夜会と警告 4
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城のパーティー当日。
シャルリーヌは朝から慌ただしくしていた。
というのも、王家主催のパーティーと聞いて気合を入れたタチアナに、朝から全身を磨かれているからである。
朝食後、本日は休みだが家の仕事をするからとセルジュが執務室に向かうと、待ち構えていたようにシャルリーヌはタチアナにバスルームへ追いやられた。
そして、いつもより時間をかけて入浴し、髪と全身を綺麗に洗ったあとは、タチアナによるエステフルコースである。
顔と全身を、三時間かけて徹底的に磨き上げ、一時的に解放されたのは昼食時。
部屋にやって来たセルジュと一緒に昼食を取った後は、今度は頭皮マッサージ。
マッサージが終われば椿油を使いながら髪の毛を丁寧に丁寧にくしけずられる。
お茶を飲みつつ一息ついて、ここからが最大の難所だ。コルセットである。
「さあ奥様、息を大きく吸って……吐いて!」
息を吐くと同時にぎゅうっと締められるコルセットに、シャルリーヌは悲鳴を上げないだけで精いっぱいだった。
もともと細身のシャルリーヌだが、細かろうがどうしようがメリハリが大事だと主張するタチアナによって、ぎゅうぎゅうとウエストが絞られていく。
これだけで三十分くらい全力疾走したような疲労感に襲われたが、ここからまたごてごてと着飾っていくのだ。
パニエを重ねて、その上からドレスを着ると、どこにもほつれがないか全身チェック。
チェックが終われば一度脱いで、ルームウェアに着替えると、化粧。
ドレスを一度脱ぐのは、化粧の粉がドレスに落ちないようにするためだそうだ。細かい。
ディアーヌの侍女であるシャルリーヌは、女性の支度がいかに大変であり重要なのか熟知しているが、ディアーヌと違ってシャルリーヌは伯爵夫人だ。王女の支度より手を抜いていいはずなのに、朝の全身エステから考えると、ディアーヌの支度より時間がかかっているのは何故だろう。
「お綺麗ですわ奥様。お化粧すればもっともっとお綺麗になりますわ。きっと旦那様も惚れ直すことでしょう」
いや、そもそもセルジュはシャルリーヌに惚れてなどいないだろう。
愛しているとは言われたが、あれは方便だろうから。
けれども、伯爵夫人として社交をするのならば、着飾っておいて損はない。
今日の目的はセルジュから逃げることだが、社交界でうまく立ち回るには普段からきっちりしておかなくてはならないのだ。化粧、髪型、ドレス。どれでもいい。何か一つ目を引くものがあれば、それを皮切りに社交ができる。
セルジュから逃げればシャルリーヌの任務が終わるわけではない。むしろはじまりだ。ディアーヌの役に立つためには、いついかなる時も気を抜いてはならない。
そういう意味では、タチアナはとても頼りになるメイドだった。
化粧が終わり、髪型を整え、再びドレスに袖を通したときは、もう夕方近くになっていた。そろそろ城へ向かう時間だ。
最終チェックのために姿見の前に立ったシャルリーヌは、よくぞここまで磨けたものだと驚いたほどだった。
改善の兆しがあったものの、まだ多少荒れていたシャルリーヌの肌が艶々している。
さらに、少しパサついていた金髪もしっとりしていて、まるで絹糸のような光沢があった。
淡いオレンジ色のドレスは、シャルリーヌの体のラインにぴったりとフィットしていて、幾重にも布が重ねられたスカート部分はまるで花を逆さまにしたようだ。
頸元や耳元は、先日セルジュが買ってくれたアクセサリーが光っている。
「奥様、とても素敵ですわ。さあ、旦那様が玄関で首を長くしてお待ちでしょうから、参りましょう。足元にお気を付け下さいませ」
丈が長いので、念のためにとタチアナがシャルリーヌの手を引いてくれる。
実に一か月ぶりくらいに部屋からでたシャルリーヌは、思わず目をしばたたいた。
廊下があまりにも綺麗だったからだ。
以前のブラン伯爵家の使用人も、シャルリーヌの身の回りは放置していたが、邸の清掃は行っていた。だからシャルリーヌの自室以外の邸の中は綺麗だったのだが――、そういう意味ではなく、雰囲気ががらりと変わっていた。
廊下の絨毯は濃い臙脂色だったのだが、それが淡いグリーンに変えられており、そこかしこに花瓶が置かれて花が生けられている。
廊下の窓の暗い色のカーテンも取り払われて、柔らかいクリーム色に変わっていた。
結婚式の日から一年。シャルリーヌが暮らしていた面影はどこにもない。
まさに総入れ替えと言っていいほどの変化ぶりだった。
変わっていたのは廊下だけではない。
玄関に繋がる中央階段に敷かれていた絨毯もそうだし、壁に掛けられていた絵画すら違っていた。
タチアナに手を引かれながら階段を降りつつ目を向けた玄関ホールも、やはりまるで違う。
玄関ホールにはひときわ大きな花瓶が置かれており、山もりの花が生けられていた。
(あの、大きな彫像はどこに行ったのかしら)
玄関ホールには、大きくて武骨な騎士の彫像が置かれていた。先々代のブラン伯爵――すなわち、セルジュの祖父の代から置かれていたものだそうだが、それがどこにも見当たらない。
あの彫像はちょっと怖かったからシャルリーヌはホッとしたけれど、確か、先の戦争での活躍をたたえられてもらったものだと聞いたが、片付けてよかったのだろうか。
「タチアナ、騎士の彫像は?」
「あれでしたら、旦那様が倉庫にしまいましたよ。奥様はあの彫像が怖いのだとおっしゃって」
……セルジュに、あの彫像が怖いなんて話は、したことがない。
本当に、彼は一体どこでシャルリーヌの情報を仕入れてくるのだろう。それも、シャルリーヌ本人以外が知り得ないはずのことを。
背中に怖気が走って、シャルリーヌはタチアナの手をきゅっと握る。
タチアナは階段が怖いと勘違いしたようで、にこりと微笑んでシャルリーヌを振り向いた。
「大丈夫ですわ。足元はわたくしがしっかり見ておきますから。……さあ、旦那様がお待ちです」
タチアナに言われてふと玄関ホールの端を見れば、壁際に立っていたセルジュが呆けたような顔でこちらを見ていた。彫像に気を取られて、彼がいたことに気が付かなかった。
パーティーだからだろう。セルジュは銀色の髪を整髪料できっちりと撫でつけていた。灰色のシャツに青いクラバット。ジャケットとズボンは黒で統一していて、ジャケットの胸ポケットには白いハンカチーフが覗いている。
服の色は違うけれど、結婚式の日に見た彼の雰囲気に似ていて、シャルリーヌは何とも言えない気持ちになった。
セルジュはふらふらと何かに吸い寄せられるような足取りで階段の下まで移動してくると、すっとシャルリーヌに絹の手袋をはめた手を差し出す。
ここから先はセルジュのエスコートのようだ。
怖いけれど、手を取らないわけにはいかない。何故ならシャルリーヌは、彼の妻としてパーティーに参加するのだ。
セルジュの手のひらに手を重ねると、きゅっと優しく繋がれる。
「そのドレス、とてもよく似合っている。オレンジ色だからかな。マリーゴールドの妖精かと思った」
「ありがとうございます」
セルジュの表情は柔らかいが、とてもではないが本心からの誉め言葉だとは思えなかった。
けれども、セルジュが仲のいい夫婦を演じるつもりならばシャルリーヌにも都合がいい。本日隙を見て逃げ出すとしても、険悪な様子でパーティーに向かうのはまずいからだ。今後のためにも、シャルリーヌは自分に欠点があると思われてはならない。次の縁談に響くと、ディアーヌの駒としての働きができなくなってしまう。
「行ってらっしゃいませ」
タチアナやユベール、そして他の使用人たちに見送られて、シャルリーヌは馬車に乗り込んだ。
使用人総出で見送ってくれるなんて、なんだか不思議な気分である。ソブール国の実家でも、そして結婚して一年の間も経験しなかったことだ。
セルジュが入れ替え、新しくやって来た使用人たちは、シャルリーヌをちゃんと受け入れてくれているのだろう。それは嬉しいと思う反面、今日を境にもう彼らに会うことはないのかもしれないと思うと、申し訳ないような気持ちになってくるから不思議だった。
閉じ込められているから、使用人たちと関わる機会は少ないが、彼等は本当に親切だ。
毎日の食事も美味しいし、ベッドのリネンも毎日のように取り換えて洗濯してくれるし、お風呂だって最近は、毎日お湯を運んできてくれる。
セルジュに言わせれば、使用人は使用人の仕事をしているだけだと答えるかもしれない。
だけど、誰かにここまで甲斐甲斐しく面倒を見てもらったのは、それこそ、ソブール国の実家で、生母が生きていた時以来だ。
誰かに気にかけてもらえるのは、とても嬉しい。
「今日のパーティーだが、長居をする必要はない。そうだな、一時間もすれば帰っても構わないだろう。重要なのは陛下たちへの挨拶だからね。シャルリーヌはパーティーが好きではないだろうから、早めに帰ろう」
「いえ、お気遣いなく」
むしろ、早めに切り上げられると困る。できるだけ長くパーティーに居座って、逃げる隙を伺わなくてはいけないのだ。
最初は王族への挨拶があるため、ディアーヌと個別で話す時間はない。
ディアーヌも忙しいので、内緒話をする機会はかなり少ないだろう。その少ないチャンスを見つけるために、可能な限り長くパーティーに居座っておきたい。
「だけど、気疲れしないか?」
「大丈夫です」
「そう? 途中で気が変わったり、疲れたりしたら言うんだよ?」
「はい」
隣に座っているセルジュが気づかわし気に顔を覗き込んでくるから、表情が強張りそうになる。
ずっと繋がれたままの手も気になった。
パーティー中はまだしも、二人きりの馬車の中でいつまでも手をつないでおく必要はないのではなかろうか。
(まるで、わたしが逃げられないようにしているみたい)
鎖の代わりに手を繋いでいる。そんな風に思えてならない。
何故彼はシャルリーヌを閉じ込めるのだろう。
今日逃げると決めたから理由なんて考えなくてもいいのだろうが、ふと気になった。
「そうだ。ダンスはどうする?」
「どちらでも大丈夫です」
シャルリーヌはディアーヌの侍女になった時に、彼女に徹底的にダンスやマナーを叩きこまれた。ソブール国の実家では必要最低限のことしか学ばせてもらえなかったからだ。
だから、踊れと言われたら踊れる。
ソブール国でも、ディアーヌの侍女として、他国の要人とダンスを踊ったこともあった。お酒の相手をしたり、ダンスを踊ったりという接待も仕事のうちだ。ディアーヌも身一つなので、主が動けないときに侍女が対応するのである。
そのため、王族の侍女は貴族である必要がある。求められる教養も高い。
思えば、基礎しかなかったシャルリーヌを、ディアーヌはよく採用してくれたものだ。
「わたくしの侍女として恥ずかしくないよう、しっかり学ぶのですよ」と言って、たくさんの教師も用意してくれた。ディアーヌはシャルリーヌの何を気に入ってくれたのだろう。
(ディアーヌ様……。もう一年もお会いしていないわ)
折を見て手紙のやりとりはしていたけれど、会うのは約一年ぶりだ。アロイス王太子との不仲は聞かないが、元気だろうか。
「わかった。もし勧められたら一曲くらいは踊ろうか。ただし、俺以外の相手と踊るのは禁止だ」
「……わかりました」
何故ですか、という言葉が喉元まで出かかって飲み込む。
相手と仲良くなるのにダンスは有用な武器だ。とはいえ、女性からダンスに誘うのははしたないと言われる行為なので、誘われなければ誰かと踊ることもない。
が、シャルリーヌは伯爵夫人であり、休職中とはいえ王太子妃の侍女でもあるので、ダンスに誘われることもあるだろう。そのときに断れというのだろうか。
(セルジュ様は、本当によくわからない)
彼とこれ以上会話をすると恐怖で身がすくみそうになりそうなので、シャルリーヌは窓の方に視線を向けると、ゆっくりと移り変わる景色を眺めることにした。
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