第14話 金が足りない
翌朝、ノアは昨日手に入れた《浄化Ⅲ》を試すため、再び《第七呪物保管庫》へ向かった。旧処刑場では明らかな違いがあった。《浄化Ⅱ》では何度も繰り返さなければ薄くならなかった呪いが、《浄化Ⅲ》ならもっと広く、もっと強く押し流せる。だから今度こそ、第三地下区画へ入れると思っていた。第一地下区画を通り抜け、第二地下区画へ降りる。前回浄化しなかった黄色指定の箱がいくつか残っていたが、今日は触らない。目的はもっと下だ。奥にある階段の前で、ノアは立ち止まった。
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《第三地下区画》
《高濃度呪染区域》
《浄化処置なき進入を禁ず》
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「今度は《浄化Ⅲ》だから」
右手を向ける。
「《浄化》」
白い光が階段を流れ落ちた。前回とは違う。一段、二段どころではない。十段以上先まで光が届き、階段を覆っていた黒い気配が薄れていく。
「いける」
ノアはゆっくり降り始めた。一段。二段。三段。前回なら、この辺りですでに頭が痛くなっていた。今は平気だ。
「やっぱり強くなってる」
さらに下へ。十段。二十段。やがて階段の終わりが見えた。ノアは嬉しくなった。
「入れるじゃん」
第三地下区画。その入口へ足を踏み入れた。次の瞬間だった。
「っ……!」
全身が冷えた。頭の奥を殴られたような痛み。胃が持ち上がる。ノアは反射的に一歩戻った。
「何だこれ……」
階段とは違う。第三地下区画そのものに溜まっている呪いが、桁違いに濃い。携帯灯を前へ向ける。薄暗い通路。左右に並ぶ重そうな鉄扉。床にも壁にも、黒い染みのようなものが広がっている。そして。ぞわっ。《危険察知Ⅰ》が強く反応した。
「《浄化》!」
白い光を正面へ放つ。黒い気配が押し退けられる。以前なら、ほとんど抵抗できなかった。今は明らかに効いている。だが。
「……戻ってくる」
光が消えた場所から、じわじわと黒い気配が流れ込んでくる。もう一度。
「《浄化》」
押し返す。その間だけなら進めそうだ。ノアは一歩入った。二歩。三歩。
「っ……」
胸が苦しい。《浄化》を自分の周囲へ維持しながら歩かなければならない。それだけで力を使う。しかも前方を浄化しようとすれば、身体を守る光が弱くなる。
「これじゃ……」
もし敵が出たら。剣を使う。避ける。《危険察知Ⅰ》へ意識を向ける。その全部をしながら、《浄化》まで維持しなければならない。
「無理だな」
ノアは即座に引いた。何とかなるかもしれない。そう思って進むのが一番危ない。階段まで戻る。第三地下区画から距離を取ると、頭痛が少しずつ消えていった。
「《浄化Ⅲ》でも駄目か」
少し悔しい。でも、前回より進めた。階段すら突破できなかったのが、今は第三地下区画の入口まで到達した。
「何か足りない」
《浄化》の強さだけではない。あの場所で長時間動ける何か。ノアは第三地下区画を見下ろした。
「調べよう」
◇
ベルツへ戻ると、そのまま冒険者ギルドへ向かった。受付ではなく、資料を扱っている職員へ、高濃度の呪いがある場所へ入る方法を聞く。
「強い呪いが溜まってる場所に入りたいんだけど」
「どうして入りたいんです?」
「必要だから」
「……何に?」
「それは言いたくない」
職員は少し怪しそうな顔をしたが、冒険者証を確認すると、それ以上は追及しなかった。
「呪染区域へ入る場合、神官や専門の浄化師なら自分で防護できます。ただ、冒険者が入る場合は魔道具を使うのが一般的ですね」
「魔道具?」
「《聖護の首飾り》などです」
「何それ」
「装着者への呪いの侵食を弱める魔道具です。完全に防げるわけではありませんが、危険区域での活動時間をかなり伸ばせます」
ノアはすぐに食いついた。
「どこで買える?」
「大きな魔道具店なら扱っていると思いますよ」
「高い?」
「……安くはありません」
「どれくらい?」
聞いた金額に。ノアは黙った。
「そんなに?」
「呪い対策の魔道具は需要が少ないうえ、製作できる職人も限られますから」
「中古は?」
「あるかもしれませんが、命を預ける物ですよ」
「分かった」
ノアは立ち上がった。値段を確認するだけなら無料だ。
◇
魔道具店へ。
「《聖護の首飾り》ある?」
「ございますよ」
案内されたのは、店の奥。ガラスケースの中だった。銀色の鎖。先端には、乳白色の小さな宝石。
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《聖護の首飾り》
等級:希少級
効果:呪いによる侵食を軽減
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「これ欲しい」
「ありがとうございます」
「値段は?」
店員が示す。
「……」
ノアはもう一度見る。
「間違ってない?」
「間違っておりません」
「高い」
「希少級ですので」
「もっと安いのは?」
「効果の弱い《護符》もございますが、高濃度呪染区域へ入るのでしたらおすすめできません」
「中古」
「現在はありません」
「呪われてるの」
「ありません」
「壊れてるの」
「防護機能が壊れていては意味がないと思いますが」
「それもそうか」
ノアは手持ちを頭の中で計算した。ベルツへ来てから、かなり稼いだ。宿代にも食費にも困っていない。しばらく仕事をしなくても暮らせる程度には金がある。だが。足りない。
「あと、これくらいか」
不足額を確認する。届かない金額ではない。ただし、小型魔物を何十匹も狩っていたら時間がかかる。
「取り置きできる?」
「代金の一部を先にお支払いいただければ、数日でしたら」
「じゃあお願い」
少額の手付金を払う。店を出た。
「稼ぐか」
◇
ギルドへ戻る。今度は真っすぐDランクの依頼板へ向かった。報酬。高いものから見る。護衛は数日かかる。採取は場所が遠い。討伐。
「……これ」
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《装甲オーガ討伐》
ランク:D
討伐数:一体
出没地域:南西森林
報酬:銀貨二十八枚
素材買取:別途
注意:通常のオーガより外皮が硬く、正面戦闘は非推奨
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「二十八枚」
さらに。素材も売れる。《遠征用収納鞄》があるから、持ち帰れる物は全部持ち帰れる。これなら《聖護の首飾り》へかなり近づく。ノアは依頼票を剥がした。受付へ。
「これ受ける」
女性が依頼票を見る。
「《装甲オーガ》ですか」
「Dランクでしょ?」
「そうですが、一人で?」
「駄目?」
「規則上は問題ありません。ただ、かなり硬いですよ」
「どれくらい?」
「鉄製の剣では浅い傷しかつかないこともあります」
ノアは腰の《月銀の剣》を見る。希少級。普通の鉄剣ではない。
「やってみる」
「危険だと思ったら撤退してくださいね」
「うん」
「最近、本当に危険なところばかり行きますね」
「金が必要だから」
「何を買うんです?」
「首飾り」
「……誰かへの贈り物ですか?」
「呪いから守るやつ」
「ああ。そっちですか」
「そっちって何?」
「いえ、何でもありません」
◇
南西森林へ入ったのは昼前だった。《疾風の旅靴》を手に入れてから、移動速度はかなり上がっている。走り続けるわけではない。ただ、同じ距離を移動しても以前より早い。《身体強化Ⅰ》との相性もいい。ノアは森の奥へ進みながら、足跡を探した。
「大きい」
泥に残る跡。人間より遥かに大きな足。折れた枝。剥がれた木の皮。進んでいく。やがて。ぞわっ。《危険察知Ⅰ》。ノアは止まった。
「近い」
《影隠しの外套》。《隠密Ⅰ》。音を抑える。木の陰から覗く。
「……あれか」
大きい。二メートルを遥かに超える巨体。灰色の皮膚。肩。胸。腕。そこだけ異様に厚い。まるで鎧を着ているようだった。手には太い木の棍棒。
「正面は嫌だな」
ノアは戦わない。まだ。まず見る。歩き方。腕の動き。振り向く速度。弱そうな場所。
「膝の裏」
装甲のような皮膚は、身体の前面に集中している。背中も硬そうだが、関節までは同じではない。首も。
「後ろから行く」
ノアは大きく回り込んだ。《隠密Ⅰ》。ゆっくり。急がない。十歩。五歩。装甲オーガは気づいていない。三歩。ここで。《身体強化Ⅰ》。《俊足Ⅰ》。一気に踏み込む。《月銀の剣》を振るった。狙うのは。右膝の裏。ザシュッ!
「グオオオッ!」
「浅い!」
切れた。だが切断には程遠い。装甲オーガが振り返る。棍棒。ぞわっ!《危険察知Ⅰ》。ノアは考える前に地面を蹴った。ブオンッ!棍棒が鼻先を通過する。そのまま距離を取る。
「速っ」
相手が。ではない。自分が。《俊足Ⅰ》を戦闘で本格的に使うのは初めてだった。以前なら、もっとぎりぎりだった。
「使える」
装甲オーガが吠えた。突っ込んでくる。巨体なのに速い。ノアは正面から受けない。横へ。避ける。剣。脇腹。キンッ!
「硬い!」
剣は通った。しかし浅い。装甲オーガの裏拳。《危険察知Ⅰ》。避けきれない。腕で受ける。
「ぐっ!」
吹き飛ばされた。地面を転がる。《耐久Ⅰ》。《黒鉄の胸甲》。痛い。でも動ける。
「まともに食らったら駄目だな」
立つ。装甲オーガが追ってくる。ノアは逃げた。木々の間へ。巨体。狭い場所。当然。動きにくい。
「こっち」
木。岩。木。自分なら抜けられる隙間。装甲オーガは棍棒で木を叩き折ろうとする。その間に。背後へ。《隠密Ⅰ》。《俊足Ⅰ》。また膝裏。ザシュッ!
「グアッ!」
今度は深い。オーガの右脚が沈む。
「そこだ」
もう一撃。しかし。腕。来る。《危険察知Ⅰ》。ノアは後ろへ飛んだ。
「焦らない」
倒せる。でも。急いだら死ぬ。右脚。同じ場所を。狙う。
◇
長かった。装甲オーガは硬い。強い。一撃も重い。だが。右膝を傷つけてからは、少しずつ動きが鈍った。ノアは正面へ出ない。挑発もしない。逃げる。隠れる。回る。斬る。同じ場所。同じ場所。何度も。やがて。ブチッ。右膝の腱が切れた。
「グオオオオッ!」
巨体が崩れる。片膝。
「今」
ノアが走る。《身体強化Ⅰ》。《俊足Ⅰ》。踏み込み。狙うのは。首。正面ではない。後ろ。装甲が薄い部分。
「っ!」
《月銀の剣》を両手で振り抜いた。ザンッ!深く入る。それでも。倒れない。
「まだか!」
装甲オーガが振り向こうとする。ノアは剣を抜いた。もう一度。同じ傷へ。全力。
「終われ!」
刃が首へ沈んだ。血。巨体が揺れる。そして。地面へ倒れた。ドンッ。
「……」
ノアはすぐに近づかなかった。待つ。動かない。《危険察知Ⅰ》。反応。なし。
「倒した」
息を吐く。座りたくなった。でも。先に確認。魔石。牙。皮。肉。硬い外皮。
「これ全部売れるな」
疲れているのに。少し笑った。《遠征用収納鞄》の口を開く。大型の素材。使える部分。持ち帰れるだけ。全部。
「首飾り代」
ノアは倒れた装甲オーガを見下ろした。第三地下区画へ入るために。必要な物がある。それを買うには。金がいる。なら。
「もう少し稼げばいい」
今のノアには。それができる。




