山下彩
内見へ行く前夜、私は夢を見た。
とても生々しい嫌な夢を…。
話はあの階段の女が来る0時より前に遡る。
どうにかしてあの女を避けたい彩はお祓いもそうだが、耳栓をしたり対策をしていた。
だがどんな対策を立てようとあの【カンッ】という音で目が覚めてしまう。
この日は前の晩に起こされてから一睡もせず、睡眠薬を服用し、起きないように努めた。
その行為が功を奏したようで、結果として目覚める事は無かったのだが、それが裏目に出る。
【カンッ】という音で目を覚ました彼女は
(あれだけやっても起こされるの)
と最初は思ったが窓から射す日がいつもと違う事を教えてくれる。
期待を込めて目を開けると外は眩しく光が見えた。
一晩眠れた事に喜びつつ布団から跳ね起きた彩は戸惑いを隠せない、そこは自分の部屋では無いのだ。
そう、目覚めたその場所はかつて動画撮影したあの場所【いとま荘】であった。
【カンッ、カンッ、カンッ、カンッ】
あの音だ。
【カンッ、カンッ、カンッ、カンッ】
どんどんと上ってくる足音。
青木の話では1日1段という事であったが今は恐怖と共に迫ってくる。
【カンッ、カンッ、カンッ、カンッ】
これは夢だと言い聞かせているうちに突如としてその音が止んだ。いや止んだのではない辿り着いたのだ。
【ガチャ】
扉が開く音と共に入ってきたのは30代半ばの女性で肩まである傷んだ髪が印象的である。
それと、いかにも部屋着という、よれよれのTシャツに短パンでいる姿は彼女の生活レベルが伺い知れる。
そんな女性の後ろには50代の真面目そうなスーツを着ている男性がおり、彼女に金を支払っていた。
お金を貰った女性は「確かに、じゃあ2時間後戻ってくるわ」と部屋を後にする。
部屋には彩と見知らぬ男二人きりだ。
男は彼女に近付きながら「こんにちは」と声をかけてくる。
「こんにちは…」
そこで彩は気が付いた。
自分の声では無いという事、そしてこれは誰かの経験を追体験しているという事に。
男は更に近付きその綺麗な長い髪に触れ「いくつなのかな?」と聞いてくる。
「10歳です…」
嫌な予感がする。
「10歳かぁ、お名前は?」
「久美です」
「じゃあまだ10歳で色々と経験した事も無い久美ちゃんに今日はおじさんが女としてのあり方を色々と教えてあげるね」
その男の血走った目、荒い吐息、酸っぱい汗。
何もかもが不快である。
男の手が彼女の肩に回り彼女の腕を擦る。
やめて、気持ち悪い、怖い、助けて。
そんな感情、10歳の少女の感情が彩の心へ無理やり流れ込んでくる。男は嫌がる彼女の事など気にはせず自分の欲望をぶつけてきた。
ーーー
ーー
ー
どれだけ長い時を過ごしたのだろう。
気がつけば2時間、帰ってきた女は「満足した?」と男に問いかける。
「あぁ、また頼むよ」と男はニヤニヤと満足そうに帰っていく。
彩は泣きながら踞る。
そんな彼女を見て女は「いつまでそうしてるつもり? あんたにはこれからこうやって稼いで貰うんだから頑張りな」と冷たい言葉を吐き捨てた。
「あと2時間後に別の客がくるから部屋の掃除してお風呂に入っておきなさい」
またあんな経験をするのかと彩は絶望する。
だがこの子は彩であり、彩ではない。
自分の意思とは反して女の言われるがままに動いていた。
(やめて、これは夢! 早く目覚めて!)
そしてまた音が鳴る、階段を上がってくる音、次の客が来ている音が。
【オエッ】
現実に戻ってきた彼女は真っ先にトイレへ駆け込み吐いていた。
夢とはいえ未だにあの男達の味、臭い、様々な感覚が残っている。
今日は青木と事故物件へ行く約束をしていたが断ろうと思う程だ。
だがこれは階段の女を避けようとした罰であり、問題を先延ばしにしても意味が無い。
それに青木の話が事実であれば残された時間も限られている。
彩はそんな体験をし疲れきってはいたが、自分の体に鞭打って今回の調査へ参加していたのであった。
そんな気持ちで内見を終えた帰りの車内は静かだ。
彩の異変に青木が気付いていることも気付いているが、あんな夢の話を男性に出来る訳がない。
不動産へ帰ってきてやることを失くした青木から「この後どうします?」と問いかけられる。
「…」
「私はやっぱり近隣の方から話を聞きに戻ります、山下さんは無理せず自分で出来る事をやって下さい」
「…私に出来る事」
あの夢で見た少女、久美が階段の女とするならば彼女の事を調べる事が出来るのでは無いか?
青木の言葉で出来る事を突き詰めて考えた結果、図書館で過去の事件を調べる事にした。
【栄市栄町】【久美】【いとま荘】【売春】【死亡】
様々なワードで検索していくがヒットするのはどれもしっくりこない記事ばかりである。
一体何が足りないのか考えても何も思いつかない彩は視点を変えて考える。
【階段の女は何故化けて出てくるのか?】
映画などで呪いの類いは何かしらの未練があり、殺された怨みから生者に襲い掛かるストーリーが多い。
(階段の女も同じだろうか?)
(誰かに殺されてその真相を知ってほしいから?)
「でもそんな記事なんてどこにも…」
思わず口に出して呟いた時「もしかしたら…」とある可能性が彼女の頭の中を過る。
だがそれを確かめるには一人では難しい、協力してもらう為に青木へ電話をかけた。
【ツー、ツー、ツー、おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか電源が入っていないためかかりません…おかけになった電話は…】
あの場所で電波が届かないとは考えずらく、電源が入っていないという事にもしっくりこない。
青木は事故物件の近くで近隣の人から話を聞くと言っていた。
もし彼の身に何かあったとしたら…、そんな嫌な予感が彩を再びあの場所へと向かわせるのであった。
到着した時には既に辺りは暗く、彼女の足を震わせる。
そして吸い込まれるように彩はあの部屋を目指す。
【カンッ、カンッ、カンッ、カンッ】
ケータイのライトで足元を照らしながら1段1段確実に上っていく、自らが上がっている音ではあるが、まるで他人が迫ってくるような足音に聞こえ警告を受けているかのように心が揺さぶられる。
そんな不安を抱えながら部屋の前に着くと嫌な予感が的中した事が分かった。
何故ならあの部屋のキーボックスが開いてるからである。
彩はドアノブを握り開いてない事を願ったが部屋の扉はすんなりと開き、誰かが入ってくるのを待っていたかのようであった。
「青木さん、中にいますか」
震える小さな声で扉の隙間から呼び掛ける。
返事はない、その時ふと視線を落とすと靴が1足置いてあり、どんな理由があったのか分からないが彼が中にいるという証拠であった。
彩は扉を全開に開け、少しでも明るくなるよう細やかな抵抗をし、嫌がりながらも中へ入っていく。
「青木さん、いるなら返事して下さい、青木さん!」
恐怖の中にありながらも発しているその小さな声は語尾が強くなる。
そして廊下を抜けた先にある最奥の和室へと足を踏み入れた。
「ここにもいない…」
そう言葉にはしたが彼女の視線は残った可能性である押入れを見つめている。
【カンッ】
聞き慣れた音に心臓が跳ね上がる。
【カンッ、カン、カッカッカッカッカッカッカッ…】
その音はいつもと違い、物凄い勢いで迫ってきた。
全開にした扉の事を思い出した時には既に遅い。
そこには全身が黒く闇に染まった女が立っていたのだ。
【カンッ、カンッ】と室内でも同様の音を立てながらまるで操られている人形のように奇妙な歩き方で迫ってくる。
「あっ、あ」と山下は腰が抜け声も出ない。
彼女は四つん這いになりながら押入れへと逃げ込んだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
何に対してか彼女は押入れの中で丸まり震えながらその言葉を繰り返す。
そして押入れの中の闇に目が慣れてきた時、彼女は見た。
膝を抱えて丸くなり見開いた目でこちらをじぃーっと見つめている青木の姿を。
「きゃあーー!!」
突然の事に大声を出す。
するとそれが合図かのように押入れの襖が開かれるのであった。
第一部 ~完~




