第15話 一か月
装甲オーガを倒したノアがベルツへ戻ったのは、日が沈む少し前だった。身体は重い。棍棒を腕で受けた場所はまだ痛み、走り回った脚にも疲労が残っている。それでも、気分は悪くなかった。《遠征用収納鞄》の中には、装甲オーガの魔石、牙、肉、硬い外皮など、売れそうな素材が大量に入っている。倒した魔物をほとんどそのまま金にできる。魔法の鞄を手に入れる前にはできなかったことだった。ギルドへ戻り、依頼達成を報告する。
「《装甲オーガ》、倒した」
「お帰りなさい。怪我はありませんか?」
「ちょっと痛い」
「ちょっと、で済んでいるならいいんですが……討伐証明をお願いします」
ノアは大きな魔石を取り出した。受付の女性が確認すると、依頼達成として銀貨二十八枚が支払われる。
「素材もある」
「どのくらいです?」
「かなり」
裏手の買い取り所へ移動し、《遠征用収納鞄》から素材を出していく。魔石だけではない。硬化した外皮。牙。肉。腱。骨。使えそうな部分は、解体できるだけ持って帰ってきた。査定をしていた男が途中で手を止めた。
「ずいぶん持ってきたな」
「売れるから」
「普通は大型魔物を一人で倒したところで、ここまで持って帰れないぞ」
「鞄がある」
「ああ、魔法の鞄か」
男は納得したように頷いた。
「装甲オーガの皮は高いぞ。硬いから防具の補強に使える。傷もあるが、十分な大きさが残ってる」
「いくら?」
「待ってろ。まとめて計算する」
しばらくして提示された金額は、ノアが予想していたものより大きかった。
「……結構ある」
「討伐依頼ってのは、素材まできちんと持ち帰れる奴ほど稼げるんだ」
「なるほど」
討伐報酬と素材代。合わせれば、一日でかなりの金を稼いだ。ノアはその場で《聖護の首飾り》の値段を思い出し、頭の中で計算する。まだ足りない。だが、以前のように遠い金額ではなかった。
「あと何回か依頼やれば買えるな」
そう思ってから。ノアは少し考えた。第三地下区画。《浄化Ⅲ》があっても、自分の身体を守りながら進むだけで精一杯だった。《聖護の首飾り》を買えば、もっと楽になるだろう。けれど。そこには何がいるか分からない。墓地の地下では、呪いによって作られた化け物がいた。第三地下区画の鉄扉の向こうに、同じようなものがいない保証はない。今の自分には《剣術Ⅰ》。《身体強化Ⅰ》。どちらも、まだ一番下だ。
「……首飾りだけ買っても駄目か」
金を貯める。その間に。もっと戦う。剣も。身体強化も。使い込む。
「一か月くらい、冒険者やろうかな」
今までも冒険者だったのだが。ノアにとっては少し意味が違った。呪物探しのついでではなく。強くなるために、依頼を受け続ける。
◇
翌日から、ノアは毎日のようにギルドへ通った。最初に選んだのは《赤牙狼》三体の討伐。一匹一匹は装甲オーガほど強くない。しかし群れで動く。ノアは六匹の群れを見つけると、正面からは近づかなかった。《隠密Ⅰ》を使い、群れの外側にいた一匹へ回り込む。最初の一匹を不意打ち。残りが追ってきたら逃げる。《俊足Ⅰ》を使って群れを引き伸ばし、足の速い個体だけを先に誘い出す。一対一になったところで斬る。
「一緒に来られると面倒なんだよ」
誰に言うでもなく呟きながら、一匹ずつ数を減らした。五匹倒したところで、最後の一匹は森の奥へ逃げていった。追わない。依頼は三体で達成だ。追加報酬も十分。その日の戦いで、ノアは装甲オーガ戦の時に気づいたことを何度も試した。《身体強化Ⅰ》を使う時、ただ全身へ力を入れるだけではない。踏み込み。腰の回転。肩。腕。そして剣。身体の動きに合わせて力を流した方が、一撃が明らかに強くなる。赤牙狼の首へ刃を入れた時、それがはっきり分かった。
「こうか」
一度目より二度目。二度目より三度目。少しずつ。使い方を身体が覚えていく。
◇
三日後。オーク二体。さらに翌日は牙猪。その次は森の奥に巣を作った大型蜘蛛の討伐。ノアは依頼を選ぶ時、以前とは違う基準を見るようになっていた。報酬。素材の値段。そして。
「戦える相手」
簡単すぎる敵では意味がない。危険すぎる相手も避ける。今の自分なら倒せる。でも、少し苦戦する。それくらいがいい。大型蜘蛛との戦いでは、《俊足Ⅰ》をかなり使った。木々の間に糸を張り、動きを封じようとしてくる相手だった。普通に走れば糸へ引っかかる。《危険察知Ⅰ》が反応するたびに方向を変え、《俊足Ⅰ》で一気に抜ける。最後は木の上から飛びかかってきたところを横へ避け、腹へ剣を突き込んだ。帰りには蜘蛛糸まで回収した。これが思ったより高く売れた。
「糸って金になるんだ」
「大型蜘蛛の糸は丈夫だからな。服にも弓弦にも使える」
買い取り所でそう教えられた。ノアは翌日、同じ蜘蛛の討伐依頼がないか探した。
「ありません」
「残念」
「素材目当てで魔物を選ぶようになってきましたね」
「高く売れる方がいいじゃん」
「冒険者らしくなったということにしておきます」
◇
一週間が過ぎた。宿代。食費。装備の手入れ。それらを払っても、金は増え続けた。宿暮らしにも慣れた。朝になると食堂へ降りる。パン。卵。スープ。時々肉。以前なら、朝からこんなに食べる日はほとんどなかった。依頼から帰れば湯を頼むこともある。最初は銅貨を払うたびに少し迷った。今は。
「お湯ください」
普通に頼める。身体についた血や泥は《浄化》で消せる。それでも、温かい湯に浸した布で身体を拭くのは気持ちがよかった。少しずつ。生活が変わっていた。金がなくならないように生きるのではなく。稼いで。必要なところへ使う。
「……もっと稼げるな」
金を数えながら思う。《聖護の首飾り》を買える額には、かなり近づいていた。それでもノアは買いに行かなかった。まだ。剣が足りない。身体も。
◇
二週間目。ノアが選んだのは《岩甲熊》の討伐だった。装甲オーガほど巨大ではない。だが四足で走るため、速い。さらに背中と頭部が硬い。最初の一撃。《月銀の剣》を肩へ当てる。ガキッ。
「硬っ!」
刃は通る。しかし浅い。岩甲熊が振り向き、巨大な前脚を振った。《危険察知Ⅰ》。ノアは後ろへ跳ぶ。爪が胸甲を掠めた。
「正面は駄目だな」
逃げる。熊が追う。速い。ノアは《俊足Ⅰ》で木の横へ回り込み、ぎりぎりで突進を避けた。振り向くまでの一瞬。後脚。関節。狙う。剣を振る。だが。岩甲熊が想像より早く身体を捻った。
「っ!」
狙いがずれた。刃は硬い背中へ。浅い。そのまま体当たり。
「ぐっ!」
ノアが吹き飛ばされた。地面へ転がる。
「……遅い」
見えていた。どこを斬ればいいかも分かっていた。なのに。剣が間に合わなかった。起き上がる。熊が来る。ノアは逃げた。木。岩。斜面。使えるものを全部使う。少しずつ傷を増やしていく。右後脚。腹。脇。首。硬いところは避ける。柔らかい場所だけ。戦いながら。何度も思った。
「そこなのに」
隙は見える。でも剣が遠回りする。振り上げすぎる。身体を捻りすぎる。無駄がある。《剣術Ⅰ》が教えてくれる基本だけでは。足りなくなってきている。
「だったら」
もっと短く。もっと速く。大きく振る必要はない。斬れるだけの力があればいい。岩甲熊がまた突進。ノアは横へ一歩。完全に逃げない。ぎりぎり。肩が通り過ぎる。その瞬間。大きく振りかぶらず。腰の横から剣を走らせた。ザシュッ!首の側面。
「入った」
深い。熊が暴れる。ノアはすぐ離れる。もう一度。同じ隙。今度は。もっと速く。
◇
岩甲熊を倒した時。ノアはしばらくその場に座り込んでいた。
「疲れた……」
楽ではなかった。でも。最後の数撃。確実に剣が変わった。余計な動きを減らす。狙った場所へ。必要なだけ。最短で刃を運ぶ。ノアが立ち上がった瞬間。
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《剣術Ⅰ》の熟練度が規定値に到達しました。
《剣術Ⅰ》は《剣術Ⅱ》へ成長しました。
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「……お」
身体の中へ。新しい感覚が流れ込んでくる。剣の握り方。間合い。刃筋。踏み込み。さっきまで、自分で必死に考えながら使っていた動きが。もっと自然に分かる。ノアは《月銀の剣》を軽く振った。
「……違う」
速い。というより。無駄が少ない。
「《剣術Ⅱ》」
頬が緩む。
「上がった」
《浄化》以外の技能がⅡへ上がったのは初めてだった。
「ちゃんと使ってれば上がるんだ」
それが分かったことも嬉しい。ノアは岩甲熊を解体しながら、次に鍛えたい技能を考えた。
「身体強化だな」
◇
三週間目。ノアはさらに依頼の難度を上げた。一度にオーク三体。大牙猪。群れを率いる灰狼の上位個体。《剣術Ⅱ》になってから、戦いは明らかに楽になった。以前なら二度斬っていた相手を、一度で仕留められることが増えた。狙った場所へ剣が届く。だから。無駄に力を使わない。その分、《身体強化Ⅰ》の使い方にも余裕ができた。今までは戦闘になると、身体全体をずっと強化していた。だが。
「ずっとやらなくていいのか」
走る時。踏み込む瞬間。剣を振る瞬間。避ける瞬間。必要な時だけ強くする。そうした方が疲れにくい。一方で。大型魔物の攻撃を避ける時などは、全身へ一気に力を流す。使い分ける。身体強化は。力を上げるだけではない。動きを支える技能だった。
◇
二十六日目。ギルドの依頼板で、ノアは一枚の依頼票を見つけた。
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《大角オーガ討伐》
ランク:D
討伐数:一体
出没地域:西部丘陵
報酬:銀貨三十五枚
素材買取:別途
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「これ高い」
「それを選ぶと思いました」
受付の女性が横から言った。
「強い?」
「装甲オーガより身体能力が高いです。角を使った突進もあります」
「Dランク?」
「Dランクの中ではかなり上です」
「なら受ける」
「最近、迷わなくなりましたね」
「無理だったら逃げるから」
「それならいいですけど」
ノアは依頼を受けた。
◇
大角オーガは。強かった。装甲オーガほど皮膚は硬くない。代わりに。速い。
「来る!」
頭部から伸びた大きな角。巨体が突進する。《危険察知Ⅰ》。《俊足Ⅰ》。ノアは横へ。避けた。だがオーガはすぐ止まる。振り向く。
「速いな」
逃げる暇が少ない。棍棒も持っていない。代わりに両腕で掴みにくる。一度捕まれば。身体強化Ⅰでは、抜けられないかもしれない。ノアは距離を取る。《剣術Ⅱ》。狙う。太腿。腕。脇。刃を入れる。以前より正確だ。だが。相手も倒れない。長期戦。走る。避ける。踏み込む。斬る。離れる。その全部で《身体強化Ⅰ》を使う。何度も。何度も。途中。大角オーガの腕がノアの外套を掴んだ。
「っ!」
身体が引かれる。まずい。ノアは《月銀の剣》を振るのではなく、すぐに《身体強化Ⅰ》を全身へ。脚を踏ん張る。腰。背中。肩。腕。全身で引く。
「離せ!」
外套を掴んだ指へ剣。ザシュッ!
「グアアッ!」
指が緩む。ノアは外套を引き抜き、そのまま後ろへ飛んだ。
「危な……」
胸が速く上下する。身体が熱い。脚も。腕も。限界に近い。でも。相手も傷だらけだった。
「あと少し」
大角オーガが吠える。再び突進。ノアは逃げなかった。正面。ぎりぎりまで待つ。《危険察知Ⅰ》が激しく反応。
「まだ」
角が迫る。
「今!」
《俊足Ⅰ》。横へ。同時に。《身体強化Ⅰ》。脚。腰。肩。腕。全身。そして《剣術Ⅱ》。すれ違う瞬間。首。刃が走った。ザンッ!
「グッ……!」
深い。だがまだ。オーガが振り向く。ノアも。もう一度踏み込む。
「っ!」
同じ傷。正確に。《月銀の剣》がさらに深く沈む。血が噴き出した。大角オーガが二歩。三歩。ふらつく。そして。倒れた。地面が揺れる。
「……はぁ」
ノアは剣を構えたまま待った。動かない。《危険察知Ⅰ》も反応しない。
「倒した……」
その場へ座り込んだ。今日だけは。すぐ解体する気になれなかった。
「疲れた」
水を飲む。少し休む。ようやく立ち上がろうとした時。
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《身体強化Ⅰ》の熟練度が規定値に到達しました。
《身体強化Ⅰ》は《身体強化Ⅱ》へ成長しました。
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「……来た」
ノアは疲れも忘れて立ち上がった。身体へ力が広がる。腕だけではない。脚。背中。腰。全身。今までより。もっと強く。もっと自然に。試しに足元の大きな石へ手をかける。
「よっ」
持ち上げる。
「軽い」
もちろん、本当に軽くなったわけではない。自分が強くなった。
「《身体強化Ⅱ》」
これで。《剣術Ⅱ》。《身体強化Ⅱ》。両方。目標を達成した。
◇
ベルツへ来てから。さらに一か月。宿の部屋で、ノアは机の上に硬貨を並べていた。
「……増えたな」
かなり。装甲オーガ。赤牙狼。岩甲熊。大型蜘蛛。オーク。大牙猪。大角オーガ。ほかにも何件もの依頼を達成した。討伐報酬だけではない。《遠征用収納鞄》のおかげで、大型魔物の素材まで大量に売れた。生活費を払って。宿代を払って。毎日ちゃんと食べて。装備の手入れもして。それでも。金は残った。ノアは数え終える。
「買える」
《聖護の首飾り》。余裕を残して。買える。翌日。ノアは魔道具店へ向かった。
「《聖護の首飾り》、まだある?」
以前見せてもらった店員が頷く。
「ございますよ」
「買います」
「かしこまりました」
以前なら。値段を聞いて黙った。今は。硬貨を出す。かなりの量。もちろん安いとは思わない。
「……やっぱ高いな」
「希少級ですので」
「でも足りる」
店員が代金を確認し、ガラスケースを開いた。銀色の鎖。その先に乳白色の宝石。
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《聖護の首飾り》
等級:希少級
効果:呪いによる侵食を軽減
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ノアはそれを受け取った。首へ掛ける。
「これで俺の?」
「はい」
「よし」
一か月。金を貯めた。それだけではない。
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《浄化Ⅲ》
《剣術Ⅱ》
《耐久Ⅰ》
《隠密Ⅰ》
《危険察知Ⅰ》
《身体強化Ⅱ》
《俊足Ⅰ》
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ベルツへ来たばかりの頃より。さらに強くなった。ノアは服の上から《聖護の首飾り》へ触れた。頭に浮かぶのは。ずっと同じ場所。《第七呪物保管庫》。そして。前回。ほんの数歩しか入れなかった。第三地下区画。
「今度は行けるかな」
確かめる方法は。一つしかなかった。




