入った。ノアは手応えを感じ、もう一度同じ場所へ流した。
「《浄化》!」
あえて腕輪に《浄化》を吸わせる。白い光が内部へ入った直後、押し出されるように黒い靄が噴き出し、部屋全体へ膨れ上がった。
「うわっ」
ノアは後退しながら、身体を巡る《浄化循環》を強めた。黒い霧が襲いかかるが、《聖護の首飾り》の淡い光が呪いを弱める。残ったものが身体へ入り込んでも《呪耐性Ⅰ》で耐え、《浄化循環》ですぐに消していく。
「これなら」
まだ耐えられる。腕輪は激しく震え、石台へ走っていた黒い筋が次々と消えていく。
「もう一回!」
《浄化》の白い光は腕輪へ吸収され、その内部へ消えていった。
パキッ。
音。
「……!」
亀裂が入ったのは腕輪ではなく、表面を覆っていた黒い膜――呪いそのものだった。そこへ白い亀裂が走る。
「あと少し」
魔力はまだ半分以上残っている。これならいける。
「《浄化》!」
白い光を腕輪が吸い込み、内部で光が強まった。次の瞬間――
パァン!
黒い靄が。弾けた。
◇
辺りが静かになっても、ノアはすぐには近づかなかった。身体の中で《浄化》を維持したまま、《危険察知Ⅰ》の反応を確かめる。警告はかなり弱まり、ほとんど消えかけていた。
「終わった?」
ノアは数分待った。黒い靄は出ず、石台へ伸びていた黒い筋も消えている。入口から改めて様子を確認した。
「《浄化》」
白い光が腕輪を包む。今度は、吸われない。
「大丈夫そう」
ノアは近づき、まず剣先で触れて何も起こらないことを確かめる。最後に手で腕輪を持つと、普通の金属と同じ冷たさだった。黒く見えていた腕輪は濃い青銀色へ変わり、表面には細い白い線が幾重にも走っている。そこへ文字が浮かんだ。
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《蓄魔の腕輪》
等級:希少級
効果:使用者の魔力を蓄積し、任意に取り出すことができる。
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「……蓄積?」
ノアは表示された文字をもう一度確認した。
「魔力を?」
呪われていた間、この腕輪は持ち主の魔力を奪い、死ぬまで吸い続ける道具になっていた。だが本来の役割は、まったく逆だった。
「貯めるためだったんだ」
《月銀の剣》や《黒鉄の胸甲》もそうだった。呪われたことで本来の働きが歪んでいた装備は、これまでにもある。この腕輪も同じなのかもしれない。
「これ、すごくない?」
ノアは腕輪を持ったまま。少し考える。
「どうやって入れるんだろ」
ノアは《魔力循環Ⅱ》で魔力を腕から手へ送り、そこから腕輪へゆっくり流し込んだ。
「……入った」
分かる。魔力が消えたのではない。腕輪の中へ。残っている。
「もっと」
試しに少しだけ魔力を追加すると、腕輪の白い線が微かに光った。
「おお」
まだ、入る。だが、今はやめた。第四地下区画。自分の魔力を減らす場所ではない。
「取り出せる?」
今度は腕輪から身体へ魔力が戻るよう意識する。次の瞬間――
「っ」
自分から入れた魔力が、ほとんどそのまま戻ってきた。
「これ……」
第四地下区画、さらにその先の第五地下区画で長時間《浄化》を使えば、最も怖いのは魔力切れだ。だが、安全な場所で先に魔力を貯めておけるなら、その危険を減らせる。
「予備になる」
水や食料、薬と同じように、魔力まで持ち運べるということだ。
「当たりだ」
技能は出なかった。それでも、間違いなく。今まで手に入れた魔道具の中だが、かなり使える。ノアは《蓄魔の腕輪》を右腕へ装着した。サイズ。少し大きい。だが、腕輪が淡く光った瞬間。縮む。
「便利」
ちょうど。腕へ収まった。
◇
そのまま帰ってもよかった。第四地下区画へ初めて入り、赤指定の呪物を一つ浄化し、《蓄魔の腕輪》まで手に入れたのだから、成果としては十分すぎる。ただ、まだ魔力には余裕があった。
「少しだけ見よう」
黒指定。触らない。赤指定。全部開けない。今日は、通路を調べるだけ。ノアはさらに奥へ進んだ。黒い霧。《浄化循環》。問題はない。三十歩、五十歩、曲がり角。
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《保管番号四〇七》
《赤》
《視線接触禁止》
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「見たら駄目?」
開けない。次に――
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《保管番号四〇八》
《黒》
《音声に応答するな》
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「……」
ノアはすぐ通り過ぎた。
「絶対嫌だ」
さらに――
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《保管番号四一〇》
《赤》
《生体接触禁止》
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「これならそのうち」
覚える。次に、鉄扉。
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《保管番号四一一》
《黒》
《封印損傷》
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「……損傷?」
ノアは足を止め、《危険察知Ⅰ》へ魔力を流した。直後、ぞわっと背筋が粟立つ。
「強い」
近づかずに扉をよく見る。中央には確かに小さな亀裂があり、そこから黒い靄が漏れていた。
「これ」
嫌な予感、床、亀裂の下、黒い跡。そして――
「……何だ?」
何かを引きずったような跡が、扉から通路へ続いている。
「中から?」
封印が壊れ、何かが外へ出たのか?
「……」
ノアは《月銀の剣》へ手を掛けた。帰る。そう思った。その時――
ぞわっ!
《危険察知Ⅰ》。
「っ!」
左だ。ノアは《俊足Ⅱ》へ魔力を流し、一気に後ろへ下がった。直後、暗闇の中を何かが通路の横切った。
「……今の何?」
ほんの一瞬、暗闇の中に何かが見えた。人ではない。大きな黒い影が二本脚で立ち、異様に長い腕を垂らしている。だが、携帯灯の光が届かない場所へすぐに消えた。それでも《危険察知Ⅰ》の反応は残っている。
「……いる」
第四地下区画の保管室の外を、何かが歩いている。ノアは剣を抜き、《浄化》を身体の中へ巡らせたまま、もう一つの魔力を《危険察知Ⅰ》へ集中させた。
「今日は帰るつもりだったんだけどな」
暗い通路の先から、また「カツ」と乾いた音がした。今度は反対側、それも先ほどより近い。ノアは《月銀の剣》を構え直した。第四地下区画は、どうやら呪物だけを警戒していればいい場所ではないらしい。




