激情とセルジュの謎 1
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エミリーが夫であるバレ子爵とともにオールポート伯爵を伴って控室に現れたとき、シャルリーヌは少なからず緊張した。
というのも、先ほど、ディアーヌに、ディアーヌを排除しようとする一派がいると聞かされたばかりだったからだ。
バレ子爵はアロイス王太子の側近の一人でセルジュの同僚だ。ディアーヌが嫁ぐことにも肯定的で、彼女の侍女であるエミリーを妻にしていることから考えても、彼は敵ではない。
しかしオールポート伯爵はわからなかった。
何故なら、オールポート伯爵はディアーヌがヴェルリール国に嫁ぐことに関して反対意見を述べていた一人だったからだ。
オールポート伯爵は、赤みがかった茶色の髪に優し気な焦げ茶色の瞳をしている。
年は三十代半ばほどで、昨年、十数年連れ添った妻を亡くしていた。シャルリーヌの結婚式の少し前のことで、ディアーヌと共に葬儀に参列したから覚えている。
彼がどのような人物なのか、語れるほどシャルリーヌは詳しくない。
ディアーヌが嫁いでから直接的な批判を受けたことはないので、オールポート伯爵がディアーヌのことを現在どう思っているのかは不明だった。
(でも、警戒するに越したことはないわよね?)
エミリーが連れてきたくらいだから、警戒対象ではないのかもしれないけれど、ディアーヌを守るために油断は禁物だ。
「オールポート伯爵、ごきげんよう」
「歓談中失礼いたします、妃殿下。直接お祝いを申し上げたくて、バレ子爵夫妻に無理を通していただきました。さほどお時間は取らせませんので」
「構いませんわ。それより、お祝いとは?」
にこりとディアーヌが笑みを深めた。この顔はディアーヌが警戒を強めた時の顔だ。ディアーヌがオールポート伯爵に心を許していないのがわかった。
だが、理由をつけて追い返さないところを見るに、彼は排除すべき警戒対象ではないのかもしれない。むしろ、何とかして自陣に取り込みたいと考えている可能性があった。
(つまり、警戒はしているけれど、危険人物というわけではないってことね)
ディアーヌの表情の変化からそれを読み取り、シャルリーヌは少しだけ肩の力を抜く。あまり警戒しすぎて相手に不快な思いをさせたら、ディアーヌの思惑とは別のところに着地してしまうかもしれない。それは避けたかった。
オールポート伯爵は人好きのする笑みを浮かべた。
「ご懐妊のお祝いでございます。我が領地に妊娠中にいいとされるお茶がございますので、後日お届けさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「……まあ」
ディアーヌの一瞬の間をシャルリーヌは聞き逃さなかった。
ディアーヌの視線がわずかな時間エミリーへ向けられる。
その二つのディアーヌの反応を見て、シャルリーヌは愕然とした。
ディアーヌは、懐妊の件を伏せていた。ごく限られた人間にしか伝えていなかったのだ。
エミリーは結婚したが、一月前に侍女として復帰しているため、彼女はディアーヌの懐妊のことを知っていたのだろう。
だが、口止めしていたはずである。
そして、ディアーヌの反応から察するに、オールポート伯爵にそれを知られたのは遺憾なことなのだ。
エミリーがオールポート伯爵を伴ってここに現れたということは、情報の出どころはエミリーである可能性が高い。
もちろん、エミリーが喋ったとは確定したわけでもない。
どこからか情報を入手したオールポート伯爵がエミリーに相談を持ち掛け、困ったエミリーがディアーヌの元に連れてきた、とも考えられた。
どちらにせよ、ここでシャルリーヌが反応するわけにはいかない。
ディアーヌがオールポート伯爵に対して、妊娠の事実を肯定するか否定するか、それを見極めてからでなければ動けなかった。
ディアーヌはわずかに目を伏せると、ほんの少し悲しそうな顔を作った。
「お心遣い感謝いたしますわ。ですが、子は……流れてしまいましたのよ」
なるほど。ディアーヌは否定する方を選んだようだ。
最初の子は確かに流れたので、嘘を言っているわけでもない。
オールポート伯爵は驚いたように目を見張り、それから、どこか気まずそうに視線を揺らした。「そうでございましたか。大変不躾なことを申しました。ご容赦ください」
「構いませんわ。伯爵がお祝いを下さろうとしたお心遣いはとても嬉しかったですもの。お茶については、次の機会が巡ってまいりましたら、ぜひお願いいたしますね」
「ええ。そのときはぜひ」
ディアーヌとオールポート伯爵が会話している間、シャルリーヌはエミリーの反応を伺っていたが、彼女の方に大きな変化はなかった。薄い微笑を浮かべたまま立っている。
(つまり、オールポート伯爵への情報はエミリーが提供したわけではない……ってことでいいのかしら?)
エミリーもディアーヌの侍女だ。ディアーヌを敬愛している。彼女の望まない行動を取るはずがないので、エミリーがオールポート伯爵に教えたわけではないのだろう。
(だけど、情報源がエミリーではないのなら、いったいどこから情報を仕入れたのかしら)
ディアーヌが内密にしている妊娠の事実を知っている。これは大きな問題だ。オールポート伯爵は敏腕な政治家であるので、情報を仕入れるルートはいくつも持っているだろう。しかし王族の秘密が漏れるのは問題視されることである。
(……ディアーヌ様が心配だわ)
侍女に復帰したい。一日も早く。
妊娠中の彼女は精神的にも不安定になりやすいはずだ。側で支えたい。そのためにはブラン伯爵邸から抜け出さなければならないのに、どうすればいいのだろう。
シャルリーヌは焦る気持ちを抑えつけて、考えを巡らせる。
ディアーヌの役に立つために、シャルリーヌが現状でできることはなんだろう。
(ディアーヌ様はオールポート伯爵への警戒を強めたはずだわ。彼の情報源を知りたいはず。……情報を探るには、伯爵に近づく必要があるわね)
そこまで考えて、シャルリーヌはハッとした。
そうだ。
オールポート伯爵は寡夫。
彼の後妻となることができれば、一番近くで彼の近辺を探ることができる。
セルジュの元からも逃げることができるし、相手がオールポート伯爵ならばシャルリーヌを閉じ込めて社交から遠ざけるようなこともするまい。
彼の亡くなった妻は社交的で、夫と共にパーティーによく参加していたはずだ。
(オールポート伯爵に取り入ることができれば……)
彼に、セルジュに閉じ込められている現状を訴えて助けを求めれば、そこから親しくなれるだろうか。セルジュの元から逃げ出しつつオールポート伯爵との距離を縮められれば一石二鳥だ。
チャンスは、セルジュがいない今しかない。
だがどうやってオールポート伯爵に話しかければいい?
ここにはエミリーもバレ子爵もディアーヌもいる。
不自然ではなくオールポート伯爵と話をする機会を得るにはどうしたら――
(あ、あれだわ!)
きっかけを探してオールポート伯爵を見つめていたシャルリーヌは、彼の袖口を見てハッとした。
「オールポート伯爵、失礼ですが、右の袖口のボタンが取れかかっていますわ」
シャルリーヌの指摘に、オールポート伯爵はハッとして右手の袖口を見た。
「本当だ。何かに引っかけてしまったかな」
「そのままだとお困りでしょう? わたしは城に部屋をいただいておりますので、そちらに裁縫道具がございます。よろしければお付けいたしましょうか?」
「そうしていただけると助かりますが、よろしいのですか?」
シャルリーヌはちらりとディアーヌを見た。
ディアーヌが頷いたので問題ないということだ。ディアーヌの方も、オールポート伯爵をこの場から追い出すほうが都合がいいと思う。オールポート伯爵が妊娠の事実を知っていた件について、エミリーに探りを入れたいはずだからだ。
「構いませんわ。この姿で一人で城の中を歩き回ると見とがめられてしまうかもしれませんので、よろしければ一緒にいらしてくださいませんか? ボタンですのですぐに付けられますし」
「確かに、わざわざ裁縫道具をここに持ってくるのも手間ですからね。妃殿下、今日のところは失礼いたします。侍女の方を少々お借りしますね」
「ええ。よろしくてよ」
ディアーヌが鷹揚に答えて、シャルリーヌはオールポート伯爵とともに部屋を出る。
これで、セルジュの元から逃げ出し、ディアーヌの駒としての働きができるようになるかもしれない。
シャルリーヌの胸に淡い期待が広がるが、しかし次の瞬間、彼女の表情は凍り付く。
何故なら、扉を開けた先には、険しい顔をしたセルジュが立っていたからだ。
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