第13話 旧処刑場
翌朝、ノアは宿の食堂で朝食を取りながら、昨日の《第七呪物保管庫》について考えていた。第一地下区画と第二地下区画までは探索できた。そこで《疾風の旅靴》を浄化し、《俊足Ⅰ》まで手に入れたのだから、十分すぎる成果だったと思う。だが、頭から離れないのはその先だ。《第三地下区画》。階段を数段下りただけで、寒気と頭痛、吐き気に襲われた。皮膚まで痛くなり、《危険察知Ⅰ》も強く反応した。試しに《浄化》を使えば、呪いを一時的に押し返すことはできた。しかし数段が限界で、消したはずの呪いもすぐに戻ってくる。
「《浄化Ⅱ》じゃ足りないんだよな」
ノアはパンをスープへ浸して口へ運んだ。敵が強いなら、戦い方を考えればいい。正面から勝てないなら隠れる。一体ずつ誘い出す。逃げることだってできる。だが、第三地下区画は違った。そこにいるだけで身体を蝕まれる。剣術も身体強化も関係ない。突破するために必要なのは、おそらく《浄化》そのものの強さだった。
「だったら、鍛えればいいか」
《浄化Ⅰ》も使い続けて《浄化Ⅱ》になった。なら《浄化Ⅱ》だって、使い続ければその先へ進めるはずだ。朝食を食べ終えたノアは、そのまま冒険者ギルドへ向かった。
◇
Dランクになってから、依頼板で選べる仕事はかなり増えていた。オーク討伐。大型魔物の素材採取。数日間の商隊護衛。街道周辺の調査。少し前の自分なら、依頼票を見るだけで避けていた仕事もある。今なら受けられる。それでも今日は、討伐依頼を探しているわけではなかった。
「ないな……」
依頼板を端まで確認していると、受付の女性が声をかけてきた。
「ノアさん、何を探してるんです? Dランク向けなら中央のあたりですよ」
「清掃依頼」
「清掃?」
受付の女性が少し意外そうな顔をした。
「せっかくDランクになったのにですか?」
「ランクが上がったら掃除しちゃ駄目なの?」
「そんな規則はありませんけど……もっと報酬のいい討伐依頼も受けられますよ」
「普通の掃除じゃなくて、誰も受けたがらないやつがいい」
「……またですか」
受付の女性の顔に、はっきりと嫌な予感が浮かんだ。
「できれば、呪われてそうな場所」
「普通の冒険者は、その条件なら避けるんですよ」
「俺は《浄化》を鍛えたいから」
「なるほど……」
事情を聞くと、受付の女性は少し考えたあと、依頼板ではなく受付台の下から古い紙束を取り出した。
「掲示していても誰も受けない依頼は、一定期間が過ぎるとこちらへ移すんです」
「塩漬け依頼?」
「まあ……そう呼ぶ冒険者もいます」
「そっちの方が良さそう」
「嬉しそうに言わないでください」
受付の女性が一枚ずつ確認していく。
「廃井戸の清掃……これは臭いだけですね。焼けた倉庫の片付け……これも呪いの報告はありません。あとは――」
手が止まった。
「これなら条件に合うかもしれません」
差し出された依頼票を、ノアは受け取った。
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《旧処刑場跡・清掃》
ランク:D
依頼内容:施設内の清掃および汚染箇所の除去
報酬:銀貨十二枚
備考:複数の作業員が体調不良により作業放棄
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「処刑場?」
「四十年以上前まで使われていた場所です。今は市が管理しています」
「なんで今さら掃除するの?」
「土地を再利用する計画があるそうです。建物を取り壊す前に、内部をきれいにしてほしいと」
それだけなら普通の清掃依頼だ。だが、銀貨十二枚という報酬は明らかに高い。
「何があるの?」
「一番問題になっているのは処刑台です。石床に黒い染みが残っていて、何度洗っても消えないそうです。表面を削ったことまであるそうですが、数日するとまた浮かんでくるとか」
ノアは依頼票から顔を上げた。
「それ、呪いっぽいね」
「まだあります。地下には死刑囚を収容していた牢が残っていて、長時間いると頭痛や吐き気、寒気を訴える人がいるそうです」
「いいね」
「よくないです」
「《浄化》を鍛えるには良さそう」
「三回も作業員が逃げ出してるんですよ?」
「危なかったら俺も逃げるよ」
「絶対にそうしてください」
受付の女性は念を押した。ノアは勝てない相手へ意地を張るつもりはない。無理なら帰る。だが、第三地下区画より弱い呪いなら、むしろちょうどいい。
「これ受ける」
「……分かりました」
依頼票に受注処理がされる。
「Dランクになった最初の仕事が旧処刑場の掃除ですか」
「別にいいじゃん。銀貨十二枚ももらえるし」
「ノアさんらしいと言えば、らしいですけどね」
◇
旧処刑場はベルツの北西、小高い丘の上にあった。町からそれほど遠くはないものの、近づくほど人家が減っていく。最後には道まで荒れ始めた。草を踏みながら進んでいると、高い石壁が見えてくる。
「思ったより大きいな」
ノアはもっと小さな施設を想像していた。門の向こうには広い中庭と複数の石造りの建物があり、その中央付近には周囲より高く作られた石台が見える。門の前では、市の職員らしい中年の男が待っていた。
「ギルドから来たノアです」
「……一人か?」
「うん」
男は冒険者証を確認した。
「Dランクで間違いないな。それにしても若い」
「十五」
「十五歳でDランクか」
「最近上がった」
何度も驚かれているので、ノアはもう気にしなかった。
「《浄化》が使えると聞いている」
「使えるよ」
「それなら助かる。三度も清掃業者を入れたが、まともに終わらなかった」
男から鍵を受け取る。
「一緒に入らないの?」
「私はここで待つ」
「怖い?」
「以前、一度だけ入った。十分もしないうちに頭痛がして、それから二度と入っていない」
「地下は?」
「行っていない」
「じゃあ地下の方が強そうだな」
ノアが呟くと、男が嫌そうな顔をした。
「お前、少し楽しそうじゃないか?」
「《浄化》を鍛えに来たから」
「変わった冒険者だな……。無理だと思ったら戻ってこい」
「分かった」
鍵を差し込み、古い門を開ける。中へ一歩入ったところで、ノアは足を止めた。
「……冷たい」
風ではない。空気そのものが薄く冷えている。呪物へ近づいた時と同じ感覚だった。ただし、特定の方向から感じるわけではない。右も。左も。前も。施設全体から薄く感じる。
「物じゃなくて、場所そのものが呪われてるのかな」
呪われた家でも、原因は地下にあった指輪だった。今回は違うかもしれない。ノアはまず中庭へ右手を向けた。
「《浄化》」
白い光が広がる。《浄化Ⅱ》になってから、普通の清掃は本当に楽になった。石床の泥や苔、壁の汚れ、長年染みついていた嫌な臭いが次々に消えていく。だが、空気の冷たさだけは残った。
「やっぱり普通の汚れじゃない」
中庭を進み、中央の処刑台へ向かった。石段を上る。その上。中央部分だけが赤黒く変色していた。
「これか」
何の跡だったのかは、考えなくても分かる。ノアは少し離れた位置から右手を向けた。
「《浄化》」
白い光が染みを覆う。一度で薄くなった。もう一度。三度目。赤黒い色が完全に消え、元の灰色の石床へ戻った。
「普通に消えたな」
だがノアは、そのまま五分ほど待った。すると。
「やっぱり」
石の隙間から、黒い色が少しずつ戻ってくる。呪われた家と同じ。ただ違うのは、周囲を探しても強い呪物の気配がないことだった。柱。鎖。石床。金具。どれに近づいても、感じる寒気は大して変わらない。
「原因になる物がない……?」
ノアは処刑台全体を見渡した。多くの人間がここで死んだ。長い間。何度も。その結果。
「場所そのものに染みついたのか」
なら、染みだけを浄化しても意味がない。ノアは処刑台の中央へ立ち、今度は一部分ではなく、周囲全体を意識した。
「《浄化》」
白い光が足元から広がる。処刑台。石段。柱。鎖。さらに周囲の空気まで。可能な限り広く包み込む。
「……っ」
普段より明らかに疲れる。汚れなら光が触れた瞬間に消える。呪いは違う。こちらの光を押し返すような抵抗がある。ノアは《浄化》を止めず、そのまま維持した。十秒。二十秒。三十秒。額に汗が浮かぶ。
「まだ……」
一分近く続けてから、ようやく手を下ろした。
「はぁ……」
水を飲み、しばらく休む。そしてまた《浄化》。一度で全部消そうとはしない。少しずつ削る。光を広く使う。できるだけ長く維持する。それを何度も繰り返した。昼前。処刑台へ戻ってみる。黒い染みは消えたままだった。先ほどまで感じていた冷たさもかなり薄い。
「できるじゃん」
かなり疲れた。だが。今までとは違う《浄化》の使い方が少し分かってきた。次は地下だ。
◇
地下牢の入口は、処刑台の裏手にある石造りの建物の中にあった。扉を開けると、狭い階段が地下へ続いている。ノアは携帯灯をつけた。一段下りる。すぐに頭が重くなった。
「上より強いな」
それでも第三地下区画ほどではない。ゆっくり下へ進む。地下には細い廊下があり、その左右へ牢屋が並んでいた。錆びた鉄格子。壁へ固定された鎖。足枷。古い木桶。死体も骨も残っていない。それなのに。ノアは眉を寄せた。
「嫌な感じ」
寒いだけではない。理由もなく気分が沈む。長くいたくない。これが作業員たちを逃げ出させた理由なのだろう。
「でも、使える」
《浄化》を鍛える場所としては。ノアは最初の牢へ入った。
「《浄化》」
まず汚れが消える。次に意識を切り替える。牢一室。壁。床。鉄格子。空気。全部まとめて白い光へ包む。すぐには終わらせない。光を維持する。すると、牢に残っていた嫌な冷たさが少しずつ薄れていった。
「これだ」
一室目。休む。二室目。また休む。三室目。処刑台で試した方法を繰り返す。一時間もすると腕が重くなった。普通の清掃なら、これほど疲れることはない。
「……これ、本当に修行みたいだな」
ノアは苦笑した。しかも依頼なので金まで出る。普通の冒険者なら嫌がるのだろうが、ノアには都合が良かった。昼を過ぎた頃、一度階段近くまで戻り、《遠征用収納鞄》からパンと干し肉を取り出した。水も飲む。少し休んでから、また地下へ戻った。
◇
最後に残ったのは、一番奥の部屋だった。
「ここだけ違う」
他は鉄格子。ここだけ厚い鉄扉で閉じられていた。鍵はすでに壊れている。ノアは《月銀の剣》の先で扉を押した。ギィィ……。中は狭かった。窓はない。床も壁も石。部屋の中央には、太い鎖が何本も固定されている。一歩入る。
「うっ……」
頭痛が強くなる。背筋にも寒気。地下牢の中で、ここだけ明らかに呪いが濃い。ノアは少し迷った。だが《危険察知Ⅰ》は反応していない。第三地下区画より弱い。
「ここを浄化できないなら、あっちも無理だよな」
ノアは部屋の中央へ立った。右手を上げる。
「《浄化》」
白い光が広がった。直後。
「っ……!」
今までより強く押し返される。光が狭くなる。ノアは歯を食いしばった。
「もう一回」
再び《浄化》。今度は部屋全体を意識する。床だけではない。壁。天井。鎖。そして、その場所に染みついているものすべて。白い光が部屋を包む。十秒。二十秒。汗が額を流れた。腕が震え始める。それでも止めない。
「まだ……」
呪いが少しずつ薄くなる。だが、こちらが気を抜けばすぐ戻ってくる。ノアは一度《浄化》を止め、大きく息を吐いた。
「広さじゃないな」
もっと。ただ広げるだけでは足りない。《浄化》する対象を、一つ一つ別のものとして見るのではなく。この地下牢全体を。一つの汚れた場所として捉える。ノアはもう一度右手を上げた。
「《浄化》」
今度は目の前の牢だけを見なかった。鉄扉の向こう。廊下。隣の牢。その先。地下全体へ染み込んだ呪いを意識する。白い光が広がった。
「……!」
さっきより広い。扉を抜け。廊下まで光が流れていく。ノアはその感覚を逃さなかった。
「もっと」
さらに意識を広げる。その瞬間。白い光が一段強くなった。
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《浄化Ⅱ》の熟練度が規定値に到達しました。
《浄化Ⅱ》は《浄化Ⅲ》へ成長しました。
────────────
「……上がった」
ノアは一瞬呆然とした。だが。すぐに違いが分かった。さっきまで必死に維持していた白い光が、今はそれほど苦しくない。
「《浄化》」
試す。光が一気に広がった。牢一室どころではない。廊下。隣の牢。さらにその先まで。《浄化Ⅱ》とは明らかに範囲が違う。それだけではない。何度も削らなければ消せなかった冷たい気配が、光に触れると目に見えて薄くなっていく。
「すごいな……」
ノアは廊下へ出た。もう一度。
「《浄化》」
地下牢へ白い光が走る。先ほどまで何時間もかけて浄化していた場所を、今度はまとめて包み込んだ。やがて。あれほど重かった空気が消えた。
「……これなら」
ノアの頭に浮かんだのは、旧処刑場ではなかった。第七呪物保管庫。第三地下区画。《浄化Ⅱ》では、たった数段しか進めなかった場所。
「行けるかもしれない」
◇
地上へ戻った頃には夕方になっていた。門の外で待っていた市の職員が、ノアを見るなり立ち上がった。
「遅かったな。大丈夫だったか?」
「終わったよ」
「全部?」
「地下も」
男は疑っているようだったので、一緒に中へ入った。処刑台。黒い染みは消えている。まだ戻る気配もない。
「前も一度は消えたんだ」
「じゃあ何日か見た方がいいね」
「ああ……だが、空気が違うな」
次に地下牢へ。男は階段の途中で足を止めた。
「あれ?」
「何?」
「頭が痛くない」
さらに下へ。
「寒気もない」
「浄化したから」
地下牢まで着く。男はしばらく周囲を見回していた。
「前に来た時は、ここまで下りるなんて無理だった」
「今は平気?」
「ああ」
「じゃあ成功」
男がノアを見る。
「本当に《浄化》だけで?」
「うん」
「神官でもないのに?」
「冒険者だけど」
「……そういう意味じゃないんだが」
ノアにはよく分からなかった。
◇
ギルドへ戻る。市側からも依頼完了の確認が入り、銀貨十二枚が支払われた。
「本当に一日で終わらせたんですか」
受付の女性が驚いている。
「結構疲れたよ」
「三回失敗してる場所ですよ?」
「でも、いい仕事だった」
「旧処刑場の清掃を『いい仕事』と評価する冒険者は、ノアさんくらいだと思います」
「《浄化》上がったから」
「上がった?」
「《浄化Ⅲ》になった」
ノアは右手を見た。もともとは。十五歳の誕生日に教会で与えられ、周囲から笑われたギフトだった。掃除しかできない。ゴミギフト。そう言われた。今は違う。呪物を本来の姿へ戻せる。呪われた場所まで浄化できる。そして。さらに強くなった。ノアは報酬を《遠征用収納鞄》へしまった。
「明日は仕事休む」
「珍しいですね」
「行きたいところがあるから」
受付の女性が嫌な予感でもしたようにノアを見る。
「……どこです?」
「前に行けなかったところ」
第三地下区画。今度は。その先へ行く。




