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黒猫ヴァレリーの事件簿  作者: 高橋 なぎ
第8章 夏の三毛猫
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第1話  新しい家

小さな庭のある古い洋館。

外壁に蜂蜜色の天然石をあしらったおとぎ話に出てくるような愛らしい造りをしていた。

永井敏夫と綾子の二人は建物を前に感動していた。

この家の部屋には猫用の出入口があるのも購入を決めたひとつ。

夢に描いていたような家で猫が飼えるのだ。

夫婦共に猫が好きで飼いたいと思っていたが、転勤族だったため諦めていた。

それが、定年を数年後に控え、敏夫は本社勤務となった。うまくいけば、このまま定年まで異動はない。そこで、二人は猫のために思い切って家を買ったのだ。

もう飼う猫も決まっている。

キャリーバッグの中には雄の茶白猫。

保護猫で名前はサキチ。

顔はキリッとしているがビビりというところが気に入った。

猫用の出入口が設えられている玄関ドアを開け、家の中へ。

天井には太い木製の梁に手仕事のムラ感のある漆喰の白い壁。

無垢材の床は経年で飴色になっていた。


「今日からここが私たちの家なのね」


綾子の声が弾んでいる。


「ああ、そうだ。僕たちの家だ」


敏夫は感無量といった感じで目にうっすらと涙が滲んでいた。

にゃー

サキチが鳴いた。


「早く出してくれって言ってるのかしら?」


「待て待て、先ずはゲージで慣れさせないとな。今すぐ、お前の部屋を作ってやるから、待ってろよ」


敏夫はまだ開けていない段ボールを開く。

パーツを取り出し、説明書を見ながら組み立てていく。

自然と鼻歌が出た。

楽しそうな夫の様子に綾子はくすりと笑い、キャリーバッグの蓋越しに指でサキチを遊ばせた。


「よし、できた」


満足げにできたゲージを見やる。

木製の立派な三段ゲージに綾子は


「奮発したわね」


「僕たちだけが、いい思いをしたら、サキチが拗ねるからな」


「フフフ、パパはあなたに甘いわね」


「当り前さ、僕たちの子供なんだから…さぁ、サキチ新居だぞ」


敏夫はサキチをゲージに入れた。

サキチはクンクンとゲージ内の匂いを嗅ぎ、一番上の棚に登る。

満足げな表情で丸くなった。

敏夫と綾子は顔を見合わせ笑みを浮かべた。


「さぁ、私たちも荷物を片付けてしまいましょうか」


「そうだな。片づけなきゃ寝れないな」


「キッチン周りは私がするから、寝室をお願い」


「わかった」


にゃぁ。


猫の声がした。

綾子は振り返ってサキチを見た。

サキチはゲージの中で丸くなっている。

敏夫も顔を上げた。


「……今、鳴いたか?」


「サキチじゃないの?」


「いや…鳴き声が違ったような気が…」


敏夫は首を傾げた。


「なんだろうな」




綾子は朝食の支度をするためにキッチンに立った。

格子窓から朝陽が入り、カントリー風のキッチンは明るい。

作り付けのキャビネットはオリーブグリーンで塗装されている。

フライパンを取り出し、ガスコンロに置く。

冷蔵庫から卵とベーコンを取り出した。

洗面所から水音がして、敏夫が起きてきたことを知る。

いつもより敏夫の起床時間が早い。


(新居での初めての朝だからって……子どもみたい)


綾子はくすくす笑った。

テーブルに皿を置く。


(あら?)


コーヒーパックの箱が出ていた。

箱が開き、パックが一つだけ取り出されている。

綾子は眉を顰めた。

出した覚えも、開けた覚えもない。

キッチンにパジャマ姿の敏夫が顔を出した。


「おはよう」


「おはよう、ねぇ、コーヒーパック出してくれた?」


「いいや」


綾子が口元に指を充てた。

綾子の考えるときの癖だ。


「どうした?」


「コーヒーパックが出てるのよ、変ねぇ…」


「無意識に出してたんじゃないか?」


「そうなのかしら…?出した覚えはないんだけど……」


「昨日の引っ越しの疲れが残ってるんじゃないか?」


「そうかもね」


綾子はそのまま気にしなかった。

敏夫がテーブルに着く。


にゃぁ。


「サキチかな?」


「朝ごはんの催促よ、きっと」


「仕方ないな」


敏夫はサキチの朝ごはんを持ってリビングへ行く。

綾子は敏夫のためにコーヒーを淹れている。

敏夫は笑みを浮かべてサキチの皿を置き、声を掛けた。


「ほら、朝ごはんだ」


いつもなら朝ごはんにサキチは飛びついていた。

だが、今日は違った。

サキチは朝ごはんに見向きもしない。

じっと壁を見ていた。

一点を見つめるようにただ、じっと。

その視線の先には何もない。

敏夫は苦笑した。


「お前も新しい家が気になるのか?」


サキチは返事もせずに壁を見続けていた。

サキチは目を細め、低く喉を鳴らす。

敏夫はサキチの尻尾がわずかに膨らんでいることに気づいていない。

緑色の瞳は、何もない壁の一点を見つめていた。



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