第20話 第二種呪染防護
ベルツへ戻った翌朝、ノアはまず冒険者ギルドへ向かった。目的は依頼ではない。《遠征用収納鞄》の中に入っている、大きな魔石を売るためだった。
「査定お願い」
受付でそう言うと、いつもの査定窓口へ案内される。ノアは収納鞄へ手を入れた。
「これ」
取り出した瞬間。ゴトッ。拳ほどもある黒紫色の魔石が、査定台の上に置かれた。
「……大きいですね」
査定担当の男が手を止め、魔石を持ち上げた。光へ透かしながら表面や内部の色を何度も確認している。
「どの魔物から?」
「呪影獣」
「呪影獣?」
「たぶん。見えない四つ足のやつ」
「見えない……」
男の表情が少し変わった。
「どこで?」
「西の方」
ノアはそれ以上言わなかった。《第七呪物保管庫》の場所を、わざわざ話すつもりはない。これまで何度も通っているが、人影を見たことはなかった。だからといって。誰にも知られたくない場所を、自分から教える必要もない。査定担当も追及しなかった。
「少し待ってください」
奥から古い資料が持ってこられた。何冊か。ページをめくる。
「……ありました」
指。
「呪影獣。強い呪いに長期間晒された獣が変異することがある、と。ただし自然発生はかなり珍しい」
「高い?」
「そこが気になりますか」
「うん」
「正直ですね」
男が笑った。
「魔石の質もかなりいいです。上質。これだけ大きいものなら、魔道具工房が欲しがりますね」
提示された金額を見て、ノアは一度数字を確認し、思わずもう一度見直した。
「……こんなに?」
「珍しい魔石ですから」
普通のDランク依頼を何件かこなした時に得られる額。しかも、これは魔物一体分。
「売る」
「即決ですか?」
「使わないし」
魔石を集める趣味はない。武器に加工する予定もない。金にできるなら、金にする。
「ではこちらで」
代金を受け取る。収納鞄へ。かなり重い。重さそのものは魔法で軽減されるが、金が増えたという意味では重かった。
「第三地下区画、稼げるな」
危険ではある。だが、希少級の呪物や高価な魔石が見つかる場所だ。さらに下へ行けば、もっと価値のある物が眠っている可能性も高い。
「早く四階行きたい」
だが、無理はしない。第四地下区画へ入った時。《危険察知Ⅰ》がはっきり警告した。まだ、何かが足りない。
◇
ノアはそのまま受付へ向かった。
「聞きたいことある」
「依頼ですか?」
「違う」
収納鞄から。丸めた古い配置図を出す。
「これ」
広げる。受付の女性が覗き込む。
「……かなり古いですね」
「ここ」
ノアが指差した。
────────────
《第五地下区画以下への進入には、第二種以上の呪染防護を必須とする》
────────────
「第二種呪染防護って何?」
「……初めて聞きました」
「やっぱり?」
「現在の冒険者ギルドでは、その呼び方は使いませんね」
「調べられる?」
「資料室なら、もしかしたら」
「見ていい?」
「呪い関係の古い資料ですか……一般閲覧できるものなら」
受付の女性が少し考える。
「ノアさんはDランクですし、危険物関係の依頼実績もあります。閲覧許可を出しておきます」
「ありがとう」
「ただし持ち出しは禁止ですよ」
「分かった」
◇
ギルドの資料室は。ノアにはあまり縁のない場所だった。仕事を受ける。魔物を倒す。素材を売る。それで十分だったからだ。だが、今日は古い本を読む。
「多いな……」
棚。棚。さらに棚。文字を読むこと自体はできる。ただし、好きではない。スラムにいた頃。本なんてほとんど触ったことがなかった。ギフトを得てから。依頼票、魔道具の説明、地図。必要なものは読むようになった。だが――
「どれだよ」
古代魔術、呪術、魔道具、封印、汚染。似た言葉が多い。ノアは棚の札を見ながら、一冊ずつ探した。やがて。
「これかな」
分厚い本。
────────────
《呪染区域における防護規定》
────────────
「それっぽい」
机まで歩き、本を開く。文字は古くて読みにくかった。何ページか飛ばしていくと、第一章、第二章、第三章と続いている。
「……あった」
────────────
《呪染防護区分》
第一種防護
外部呪力の侵入を減衰させる防護装具、結界、護符等を用いること。
────────────
「これ」
ノアは首元へ触れた。《聖護の首飾り》。まさに。外から侵入してくる呪いを軽減する。
「第一種か」
次に――
────────────
第二種防護
第一種防護に加え、侵入した呪力を体外へ継続排出、もしくは無害化する手段を有すること。
防護処置は区域滞在中、常時維持されなければならない。
────────────
「……」
ノアは数秒。文章を見る。
「これ、俺やってない?」
《聖護の首飾り》。外からの呪いを軽減。《呪耐性Ⅰ》。身体そのものが呪いに強くなる。さらに、《浄化》を混ぜた魔力を身体の中で循環させる。入ってきた呪いを。浄化する。
「第二種じゃん」
もう第四地下区画へ行けるのでは。そう思った。だが、文章の最後。
────────────
防護処置は区域滞在中、常時維持されなければならない。
────────────
「常時」
ノアは顔をしかめた。今の自分。歩いているだけならできる。《浄化》を身体へ巡らせ続けられる。だが、戦う時。《俊足Ⅱ》、《身体強化Ⅱ》、《剣術Ⅱ》。《危険察知Ⅰ》。技能へ魔力を流す。その瞬間、《浄化》への流れが弱くなる。
「……駄目じゃん」
第三地下区画なら、少し弱くなっても問題ない。《聖護の首飾り》も。《呪耐性Ⅰ》もある。だが、第四地下区画。一歩入っただけで《危険察知Ⅰ》が強く反応した場所。あそこで戦闘になったら。《浄化循環》を止める。その一瞬。呪いが入り込むかもしれない。
「ずっと流しながら戦えればいいのか」
ノアは本を閉じなかった。さらに読む。第三種。
────────────
第三種防護
第二種防護を完全維持した状態で、周囲空間そのものを継続浄化、もしくは遮断可能であること。
────────────
「これはまだいい」
必要なのは第五地下区画から。第四。図面には、《重度呪染・赤黒指定保管区》としか書かれていない。第二種必須とは書かれていなかった。だが、第二種に近づけるなら、第四地下区画もかなり楽になるはず。
「やるか」
◇
宿へ戻ったノアはすぐに試した。部屋。鍵。《月銀の剣》は鞘に入れたまま。まず、《浄化》。胸から。腹、腰、脚、背中、腕、身体全体、薄い《浄化》を含む魔力を循環。
「これを止めない」
次に、《俊足Ⅱ》。脚へ。別の魔力を流す。
「……」
成功した。《浄化循環》と《俊足Ⅱ》、二つの技能を同時に維持できている。
「できる」
ノアは部屋を少し歩いた。問題はない。そこで三つ目として《身体強化Ⅱ》へ魔力を回し、腹、背中、腕を含めた全身へ流してみる。
「っ」
途切れた。《浄化》が。脚の辺りで消える。
「難しい」
ノアはもう一度、《浄化》《俊足Ⅱ》《身体強化Ⅱ》の三つへ同時に魔力を流した。
「……」
三秒、四秒と続けたところで魔力の流れが崩れ、二つの流れが混ざった。
「これ、川みたいだな」
一つの川なら、流せる。二つも。どうにか。三つになると。どこへ流しているのか分からなくなる。魔力そのものが足りないわけではない。
「道が足りない?」
《魔力循環Ⅰ》。まだ、魔力を巡らせることに慣れ始めた段階。
「これを上げればいい」
ノアは自分の技能を確認する。
────────────
《魔力循環Ⅰ》
────────────
《俊足》も。使い続け。魔力を流しながら鍛えたことでⅡになった。《魔力循環》も。同じはず。
「いっぱい使えばいい」
◇
翌朝。冒険者ギルド。ノアは依頼板の前に立った。今日は、敵の数が多いもの。できれば、長く戦えるもの。
「……これ」
────────────
《オーク集落掃討》
ランク:D
討伐対象:オーク集団
確認数:九~十二体
場所:北東森林
報酬:銀貨二十四枚
追加:魔石・素材買い取り
────────────
「ちょうどいい」
一体をすぐ倒してしまっては、《魔力循環》を使う時間が短すぎる。複数の敵を相手に長く戦い、何度も技能を切り替える方が練習になる。ノアはそう考えて依頼票を取った。
「これ受ける」
受付の女性へ。
「オーク集落ですか」
「うん」
「単独で?」
「うん」
「確認数は最大十二体ですよ」
「一度に全部とは戦わない」
「ああ……」
受付の女性が納得したように頷く。
「ノアさんでしたね」
「何が?」
「いえ」
◇
北東森林。昼前。ノアは森の中を進んでいた。《浄化》を身体へ循環させたまま。普段。こんな場所で《浄化》を回す必要はない。呪いなんてないからだ。でも今日は。絶対に止めない。それが訓練。やがて。
「いた」
木々の向こう。粗末な柵、倒木、獣皮、簡単な小屋、オーク、一、二、三、見える範囲だけで五体。
「多いな」
確認数通り。集落。真正面から入れば、全部来る。
「それは嫌」
ノアは《隠密Ⅰ》へ魔力を流した。同時に、《浄化循環》。
「……」
二つの流れなら大丈夫だ。ノアは無理をせず、ゆっくり集落の外側を回った。少し離れた場所で薪を拾っているオークが一体いる。
「最初」
《隠密Ⅰ》で足音や呼吸、気配を薄くする。ただし《浄化》は止めない。背後へ三歩、二歩、一歩と近づき、《月銀の剣》を構えたところで《剣術Ⅱ》へ魔力を流す。
「っ」
魔力を三つへ分けた瞬間。胸の中の《浄化》が。消えた。
「……!」
だが、今いる場所は呪染区域ではないため問題ない。ノアはそのまま剣を振り抜いた。ザンッ! オークの首を落とし、一体目を倒す。
「駄目だった」
すぐ、《浄化循環》を戻す。
「もう一回」
◇
二体目では《隠密Ⅰ》と《浄化循環》を同時に使った。攻撃する直前に《隠密Ⅰ》への魔力を止め、その分を《剣術Ⅱ》へ流す。それなら《浄化》の循環は残したまま戦える。
「できた」
ザシュッ! 二体目も斬り倒した。
「三つ同時じゃなくてもいいのか」
全部を。ずっと。使う必要はない。必要な技能へ切り替える。ただし、《浄化》だけは残す。
「一つ固定」
浄化。もう一つ。必要な技能。今の自分なら、これが一番安定する。三体目。見つかった。
「ブオオオ!」
オークが叫ぶ。
「まずい」
集落の方から二体、さらに三体と反応が近づいてくる。
「四体か」
ノアは《俊足Ⅱ》と《浄化循環》を維持したまま森の中へ逃げた。木や岩の間を抜け、狭い場所へオークたちを引き込む。速さが違うため、最も足の速い一体だけが先へ出てきた。
「一体」
急停止して振り返る。オークが棍棒を振り上げていた。《危険察知Ⅰ》が強く反応する。そこへ魔力を流したい。
「三つ」
試す。浄化、俊足、危険察知。
「……!」
今度は循環がすぐには途切れない。右から棍棒が来る。ノアは左へ避けながら、三秒、四秒、五秒と維持時間を数えた。
「まだ」
その前へ、後ろから二体目が迫る。《危険察知》が背後を知らせたため、《俊足》で前へ逃れた。《浄化》の流れは残したままだ。
「できる!」
嬉しくなる。だが、戦闘中。浮かれると死ぬ。
「あと」
攻撃しながら《剣術Ⅱ》まで加える。四つ同時は無理だ。魔力の流れが乱れる。
「っ」
浄化が止まる。ノアは攻撃を諦め。一度離れた。
「欲張った」
三つならまだ維持できる。四つ同時も短時間なら――いや、駄目だ。
「じゃあ」
《俊足》を切り、《剣術》へ魔力を入れる。《浄化》と《危険察知》は残す。維持するのは三つだ。
「これ」
オークの攻撃を《危険察知Ⅰ》で読み、身をかわす。すぐ《剣術Ⅱ》へ魔力を回し、首を斬った。ザシュッ! 二体目。
「切り替えればいい」
《俊足》が必要ない瞬間には魔力を切り、その分を《剣術》へ移す。水を別の水路へ流すように、必要な技能へ魔力を振り分けていく。
「次」
◇
戦いながら、ノアの魔力の使い方は変わっていった。最初は技能を一つ使うたびに魔力をすべて流し直していたが、今は《浄化循環》だけを絶対に止めず、その周囲で二つ目、三つ目の技能を必要に応じて入れ替える。《危険察知Ⅰ》で敵が来る方向を読み、《身体強化Ⅱ》で踏み込み、《剣術Ⅱ》で斬る。距離を取りたい時は《俊足Ⅱ》へ切り替える。その間も《浄化》だけは、胸から腹、脚、背中、腕へと絶えず巡り続けていた。
「……これ」
戦える。今までとは違う。ただ、切り替えが遅い。ほんの一瞬、技能が弱くなる。
「もっと速く」
次はオーク二体。一体は槍、もう一体は斧だ。《危険察知Ⅰ》が右から来る槍を告げる。《俊足Ⅱ》で避け、《身体強化Ⅱ》で踏み込み、《剣術Ⅱ》へ切り替えて腕を斬る。魔力を次から次へと回す必要があり、目まぐるしい。
「頭こんがらがる」
繰り返すうちに、身体が少しずつ切り替えを覚えていった。十回、二十回と続けると、深く考えなくても魔力が流れる。オークを六体目、七体目、八体目と倒し、集落に残るのはあと三体になった。
「あと三」
ノアはいったん木陰へ座り、水を飲んで息を整えた。その間も《魔力循環》は止めない。
「結構減ったな」
魔力。いつもより消費が多い。《浄化》を意味なく使い続けているから。当然、だが――
「これくらいなら」
まだ、戦える。
◇
最後の三体。今度は、隠密で一体を倒そうとしなかった。
「実戦」
正面に三体いる。数は多いが、ここまでに八体倒して動きも分かってきた。
「来い」
オークたちが気づく。
「ブオオ!」
三体が一斉に走ってくる。ノアは《浄化循環》を常時維持したまま、《危険察知Ⅰ》で前後左右を警戒した。
「右が早い」
《俊足Ⅱ》で左へずれ、オークの列を崩す。先頭だけが前へ出たところへ《身体強化Ⅱ》を流し、同時に《浄化》と《危険察知》も維持する。三つの技能を並行して使った。
「まだいける」
攻撃の直前に《危険察知Ⅰ》を切り、《剣術Ⅱ》へ魔力を回す。ザンッ! 胸を深く斬ったが、オークは倒れない。ノアは《俊足Ⅱ》へ切り替え、いったん距離を取った。
「次」
切り替え。以前より。速い。オークの斧、危険察知、方向。避ける。身体強化、剣術、脚。斬る。
「ブゴッ!」
一体が膝をついた。ノアは首へ二撃目を入れて倒す。残りは二体だ。
「……楽しいかも」
魔力をどこへ流すか考え、成功と失敗を繰り返しながら何度も変える。少し前まで技能は勝手に発動するものという感覚だったが、今は自分で使いこなしている感じがした。
「もっと」
オークが突進してくる。ノアは《俊足Ⅱ》で横へずれ、《危険察知Ⅰ》で背後も警戒する。《身体強化》と《剣術》で斬り込みながらも、《浄化》の流れは止めない。
「いける」
最後に斧が振り下ろされる。ノアは横へ避け、《月銀の剣》で首を斬った。ザシュッ!
「終わり」
三体目。倒れた。
◇
ノアはしばらくその場で動かなかった。身体の中では魔力が胸から腹、腰、脚、背中、腕へ巡り、また胸へ戻っている。
「……止まってない」
最初は剣を使った瞬間に途切れていた《浄化循環》が、今では三体を相手にしても最後まで維持できていた。
「できた」
もちろん、まだ完璧ではない。途中で何度も流れは乱れ、四つを同時に使うのはほとんど無理だった。それでも《浄化》を固定したまま二つ、状況によっては三つの技能へ魔力を流せるようになっている。
「もう少し」
ノアはオークの討伐証明、魔石、牙、皮。使える素材を。全部。《遠征用収納鞄》へ入れた。十一体。収納鞄がなければ、かなり捨てる必要がある。今は、全部。金になる。
「これも売れる」
訓練、金、両方。
「いい依頼だった」
◇
ベルツへ戻った時には。夜、依頼報告、素材査定、報酬、金。増える。
「最近、よく稼ぎますね」
受付の女性が言った。「うん」
「嬉しそうですね」
「金あると困らないから」
「その通りですけど」
ノアは宿へ戻り、肉と野菜とパンの夕食を食べ、湯まで使った。以前なら贅沢だったことが、今では普通になりつつある。部屋の鍵を閉めると、机へ配置図を広げ、第四地下区画を指でなぞった。
「ここ」
その前に訓練する。立ったまま《浄化循環》を胸から全身へ回し、次に《俊足Ⅱ》を重ねる。さらに《身体強化Ⅱ》を加え、三つ同時に維持した。
「……」
一秒、二秒、三秒。さらに四秒、五秒と維持する。
「まだ」
六秒、七秒、八秒。そこまで続けると魔力の流れが少し乱れた。
「っ」
九秒。崩れた。
「……九秒」
昨日、数秒、今日、九秒。
「伸びてる」
もう一度、今度は《浄化》、《身体強化》、《剣術》の三つを同時に使う。剣を構えて一秒、二秒、三秒。そこから剣を振り、四秒、五秒と続けても《浄化》は止まっていない。
「できる」
ノアは剣を下ろした。机。古い配置図。
────────────
《第四地下区画》
《重度呪染・赤黒指定保管区》
────────────
今すぐ行きたい気持ちはある。だが、まだ早い。
「もう少しだな」
ノアは身体の中へ魔力を巡らせた。明日も、その次の日も使い続けて鍛える。《魔力循環Ⅰ》がもう一段上がれば、第四地下区画でも今度こそ長く歩けるはずだ。配置図を見ながら、もう一度ゆっくり魔力を巡らせた。
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