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黒猫ヴァレリーの事件簿  作者: 高橋 なぎ
第7章 初夏の影
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第14話 変化の拒絶

朝の光が、レースの越しに淡く差し込んでいた。

恭介はゆっくりと目を開け、しばらく天井を見つめていた。

昨夜の決意が、まだ胸の奥で熱を持っている。


(……事故は事故として扱う。整えずに、ありのままを受け入れる。それが俺の選んだ道だ)


布団から身を起こし、軽く伸びをした。

身支度を終えて、食堂に向かう。

部屋の中央には、脚の部分には職人の手による繊細な彫刻が施されたオーク材のダイニングテーブル。

六脚ある猫足の椅子はマホガニー材で造られ、背もたれ部分は深いグリーンの本革が張られていた。

中年の女性の使用人が恭介に気が付くと「おはようございます」と挨拶をした。

それに応えて席に着く。

直ぐに用意された朝食。

こんがりキツネ色のトースト。

ターンオーバーに焼かれた卵の横にはボイルされたソーセージ。

ガラスの器に盛られたサラダは瑞々しく、淹れたてのコーヒーは芳香を漂わせていた。

いつもと変わらぬ朝の風景だった。

恭介は食後にコーヒーをもう一杯飲み、席を立った。

執務室に向かう。

廊下を歩いていると、窓の外の風景がふと目についた。

時期を迎えたバラが色とりどりに咲き誇っている。

別邸の日本庭園と本邸の西洋庭園。

自然と調和し、敬うそれと自然を支配・整形するここ。


(皮肉だな…)


執務室のドアを開け、中に入る。


(さて、やりかけていた決済を終わらせてしまうかな…)


重厚な机に目を向けた。

その瞬間、机の方に視線を向けて——恭介は小さく息を呑んだ。

机の上の資料が、昨夜と“違う並び”になっている。

触った覚えはない。

誰も入っていないはずだ。

だが、乱れが消えている。


「……来たな」


窓辺で丸くなっていたヴァレリーが、尻尾をゆっくり揺らしながら顔を上げた。


「影の末端は、お前の“判断”を見に来た。事故を事故として扱うと決めたお前が、次に何をするか——確かめに来たんだ」


恭介は机に近づき、資料を一つひとつ手に取った。

昨夜、自分が置いた順番とは違う。

だが、乱れてはいない。

むしろ、整えられている。


(……整えるなって言ったのに)


胸の奥に、わずかな苛立ちが生まれる。

だが同時に、理解もあった。

影の末端は、“当主の意思”に従う存在だ。

そして今、恭介は“整えない当主”になろうとしている。

その変化を、影は測っている。

スマホが震えた。

画面には「朝比奈継信」の名。

恭介は迷わず通話ボタンを押した。


「……千束です」


『——判断はついたか』


低く、揺れない声。

だが昨夜とは違う。

恭介の“覚悟”を前提にした声だった。


「事故は事故として扱います。整えません。俺が決めます」


短い沈黙のあと、朝比奈は静かに言った。


『ならば動け。整えないというなら、整えないなりの“結果”を出せ』


通話が切れた。


恭介はスマホをゆっくり下ろし、深く息を吐いた。


(……動け、か)


ヴァレリーが横に来て、恭介の足元に座った。


「恭介。お前の“当主としての一日”が始まったな」


恭介は頷き、机の上の“整えられた資料”を見つめた。


(整えられたなら、整え返す。俺のやり方で)


朝の光が、新しい一日の始まりを静かに照らしていた。




本邸の広間には、朝の空気がまだ少し残っていた。

恭介は深呼吸をひとつしてから、ゆっくりと襖を開けた。

すでに使用人たちが整列していた。

藤堂が一歩前に出て、恭介に深く頭を下げる。


「皆、揃っております」


恭介は頷き、広間の中央に立った。

視線が一斉に自分へ向けられる。

その重さに、胸がわずかに軋む。

恭介は両手を握りしめた。


(……これが、当主として向き合うということか)


ヴァレリーが恭介の足元に座り、尻尾を静かに揺らしている。


恭介は一度だけ息を整え、口を開いた。


「橋詰さんの件だ」


広間の空気が、わずかに揺れた。


「結論から言う。橋詰さんの死は——事故だ」


ざわめきは起きない。

ただ、空気が固まった。


「帳簿の異変に気づき、報告しようとした。その途中で足を滑らせた。誰かに襲われたわけでも、何かに巻き込まれたわけでもない」


恭介はゆっくりと使用人たちを見渡した。


「……事故は事故として扱う。整えない。事実を曲げない。俺はそう決めた」


その言葉に、広間の空気がわずかに震えた。


長年“一条寺の空気”に慣れた使用人たちにとって、“整えない”という言葉は、これまでの価値観を揺るがすものだった。


だが——


藤堂が一歩前に出て、深く頭を下げた。


「恭介様のご判断、確かに承りました。……実淳様も、きっと同じようにされたことでしょう」


その言葉に、使用人たちの表情がわずかに緩んだ。


恭介は胸の奥が熱くなるのを感じた。


(……藤堂さん。貴方がそう言ってくれるなら、俺は間違ってない)


ヴァレリーが横目で恭介を見上げる。


「ほらな、恭介。お前の言葉は、ちゃんと届く」


恭介にだけ聞こえるような囁くような小さな声だったが、恭介には力強く聞こえた。

恭介は小さく息を吐き、続けた。


「橋詰さんが残した帳簿の異変については、俺が調べる。外に漏らすつもりはない」


一旦言葉を切り、初夏の湿り気を含んだ朝の空気を胸に吸い込む。


「ただし——“整える”ことはしない」


使用人たちの間に、静かな緊張と、わずかな安堵が混ざった空気が流れた。

庭の青葉が風に揺れ、その音が広間にまで届く。


「……以上だ。今日からは、俺のやり方でやる」


恭介がそう締めると、藤堂が深く、深く頭を下げた。


「恭介様。当主としてのご判断、この藤堂、心より敬服いたします」


その言葉は、恭介の胸に静かに染み込んだ。


(……俺は、もう逃げない)


広間の窓ガラス越しに差し込む初夏の朝の光が、恭介の背を静かに照らしていた。


少し(?)間が空いてしまいました。すみません。詰まってました(@_@;)。今日から最終話まで毎日投稿させていただきますので、また、お読みくださると嬉しいです。


「お前は恭介以上にヘタレだな」


ヴァレリーさん、おっしゃる通りでごさいます( ノД`)シクシク…

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