第4話 前の持ち主
赤煉瓦で造られている一条寺家の庭には薔薇の代わりに白やピンクの百日紅が咲いていた。
窓からの眺めを楽しむことなく、恭介は重厚な執務机で何枚目になるか分からない書類にサインをしていた。
ヴァレリーは夏用のベッドに身を横たえ、窓から入ってくる白南風を楽しんでいるように見えた。
手を動かしながら、愚痴をこぼすのも既になじみの光景になっている。
「あと何枚あるんだよ」
恭介は終わらない書類仕事に嫌気が差した。
「そうでごさいますねぇ···三十枚程かと」
好々爺とした家令の藤堂が部屋の中央の応接台に、午後の紅茶の支度をしながら答える。
「まだ、そんなにあるのかよ······」
恭介はうんざりとした。
「それで、どうするんだ?」
ヴァレリーが前足に顔を乗せたまま、唐突に聞く。
「ちゃんと、サインするよ、ちゃんと」
「そうではない。あの家のことだ」
恭介はサインをしていた手を止めた。
「あれなぁ······」
恭介がざっと調査したところ、永井夫婦の家に異常は見受けられなかった。
人間が侵入した形跡も小動物や虫が侵入した跡もなかった。
だが、永井夫婦は、朝、コーヒーのパックが勝手に出ている、夜になると音がするという。
「どうしたものか······」
「藤堂、お前ならどう見る」
静かに紅茶を淹れていた藤堂にヴァレリーが問いかけた。
「詳しく聞いておりませんので······推測となりますが?」
「それでも、こいつよりはマシだ」
「どうせ、そうだろうよ」
恭介がふくれる。
「事実に拗ねるな」
「お前、そういところ直さないと、人に嫌われるぞ」
「猫だから、関係ない」
「くっ、可愛くねぇ~」
藤堂は口元に微笑を浮かべ
「原因があり、事象があるかと。何もないということは、見逃しているか、巧妙に隠されているか···でございますね」
なぜ、俺の仕事内容を知っているんだと問い詰めたいところだが、問い詰めたところで微笑まれるだけだと恭介は諦めた。
それに、聞くのが怖い。
ヴァレリーは満足気に目を細めた。
恭介は藤堂の言葉に顔を顰めた。
(見逃しか隠されているか······永井夫婦はあの家を購入したばかりだよな。それに怯えている···なら······)
「そうか、前の持ち主に聞くしかない!」
「やっと、一歩進んだか」
ヴァレリーのその言い方は、ひとであれば、肩を竦めていると思われた。
ヴァレリーは恭介自身で気付くまで、きっかけは出しても答えは出さない。
それがもどかしくもあり、正しくもあると、今では恭介も分かっている。
分かってはいるが、何となく憎たらしいのだ。
気分を変えるために、軽く頭を振る。
前の持ち主の現在の居場所を調べ、売却理由を調査しなければならないと結論付けた。
「恭介、調べるならあの家の周辺にも聞け」
ヴァレリーが伸びをひとつした。
前の持ち主は直ぐに分かった。
鈴木 明。
家を売却し、現在は都内のリノベーションされたマンションに住んでいた。
「突然、伺ってすみません」
恭介が謝りながら会釈した。
「いえ、構いませんよ。立ち話も何なんで、どうぞ、お上がりになってください」
鈴木は人当たりよく、柔和な感じの中年男性だった。
「あっと、こいつも一緒なんですが······いいですかね?」
足元に座っているヴァレリーを目で示した。
鈴木は一瞬、目を見張ったが、直ぐに笑みを浮かべた。
「構いませんよ」
「すみません」
恭介はヴァレリーを抱き上げて、部屋の中に入った。
ソファーを勧められ、腰を下ろすと膝にヴァレリーを置いた。
お茶を出し、正面に鈴木が座る。
「売却した家のことでしたか?」
「ええ。なぜ売却されたんでしょうか」
「これと言った理由はないんですが、強いていえば、気分転換でしょうかね。あと、維持管理の問題ですかね」
「変な音が聞こえるとかではなく?」
「はあっ?どういうことです?」
「無かったと」
「ありませんでしたよ、そんなこと」
鈴木はきっぱりと否定した。その態度に疑わしいところは見られなかった。
ヴァレリーが恭介の脚に前足の爪を軽く立てた。
「痛っ」
「どうかしましたか?」
「何でもないです。あ、鈴木さん猫を飼われていましたよね?」
鈴木は虚を突かれたような顔をしたが、すぐに柔和な表情に戻った。
「いえ、私は飼っていませんでしたよ」
「そうですか···お忙しいところをありがとうございました」
「いえいえ」
恭介は送り出しに出てきた鈴木に礼を言い、マンションを辞した。
ヴァレリーが恭介の腕から飛び降りた。
恭介の隣をしっぽの先をぴくぴくさせていた。
「何の成果も無かったな」
「そうか?······おい、もう一度あの家に行くぞ」
「はっ?」
「確かめたいことがある」
そう言ってヴァレリーは永井夫婦の家へと向かった。
家に着くと玄関先の扉の前で何かを確認していた。
扉を潜り一度中に入り、出てきたかと思うと、
ゲージから窓の外を見たりしていた。
恭介はその様子を少し離れたところから見ていた。
ヴァレリーが出てきた。
「気は済んだか?」
「ああ···やはりな」
翌日、恭介は近所の聞き込みに来ていた。
その横でヴァレリーは辺りを伺っていた。
「鈴木さん家のこと?」
「何かご存知ないですか?」
恭介は買い物から帰ってきたであろう二人の主婦に声をかけた。
二人はあの家の近所に住んでいるという。
「いいご夫婦だったかしら?」
背の低い小太りの主婦がいった。
「あら、そう?何かご主人の方が寂しそうだったわよ」
痩せた主婦がいう。
「寂しそう?」
恭介の言葉に痩せた主婦が頷いた。
「いつも、何か言いたげに玲子さんの方をみていたのよ」
「ああ、そう言えば、玲子さん、鈴木さんのことより猫のことを話す方が多かったわね」
「そうそう、みけちゃんがどうした、こうしたって楽しそうに話てたのよ」
「みけちゃんっていうのはね、玲子さんが飼ってた三毛猫よ。そういえば、引っ越すと聞いてから玲子さんを見てないわね」
「鈴木さんが『海外旅行に行ってる』って言ってたわよ。いいわね、子どもがいないと優雅で」
その後、恭介は主婦たちの日常の噂話にしばらく付き合い、礼を言って去った。
「奥さん居たか?」
「居なかったな」
「旅行って言ってたが、引っ越してから、もう二カ月以上だぞ。不自然だろう」
「また、旅行に行ったと言われたら、それまでだがな······それより、鈴木はなぜ嘘を吐いた」
「猫を飼ったことはないって、あれか?」
「それだけではないがな······」
「何があるのか?」
「真実は常に静かだ」
恭介は首を傾げた。
「静かねぇ······」
そう言って、恭介は先に歩き出した。
ヴァレリーは恭介の後ろを歩きながら
「人間は忘れたいことほど、口に出す生きものだ」
恭介はヴァレリーを振り返り、
「何か言ったか?」
「いや、気にするな。独り言だ」
ヴァレリーのしっぽがゆっくりと一度だけ揺れた。




